絡み合う思惑、錯綜する運命
「シンファースの紋様だと?」
大方の行政官らが登城するよりも早く、未だ朝食すら届かぬ時間に遣って来たエドワードから、一昨夜の出来事と、フィオリーナとキースの偶然と呼ぶにはあまりにも出来すぎの再会の様子を面白く聞いていたカーライルは、『シンファース』の単語が出た瞬間、大きく目を見開いた。
「はい。キースの右腕に刻まれていたのは、間違いなくシンファースの紋様でした。意匠は、『狼』です」
「………偶然とは、言い切れないか」
「はい」
窓から差し込む西日の眩い光に目を細めながら、カーライルは唸った。
フィオリーナが、二年前の出会いから淡い恋心を抱いて、キースを護衛に求めたのだと思っていたのだが、人智の及ばぬところで神々が意図しているのかもしれない。
フィオリーナは、自分が何者であり、どんな運命を背負っているのか、全くといっていい程知らされていない。
それが、父であるウィルランドの強い意向であり、それ故に、フィオリーナはれっきとした王女でありながら、王都から離れた場所でひっそりと育てられた。
フィオリーナ自身が忌み嫌っている体に刻まれた紋様について、その意味と理由を知っているカーライルやエドワードも、ウィルランドの厳命により、それを口にすることは許されていなかった。
「キースは、自分の腕の紋様の意味を正確に知っていたか?」
キースは自身の役割を理解しているのかと問うと、エドワードは首を傾げた。
「それは、どうでしょう。そこまでは、理解していないように思えました。フィオリーナ様の紋様が表す恵みは知っていても、それが何を意味しているのかまでは、分かっていないようでしたし」
「なるほど。お互いに、何も分からぬままに、引かれ合っているというわけか」
「……そう、とも言い切れませんが…何かがあるのは、確かでしょう」
歯切れの悪いエドワードに、カーライルは眉を引き上げた。
「だが、フィオが一度会っただけの相手に心を開くなど、今までなかったことだろう?」
「それはそうですが…」
何か引っかかるものがあるというように口ごもるエドワードに、カーライルは内心微笑した。
いつも冷静沈着、心の動揺などおくびにも出さぬ幼馴染は、キースの出現以来どことなく人間臭さを増し、感情を露にすることが多くなっていた。
「セツリからは何か?」
エドワードをからかいたい気持ちをどうにか堪えて、カーライルはキースとフィオリーナの絆について、何らかの関わりがあるだろう人物の名を挙げた。
「いえ。一向に、何の連絡もありません」
「うーん。まぁ、必要であれば絶対に現れるはずだが……キースの紋様が本物だとすれば、セツリが刻んだに違いないだろうし…」
今では滅んでしまったシンファース一族の数少ない生き残りの中で、その一族にとって特別な意味のある紋様を刻める彫師は、セツリという人間だけである。
彼こそが、キースに紋様を与えた人物であり、その意味を知っている唯一の人物のはずだった。
だが、その肝心の人物は、まさに神出鬼没。様々な情報を手に入れるツテを持つエドワードでも、見つけだすことは不可能だ。
「まぁ、偶然だったとしても、結局はフィオが呼んだのだろうな」
昔から、どこか不思議なところのある妹だったと、カーライルは窓の外を見やる。
フィオリーナが泣いたり、怒ったりすると、何故かいつも天気が急変していた。
そして、いつもは聞き分けのいい妹は、これと決めた時には特にダダをこねるでもなく、特に我侭を言うのでもなく、その要求を不思議と叶えてしまうようなところがあった。
「確かにフィオリーナ様は、相当にご満悦の様子です」
「だろうな。宴席にキースが姿を見せるという噂が流れただけで、貴婦人たちの気合の入りようが違う程だ。ちょっと見は、到底英雄なんかには見えない優男で、いかにも物語に出てくるような麗しの騎士様だからな」
「口を開くと、その辺のゴロツキ並みですが」
エドワードの口調は、侮蔑の色が明らかだ。
鉄面皮と陰口を叩かれるのを常とする幼馴染にしては、本当に珍しいことだとカーライルは内心苦笑する。
「そうでなくては、フィオは口もきけぬぐらいに舞い上がるだろう?」
人見知りで初心なフィオリーナが、何とかキースと会話をして、どうにか必死に引き止めたというだけでも驚きだ。
「しばらくはこのまま見逃してやりたいものだな」
「しばらく、ですか」
エドワードは、長くは誤魔化せないだろうと首を振る。
「キースにも、時間が必要だろう。あれ程の男が、城内の私闘を咎められたくらいで、出奔すると思うか?」
カーライルは、キースの失踪には、何か別に理由か事情があるのではないかと睨んでいた。
「様子を見ると仰るので?」
「一石二鳥だろ?」
「それはそうですが…」
エドワードの表情は、その他にも問題はあると言いたげだ。
カーライルが、その問題は何なのか問い質そうとした時、ノックの音がして沈んだ表情のリーゼンラールが入って来た。
「おはようございます」
いつも、比較的仏頂面の多いリーゼンラールだが、心底疲れきったという様子で、俯いている。
「リーゼンラール……大丈夫か?」
思わず優しい言葉を掛けたカーライルに、いつもなら何かしら言い返すリーゼンラールは、大丈夫だと力ない笑みを浮かべた。
