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家族ごっこ  作者: 悦司ぎぐ
第8章 切り札の足掻き
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二十八話 八重伊織という男




 天候と足場も災いして、さほど遠くない目的地に着くまで随分と時間を費やした。

 伊織の住むマンションは、至って普通の(とはいえ俺の住むマンションより幾分上等な)、建物だった。いつか耳にした通り、生活には困っていないらしい。請求書を頼りに部屋へ辿りつく。


「ほら、着いたぞ、」


 扉の前まで来たところで声をかけると、伊織は健やかに寝息をたてていた。

 いつまで寝てんだよ。ほら鍵開けろ、鍵。時間が時間なので大声も出せず、身体を揺さぶるなりして起こそうと試みる。

 寝息以外の反応は無い。


「おまえが開けてくれないと入れねーんだけど……」

 半ば絶望気味に呟くと同時に、ある物が脳裏をよぎった。


 もしかして。


 きつい体勢のまま、自分の鞄をまさぐる。金属の硬い感触のそれを取り出し、錠に差し込んで回すと、すんなり扉が開いた。



 それは、先日佐喜彦のシャツからみつけた、例の鍵だった。


「………。」

 今は、余計なことは考えないでおこう。



 手当たり次第スイッチを押して、部屋中を点す。

 上着のままの伊織をベッドに置くと、あまり丁寧でなかったせいか、ようやく寝息以外の反応をみせた。ごろんと首を動かし瞼をこする。薄く開いた目が此方を向いていたので、目覚めに「よう、」と声をかけた。



「……なんでいんの?」



 けっこうな歓迎だ。酔っ払いに真面目な返事をするのも野暮なので、飲みかけの緑茶のペットボトルを渡した。伊織はあっさりと受け取って飲み干す。

 頭の回復はもう少しかかるらしく、まだ些かぼんやりした表情を浮かべていた。


「悪いけど今夜は世話になるからな。誰かさんのおかげで帰れなくなっちまったんで。」

 ここまで届けてやった件にもそれとなく触れ、宿の交渉を持ちかける。


「……別にいいけど、」

 ぼんやりしつつも、伊織はやっと会話を成立させた。

 のそのそと起き上がり、枕元の収納や寝具付近の棚に手を突っ込み始める。何か探しているようだ。


「何してんだよ、」

 思わず聞く。

「ごめん、きれてるんだった。」

「何が、」

「コンドーム。」

「いらねーよ。」

「無いとやんないよ、」

「あってもやんねーよ。」


 漫才の掛け合いみたくテンポの良い会話だった。まだ酒が抜け切れてねーなこいつ。以前に比べるとどことなく雰囲気が人間くさくて、やたらと饒舌だ。


「佐喜彦なんて、やらせないって言ってもやりたがるんだけどなあ。もしかしてまだしてないの?」

「まだも何も予定もねえよ。」

「ふうん。堪えてんじゃん、あいつ。」


 上着やシャツを脱ぎ捨てた伊織は、無防備に寝転び、脚を組み替えたり身体を伸ばしたりした。わざとらしく挑発的なその動作に、俺もわざとらしく目を背ける。


「健全なんだよ俺たちは。」

 佐喜彦の伊織に対する情愛が、俺に対しては一切備わっていないのだと、また、それとは別の次元で一緒にいるのだと、その一言で伝えた。



「あー、やっぱパパになっちゃってんだ、おっさん。」



 仰向けのまま、伊織は不自然に人間くさい笑みを浮かべた。


「それか兄貴みたいな、やっぱそうゆうのかあ、」

 今さっき脱ぎ捨てた服を今度は一枚一枚床に放り投げながら、呂律の怪しい声をあげる。愉快そうな、もしくはからかっているようなその言動を、俺は面倒な酔っ払いとして対処するしかなかった。

 床に散らばった服を拾い集め、部屋の片隅にまとめる。返事はしないでおいた。


「……おっさん、みずー、」

 愉快な動作から一変、伊織は俯いて水の要求をしてきた。

「冷蔵庫、あるから、」

 主語だけの依頼に俺は渋々応じ、冷蔵庫に並ぶミネラルウォーターを一本持ち出し、手渡した。伊織は先ほどの緑茶と変わらぬ勢いで流し込み、ボトルの中身は一気に半分まで減った。


