十四話 15歳。所詮15歳。
確か日曜の営業は、午後からだった気がする。
月乃と訪れた日の記憶を頼りに、俺は例の喫茶店の営業日、開店時間を思い出し、伺う日取りを決めた。佐喜彦にばれないように菓子折りを用意し、適当な嘘をついて、日曜の午前から家をあけた。
駅にして二つ分。緊張感も圧し掛かっていたせいか、思いのほか早く到着してしまった。準備中の札の向こうで、件の店主らしき男性が、グラスを磨いている。
呼吸を整えたのち、俺はノックで自分の存在を報せ、外で一礼を挟んでから扉を開いた。
ひと気の無い店内にベルが響く。
「ああ。佐喜彦くんの、」
穏やかな表情のまま、店主は、「佐喜彦の、」の後を詰まらせた。
数秒を置いて、困ったようにはははと笑う。
「お兄さん、でしょうか?」
そんなことで悩んでいたらしい。優しげではあるが、少しずれている。
突然の訪問も兼ねて、謝罪の意を伝えてからも、ずっとこの調子だ。
「まあまあ、どうぞお掛けなさい。」
互いの自己紹介もそこそこに、半強制的にカウンター席に座らされた。気づけば目の前では、コーヒーが湯気をたてている。武本と名乗る店主は、目尻に皺を寄せた。
「今日のブレンドには、少々自信があるのです。」
そう言われて手をつけないわけにもいかない。物腰が柔らかい人なのに、どういうわけか、遠慮や拒否の隙を与えてくれない人物だ。まあ、確かにコーヒーは美味しかった。
一口、二口飲んで一息つき、俺は改めて謝罪を試みた。
「この度は、ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ありませんでした。」
教本に描かれているような謝罪しか出てこなかった。
しかし武本さんは、一瞬きょとんとしただけで、続けてまた微笑む。
「迷惑、と申しますと?」
えっ。
今度は俺がきょとんとしてしまった。
「ですから、その、佐喜彦のことで……」
思いがけない状況に、俺はぎこちなく補足を添えた。
「佐喜彦くんなら、よく頑張ってくれていましたよ、」
とても迷惑だなんて。武本さんはコーヒーを口に運びながら続けた。
「物覚えも早いですし、お客さんからの評判も上々でした。彼目当てに来店される方が増えたくらいですよ。それに何といっても、楽しんでくれていましたからね。」
「あの……あいつが、履歴書偽証していたのは、」
「ええ。存じておりましたよ。」
俺はまたもやきょとんとした。
それを見てなのか、何か思い出しながらなのか、武本さんは笑いを溢す。
「コーヒーには、お砂糖もミルクも目一杯入れますし、女性からのお声掛けにうろたえてしまいますし、すぐに未成年だってわかりましたよ。家出して飛び込んでくる二十一歳なんてのも、そうそういませんしね。」
どうやら思い出し笑いのほうだったらしい。俺も想像して吹き出しそうになったけれど、立場を弁えてなんとか堪えた。
「問い詰めなかったんですか?」
堪えたまま尋ねてみた。
「佐喜彦くんは、理由もなく嘘をつく子じゃありません。」
答えはすんなり返ってきた。
「うまく騙されるのが、大人の仕事です。」
気づけば、開店時間をとうに過ぎていた。
武本さんは看板を外に出そうとも、札を裏返そうともしない。閑散とした店内で俺一人相手に、もう一杯コーヒーを淹れてくれた。
俺はまた一口飲んでから、尋ねた。
「もし佐喜彦が、自分から言い出してたら、どうしましたか?」
武本さんはソーサーにカップを置くと、ふむ、と呼吸に似た声でうなり、顎のあたりを撫でる。やがて穏やかな視線を向けて、また目尻に皺を寄せた。
「もちろん、怒っていましたよ。」
カウンター越しの斜向かいから、物腰柔らかい笑顔が返ってくる。
「正直を告げたら、ちゃんと叱る。これも仕事です。」
どこまでも不思議なひとだ。うまくは言えないけれど。
いつの間にか切れていた緊張の糸が、開放感を生んでいたのかもしれない。俺たちはそこから、今回の件に関すること、無関係なこと、隔たり無く色々話した。
「遠野さんは、先生なんですか。」
「予備校のですけどね。」
「高校生相手のお仕事は大変でしょう、」
「まあ、難しい年頃ですから。」
「下の娘が同じ年頃なんですが、なんせ気難しくて…」
「娘さん、もう一人いらっしゃるんですか?」
「ああ、そうでしたね。遠野さんは、りさとお会いしたのでしたね。」
何気ない会話の流れから、話題は武本さんの娘である例の女へと辿りついた。
武本さんは少々申し訳なさそうに、後ろ頭を触る。
「真面目な子ではあるんですが、どうも愛想が乏しくて。せっかく懐いてくれていたのに、佐喜彦くんにもきつい言い方をしたようで、」
「いいえ、そんな。元はと言えば、あいつが招いたことですよ。」
まあ、確かにきっつい印象ではあったけど……内心は伏せて、佐喜彦が「優しい人」だと好意的だった件についてだけ、触れておいた。
武本さんは察したのか、また笑う。
武本りさ。
月乃や佐喜彦から聞いてはいたけれど、今になって初めて、彼女の名前を意識した。
どういうわけか、武本さんの口から「りさ」と聞くまで、脳内では「あの女」と呼称していたからだ。そしてこれもまた会話の都合上、彼女の素性をいくつか耳にした。
武本りさは武本さんの長女で、今は母親の経営する店で働いているのだという。この喫茶店には、手が空いた日や、忙しいときにだけ手伝いにくるらしい。佐喜彦が入ったばかりの頃、仕事の基礎を一通り教えたのが、まさに彼女だった。
……と、ここまで耳にしたところで、俺はもう一つ大事なことを切り出した。
「あの、今週の予約というのを、佐喜彦から窺っているんですが、」
武本りさが佐喜彦を返却しに来た夜、冷たく一蹴していた話について、俺は後々佐喜彦から、詳細を聞き出した。
どうやら日付にして明後日の祝日、近所の主婦たちが団体予約を入れたのだという。
内容は単なる食事会なのだが、奥様方は好き勝手に注文したがる傾向だし、佐喜彦をシフトの頭数に入れた上での予約だったため、クビにされた今、本人としては当日人手が足りるのか、と気懸かりでいるらしい。
「それで、ご相談なんですが……」
俺は今回の謝罪に秘めた本来の目的に、腹を括って口を開いた。