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家族ごっこ  作者: 悦司ぎぐ
第8章 切り札の足掻き
29/32

二十九話 ずるい大人、ただの子供。




 予感ならしていた。


 伊織との再会も、父との記憶も、至極平穏で安定している俺たちも。きっと前兆だったんだ。


 すべてに目を瞑れる自信はあった。何が起きても表面だけに留めて、ごまかしながら日々をすごす。そんなこと、造作もないんだって。

 見て見ぬふりも、回避も、いくらだって出来たはずだ。

 それなのに、予感に、従ってしまった。




「……かえせ、」

 馬乗りになった佐喜彦は、確かな殺意を向けた。



 いつかのように俺を組み敷いて、いつかのように胸ぐらを掴みながら、返せ、返せ、と繰り返す。

 殺意を宿す眼差しのなかで、俺がぼんやりと映っている。

 あーあ、やっちまいやがった。何考えてんだよ、あとたった四ヶ月だってのに。

 佐喜彦のなかに居る俺は、呆れるくらい間抜けな面をしていた。


 ばかなことしてくれたよ、本当に。





 伊織と過ごしたあの一夜、俺は例の鍵を奴に手渡した。

 以前、佐喜彦が大事そうに握り締めていた、あの鍵だ。


 ()()の紛失に気付いた佐喜彦は、真っ先に俺にその所在を訊ね、俺は素直に真実を告げた。

 伊織が鍵を返してほしいと望んでいたこと、

 だから返したこと、

 合鍵が戻ったので近々(へや)を引き払うつもりらしいということ。

 一通り耳にした佐喜彦は、絶望の面持ちからすぐに鬼の形相に変わり、俺を押し倒した。それが現在の、激昂に至る経緯だ。




「なんで、どうして……ひどい、ひどい、」


 憤りは静まるどころか沸々とわき続け、抑制の効かない激情が、大きな子どもを錯乱させる。怒りの頂点に達しているはずの佐喜彦は、震えて涙ぐんだ。


「持ち続けて何になったんだよ、」


 俺は聞いた。

 逃げられる場所が欲しかったのか?

 あの部屋で、あいつが待っていてくれると思ったのか?

 約束を守る上であれは必要だったのか?

 ……本当は、このくらい問いかけてしまいたかった。だけど、ぐっと堪えた。



「なんにも、ならない……です、」



 佐喜彦がほんとうに泣きだしてしまったからだ。


「……わかってる、わかってるよ、」


 怒りと、哀しみと、絶望と、愛しさと。ぐちゃぐちゃに混ざり合った真ん中で、佐喜彦が喚く。

 胸ぐらを掴む手元に力が加わり、首を絞められる幻覚を、()せた。


「でも、くれたんだ……伊織くんが、……ぼくに、くれたんだあ……」


 伊織くんから貰ったんだ

 くれたんだ

 うれしかったんだ

 返せ、返してよ

 かえせ、かえせ、かえして……


 佐喜彦の訴えを、無抵抗のまま耳に吸い込んだ。

 男一人分の重みに潰されながら、手元の力がどんなに増しても、呼吸が細くなっても、沈黙を貫いた。いいわけなら、いくらでも用意していたから。


「どうしても、おまえとの一年を成功させたいんだよ。」

 佐喜彦の手元から力が抜けるころを見計らって、口を開く。


「わかってくれ、佐喜彦、」


 天井を背負う佐喜彦から、ぼたぼたと涙が降ってきて、頬を濡らした。声にならない声でえずく。

 ……ごめんな、わかってくれ。

 俺はいいわけを投げかけながら、観念を強いられた子どもを、宥めた。



 俺はとんでもない大嘘つきだ。



 一年の成功のため、課題の確実性のため、すべては佐喜彦のためだなんて。ぜんぶ嘘っぱちだ。全部、俺のためだ。


 大人はずるい。いつだって、子どもを思い通りにしたがる。

 手の届く距離に置いて、目の届く場所に留めて、模範を武器に堅実を盾に、行動も思想も制限して。

 自分だって思い知ってきたじゃないか。父による厳格な規律と、母からの無言の支配を、身にしみて生きてきたはずだったのに。どうして繰り返してしまうのだろう。



 佐喜彦は、まだ子供なんだから。



 怖かった。佐喜彦に逃げ場が在ることが。俺たちの一年が未完成で終わることが。

 あと四ヶ月だけは、ぜんぶ、俺のものだ。






 佐喜彦は泣き止むと同時に、深く眠った。

 俺を許すかどうかは判らない。目が覚めてからまた咎めてくるかもしれないし、二度と口をきいてくれないかもしれない。そこまでじゃなくとも、しばらくは不機嫌に目を合わせてくれない可能性だって、充分にある。


 どんな制裁が待ち受けていようと、諦めるしかないのだろう。諦める、なんてのもおかしな考えかただけれど。

 どうしようもない自分に、笑うしかなかった。

 こんなずるくて卑怯で、俺も立派な大人の仲間入りだなと、皮肉な自画自賛を巡らせながら、隣で眠る佐喜彦の前髪をかきあげる。目の周りがぱんぱんに腫れていて、唯一の取り得が台無しだ。まあ、俺のせいなんだけど。


 残された時間、たくさん、我儘をきいてやろう。


 食いたいもんは何だって作ってやるし、どこだって連れてってやる。ラーメンでもやきとりでも。

 貴重な休みを費やすのも、まあ覚悟するか。繁忙期ももうすぐ終わるし。連休を使ってどこかに行くのもいいかもしれない。

 伊織の話が本当なら、こいつは少し特殊な家庭の坊っちゃんだ。遊園地や動物園なんかで感動してくれるかもしれないな。


 極力、呑みに行くのも控えよう。酔っ払った俺が好きじゃないみたいだし、帰宅時間も晩くなるし。

 仕事帰りにはプリンやケーキを買ってきて、最初に選ばせてやろう。

 AVやキャバクラの名刺も、目の届かない所に片付けるようにしよう。できるだけ。


 あ、でもからかうのはやめないからな。

 生意気言うなら、容赦しないからな。だって、そのほうが面白いだろ。

 心で唱えながら、眠る佐喜彦の頬を抓って、俺はくくくと笑いを潜めた。



 残された時間を、俺たちのかたちで過ごそう。





 身勝手な決心も束の間、着信音が鳴り響く。


 表示された姉の名に、全身を巡る血流が、音をたてて凍りついた。

 予感ならしていた。でも、まだ終わってなんかいなかった。



 予感は、罰となって降り注いだ。

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