 俯いたまま、長い溜め息をひとつ、深くつく。



「あいつさー、男家族いないっぽいんだよね。」

 溜め息の延長でぽつりと呟いた。



「伯母と姉貴と、その部下みたいな人たち? とにかく女ばっかなんだってさ、家。」



 まだ酒が残るようにも、普段どおり淡々とした言い草にも聞こえた。なにしろ表情が窺えないので、声だけではなんとも判断つかない。


 俯く伊織を、身体ごとじっと見据えた。

 あらわになった腰まわりや鎖骨のあたりが、しなやかでか細い。貌と同様、不自然な肌理(きめ)の良さが皮膚となって覆っている。本当に作り物みたいな奴だ。


「だからさ、求められてんじゃないの。父性みたいな、そうゆうの、」


 顔をあげた人形の表情が、無理やり人間の表情(かお)を作る。

 にっと口角を上げる伊織を模して、俺も挑発的に笑った。



「それって、おまえも当て嵌まってんじゃねえの? 本気で結婚とかじゃなくてさ。」



 脈絡なく、勝った、と思った。

 言い負かしてやろうとかではなくて偶然に、だ。


 鎌をかけて、俺が笑って、そのあとすぐに、伊織の表情がいつもどおりに戻ったんだ。

 正直、明確ではないのでこの勝利自体も、脈絡が無い。でもなぜか俺は、勝者の余裕に満ちていて、気付けば何の抵抗もなく、寝そべる伊織の隣に腰を下ろしていた。ベッドが二人分、沈む。


「それだったらよかったよ、俺だって。」

 呟く伊織の華奢な裸体が、無防備にシーツにへばりつく。


 途端に嗅覚が疼いた。

 性のにおいがする。胸焼けするほど鼻につく色香。忘れもしない、出逢った頃の佐喜彦のにおいだ。


「そこそこ坊っちゃんなんだよね、あいつ、」

 まるでどこかの誰かさんみたく、拗ねるように伊織は口を開いた。


「将来は会社貰うんだって、俺に一生楽させるとか、言いやがってさ。」

「大したアプローチだな。」

 俺は光景を思い浮かべながら、噂にきく佐喜彦の求愛を笑った。



「ほんとバカでしょ、あいつ。わかってないんだよ、子供だから。」

 伊織も唇を尖らせつつ鼻で嗤う。



「立場考えろって話。ふつうに結婚して、子供作れってんだよ。言ってもわかってくれないし、聞く耳持たないし、泣き喚くし、結婚とか言い出すし、」


 いつもより饒舌に、人間くさく話すうちに一回二回と転がって、仰向けとうつ伏せを繰り返す。

 二回目のうつ伏せになったあたりで、頭を枕に埋めたまま声を篭らせた。


「俺なんかに、必死になりやがって。」


 だから子供は嫌いなんだよ。消えそうな声を、俺は慎重に拾い上げた。

 うつ伏せた頭が僅かにうごめき、首から上だけがちらりと俺を見上げる。

 性のにおいがまた、鼻をついた。


「……おっさんも大概だよ、頭悪い。情でやってんなら、やめなよ、手助けなんか。」

 伊織も一つ一つ、慎重に声を出した。



「佐喜彦は、まだ、子供なんだから。」



 最後には、呼吸みたいな音を落とした。



 どうりで脈絡がなかったはずだ。悔やむより納得してしまう。

 俺の確信した勝利なんて、最初から無かったんだ。

 必死で人形ぶるただの人間に、俺は降参と賞賛の両方をごまかすつもりで、へらっとだらしなく笑った。


「やっぱ酒入れたほうが面白えわ、おまえ。」

 寝そべる髪をくしゃりと撫でる。軽くつかんだそれには所々雪粒がとけていて、ひんやりしていた。


「子ども相手に、ずいぶん必死なんだな、」

「子供なんか、遊びの対象にもなんないんだよ。」


 伊織は身体を起こして、ボトルに残った半分を飲み干した。唐突に俺も喉が渇いて、もう一度キッチンに足を運び、ミネラルウォーターを一本頂戴した。


 何勝手に飲んでんの。伊織が部屋から呼ぶ。

 運び賃だろ、こんくらい。つーかビールとか無いの。

 運び賃なら払うよ、身体で。

 遠慮させていただきます。

 はあ? 俺に一晩十万使う奴だっているんだよ?

 当社の運送料は百円のミネラルウォーターで充分でございます。



 完成度の低い漫才みたいな掛け合いをするうちに、夜は更けた。

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