地球編「トラックに息子を奪われた母ですが、『小説家になろう』と思います」その4(後編)
※2017年10月4日、某社より書籍化が決定しました。
応援してくださった皆様、ありがとうございます。
1
そよ風の吹き込む教室で、嶋田チカは『損な夢』を見ながら机に突っ伏し眠っていたが――、
「嶋田、起きろよ。もう放課後だぞ」
肩を揺すられ、目を覚ました。
顔を上げると、隣席の男子がそこにいた。
「キョウく……藤居? なに体触ってんの、いやらしい」
「呼んでも起きなかったから仕方ないだろ。お前、六時間目の授業中からずっと寝てたんだぞ? 先生が『説教するから、起きたら職員室に来い』って言ってた」
「ああ、そう……」
あの担任教師は居眠りに厳しいので有名だった。
また母親を恨む理由ができたらしい。
『母親の奇行のせいで眠れなかった』と弁明すれば、少しは説教が短くなるだろうか?
「そういや嶋田、さっき俺のこと『キョウくん』って呼ぼうとしてなかったか?」
「……っ!」
不覚をとった。
あんな夢を見るからだ。
「……まさか。気のせいでしょ」
「そうか。別にどうでもいいけど。あと、それとさ――今度お前んちに行っていい?」
「はあ!? なんで? なにしに来る気?」
「俺じゃなくって、うちの母さんが行きたがってるんだよ。最近、お前んちのおばさんが元気ないって聞いて、気になってるらしいんだ」
藤居少年の母親は、親切なおばさんだ。
きっと、兄が死んで以来、すっかり内向的なってしまった母を気遣ってくれているのだろう。
だが――。
「おばさんが来る理由はわかったわよ。けど、藤居はなにしに来るわけ?」
「べつに。ただ、母さんが『お前もついでに来い』ってうるさいからな」
「ほんとかしら? まさかと思うけど、あんた、まだうちのお母さんのこと好きなんじゃないでしょうね?」
「おいっ! 妙なこと言うなよ。そんなの幼稚園のころの話だろ」
そう否認しつつも、少年の顔は赤かった。
「あんた、なんで照れてんの? まさか、本当に……」
「違う! 違うってば!」
「なら、いいけど――」
それよりも、藤居と母親が家に来ることの方が問題だ。
今のフミエの姿を他人に見せていいものだろうか? クラスメイトや、その母親に?
チカは少しだけ考え込むが――。
「ん~……。やっぱりだめ! 来ないで!」
「そこまで嫌がることないだろ。そういうんじゃないって言ってるのに。だったら母さんだけで行かせるよ。俺はもともと行きたくないんだし……」
「ううん! そうじゃないの! 藤居だけじゃなくって、おばさんもだめ! 絶対来ないで! おばさんが気にかけてくれるのは嬉しいけど、でも……なんていうか、とにかくだめ!」
考えた結果、この結論となった。
今の状態のフミエを、他人の目にはさらしたくない。
「そうか……。なにかあったら、なんでも相談しろって、うちの母さん言ってたぞ」
「うん、ありがとう……」
2
その後、チカは職員室で説教を受け、それからひとり帰路についた。
(藤居のおばさん、いい人だな……。今回のことでは、あんまり頼るわけにはいかないけど)
あのおばさんは親切で気のいい人だ。チカが幼稚園のころから、いろいろとよくしてくれている。
――ただ、噂好きで、少々口の軽いところがあったため、デリケートな相談に向いている相手とは言いがたかった。
それと藤居少年は、まだフミエのことが好きらしい。
藤居キョウヤは、当時とはずいぶん変わった。性格が普通の男子らしくなって、もうそんなにポヤーッとしていない。
見た目も違う。幼稚園のころチカがお菓子を食べさせすぎたせいか、すっかり肥満体型になっていた。(この点についてはチカも責任を感じていた)
見た目だけなら、フミエの方が当時のままだ。
もちろん内面的には、ずいぶん違ってしまったが。
(お母さんが離婚するかもって話をしたら、藤居のやつ、またプロポーズするのかな?)
