勘のようなもの
藤白の遺体が発見されてから1カ月が経った。めでたいはずの正月は沈鬱に染まり、一富士二鷹なにするものぞ、という雰囲気だった。
高校2年生の三学期は、そんな雰囲気のなか始まった。全校集会が開かれ、藤白は良くできた子だった、悔やまれるなどという通り一遍な言葉が並べられ、カウンセリングが必要なら保健室へ、と伝えられたあと全員で黙祷した。そこにはきっとなんの意味もなく、ただ儀礼として済ませておこうという意識しかなかった。隠そうともしない姿勢はいっそ清々しい。その後ホームルームで同じようなことが繰り返され、きょうは解散ということになった。
夜川は下校する流れに逆らって屋上へ出た。一月の昼は、日が差しているとはいえ、肌寒い。開けたドアから流れ込む冷気に身体が一度震えた。屋上には先客がいた。白衣を着たその人物は手すりにもたれかかり、ぼんやりと空を見上げながら煙草を燻らせていた。
「保健の先生がサボって煙草ですか」
夜川が言うと、保健の先生ーー流山寺澪は彼の方を向き、煙草をくわえたまま唇の端をあげた。魅力的な笑みだった。
「どのみち誰もこないよ」
流山寺は煙草を口から離し、答えた。
「そうでしょうね。みんな早く帰れることを喜んでます」
「君は違う」
「どうでしょう。俺も早く帰れるのは嬉しいけど」
「ここにいるのが証拠だろう」
流山寺はまたニヒルな笑みを浮かべた。
「私もそうだよ。藤白が死んだことがまだ信じられん。あの藤白が夜中に家を飛び出し、戸平山で足を滑らせ全身を強く打って死んだ? 理解に苦しむ。殺されていた方がまだわかる」
「新聞やニュースでは、他殺ではないということでしたが」
「あまりに残虐な手口だから公表できないのかもしれないね」
「そんなことあるんですか?」と夜川は聞いた。
「さあ。想像だよ。でも良く聞くじゃないか、犯人しか知らない情報を隠しておいて、操作に役立てる、というやつさ」
「なら藤白を殺した奴がいて、この辺をうろついている、ってことになりますね」
流山寺は肩をすくめ「まあそうなるね」と言った。そして「他殺ならね」と付け加えた。
流山寺は夜川たちが入学した年に保健医として赴任してきた。腰まであるロングヘアは艶がある黒で、眼鏡と相まって知的な美人を絵に描いたようだった。スタイルも良く、シャツとパンツというどちらかといえばシンプルな着こなしでも、手足が長いため美しいフォルムを見せていた。胸のボリュームは一際大きく、シャツのボタンが弾けるのではないかと男子一同の期待を集めていた。見た目に反して気取らない性格のため、たちまち人気者になったが、どちらかというと女子生徒に人気があった。放課後の保健室は恋愛相談所もかくやと言わんばかりの賑わいだった。女子人気があるおかげか、男子は近づきたくても近づけなかった。ボタンが弾ける瞬間があったとしても見ることは叶わないだろう。
夜川はよく屋上で流山寺と顔を合わせていた。立ち入り禁止なので、そこは夜川だけの憩いの場だったのだが、ある日突然流山寺が現れた。そして煙草を吸い、夜川に向かって愚痴を吐いた。なぜかはわからなかった。
「本当のことを言うと、他人の恋愛になんかこれっぽっちも興味がないよ。でもまあ、仕事だからね」
夜川が流山寺に抱いていた綺麗なお姉さんの夢は壊れた。が、どちらかというと夜川はこの流山寺の方が好きだった。
「藤白は」と夜川は言った。「流山寺先生と親しかったんですか?」
「なにをもって親しいというかはわからないが、藤白は保健委員でよく仕事を手伝ってもらっていたからね。他の生徒よりかは思い入れがある」
それは知らなかった、と夜川は思った。藤白のことは多少は知っていると思っていたが。
「君の話も良く聞いている」
流山寺は意地悪な表情を浮かべた。
「いろいろ、な」
煙を吐き出しながら流山寺は呟いた。
「俺は藤白が生きていると思ってます」
夜川は言った。流山寺は驚いた顔で夜川を見つめる。
「俺も先生が言うように、藤白が事故死したとは信じられない。でも殺されたというのも考えられないんです。藤白は不用意に出かけるような奴じゃない。なにか目的があったはずなんだ。殺される可能性があったのなら、対処も考えていたはずだ」
「しかし遺体が発見されたんだよ?」
「この目で見たわけじゃない」
「警察が嘘を付いているとでも?」
「わかりません。しかし藤白なら、殺されるなら刺し違えるくらいの覚悟と準備はしていたと思うんです。これは勘のようなものです。間違っているのかもしれない」
「それで君はどうする?」
流山寺の問いに、夜川は間髪入れず応えた。
「藤白を探します」