地球編「トラックに息子を奪われた母ですが、『小説家になろう』と思います」その6(中編)
1
いつかのファミレスの禁煙席――。
小学生の嶋田チカは、もとトラック運転手の片山と会っていた。
「あのね、片山さん――。なんていうか、気軽に呼び出すんじゃねえわよ」
「ああ、ごめん……。けど、チカちゃんに話したいことがあって」
奇しくも前のときと同じ席だ。テーブルの向かいに座る片山を、チカはじろりと睨みつけた。
彼女は前回会ったとき、片山にメールアドレスを教えていた。
ただし、それは
『嶋田家に来るときは、必ず事前に連絡するように。いきなり来るんじゃない』
という意味でしたことだ。仲良くなったわけじゃない。
「あたし、友達気分でメールしていいなんて言ってないでしょ? いい? あんたは大人だからわかってないかもしれないけど、小学生にとっちゃ『いっしょにファミレス行く』って行為はイコール『デート』なんだからね? それとも、なに? あたしをデートに誘いたかったの?」
「いや、そういうわけじゃ……。ごめんよ。前回はそっちからファミレス誘われたから――」
「人のせいにすんな! 女の、しかも小学生のせいに! こないだは、そういう気分の日だったの! タダでドリンクバー飲みながら愚痴言いたい気分の日!」
我ながら、滅茶苦茶なことを言っている。
それはチカもわかっていた。
今、彼女がしているのは八つ当たりだ。
母親のことで頭を悩ましていたから、多少は他人にきついことを言ってもいいだろう。まして原因となった男にならば。
――そんな想いが、彼女に暴言を吐かせていたのだ。
一種の甘えと言えなくもない。
「ごめん、チカちゃん……。じゃあ、やっぱりいいよ。呼び出してすまなかったね」
「はあ? なんで、あんた帰ろうとしてるわけ? 謝ってんじゃないってば。だれが『今日はタダでドリンクバー飲みながら愚痴言いたい気分の日じゃない』って言ったの?
いいから、話があるなら言いなさいよ。先に聞いてあげるから。――そのかわり、あたしの話もちゃんと聞くのよ?」
「う、うん……」
人に言えない悩みを抱えるチカにとって、兄の仇のはずの片山は、数少ない
『秘密を打ち明けられる相手』
であった。
もちろん、この関係は新たな秘密だ。こんな光景、絶対母親には見せられない。
2
余談だが、片山青年は会社のおつかいのついでに来たらしい。
『外出ついでに三〇分くらい休憩を取っていい』と上司から言われているのだそうだ。
「届け先が、ちょうどこの近くでね」
「ふうん? 大人でもおつかいなんてあるのね。幼稚園児みたい」
チカはストローでメロンソーダを吸いながら、適当に話を聞き流していたが――、
「まあね。それで……こないだの小説、チカちゃん、ファミレスに忘れていったじゃないか。悪いと思ったけど、あれを会社の人に見せたんだ」
あまりに捨て置けない発言に、
――ぶふっ
と緑の液を噴き出した。
「けほっ! げほっ、げほっげほっ、けほっ!」
「チカちゃん、平気かい?」
「平気じゃない! はああああ!? ちょっ、あんた……なに、勝手に見せてんの! 人んちの恥を!
『悪いと思ったけど』っていうけど、さすがにそれは悪すぎでしょ!? 極悪よ! なんで悪いと思ったのにそういうことするの!?」
「いや、でも……。その人、小説に詳しい人なんだ。プロなんだよ?」
「だから、なによ! プロだから、どうだってぇの!?」
「いや……。そうだね、言われてみれば――。ごめん! 僕がどうかしてた! 僕、なんてことを……」
「まったく」
チカは、テーブルに飛び散ったソーダ水のしずくを紙ナプキンで拭きながら、
(こいつ、うちのお母さんと似たような嘆き方を……)
と苛立った。
だが、同時に――
この、のっぽの青年がテーブルに手をつき頭を下げる姿は、なにやらひどく憐れっぽくも感じていた。
まるで高い身長を折りたたむように、小さくなって謝っている――。そんな姿を見ていると、さすがに怒りを持続させにくい。
「片山さん、頭上げて」
「えっ……。許してくれるのかい?」
「図々しい! テーブル拭けないから、頭どかしてって言ってんの! それとも、謝るフリして小学生の唾液入りソーダをペロペロしてるんじゃないでしょうね?」
「い、いや……。ごめんよ、チカちゃん……」
「はいはい! のっぽの大人のくせに、チワワみたいに震えてないの! ――で、なんだって?」
「えっ? なにが?」
「プロはなんて言ってたの!? 見せたからには感想くらいあったんでしょ?」
「ああ、うん。それなんだけど――」
