地球編「トラックに息子を奪われた母ですが、『小説家になろう』と思います」その1
1
長男である嶋田タカシが他界してから、もう1年――。
「お母さん、ごはん三人分作るのやめて!!」
11歳で小学6年の嶋田チカは、夕食のたび、母に同じことを言う。
我が家の夕食は、二人分だ。
自分と母の分だけで充分である、と。
父は、ここ数ヶ月、滅多に家には帰ってこない。
ほとんど『別居』に近い状態だ。おそらくは、そのうち離婚するのだろう。そのくらい幼いチカにもわかっている。
――だが、それより以前から、ずっと彼の帰宅は深夜遅くになってから。平日、一緒に夕食をとった記憶など、幼いころから一度もなかった。
だから、母が夕食を用意する三人目は、父ではない。
これは、兄の分の食事。
やはり、もう存在しない兄の分だ。
「お金、節約しなきゃいけないんでしょ? だったら、二人分にしなきゃ。もったいないじゃない」
いつものことだ。毎日、彼女は同じことを言う。
ことに父親との離婚話が具体的になって以降、語調はややキツめのものとなっていた。
そして、チカがいつものように責め立てると、母のフミエは、やはりいつものようにこう答えるのだ。
「ごめんなさい……。でも、あの子が急に戻ってくるような気がして……」
今日の夕食は、からあげとポテトサラダ。
チカは最近、体重のことを気にかけていたため(別段、平均より太っているわけではない。むしろ痩せ気味。年頃の少女特有のダイエット嗜好によるものだ)このような揚げ物や炭水化物の塊はやめてくれと言ったばかりだ。
だが、このメニューは、兄の好物。
食事に不平の多いあの男が、珍しく褒めて、おかわりをするメニューだった。
『つまり、この母は自分でなく、いない兄のために、この料理を作ったのだ』
――そんな思いが、チカをますます苛立たせ、表情を険しいものにさせていた。
「チカ、怒ってるの……?」
「……べつに」
嘘だ。『べつに』ではない。怒ってる。
「ごめんね、チカ。ごめんなさい……。
私、今朝、あの子の夢を見て……。それに、お昼過ぎ、お買い物に行くとき、お空がすごく青くて――昔、あの子が小さいころ、こんな空を見ながらいっしょに同じ道を歩いたなって思い出して……。
これは、きっと、あの子が家に帰ってくるきざしだと思ったの」
「バッカじゃないの!!」
景色を見て、兄のことを思い出すまでは理解できる。
チカは小六とはいえ、大人びた性格の少女だ。母親の感傷を理解できぬほど幼くはない。
――だが、なぜ『帰ってくるきざし』などと思うのか!
それに、チカが苛立つ理由は、もう一つある。
「お母さんは、本当にお兄ちゃんに帰ってきてほしいわけ?
あのお兄ちゃんに……あんなお兄ちゃんなんかに!!」
「……………………」
母は、そのまま黙り、俯いた。
チカからの角度では見えないが、たぶん泣いているのだろう。
さすがに言い過ぎたと、チカも自分の言葉を後悔した。
母、嶋田フミエは、脆い女だ。
演歌系、とでも言うのだろうか。
世の男たちというものは、いつの世も女性の脆さ、儚さに惹きつけられる。
その意味では、彼女は風雨に晒される弱々しい花のような、そんな庇護欲を沸きたてるような人物であったが――、
しかし、今、夫に捨てられようとしているのも、皮肉にもその脆さ故だった。
なにごとも限度・限界というものがある。
この手のタイプというのは女性同士の間では嫌われるものだが、彼女もその例外ではない。
娘のチカは、母がなにかするたびに、なにか一言発するたびに、どうしようもないほど不愉快な気分にさせられるのだ。
『――あんな兄のために、こんな毎日を送ってるなんて』と。
だが、やはり、これもいつものこと。
昨日とおなじくチカは、眉根に皺を寄せたまま無言で夕食をとり、半分以上残して部屋へと戻った。
母フミエは何時間もかけて、一人きりで残りの夕食を食べた。
2
嶋田チカは、父親のことを恨んでいない。
こんな状態の妻を捨てるなんて人道に反することであろうし、そんな母親のところに娘を置き去りにするのも悪行そのものと言えるだろう。
とはいえ、彼女も小六。
夫婦というのが『男女』の延長であることも知っている。父の気持ちも理解はできた。自分でも、あんな鬱陶しい女のところになんか帰りたくあるまい。
半端に賢いと、世の中は損だ。
子供なんだから親に対して理解など示さず、もっと身勝手に考えるべきかもしれない。――彼女は自分でそう思う。
クラスの男子のように『うんこ』だの『ちょんまげ』だので大笑いできる子であったなら、こんな悩みはなかったろうに……。
(お母さんのこと、なんとかしなきゃね……)
チカは、母親のことを軽蔑している。
とはいえ、まだ決定的に嫌っているというわけでもなかった。
これも、やはり母子の愛というものか。
それとも、『子供だから親からは逃げられない』という諦めを、この小知恵の回る少女なりに、頭の中で都合よく変換したものであったのか。
ともあれ――、
(なんとかしなきゃ……。まずは、『あれ』ね)
母親のしていることは、どれも大概うんざりさせられていたが、しかし、どれもまだギリギリで我慢ができた。
ただ一つの例外を除いて。
母フミエが最近、夜中にやっている『あれ』以外はだ。
3
深夜、11時。
嶋田フミエは、最近、ちょっとした趣味を始めた。
それは、息子の残したパソコンを使った創作活動――。
かち、かち、かち……。
『――息子は、異世界で居間も元気に暮らしています』
フミエが書いているのは、アマチュア小説。
少年がファンタジー世界を旅するライトノベルだ。
真夜中、世界が寝静まってから、母親は一文字ずつキーを叩く……。
皆さんは、ご存知だろうか?
世に発表されている『異世界転生・転移もの』のライトノベルのうち、実に七割以上が、
“交通事故で我が子を失った母親”
の手によって書かれているということを。
母の切なる願いを背負い、今日も勇者は異世界を駆ける……。
次回は、異世界編その1の予定です。