十三話 29歳、はじめてのお迎え。
ねぎまとつくねをタレで、軟骨、砂肝、ぼんじりを塩で二串ずつ、とりあえず頼んだ。
「ぼんじりってなんですか、」
「尻尾かケツか、たぶんその辺?」
「食べられるんだ……、」
ジョッキになみなみ注がれたオレンジジュースを両手で支えながら、佐喜彦は関心を示す。こいつはわりと食に疎い。
ま、とりあえずお疲れ。俺はビールがなみなみのジョッキを、佐喜彦のジョッキにこつんとあてた。
本当に色々とお疲れだった、お互い。
「おまえ、よく生きてたな、」
「どういう意味ですか、」
「一週間も身一つでさ。自分の家帰ってたのか、」
「いいえ。」
佐喜彦は口ごもった様子で首を振った。
「史世さんこそ、よく一人でやってこれましたね。この一週間。」
今度は視線をまっすぐに、語調は鮮明にして生意気を言う。
「独り身の年季が違うからな。」
「かっこよくないですよ、それ。」
おまえだって大概だぞ。ここへ来る前の、情けないべそかき面を思い出しながら、喉まで込み上げた言葉をビールと一緒に飲みこんだ。
「ほどほどにしてくださいよ、面倒くさいんで。」
俺のピッチに佐喜彦は口を出す。元通りの俺達を祝して、無視して飲み続けた。
「マスターの所で、お世話になってました。」
ジョッキを置くのと同時に、佐喜彦は口を開いた。
マスター? 復唱する俺に佐喜彦は、アルバイト先の店長です、と簡潔に説明を添えた。
「そしたら、りささんに色々聞かれて、……ばれて、」
「あー、あのおっかねえ姉ちゃん。」
「おっかなくないです。ほんとは優しい人なんです。」
「意外と好意的なんだな、女なのに。」
「性指向と人間性の好みは、別です。」
いくつか会話を交わすうちに、注文の品が届いた。
佐喜彦は物珍しそうに串を手に取る。俺の食べ方を観察して、見習いながら一口目と二口目は縦に、三口目からは串を横にして、苦労しながら口に運んでいた。どうしても汚れてしまう口の端を、おしぼりで丁寧に拭う。
「りささん、少し似てるんだ。伊織くんに、」
口の中を全部飲み込むと、佐喜彦はおもむろに呟いた。
独り言を装っているような反面、声を届かせているようにも聞こえる。
「その名前出すってことは、もうちょっと聞いていいって事なんだな?」
「じゃなきゃ、納得しないんでしょう、」
お察しが良い様で。詮索の許可がおりたので、さっそく尋ねてみることにした。あの、伊織という男についてだ。
「僕、結婚するんです。伊織くんと。」
いうまでもなく妙な間が流れ、俺は串先端までずらしていた四口目を、そこで止めて固まった。
こいつの言動で驚くことなんて、もう底をついたと高を括っていたが、「は?」の一言すら出てこない。
「ちゃんと約束守ったら、伊織くんが結婚してくれるんです。」
完全に停止している俺に気を遣ってか、佐喜彦は別の言い回しで説明しなおした。
「一応聞くけど約束って、」
「課題です。一年間伊織くんから離れて、違う他人と暮らすっていう。」
続く質問にも、佐喜彦は素直に答えた。伊織のことだけでなく、俺のもとにやってきた件についても軽く触れる。
なるほど、と納得する一方で、つーかあの伊織って奴、やっぱりソッチ系の間柄なんじゃねえかと、今さらあいつの毒舌が癇に障った。
「彼は、信じてくれないんです。」
半分まで減ったジョッキを支えて、佐喜彦は続けた。
「僕が、一生伊織くんだけだよって言っても、それは他を知らないからだって。だから、しばらく離れて、誰か違う他人と関わって、それでも考え方が変わらないって言えるんなら、結婚してくれるって、約束、してくれたんです。」
説明が進むにつれ、視線は伏せがちになってゆく。
「それに彼、子供が嫌いだから、ぼく、もっと世間みて、おとなにならなきゃ、で、」
最後あたりには、また情けない影を落とし始めていた。
「念のため言わせてくれ。日本の法律、知ってる?」
俺のほうは思考もだいぶ回復したので、とりあえずからかってみることにした。
「ばかにしてるんですか、」
一瞬にして生意気な態度が蘇る。よし、成功だ。唇を尖らせる佐喜彦を笑って宥めながら、自分の分のつくねを差し出した。反応を見る限り、これが一番口に合っているらしい。
「戸籍を同じにしたいとか、法的に認められたいとか、そんなこと、これっぽっちも考えてませんよ。僕は、伊織くんとずっと一緒にいたいだけです。」
残りのジュースを一気に飲み干し、かつんと音をたててジョッキを置く。
結婚って、新しい家族になる、ってことですよね、
一生、一緒にいる相手を、決めることですよね、
確認か肯定か、語りかけるように佐喜彦は言う。
「自分で決められる家族なら、僕は伊織くんがいい。」
今度は、情けなくも頼りなくもなっていなかった。しかし、頑なとも違う。
俺も一気にビールを飲み干した。
「まるで、決められなかった家族が不満みたいな言い草だな、」
「否定はしません。」
たぶんこの話は、ここで終わりだった。
一区切りついたかのように、俺は三杯目、佐喜彦は二杯目のジョッキを注文する。
「これが一番おいしいです。」なんて佐喜彦が言うので、つくね串も二本追加した。
「『ぼんじり』も結構おいしいです。」
「お。案外飲める口になるかもな、」
「史世さんみたいになるのは、まっぴらなんですけど。」
飲んで食べて、少し真面目な話を挟んで、ふざけて、茶化しあって、俺がからかって、佐喜彦が生意気を言って、時間が流れた。
気づけば俺はジョッキを五杯も空けていて、帰り道は佐喜彦の肩を借りて歩いていた。
「だから、ほどほどにしてくださいって言ったんです。」
佐喜彦のごもっともな苦情を笑い飛ばし、わざと体重をかけて歩いてやった。
「この酔っ払い。だめおじさん。」
佐喜彦は散々悪態をついたけれど、中途半端でパンチが無い。悪口下手だなあ。俺がまた笑い飛ばすと、またへたくそな悪態が返ってくる。そんなやりとりが繰り返された。
「俺さー、だめなんだよな、自分の父親、」
やりとりも程々に、なんとなく溢した。
「なんですか、突然、」
「姉貴も時々だめだし、母親も、ちょっとだめだった。」
「何の話ですか、」
肩を貸す子どもの足取りが止まる。
今は、こいつが居なきゃままならない俺は、もっともっと体重をかけて、もたれかかった。
「おまえが思ってるほど、おまえは特別じゃないってこと。血の繋がった家族に満足できるなんて、よっぽど運の良い奴だけなんだよ。」
アルコールに侵食された意識じゃ、佐喜彦の表情が判りづらい。少なくともいい顔はしていないだろう。
うんざりしているか、げんなりしているか、その両方か。覗きこもうとすると、佐喜彦はぷいっと顔を逸らして再び歩き始めた。それがまたなぜか笑えた。
洗濯物さあ、すっげえ溜まってんだ。明日からまたよろしくなー。
大声出さないでください。ご近所迷惑です。
真夜中の東京を、大きな子どもと連れ立って歩く。
小言を並べる生意気な声を聞きながら、あの、情けない啜り泣きを思い出して、今度はばれないように静かに笑った。
明日からまた、室が狭くなる。