十一話 29歳の責任。
外が暗い時間だったせいか、灯かりの下で、初めて気づいたことがある。
男の醸し出す雰囲気が、つい目をひくほど独特であったことだ。
若く、少年のようだが、まるで世間を隅々まで見てきたように、落ちついている。達観、とは少し違うような、どちらかというと儚げ、に近い。まるで人形のような男だ。無気力で淡々とした特徴ある口調も、毛穴一つ見当たらない石膏のような肌も、男を更に人形らしく見せていた。
「あいつの荷物は?」
荷物といっても佐喜彦がここに持ち込んだものといえば、あの夜身に纏っていたスーツとコートくらいだ。財布も携帯も生徒手帳も、例の大金も、ポケットに納まっていたみたいだし、ここへきてからは俺の私物を共有するか、新しく購入している。
その説明を参考に、男は佐喜彦のコートやスーツに片っ端から手を突っ込んで、何かを探し始めた。充分過ぎるほどにまさぐってはいたが、どうやら目的の物は見つからなかったらしく、ため息まじりに肩を落とした。
言葉をかけるより先に、人形のような静かな表情が此方を向く。
「ねえ。佐喜彦が帰ったら、鍵取り返しといてよ。普通に言っても聞かないだろうから、盗んでくれていいし。」
なんだよそれ。俺は唐突な依頼に眉をしかめた。
「おまえら知り合いなんだろ。直接返してもらえよ、」
「やだよ。顔合わせると色々面倒だし。」
なんだよ、それ。ニュアンスを変えてもう一度呟いた。
そしてここへきてやっと、最も問うべき疑問を思い出す。
「つーか、おまえなに? 佐喜彦の学校の友達?」
これを聞かなければいけなかったのだ。
とりあえず、可能性の高い間柄の第一候補をあげてみると、今度は男のほうが眉をしかめた。気に障ったらしく、薄いなりの表情で不機嫌に頬杖をつく。そしてまた淡々と吐き捨ててきた。
「あのさ、俺もう二十五なんだけど。」
え。まじで。
少し引いてしまったのが、俺の正直な反応だった。
言われてみれば、妙に達観しているような部分もあるし、肝も据わっている。しかし不躾で横柄な態度や、独特な口調、そして何といっても不自然なまでに若々しい容貌が、男を実年齢から遠ざけさせていた。
「悪いな。いってて大学生くらいかと思っちまった、」
「当然だろ。この貌にどれだけ手間とお金かけてると思ってんの。俺、店じゃ十八で通せてたんだから。」
嫌味のつもりで言ったのに、なぜか自慢されて、思わず苦笑を溢した。
はあ、店……ねえ。
あまり掘り下げたくはないが、なんとなく察せてしまう。佐喜彦のような美形とは違う部類ではあるが、まあ整っている貌だ。
「あー、もしかして、ソッチ系のご関係?」
引き攣る笑顔に冗談っぽさを混ぜ込んで、意味深に尋ねた。
「はあ?」
男は例によって、不機嫌に髪を耳にかける。
「あんたさ、おっさんのくせに発想と下半身が中学生並みなんじゃないの。」
今更だけど口悪いなこいつ。いちいち刺々しい。
「ばかみたいな勘違いしないでよ。俺、子供大っ嫌いなんだから。」
「はいはい、そりゃどーも失礼しました。」
余計なごたごたは避けたいのと、手っ取り早く佐喜彦の情報を掴みたいがために、とりあえず引き下がった。男は無気力にむくれたまま部屋を見渡し、テーブルの上に放置された携帯電話に視線を止めると、すかさず聞いてきた。
「携帯も持たないでどこ出かけたの、あいつ、」
つまらない嘘が今度は出てこなかった。代わりに、まずい表情をしていたんだと思う。
「もしかして家出?」
その証拠に、男は疑いの眼差しを向けてきた。
「何かあったの? 喧嘩したとか、」
着々と核心をついてくる。
「まあ、ひらたく言えば。」
これ以上の嘘は自信がないので、やめておいた。
「信じらんない。よくいい齢して、あんな子供なんかと対等になれるね。」
刺々しくとも正論過ぎて、返す言葉も無かった。先程の、探し物が見つからなかったときよりも深く肩を落とした男は、何か思い詰めるように目を伏せた。不自然なくらいにはっきりと線の入った二重瞼が、また人形を連想させる。
「………やっぱりだめだったんだ、」
ぽつりと溢された言葉は、俺に向けられてなかった。たぶん独り言だ。
来客を報せる音が響いたのは、その直後だった。
「ちょっとおっさん、今日は佐喜彦、帰ってこないんじゃなかったの、」
インターホンに嫌な予感を巡らせたのか、男は抗議してくる。
「一週間も帰ってこなきゃ、今日だって帰ってこないって思うだろ、普通。つーか俺おっさんじゃねえから。まだ二十代だから。おまえも大してかわんねーから。」
「一週間? ばかじゃないの。なんで警察なり連絡しないの。本当ばかじゃないの、」
「うっせ、二回も言うな、」
「実際ばかだろ。あんた、未成年置いてるって自覚あんの、」
俺たちがくだらないやりとりを交わしている間じゅう、ピンポンピンポンとしつこくインターホンは鳴り響いた。
仕方なく確認もせずにドアを開けると、そこには案の定、佐喜彦の姿があった。
しかし胸を撫で下ろす暇も無く、佐喜彦の背後から別の影が姿を現す。
女だ。
「遠野史世さん……のご自宅で間違いない?」
冷たく尋ねる女の顔には、どこか見覚えがあった。
確か……そうだ、佐喜彦のバイト先でレジに立っていた女だ。
俺は挨拶もそこそこに、「ああ、はい、」と返した。
「お宅の不良少年を返しに来たわ。」
女は明らかに憤慨していた。以前見たとき同様、雰囲気自体涼やかな女であるが、それとは別に、沸々と静かな憤りをみせている。
「変だとは思ってたけれど、まさか十五歳だなんて。父の店を潰す気ですか、」
よくみると、佐喜彦の背後で奴の首元辺りを掴んでいる。まるで捕獲された猫だ。
ここに来るまでの間、そうとうこってり叱られたのだろう。あれだけ口達者な佐喜彦が、俯いたまま一言も発さない。
「うちの夜間業態は一応酒場よ。日によっては深夜閉店もあるし、こんなことが外部に漏れたら、あなた達、どう責任とってくれるの、」
女は、俺と佐喜彦を交互に睨みながら、二人まとめていっぺんに咎めた。
どういうわけか、俺は頭を下げた。
なんでこんなことになったのか、どうしてそんなことしなくちゃいけないのか、解っていないまま頭を下げた。
「すみませんでした、」
出来る限り深く下げて、そのまま喋った。
「言えた立場じゃないって解っていますが、この件は、俺達のせいじゃなくて、俺の責任です。本当、すみませんでした。」
女が次に口を開くまで、頭を上げてはいけないと思った。
僅かな間を挟んで、冷たい声が降り注ぐように静かに届く。
「こちらも、大ごとにする気は無いの。とにかく今後一切、彼にはうちに足を踏み入れないようにして。父には、私から話をつけておきます。」
「……でも、りささん、来週の団体予約……」
「あなたは黙ってて。」
ようやく声を発した佐喜彦を冷たく一蹴し、もう一睨みしたあと、俺に小さく会釈を残して女は去っていった。