もし彼が今、せめて一八歳だったなら、再婚させて母親の面倒を見させるのに。
(ま、今のお母さんを見たら、とてもそんな気にはならないだろうけど……)
そんなことを考えているうちに、家の前に着いていた。
「ただいまー」
玄関で声を上げると、
「あら、おかえりなさーい」
家の中からでなく、庭の方から返事があった。
「……? お母さん、なにしてんの?」
庭を覗くと、麦わら帽子姿のフミエがスコップで穴を掘っていた。
花か野菜でも植える気だろうか?
だが、それにしては、ずいぶん日当たりの悪い場所を掘っている。
チカが不思議がっていると、母は言った。
「お手紙をね、出そうと思って」
想像していなかった答え――そして、聞きたくなかった答えだ。
「手紙? 庭に穴掘って?」
「ええ」
どうやら、ちょうど穴を掘り終えたところであったらしい。深さは、三〇センチ足らずといったところか。
その中に、フミエは封筒を入れた。
まるで女学生が使うような、花柄の可愛らしい封筒だった。
それを賞状でも持つかのように、両手でうやうやしく丁寧に、そっと穴の底に置き、また土をかぶせて埋めていくのだ。
「だれ宛てよ?」
そう訊ねてから、チカは『しまった』と思った。
そんなのわかりきっている。聞いたら、嫌な気持ちになるに決まっていた。
案の定、フミエは予想通りの回答をした。
「タカシによ。図書館で火薬の作り方を調べてきたから。それに、唐揚げの作り方も。あの子、思い出せなかったら困るでしょ。ついでにポテトサラダのレシピも書いたわ」
ほら、やっぱり。
「お母さん、あのね――」
「ううん、チカ、言わないで。私だって、ちゃんとわかってるのよ? こんなの、ただのおまじないみたいなものだわ」
「そうなの? それ、わかってるならいいんだけど」
ほんの少しだけ、ほっ、とした。
本当に、ほんの少しにすぎなかったが。しかし、そんな安心さえも――、
「ええ……。だって、タカシがいるのは異世界だものね。子供のとき読んだまんがみたいに未来の地球にタイムスリップしたならともかく、別の世界に届くはずないわ。――ただ、いっぺん思いついちゃったら、どうしてもやらずにはいられなくって……」
「お母さん……」
うんと、儚いものだった。チカは、
――ぞくり
とした。
手紙を埋めることにではない。
いや、もちろんそれも気がかりではあったが、もっと引っかかるのは、
『だって、タカシがいるのは異世界だものね』
の一言だ。
「まさかと思うけど、お母さん――」
「……? なあに?」
「いえ、なんでもない」
怖くて、訊くのをやめた。
『まさかと思うけど、お母さん――お兄ちゃんが本当に異世界にいるって思ってないよね?』
もし『NO』以外の返事だったらと思うと、そんな質問する気になれない。
母はスコップで土をぱんぱん叩いて平らにしていた。
3
同時刻――。
“クイーンズ・プランニング(有)”は、住宅地の片隅にある小さな会社だ。
従業員数7名。駅から15分ほど離れた不便な場所にある細長いビルの3階をオフィスとしている。
業務内容もボンヤリとしており、企業向けホームページ・ブログ等の作成に、プログラマーやデザイナーの斡旋、中高年向けパソコンスクールの開催などさまざまなことに手を出していた。IT時代の昨今、世の中に増えているタイプの会社だ。
そんな会社の、廊下にあるジュースの自動販売機の前で――、
「後藤さん、ちょっとプライベートの話になるんですが……」
「ん? 俺?」
もとトラック運転手で現在はここの見習い社員である片山ヨシタカは、缶コーヒーを飲むひげ面の先輩社員に声をかけた。
他の社員たちから、彼の前職のことを聞いたからだ。即ち、
「後藤さんって、昔、出版社に勤めてたって本当ですか?」
東京の出版社で、編集者をしていたと。
「ん、ああ。まあね……。一時はマンガや小説の編集者みたいなことやってたよ」
「小説の!? ちょうどよかった! 実は、見ていただきたいものがあるんです」
片山は、嬉々として紙の束を彼に差し出す。
それは合計10枚足らずの、小説が書かれたA4用紙だ。
※次回、深夜0時に更新します。