地球編「トラックに息子を奪われた母ですが、『小説家になろう』と思います」その2
1
皆さんは、ご存知だろうか?
世に発表されている『異世界転生・転移もの』のライトノベルのうち、実に7割以上が、
“交通事故で我が子を失った母親”
の手によって書かれているということを。
母の切なる願いを背負い、今日も勇者は異世界を駆ける……。
「あれっ、片山さんじゃん」
11歳で小学6年の嶋田チカは、家の近くで見覚えのある後姿を見つけた。
彼の名は、片山ヨシタカ。
まだ20代前半の、気弱そうな青年だ。
青年は、背後から少女に声をかけられ、「わあっ!?」と過剰なほどに驚き、その場でぴょこんと飛び上がる。
漫画のような反応をする男だ、とチカは呆れた。
「ああ、びっくりした……。や、やあ、チカちゃん……」
「やあ、じゃないでしょ。アンタ、なにやってるわけ? しかも、うちの近所でコソコソして」
まるでスパイか泥棒のように、電柱の陰からコソコソと我が家の方を見つめていた。
不審人物まる出しだ。
「アンタ、警察に捕まるわよ? そしたら、今度は刑務所なんでしょ? 前のはシッコーユーヨだったから」
「はは、手厳しいな……。実は、君の家に行こうと思って」
「うちに? なんで? こないだ来たばっかりじゃない」
「それは、なんというか……」
彼は、言いにくそうに話をする――。
「実は、前の会社を辞めてね……。あんなことがあったから。次は、コンピューターの会社で働くことになってる。その報告をしようと思って」
「報告なんていらないでしょ。お母さん、そんなの興味ないと思う」
チカはそう答えたものの『前の仕事を続けない』というのは、この青年なりの誠意であるのかもしれない。
そう思い、無理に『来るな』と言うのはやめた。
「片山さん、新しい仕事、『コンピューターの仕事』って言わない方がいいよ。うちのお母さんくらいの世代だと、なんとなくラクそうなイメージ持ってる気がするから。もっと苦労してそうな仕事ってウソついてよ」
「ああ、わかった……。それと、もう一つ、用事があって――」
「なによ?」
片山が妙に口ごもりながら、その『もう一つ』――すなわち、真の用件を口にした。
「その……こないだ会ったとき、君のお母さん、特に元気なかったから……」
「はあ?」
この片山青年は、極めて善良な人間だ。
今回、来たのもその善良さ故であろう。チカのような子供でも、そのくらいはわかっている。
だが、今のようなことを言われては、彼女もこう答えるしかなかった。
「元気ないのは、アンタのせいじゃん。アンタがお兄ちゃん殺したから」
チカの返事に、片山はただ黙った。
返す言葉もあるまい。チカの言ったことは、否定しようもない真実だ。
「たしかに、うちのお母さん、最近特に元気ないけど。――というか、ちょっと前からひどくって、それでお父さんが嫌気さして家に帰ってこなくなって、ますます元気なくなっちゃってるの。
でも、それはアンタが原因よ。アンタがトラックでお兄ちゃん殺したから。そんなアンタが、いったい何しにうちに来るの?」
「ああ、そうだね……。ごめん、君の言う通りだ。来るべきじゃなかった」
「うん。マジでそう思う」
今から一年前のことになる。
当時、トラックの運転手だった片山青年は、交通事故を起こした。
人身事故――それも死亡事故だ。
チカの兄を撥ね殺した。
子供のチカには詳しいことはわからなかったが、警察だか裁判所だかの判断によれば、どうやら、
『夜中に道路をふらふら歩いていた兄が悪い』
ということであったらしい。
にもかかわらず、この青年は毎月、給料が出るたびに、もらった給料の半分近くを持って、嶋田家にやって来た。
「正直言うとね、アンタが毎月、顔を見せるから、それでお母さん元気なくなってる部分もあるんだからね? ――でも、あたしは『来るな』って言わないけど。アンタが持ってくるお金、あたしは欲しいと思ってるし」
「ああ、うん……。ちゃんと渡すよ」
「当然ね。もしかして、とんでもない女の兄貴を撥ねちゃったと思ってる?
