十八話 お堅い女
自分の父親が、だめだ。
母親も、ちょっとだめだった。
仕事熱心で、節義を重んじて、文字通り大黒柱で。
だけど、退職して伴侶を亡くした今は、まるで抜け殻で。つまり、そのくらい愛していたわけで。
本当に仕事が生き甲斐だった人で。
そんな父親らしい父が、俺は三十を目前にした今でも、好きになれない。
母も母親らしい母親だった。
料理上手で、洗濯も掃除も一日たりとも欠かさず、子供たちの嘘を疑わず、そして何よりも夫を優先し支えた。
そんな母親のことも、俺は最期まで大好きになれなかった。
父に叱られることがあれば、母はいつだって影ながら優しい言葉をくれた。
父もそれを承知の上で、子供たちを躾けていた。いいや、承知じゃなくて、前提、だったのかもしれない。証拠に、母は生きている間、一度だって子供たちを叱らなかった。
男らしい男と、女らしい女が、一緒になった、夫婦らしい夫婦。
俺は、自分の見てきたこっち側以外の人間をどうしても捜したくて、家族より他人を選んだ。
他人と関わるのは、面白い。
約束の時間よりずいぶん早く着いた俺よりも、武本りさは先に到着していた。携帯をいじったり壁に寄りかかりもせず、鞄を提げて姿勢良く佇んでいた。
「時間、間違えましたっけ?」
合流するなり俺はふざけた。
「どうして?」
武本りさは小首を傾げる。佐喜彦同様、たまに通じない部分がまだあるようだ。
「何か食いたい物、あります?」
冗談もそこそこに、お決まりの質問もぶつけてみた。武本りさは姿勢はそのまま、顔だけ少し上を向いて考え込む。
「お好み焼きかラーメン。」
やがて思いついたように口を開いた。
珍しいな、いい意味で。
なんせ男はたいてい、「なんでもいい。」の返事を予知しつつも「何が食べたい?」と女に問うものだ。
更に視野が広い男の場合は、イタリアンかエスニック系の店をおさえつつ、問う。無論だが俺はそんなもの用意していない(これが佐喜彦から「もてない」と形容される所以なのか)。
だからこそ今は、この予想外な返事が結果的に助かった。
「珍しいっすね、」
女でそういうの、選ぶの。和ませる態で笑った。ばかにしているつもりもないし、無礼にも当て嵌まらないだろう。武本りさも不機嫌な様子を見せず、いつもどおり涼しげな顔をして真面目に答える。
「コーヒーとは無縁の物がいいの。」
ああ、なるほど。もう一度軽く笑って、じゃあ行きますかと並んだ。
「そろそろ喋り方、適当でいいわ。大変そうだから。」
数歩もしないうちに武本りさは指摘してきた。
俺としても、度々ひっかかっていた点だ。
武本りさと本格的に接してからというもの、俺の口調は迷走している。
敬語とタメ口の中間のような、もしくは交互に扱うような、その中途半端になっていた言葉遣いが、彼女も気になっていたのだろう。
「じゃ、遠慮なく。」
できるかぎり軽やかに切り返して、左手を差し出してみた。
「そういうの、いい。」
ソーユーノ、イイ。
無機質な語調で武本りさは拒否をする。
今度の冗談は通じないのではなくて、好ましくないほうだったようだ。
一定の距離を保ったまま並び、歩幅を合わせる。場所的にはラーメン屋のほうが近かったのだけれど、どうせなら対面席がいいと目論んで、お好み焼きの舗に案内した。