トレース
藤白のマンションまで自転車で15分。寒気のせいか人影もまばらな名首市内を疾走する。通り過ぎるビルや家々を感じながら、夜川は合鍵をもらった夜のことを思い出していた。
「それ、あげる」
キッチンから戻ってきた藤白が、夜川に向かって鍵を放り投げた。夜川はそれが何の鍵かわからなかった。
「うちの合鍵」
ベッドサイドの椅子に腰掛け、キッチンで作ったのだろうココアを飲みながら藤白は言った。Tシャツから伸びる脚の白さが艶めかしい。藤白は全裸にTシャツのみの格好だった。行為が終わったあと、キッチンに出る際に身につけた。後ろを向くと、形のいい尻が1/3ほど見えていた。
「どうして?」
ベッドの上で身を起こし、夜川は聞いた。
「私があげたいから」
これ以上の理由はない、とでもいう風だった。
「ありがとう」と夜川は礼を言った。
暖房がついていないせいか、少し肌寒さを感じた夜川は、
「僕にもココアをくれよ」と言った。
「いいよ」
藤白はマグを渡し、夜川の隣に腰掛けた。
そして夜川がココアを飲む様子をじっと見つめていた。
夜川と藤白が身体を重ねるようになって2カ月が経とうとしていた。一人暮らしの藤白の部屋がもっぱら彼らの場所だった。週に一度のペースで逢瀬を重ねていた。夜川は藤白の形のいい尻が好きだった。冗談で枕にしたこともある。適度な弾力と柔らかさで、冗談のつもりがすぐに寝てしまった。藤白は夜川の二の腕が好きだった。セックスの後、二の腕を枕にして夜川に包まれるのが何よりも心地よかった。
夜の寒さのなか、藤白の尻の感触を思い出しながらペダルを漕いでいたら、いつの間にか目的地に着いていた。
部屋の前には誰もいなかった。警察がいたりするのかと思っていたが、そうでもないらしい。なんとなく周りに人がいないことを確認し、夜川は合鍵を使って中に入った。
最後にこの部屋に入った時と変わらない光景だった。とりあえずそのまま保持されているらしい。警察が調べたりしたはずなのだが、綺麗に元に戻したのだろうか。
明かりが漏れると怪しまれるので、夜川はカーテンを閉め、懐中電灯で一通り家探しした。めぼしいものは見つからなかった。
リビングのソファに身体を沈み込ませ、ぼんやりと考えた。藤白が理由なく消えるはずがない。藤白なら、危険性があるが行かざるを得ない場合どうする? 考えろ。トレースしろ。藤白なら。藤白なら。
夜川はしばらく考え込んでいたが、急に身体を起こすと藤白の部屋へ向かった。
藤白なら。夜川は思った。
藤白なら、普通にはわからないように、手がかりを残す。
夜川の予想は当たった。