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地球編「トラックに息子を奪われた母ですが、『小説家になろう』と思います」その6(後編)

「チカちゃん……お母さんの小説、ネットで発表してみないか?」

「バーーーーーーカ!」


 ファミリーレストランのテーブルの下で、チカは片山の足をがんがんと何度も蹴りつけた。

 そのまっすぐな眼差しが、やたら腹立たしく感じたからだ。


「あたし、帰る! お金払っといて。あと、もう二度とメールしないで」

「ああ、うん……。ごめん」




(馬鹿馬鹿しい! あいつ、なに考えてんの!?)


 チカは苛立ちのあまり、地面を蹴りつけるような歩き方で岐路につく。


 大股で、女の子らしからぬ仕草であったが、とはいえ湧き上がる怒りは地面にでもぶつけなければ、家につくまでに発散できまい。

 ――もちろん、家には家で、また苛立つ原因フミエが待ち構えているのだが。


(そういや、あいつ、コンピューターの会社だかで働いてるんだっけ? だからインターネットなんて考えが出てきたんだな)


 母親の恥小説を全世界に発信しようだなんて、常人には普通出てこない発想だ。


(しかも、自分の母親ならまだしも、自分が事故った相手の母親になんて……。絶対、あいつ頭おかしい!)


 とはいえ、彼が善意で言っているのも理解していた。


 二〇代前半なんて、逆恨みで『自分の金を奪うババアを晒し者にしてやろう』と目論んでもおかしくない年頃だ。

 しかし、彼がそんなことをするはずはない。


 片山ヨシタカが善良で純朴な人間であることは、彼を嫌っているチカでさえ、疑いの余地のないことだった。


 片山青年は、心から『ネットで発表すべき』と信じているのだろう。


(だからといって、お母さんのあのクソ小説をねぇ……)


 さすがに、それは勘弁だった。恥ずかしい。




 苛立ちながらも、チカは家の前までたどりつく。


 そういえば、今日はおやつを食べていなかった。

 さっきのファミレスでチョコレートサンデーを注文したのに、来る前に席を立ってしまった。片山の脛を蹴るのは、サンデーを食べてからにするべきだった。


(まあ、いいか……。昨日のマドレーヌが残ってるし)


 そんなことを考えながら、チカは玄関のドアを開ける。


「ただいまー。お母さん、やっぱりマドレーヌ出してー」


 スニーカーを脱ごうとした彼女は、見知らぬ靴が置いてあるのに気がついた。

 女もの――毒々しいほど真っ赤なエナメルの、大人用のよそいきの靴だ。


 悪い予感がした。チカは慌ててリビングへと駆ける――。



「――嶋田さん、心配してたんですのよ? PTAの懇親会もずっとお休み続きでしたし」

「――まあ、ありがとうございます。それより、見てほしいものがあるんですの。せっかく来ていただいたんですし、ぜひ藤居さんの感想、聞かせてくださらない? 実はこれ、私が書いたんですが……」



(……間に合った!)


 間一髪だ。予感が当たった。


 リビングのソファには“藤居のおばさん”が座っていた。

 あの、世話焼きだが口の軽いおばさんが。息子経由で、あれほど『来ないで』と頼んだのに。


 だが、悪い予感はそっちではない。


 向かいに座る、自分の母親。



 クリップで留められたA4用紙を、客人に見せようとしていたのだ!

 例の10枚足らずの紙の束――『有あり体ていに言ってクソ』の小説を!!



 母フミエが紙束を客人に渡そうとした、その直前――、


「たあっ! このっ!」


 チカは勢いよく母に飛びつき、手にした紙を奪い取る。


(よかった……!! 危ないところだった!)


 その拍子に少女は絨毯に顔から倒れこみ、テーブルの紅茶もひっくり返ってこぼれたが、しかし、さしたる犠牲ではない。


 ほんの一秒遅れていれば、とんでもない被害が出ていただろう。


「チカ! お客様の前で、なにをしてるの!?」

「それはこっちの台詞よ! お母さん、なにやってんの!?

