地球編「トラックに息子を奪われた母ですが、『小説家になろう』と思います」その6(後編)
1
「チカちゃん……お母さんの小説、ネットで発表してみないか?」
「バーーーーーーカ!」
ファミリーレストランのテーブルの下で、チカは片山の足をがんがんと何度も蹴りつけた。
そのまっすぐな眼差しが、やたら腹立たしく感じたからだ。
「あたし、帰る! お金払っといて。あと、もう二度とメールしないで」
「ああ、うん……。ごめん」
(馬鹿馬鹿しい! あいつ、なに考えてんの!?)
チカは苛立ちのあまり、地面を蹴りつけるような歩き方で岐路につく。
大股で、女の子らしからぬ仕草であったが、とはいえ湧き上がる怒りは地面にでもぶつけなければ、家につくまでに発散できまい。
――もちろん、家には家で、また苛立つ原因フミエが待ち構えているのだが。
(そういや、あいつ、コンピューターの会社だかで働いてるんだっけ? だからインターネットなんて考えが出てきたんだな)
母親の恥小説を全世界に発信しようだなんて、常人には普通出てこない発想だ。
(しかも、自分の母親ならまだしも、自分が事故った相手の母親になんて……。絶対、あいつ頭おかしい!)
とはいえ、彼が善意で言っているのも理解していた。
二〇代前半なんて、逆恨みで『自分の金を奪うババアを晒し者にしてやろう』と目論んでもおかしくない年頃だ。
しかし、彼がそんなことをするはずはない。
片山ヨシタカが善良で純朴な人間であることは、彼を嫌っているチカでさえ、疑いの余地のないことだった。
片山青年は、心から『ネットで発表すべき』と信じているのだろう。
(だからといって、お母さんのあのクソ小説をねぇ……)
さすがに、それは勘弁だった。恥ずかしい。
2
苛立ちながらも、チカは家の前までたどりつく。
そういえば、今日はおやつを食べていなかった。
さっきのファミレスでチョコレートサンデーを注文したのに、来る前に席を立ってしまった。片山の脛を蹴るのは、サンデーを食べてからにするべきだった。
(まあ、いいか……。昨日のマドレーヌが残ってるし)
そんなことを考えながら、チカは玄関のドアを開ける。
「ただいまー。お母さん、やっぱりマドレーヌ出してー」
スニーカーを脱ごうとした彼女は、見知らぬ靴が置いてあるのに気がついた。
女もの――毒々しいほど真っ赤なエナメルの、大人用のよそいきの靴だ。
悪い予感がした。チカは慌ててリビングへと駆ける――。
「――嶋田さん、心配してたんですのよ? PTAの懇親会もずっとお休み続きでしたし」
「――まあ、ありがとうございます。それより、見てほしいものがあるんですの。せっかく来ていただいたんですし、ぜひ藤居さんの感想、聞かせてくださらない? 実はこれ、私が書いたんですが……」
(……間に合った!)
間一髪だ。予感が当たった。
リビングのソファには“藤居のおばさん”が座っていた。
あの、世話焼きだが口の軽いおばさんが。息子経由で、あれほど『来ないで』と頼んだのに。
だが、悪い予感はそっちではない。
向かいに座る、自分の母親。
クリップで留められたA4用紙を、客人に見せようとしていたのだ!
例の10枚足らずの紙の束――『有あり体ていに言ってクソ』の小説を!!
母フミエが紙束を客人に渡そうとした、その直前――、
「たあっ! このっ!」
チカは勢いよく母に飛びつき、手にした紙を奪い取る。
(よかった……!! 危ないところだった!)
その拍子に少女は絨毯に顔から倒れこみ、テーブルの紅茶もひっくり返ってこぼれたが、しかし、さしたる犠牲ではない。
ほんの一秒遅れていれば、とんでもない被害が出ていただろう。
「チカ! お客様の前で、なにをしてるの!?」
「それはこっちの台詞よ! お母さん、なにやってんの!?
