甘白い罪
遺影の中で甘やかに微笑む美智子の声が今にも聞こえてきそうで。
「上手く笑えてる?写真映り悪くない?」
斎場には、お悔みと悲しみがところせましとひしめいて、あまりにも若すぎる死を弔う空気はどこか作り物めいていた。葬儀場の入り口に置かれた彼女の思い出の数々には、私も知らない彼女がいて、なぜかそのとき嫉妬に近い感情が夕霧のように薄く、私の内のどこかに漂っていた。私自身知らないその場所に。
無機質であるのにどこか郷愁を感じさせるお経が耳になり続ける。前に座る男の襟についた白い粉。横隣りの同級生が吐き出す規則的な呼吸。この場にふさわしくない子供らの談笑。静かにとさとす母親の叱責。
焼香を上げるとき、何度か顔を合わせたことのある彼女の両親に一礼をした。何度も瞬きを繰り返す父親は、平静をなんとか保とうとしていたが、今にもグズグズ崩れてしまいそうなほど不安定な空気を纏っていた。
母親のほうと目があったとき、彼女の虚ろな瞳に一瞬ではあったが哀願の光が宿って、口元のあたりをひくつかせた。頬がわずかばかり窪む。
「佐和子さん。ありがとうね。美智子と…仲良くしてくれて…。」
私は言葉に迷ってしまい、ただ「はい。」と言い、深くお辞儀をした。足元の黒のパンプスの布地の細部が目につく。
列の前にいる人の作法を忘れないようにじっと観察している間、わたしはできるだけ美智子の写真を視界に入れないようにしていた。そうしなければ、私も恐らく瓦解してしまうから。
すすり泣き、靴の擦れる音、静寂というにはあまりにも。
白ユリの淫らに開いた漏斗状の花弁から突き出した花芯。胡蝶蘭の騒々しい葬列。
うしろに並んだ親子の細やかな会話が聞こえてきた。
「あのお姉ちゃんきれいだね。」
「うん、そうね。静かにね。」
振り向いたわけではないが、その子が強く微笑んでいる気がした。輝く笑みの中で、きっとあなたは美しく残り続ける。それは何もこの少年に限ったことではなく、この会場、いやこれまでであってきたすべての人の心に強く、楔を打ち込むように焼き付くに違いない。
焼香が自分の番に回ってきたとき、声が聞こえた気がして彼女と目が合った。わずか数秒にも満たないその所作の内に、無数の記憶の中からたったひとつの情景を私の瞳が映し出した。それは彼女と私にとって決定づけられた運命の分岐。
護岸に腰かけて、夕日が溺れそうなほど水面下で揺らめいている。海鳥ははるか遠く、軽やかに橙色と藍色が綯交ぜの空を駆け巡る。潮騒と子供らのはしゃぎ声。日常におけるささやかな幸せなとはきっとこういうことなのかな。
「佐和子って、告白とかされたことって…ある?」
「え?ないけど。なにその質問、美智子らしくない。」
「一応言っておくけど、私だって女の子よ。普通にひどくない?」
背後の夕陽は、彼女の顔をいたく陰らせた。それでもなお、瞳の光彩は私をじっと見つめる。
「冗談よ、冗談。もしかして、誰かに告白された?」
違うの。といってほしかったのは、私が彼女に抱く歪んだ愛情故。十四という多感な時期の私たちにとってそれは最もナイーブなことだった。
「うん。実はね、3年の西田さん。バスケ部の、主将だった人。」
なんとなく顔を思い出そうとしても浮かび上がらず、私のイメージはテレビによく出る短髪のバスケット選手に移り変わっていた。
「けどね、私、そこまで好きじゃないないのよ、あの人のこと。」
その言葉に私はほっとした。心底。
「だけどね、そういうのもアリかなって。だって私たちまだ、十四じゃない。もっといろんなことを経験してみてもいいと思うのよね。佐和子はどう思う?」
「断っちゃいないよ。」
「え…?」
「あ…えっとね、美智子にはもっと落ち着いた人が似あうと思うの、例えば…そう、私みたいな!」
思わず口をついた言葉に、首のあたりから額に掛けて熱されたような錯覚におちいる。
自分でも何を言っているか分からず、思わず目を伏せた。
「なんじゃそりゃ。おかしい。私のことどんだけ好きなのよ。」
心底おかしそうに笑いだした彼女につられて、思わず私も笑い出した。
おそらく彼女は私のぐにゃりとした感情に気付いている。それでも友達でいてくれるのだ。そういうところも含めて彼女のことが好きだった。短く切りそろえられた髪の毛が、塩風でふわりとたなびいて、磯臭さもさほど気にならなかった。
「よし、断ることにする。まだ佐和子と一緒にいたいし。」
「うれしすぎて涙でそう。ありがとう。ごめんね。」
本気で流しそうになった涙を、なんとかして堪えた。
その日ほど、夕陽を引き留めたいと思ったことはない。
誰か私をあの瞬間に戻して、そしたら私は、美智子彼との交際を勧めるか、私が告白の場に居合わせてあげるから。
彼女はその男に刺された。放課後の教室でのことだった。おそらく交際を断ったのだろう。
その事件が起きたのが、翌日のことであったから、連絡を受けた直後、その日食べたものを全て吐き戻した。恋慕の情もすべて、吐しゃ物に混ぜて。
その夜は後悔で埋め尽くされた。心配そうに声をかけてくれる両親、庭でほえ回る犬、夜の帳、その全てが憎くなって、わたしはベッドを何度も掻き毟った。
あの時、私が、あんなこといわなきゃ、美智子はまだ私の隣にいて。私が殺したようなものよ。私が…私が…。
瞬間足元が崩れ去る様に、力が抜けて現実に引き戻された。すべてがスローに包まれて、焼香の匂いさえ緩慢になった。倒れ込む最中にみた、遺影の中の彼女は、あの日と同じ真っ白なワンピースを身に着けていた。