片山は、もと編集者である後藤とのやりとりを、正直に全てチカに話した。
『キモい』『都合よすぎ』『有り体に言ってクソ』などと言われたこと。
設定、ストーリー、登場人物、全てにわたって徹底的に否定されたこと。
そもそも『ありきたりで古臭い話』であるということ。
――もちろん、彼なりにオブラートで包んで伝えようとはしていた。
ただ、彼生来の不器用さと、悪い意味での真摯さにより、ほぼ後藤の言葉をそのままチカに伝える形となってしまった。
「チカちゃん、気を悪くするかもしれないけど、でも詳しい人の言ったことだから……」
きっと傷つくだろう。怒るかもしれない。それどころか、泣くかもしれない。
そんな反応を予想し、身構える片山の前で――、
「よしっ! やった、片山さん偉い!」
チカは椅子から飛び上がって喜んだ。
「……? チカちゃん、ちゃんと聞いてたかい? 面白くないって言われたんだよ?」
「だから喜んでるんだってば! やっぱりねえ。あたしもアレ、クッソつまんないと思ってたのよ。今の感想、お母さんに伝えなきゃ。『プロもクソ小説だって言ってたよ』ってね」
「いや、それはやめときなよ……。それに、これ。ほら――。そのプロの人が、仕事の合間にまとめてくれたんだ。『あの小説のどこが悪くて、どこを直した方がいいか』って」
片山は、A4用紙の束をチカに差し出す。
数えてみれば、計一二枚。
――フミエが書いた枚数より多かったのは、なにやら皮肉めいていた。
「その人、怖い人かと思ってたけど、意外といい人だったみたいだ。あんまり話したことなかったのに、親切にしてくれた」
「あんまり話したことない人に、殺した遺族の小説読ませるあんたの感性、ちょっと怖いわ。その人だって、プロなこと自慢したくて長々と書いただけかもしれないし。なんてったっけ、承認欲求っていうの?
――ま、いいわ。その『あの小説のどこが悪くて、どこを直した方がいいか』のメモね、『どこが悪くて』の部分だけ貰ってくから」
「なんでだい? 全部持っていけばいいのに」
「だって、直す必要ないもん。あたしはね、お母さんにあのキモい小説書くのやめさせたいの! 別に、いいもの書いてほしいわけじゃなくって! もし感動の名作だとしても、とにかく夜中にカタカタやってほしくないの!」
だから『どこを直した方がいいか』の部分は必要ない。チカは、はっきりとそう断った。
だが、そんな彼女の言葉に片山は――、
「……チカちゃん、聞いてほしいんだ」
「な、なによ……?」
神妙な面持ちで、こう告げた。
「僕はね、チカちゃんのお母さんの小説、面白いと思ってるんだ」
この前も、彼は同じことを言っていた。
このファミレスのこの席でだ。そのときチカは怒ったというのに、こののっぽの青年は忘れてしまったのだろうか? 少女はむっとした顔で、聞き返した。
「はあ? あんた、なに言ってんの? プロの人がキモいクソって言ったんでしょ? なのに、どうして面白いなんて思うの?
だいたいね、あんたは特に、この世界で一番、あれを面白がっちゃいけない人間なんじゃないの? どうなわけ?」
「いや、それは……。たしかに、チカちゃんの言う通りだと思う。
でも、聞いてくれ! 紙の本なら、きっとそうなんだろう! でも、紙でないなら――ネット小説やケータイ小説なら、話は違ってくるかもしれない!」
「ケータイ小説ぅ? あたし、あれ嫌い。面白いと思わないんだよね。学校じゃけっこう読んでる子いるみたいだけど」
「ああ。あれで流行ってる作品は、どれも『キモい』だの『都合がよすぎる』だのと言われてる。でも、『けっこう読んでる子いる』じゃないか。たぶん、紙の本とは人気の出るポイントが違うんだ。だったら、きみのお母さんのだって!」
「あのね……。あんた、本気で言ってる?」
「本気だよ。だから――」
彼は真剣なまなざしでチカを見つめ――そして、言った。
「チカちゃん……お母さんの小説、ネットで発表してみないか?」
片山の目はまっすぐで澄んでいて、一点の曇りもない。善意と情熱に満ちた、純粋そのものの瞳といえた。
だが、チカは、
「バーーーーーーカ!!」
テーブルの下で、彼の足をがんがんと何度も蹴りつけた。そのまっすぐな眼差しが、やたら腹立たしく感じたからだ。
「あたし、帰る! お金払っといて。あと、もう二度とメールしないで」
「ああ、うん……。ごめん」
【備忘メモ(※自分用)】
今回、特に台詞の掛け合いが多いので、実験的に台詞ごとに一行開けてみた。(普段はここまで開けていない)
どっちが読みやすいか、あとで考える。