八話 15歳、やらかす。
月乃の話に耳を傾けるふりをしているうちに、随分長居してしまった。
日が沈むにつれて、店は混んできたので退散することにした。
会計の際に対応してくれた店員は、佐喜彦でも店主でもなく、俺と同じ齢の女だった。
前回の偵察では見なかった顔だ。おそらく、佐喜彦と同じアルバイト店員なのだろう。なかなかの美人だが、表情が涼しげで愛想が少ない。
「りさちゃん?」
釣銭を受け取ると同時に、月乃が声をあげた。店員の女に向けて言っている。
「うそー! ここだったんだ、りさちゃんのお店。」
人懐こくはしゃぐ月乃に、女は愛想が少ないなりににこりと微笑み、今来たばかりだから月乃に気づかなかった、と、静かに告げた。
「月乃、こちらの方、もしかして、」
俺に視線を向けるなり、月乃に問う。
「うん。例の友達。」
簡潔な紹介に納得した様子の女は、俺に一礼を挟み、薄い笑顔でまた静かに口を開いた。
「サキは頑張っています。たまには、褒めてあげてください。」
予想外の発言に言葉を失った。
おそらく「サキ」とは佐喜彦のことなのだろうが、一連の流れのなかに、あいつは登場していない。店内でのやりとりを見る限り、佐喜彦と月乃にも接点は無い。
当然のことながら、月乃は隣できょとんとしていた。状況が把握できていない彼女を置いてきぼりしたまま、俺は店員の女に軽い一礼を返した。
「史世、りさちゃんと知り合いだったの?」
駅に近づくころ、月乃は尋ねてきた。
とんでもない、さっきのが初対面だって。あんな美人が知り合いなら放っておかないしな。笑い飛ばす冗談に、納得いかないようすで月乃は頬を膨らませる。
「サキってだあれ?」
続く質問も妥当だった。妙な勘違いをしているらしく表情が暗い。
下手に隠すのも面倒だったので、佐喜彦について説明しようと思った矢先、月乃は突然、俺の影に身を隠した。
「……ごめん、違うクラスの人なんだけど、あの人苦手なの。」
小声で指した方角には、月乃と同じ学校の制服を着た男子学生が歩いていた。駅には用が無いらしく、しばらくじっとしていると、すぐに遠ざかっていった。
「少し前から声かけられてるんだけど……学校とかでも、怖くて……、」
姿が見えなくなったあたりで、月乃は息をついた。
推測だが、こいつは結構もてる。贔屓目にみても可愛いほうだと思うし、何より、男を勘違いさせる魅力に長けているからだ。
「彼氏でも作れば安心なんだけどな、」
からかうように意地悪な本音をいった。
ぎりぎりで本音を交えていると気づいてもらえればと、少しの期待も込めて。
「ううん。わたしは、史世がいい。」
俺のなかでも探るように、月乃はやわらかく裏切った。
しくじった。この流れはまずい。
「彼氏作ってデートするより、史世に遊んでもらってるほうが、嬉しいもん。」
月乃が本当に探っているのか、駆け引きのつもりなのか、これを機に核心をつくつもりなのかは、わからない。
どう転ぶにせよ、流れを変えなければと、表情を崩した。
「それで売れ残っても、責任取れねえぞ。」
へらっと、ちゃらけて笑う。
「いいの。それで。」
月乃はまた、ほんわかと笑った。
「少しでも史世と、ふつうに遊んでいられるなら、後悔しないもん。」
責任なんて取らせないから、心配しないで。続けて小首を傾げて微笑む月乃が、まぶしく刺さった。
やはり駆け引きなのだろうか。それとも本当にまっさらな切望か、はたまた何かしらの画策か。見慣れた昔なじみの裏側に潜む可能性を、駆け引きにならない程度に思案した。
子どもは時々むずかしい。
考えてもしかたないんだ。俺は、わかりきっていた答えに準じた。
仮にこれが月乃の策だとしても、慕う、の延長だとしても、たぶん俺は騙されもしなければ、罪悪感も背負わない。今までどおり、彼女と築き上げた関係を保持し続ける。見放さず、進展せず、それを繰り返す。
答えが出たところでもう一度へらっと笑って、話題を変えた。
月乃もほんわかと笑い返して、新しい話題に耳を傾けてくれた。
俺たちの前に、『大きな子ども』が現れたのは、その直後だった。
佐喜彦だ。
目に見えて穏やかではない雰囲気を纏わせながら、突然立ちはだかる。
色白な肌に端正な顔立ち。そのどちらもを無駄にするように、鋭い眼差しを向けた佐喜彦は、あきらかに月乃を見下しながら、
「ブス。」
開口一番、声を低くした。
ついさっきまで、品の良い接客をしてくれた『かっこいいおにいさん』の、とんでもない登場に状況把握が追いつかない月乃は、呆然と言葉もまばたきも失う。
「気持ち悪いんですよ、あなた。」
敵意を曝け出したまま佐喜彦は続けた。
「その程度で色気づいて、未練たらしくて、みっともない。いい加減諦めたらどうです?」
何考えてんだ、こいつ。
その場で問いただそうとも思考が追いつかない。
とりあえず、これ以上月乃に害が及ばないことを最優先に「おい、」と、俺も声を低くした。
「何のつもりだ、」
まくしたてる佐喜彦と、硬直する月乃の間に割って入り、すごむ。
佐喜彦は一切怯まず、俺にも眼光を向けて、挑発的に答えた。
「史世さんが迷惑そうにしてたから、助けてあげてるんですけど?」
「生憎だけど必要ねえよ。」
そこから少し睨みあいを挟み、一触即発の手前で佐喜彦は、ふんと鼻を鳴らして、俺たちから離れていった。
嵐が過ぎ去った俺たちの間には、気まずい空気だけが残る。
「知り合い……だったんだ、」
佐喜彦の姿が見えなくなるころ、月乃はおもむろに口を開いた。
俺は黙っていたことと、奴の無礼と二つ分をまとめて謝罪した。
「いいのいいの、気にしないで。ちょっとびっくりしちゃっただけだから。」
両手をぶんぶん振りながら、月乃はやっぱり笑う。
帰路の違う彼女を、今日に限り駅ホームまで送ることにした。俺なりのふざけた謝罪の一環だ。月乃は電車が着く直前まで、色々な話を振ってくれた。学校のこと、テレビのこと、友達のこと。先の出来事を塗り潰すみたいに、たくさん喋った。
「……あやせ、」
ごめんね。
電車の到着と同時に、月乃はたしかにそれを呟いた。車輪の音とわざと重なるように、そのタイミングで、俺に告げた。
「なんで謝るんだよ、」
「史世が、いちばん知ってる、でしょ?」
いつものように、ほんわかと微笑む彼女を最後に、ドアは閉まった。