三十話 置き去りのまま
泣く暇も無いとはよく聞く。
葬儀屋との打ち合わせや、各所への連絡に追われるからだとか、もしくは、単純に実感が沸かないから、だとか。
実際父の場合、息を引き取った時間帯というか、タイミングがタイミングだったので、俺も姉も手配に段取りに、てんてこ舞いだった。
父の搬送に、葬儀日程の決定、参列者への対応。慌しい通夜が過ぎ、ようやくネクタイを緩めたあたりで、初めて父と二人きりになった。
どうなってんだよ、母さんのときはもっとしめやかだったじゃねえか。タイミング悪すぎんだろ。
足を崩して、白布の下で眠る父に苦情を溢した。
タイミング、悪すぎんだろ。念を込めてもう一度呟く。
もう、返事はないのだと知って。
容態が悪化した。もう危ないかもしれない。
姉からの一報は予感どおりで、俺は急ぎつつも冷静に、身支度を始めた。
今にして思えば、覚悟が潜んでいたのかもしれない。財布に携帯、充電器、職場関連の資料に手帳。必要最低限の物を手際よく揃え、すべて鞄にしまいこんだ。
佐喜彦が目を覚ましたのは、その無駄のない準備がちょうど済んだころだった。
明らかに出掛けの俺を、黙ってじっと見詰めてくる。
「父親がさ、やばいっぽいんだ、」
あえて俺から切り出した。
佐喜彦の沈黙が、眠ってしまう前の激情の余韻なのだと、把握できたからだ。もしかしたら今日明日は戻れないかもしれないし、簡潔にでも説明が必要だと考えた。
「ずいぶん、落ち着いてるんですね、」
佐喜彦は静かに口を開いた。
やはり余韻なのか、それとも、状況に対して不適切な態度でいる俺を見下したうえでなのか、判らなかった。
「やっぱ変だよな、俺。」
どっちに対しても通用する返事を選ぶ。
「…………ぼく、まだ怒ってますから。」
俯く佐喜彦に誘われて、玄関まで運んでいた足をベッドへ引き返した。
「帰ったら、ちゃんと話そうな。」
拗ねた顔を覗き込んだ後、「……って言ってもいつ帰れるかわかんねーけど。」と、付け加えながら大げさに頭を撫でて、へらっと笑ってみせた。
「……マグカップさ、いつも大事にしてくれて、ありがとな。」
靴を履いたあたりで、俺はくだらない昔話を始めた。
「あれ一応、父親から貰ったもんでさ。クソ真面目で堅物で、おもちゃの一つも買ってくれなかったひとが、たぶん、気紛れで買ってくれたんだ。おまえが気に入ってくれるまで忘れててさ、そんなこと。」
昔話は、佐喜彦に語りかけていたのではないと思う。
ただの独り言を、こいつのせいにしたかったんだ。
有り難いことに、佐喜彦はまた、黙ってくれていた。
「なんか急に思い出したんだ。そんだけ。」
言い訳を最後に室を出て、駅まで走った。
急行に飛び乗って、地元の駅からはタクシーに乗った。釣銭も受け取らず病室に走り、ようやく面会したころには、腕に刺さった管や、何かの器具が、ただの飾りとなっている父の姿が、そこにあった。
間に合わなかった。看取れなかった。
でも、泣けなかった。