 ……あのぉ、藤居のおばさん、こんにちは。悪いんですけど、今日はもう帰っていただけないでしょうか?」


 藤居母は目を白黒とさせながら、例の真っ赤な靴で帰っていった。


(やれやれ。息子の方の藤居が来てなくて、ほんとによかった)


 さっき、ひっくり返った拍子にスカートがめくれてパンツ丸出しになっていたが、その有り様をクラスの男子に見られずに済んだ。不幸中の幸いだ。






 紅茶で濡れた服を着替えてから、チカは母親に説教をした。


「お母さん、あたしがなんで怒ってるかわかる?」

「それは……マドレーヌを藤居くんのお母さんに出しちゃったから?」

「違う!」


 小説を他人に見せようとしたことだ。

 しかも、あのお喋りなおばさんに。


「あんな小説書いてること知られたら、もうこの町に住めなくなるわよ!? 学校だって転校しないといけなくなっちゃう!」

「そんな……。チカ、大袈裟じゃないの?」


 なにが大袈裟なものだろうか?

 本当なら『生きていけない』くらいは言いたかったが、兄が死んでこうなっているフミエの前では、その言い回しはさすがに控えた。


(そもそも、藤居のおばさんが悪いのよ。来るなって言ったのに家に来るから。

 ――ううん、一番悪いのは藤居キョウヤよ! あいつ、あれだけ言ったのに! あの馬鹿、自分の母親の管理もできないの!?)


 自分も管理できていないことを棚に上げ、チカはぷんすかと頬を膨らます。


「だいたいね、お母さん、なんでいきなり、よその人に小説見せたいなんて思ったわけ? 急に自己顕示欲にでも目覚めたの?」

「ううん、違うの……」

「じゃあ、なによ?」

「だって……チカ、最近は私が書いても読んでくれないじゃない……」

「それはそうだけど……。けど、だからなに? 自分で書いて、自分で読んでればいいじゃない。ほんとの小説家じゃないんだから」

「ええ、それはわかってるの。でも……こういうのって、なんとなく人に読んでほしくなるものなのよ」


 やはり、自己顕示欲だか承認欲求だかいうものだったか。

 チカは『なんて厄介な大人だろう』と、うんざりした気持ちになっていたが……しかし、どうやら、そんな簡単な心理でもないらしい。

 フミエは、以下のように言葉を続けた。


「うまく説明できないけど、なんていうのかしら――人に読んでもらうと“世界が成立”して、タカシが世界で生き続けるって実感を感じて……。

 私の中だけじゃなく、ちゃんと外側にも世界があるって……だから、こうしなきゃいけない気がして……」


 気がつけば、母は泣いていた。

 子供のように。ぽろぽろと大粒の涙を零しながら。


「ごめんなさい……ごめんなさい、チカ……。私だって、ほんとはわかってるの。こんなの、みっともないことだって……。貴方や藤居さんにも迷惑だって……全部、頭ではわかってるのに……」

「お母さん……」


 紅茶を拭いたばかりの絨毯が、またぽたぽたと湿っていく。

 そんな母フミエの泣き顔を見ながら、チカは――、



(……この人、思った以上に厄介な大人なんだな?)



 と、ますますうんざりした気持ちになるのだった。


(お母さんの言ってること、わからなくもないけれど……。うんと、なんとなくだけど……)


 ただ、いずれにせよ母の話が本当ならば――『今後も似たような事態を繰り返す』ということではないか。

 他人に見せないと“実感”とやらが沸かないと言っているのだから。



 ……このとき、少女は決意をした。


 本当は、したくなかった選択だ。




 その夜、チカは携帯電話でメールを打った。


 万が一にも母親に見られないよう、子供部屋の布団の中で。




『――ババアのクソ小説、インターネットで発表させます』




 相手は、片山ヨシタカ青年だ。


【備忘メモ(※自分用)】

 先輩社員の後藤のキャラクター性、某社の編集者がやたら『書き方に悪意が満ちている』『あのキャラ不愉快だ』と言っていた。

 どうやらリアリティがあるらしい(多少、リアリティ過剰なのかもしれないが)。

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