けど、強欲なわけじゃないんだから。お父さんがいなくなったら、お金は必要になるからね。アンタが原因の家庭不和なんだから、大学の学費くらいまでは面倒見てもらうわよ」
「ああ……。わかってる」
チカは賢い子だ。現実を見ている。
片山は無言で俯いていたが、頭の中はチカに対する申し訳なさでいっぱいだった。自分が仕事で起こした事故で、人を不幸にしてしまった。家庭をひとつ、台無しにしてしまったのだ。チカの顔をまともに見ることができない。
「ごめん。僕、帰るよ……。来て、悪かった」
「まあね。お母さんに会う前にわかってもらえてよかったわ」
片山青年は、俯いたまま去ろうとするが――、
「あ、そうだ。ちょっと待って」
彼の背中を、チカは急に呼び止めた。
「アンタでいいや。ちょっと人に相談したいことがあったんだ」
「相談? 僕に?」
「そ。相談っていうか愚痴ね。アンタが原因のことだから、ちゃんと真面目に話を聞くのよ。――ちょっと待ってて、いっぺん家に“アレ”取りに行ってくるから」
2
「ドリンクバーとフライドポテト、それからチーズケーキも」
「僕は、水だけで……」
給料の半分近くを嶋田家に渡している片山青年にとって、ファミリーレストランは贅沢な場所だ。
チカもそれを知っているからこそ、わざわざここで話をすることにした。これは、ちょっとした嫌がらせ。
本気なら、もっと高い店に行くこともできたのだから、これでも手加減したと言えるのだろう。
「一応言っておくけど、あたしもアンタのことは好きじゃないからね。アンタのせいで大変なんだから。このくらいの嫌がらせ、やる権利あると思うの」
「ああ、うん……。ごめん。わかってる……」
「でもね、お母さんに比べると、半分くらい――ううん、十分の一くらいしか怒ってないわ。これも本当よ」
同じ家族でも、母と妹の差であるのだろう。
チカは母親に比べ、兄に対してずっと客観的であった。
「うちのお兄ちゃん、ニートだったからね。アンタと同い年だけど、仕事もしないでブラブラして。最初、交通事故で死んだって聞いたとき、あたし、ちょっと嬉しかったもん」
「そんな……。チカちゃん、そんなこと言うもんじゃないよ」
「だって、本当だもん。けど、お母さんがあんなにお兄ちゃんのこと大好きだったなんてね……。まさか、こんな家庭不和になっちゃうなんて」
その意味で言えば、嶋田チカの家庭は、最初から壊れていたのかもしれない。
兄と、それを甘やかす母のせいで、もうとっくに破綻していたのだ。
片山青年の事故は、問題を表面化させただけのことだった。
「ま、とりあえず、お兄ちゃんのことはどうでもいいの。今、たいへんなのはこれなのよ」
そう言ってチカは、ばさり、と薄い紙の束をテーブルに置く。
明朝体がプリントアウトされたA4用紙、まだ10枚にも満たない量を。
「読んでみて」
「チカちゃん、これは?」
「小説よ、ファンタジー小説。お兄ちゃんのパソコンから、エロサイトで集めた大量のエロ画像と一緒に、書きかけの自作小説が出てきてね。お母さんが続き書くってうるさいの」
正確に言えば、兄の書いたのは、書き出しのほんの数十行と、やたらゴチャゴチャと膨大な設定資料のみ。
だが、母フミエはろくにキーボードも打てないくせに、それを完成させると言い張っていたのだ。
「へえ……。それは、すごいな……」
「どこがよ! いいかげんな受け答えしないで! アンタ、自分だったら、母親がこんな恥ずかしい趣味持っててもいいの!?」
「いや、それは……」
「でしょう? うちのお母さん、『小説書くのが恥ずかしい』って感覚わかってないから、一枚書くたびにあたしに見せようとすんのよ? そのうち、たぶん近所の人たちにも見せようとするんじゃないかな……。ああっ、もうっ! 想像するだけでイライラする!」
チカは、怒りにまかせてドリンクバーのメロンソーダを、ストローも使わず一気に煽る。
そして空になったグラスを、どん、と乱暴に置いたのち、片山青年に向かって言った。
「で、相談ってのはね……。どうしたら、お母さんに、これ、やめさせられるか、ってことよ! このみっともない趣味をね! こんなヘタクソな小説を!」
「それは……」
このとき――。
相談を受けた片山青年は、チカとは真逆のことを考えていた。
チカの気持ちは理解できる。
小六だ。母親の趣味を恥ずかしがるのは当然だろう。
だが、青年の目の前に置かれた紙の束……。
短いだけあって、ほんの数分で読み終えることができた。
たしかに技術的には未熟そのものであったが、しかし未熟だけあって初々しく、物語をつづる喜びに溢れている。
なによりも、執念にも似た、この情熱!
いや、執念そのものであるのだろう。登場人物たちも生き生きとしていて、まるで命を与えられたことに対して、全力で感謝を示しているかのようではないか。
(この小説、もしかして面白いんじゃ……?)
「チカちゃん、お母さんに小説、続けさせてみたら――」
「はァ!? 人殺しが何か言った?」
「いや……」
少女にすごまれ、青年は黙った。
だが、このとき、彼の中に――あの事故以来、生ける屍となり、全ての生きる目的を失ってしまった片山青年の中に、わずかながらも情熱の炎が灯りつつあったのだ。
(この小説、続けさせたい……。チカちゃんには悪いが、フミエさんと、それに亡くなったタカシさんのためにも……)
ささやかながらも、これが二人への償いになるかもしれない。
そんな、かぼそい希望の灯だ。
嶋田フミエ、43歳。
彼女の書いた小説は、のちにインターネット上で発表されて人気を博す。
そして、片山ヨシタカ、24歳。
やがて、彼は勤務先の会社の支援を受け、小説投稿サイト『小説家〇なろう』を立ち上げる。
嶋田フミエや、気の毒な母親たちのために。
彼女たちへの贖罪のために。
――だが、そのときは、まだ遠い。
次回は、異世界編その2。
そのあと、お母さんメインの話を2話ほどする予定です。