……あのぉ、藤居のおばさん、こんにちは。悪いんですけど、今日はもう帰っていただけないでしょうか?」
藤居母は目を白黒とさせながら、例の真っ赤な靴で帰っていった。
(やれやれ。息子の方の藤居が来てなくて、ほんとによかった)
さっき、ひっくり返った拍子にスカートがめくれてパンツ丸出しになっていたが、その有り様をクラスの男子に見られずに済んだ。不幸中の幸いだ。
3
紅茶で濡れた服を着替えてから、チカは母親に説教をした。
「お母さん、あたしがなんで怒ってるかわかる?」
「それは……マドレーヌを藤居くんのお母さんに出しちゃったから?」
「違う!」
小説を他人に見せようとしたことだ。
しかも、あのお喋りなおばさんに。
「あんな小説書いてること知られたら、もうこの町に住めなくなるわよ!? 学校だって転校しないといけなくなっちゃう!」
「そんな……。チカ、大袈裟じゃないの?」
なにが大袈裟なものだろうか?
本当なら『生きていけない』くらいは言いたかったが、兄が死んでこうなっているフミエの前では、その言い回しはさすがに控えた。
(そもそも、藤居のおばさんが悪いのよ。来るなって言ったのに家に来るから。
――ううん、一番悪いのは藤居キョウヤよ! あいつ、あれだけ言ったのに! あの馬鹿、自分の母親の管理もできないの!?)
自分も管理できていないことを棚に上げ、チカはぷんすかと頬を膨らます。
「だいたいね、お母さん、なんでいきなり、よその人に小説見せたいなんて思ったわけ? 急に自己顕示欲にでも目覚めたの?」
「ううん、違うの……」
「じゃあ、なによ?」
「だって……チカ、最近は私が書いても読んでくれないじゃない……」
「それはそうだけど……。けど、だからなに? 自分で書いて、自分で読んでればいいじゃない。ほんとの小説家じゃないんだから」
「ええ、それはわかってるの。でも……こういうのって、なんとなく人に読んでほしくなるものなのよ」
やはり、自己顕示欲だか承認欲求だかいうものだったか。
チカは『なんて厄介な大人だろう』と、うんざりした気持ちになっていたが……しかし、どうやら、そんな簡単な心理でもないらしい。
フミエは、以下のように言葉を続けた。
「うまく説明できないけど、なんていうのかしら――人に読んでもらうと“世界が成立”して、タカシが世界で生き続けるって実感を感じて……。
私の中だけじゃなく、ちゃんと外側にも世界があるって……だから、こうしなきゃいけない気がして……」
気がつけば、母は泣いていた。
子供のように。ぽろぽろと大粒の涙を零しながら。
「ごめんなさい……ごめんなさい、チカ……。私だって、ほんとはわかってるの。こんなの、みっともないことだって……。貴方や藤居さんにも迷惑だって……全部、頭ではわかってるのに……」
「お母さん……」
紅茶を拭いたばかりの絨毯が、またぽたぽたと湿っていく。
そんな母フミエの泣き顔を見ながら、チカは――、
(……この人、思った以上に厄介な大人なんだな?)
と、ますますうんざりした気持ちになるのだった。
(お母さんの言ってること、わからなくもないけれど……。うんと、なんとなくだけど……)
ただ、いずれにせよ母の話が本当ならば――『今後も似たような事態を繰り返す』ということではないか。
他人に見せないと“実感”とやらが沸かないと言っているのだから。
……このとき、少女は決意をした。
本当は、したくなかった選択だ。
4
その夜、チカは携帯電話でメールを打った。
万が一にも母親に見られないよう、子供部屋の布団の中で。
『――ババアのクソ小説、インターネットで発表させます』
相手は、片山ヨシタカ青年だ。
【備忘メモ(※自分用)】
先輩社員の後藤のキャラクター性、某社の編集者がやたら『書き方に悪意が満ちている』『あのキャラ不愉快だ』と言っていた。
どうやらリアリティがあるらしい(多少、リアリティ過剰なのかもしれないが)。