「お気遣いありがとうございます」
「いや……疲れているのなら、休んでもいいぞ?」
「いえ、大丈夫です。私的な理由で、公務をおろそかにするわけにはいきませんので」
エドワードは、キースが今どこにいて、何をしているのか教えてやらなくて本当にいいのかと、カーライルを見やる。
カーライルは、黙っている罪悪感にかられながらも、ここでバラすのはまだ早いと視線で返し、その代わりわざと軽い口調でリーゼンラールを宥めた。
「キースは、年端も行かぬ子供じゃないんだ。その内、無事見つかる」
「そうは思えません」
呻くように呟いたリーゼンラールに、悲観的過ぎる見解だろうとカーライルはため息をつく。
いくらリーゼンラールが弟を溺愛していたとしても、英雄と称えられるほどの腕前の持ち主で、決して頭も悪くないキースだ。
少し冷静になれば、自分がしようとしたことの重大さに気づき、戻ってくるだろうに、何をそこまで過保護に心配する必要があるのかと思う。
だが、そんなカーライルの思いに対し、リーゼンラールは大きなため息をついて、いつもきちんと整えている金髪をぐしゃぐしゃとかきむしった。
「カーライル様は、あれをご存じないのです……」
まさか、リーゼンラールに内緒で、詳しくその素性や経歴を調べ上げたとは言えず、カーライルは曖昧に頷く。
「確かに、知っているというよりは、単に遭遇した程度だが…」
「キースは、元々騎士になりたかったわけではないんです」
それは初耳だと、カーライルは思わずエドワードと顔を見合わせた。
王立学院の騎士過程を、兄と同じく首席で卒業した男が、騎士になりたかったわけではないなど、誰が思いつくだろうか。
だが、リーゼンラールは鬱々とした様子で首を振る。
「亡くなった母が強く望んだので、嫌々ながらも親孝行のために選んだ道なのです。剣の腕からして、天職だと誰もが思っていたでしょうが、本人にしてみれば他に母を喜ばせる方法が思いつかないだけという、消極的な選択です」
「……でも、確かキースの母親は学院へ入る前に亡くなっただろう?」
「はい。だから、入学前にも一度失踪しているんです。その時も、一週間ほど方々探し回ってようやく見つけ、亡き母のためにも選んだ道を全うすべきだと諭して、半ば無理矢理入学させたのです。キースを騎士にさせろというのが父の厳命でもありましたし、あれの行く末を見届けて欲しいというのが、母の遺言でしたから」
見届けるとは、どういう意味だろうか。
カーライルは、兄であるリーゼンラールが、キースの紋様の意味を知っている可能性もあるのではないかと思ったが、それを問い質していいものかどうか、判断に迷う。
裏表のない性格ではあるが、リーゼンラール自身について、まだ十分把握しきれていない以上、フィオリーナの事情を話すことも躊躇われた。
結局、カーライルは黙ってリーゼンラールの話を聞くことを選んだ。
「キースは、一度ラーゼルを出てしまったら、もう二度と戻らないでしょう。あれにとって、ラーゼルに留まる理由はもうない」
確信している様子のリーゼンラールは、何としてもその前に見つけ出したいのだと、ため息を重ねた。
「うーん。それは困るな。ラーゼルの英雄をみすみす他国に渡すとなると、拙い。それがバレると陛下も黙ってはいないな」
カーライルは、今のところ病気療養中という言い分で、キースはファレスの館にいるという嘘を、騎士団や将軍らを相手に押し通しているのだが、それが通用するのはせいぜい長くともひと月とみていた。
国の英雄が長く臥せっているとなれば、大事になる。
現在のラーゼルがおかれている状況は、呑気にしていられる程平穏ではない。
「もしもあれが、どうあっても騎士の身分を捨てるというのであれば、ラーゼルに仇なす前に、この手で葬り去る」
歯軋りして宣言したリーゼンラールに、そこまで事を荒立てる必要はないだろうとカーライルは苦笑したが、殺気立つ目で睨まれ慌てて笑みを返した。
「カーライル様。キースは忠誠を捧げることを喜びと感じる犬ではない。人には決して手懐けられぬ狼です。その剣は最強の騎士と謳われる強さであることは間違いないが、ただの人殺しに成り下がる可能性を常に秘めている。だからこそ、騎士という枷が必要なのです。それをキース自身が思い知った時には、既に手遅れです」
ただ溺愛しているから心配しているのではない。
カーライルは、リーゼンラールの言葉から、ちょっとした家出では済まされない事態なのだという意味を汲み取ったものの、その由々しき事態になるという理由を知りたいと思う好奇心の方が、先回りして危険の芽を摘み取る慎重さよりも勝った。
ただし、深い事情に踏み込む時は慎重になるべきだと、知っている。
「おまえの懸念はわかった。だが、キースを見つける前におまえが倒れては、誰もあれを説教出来ないだろう?キースを相手に剣を抜く勇気のある者は、ラーゼル広しと雖も、いまやおまえとライオールくらいしかいないのだから…」
「あの馬鹿を殴りつけるまでは、倒れたくとも倒れられませんよ」
ぎりぎりと歯軋りして、リーゼンラールは手にしていた分厚い書簡をカーライルへ差し出した。
「国境からの知らせです。クフェル側の動きが、最近更に活発になっているようで、武装した集団が度々、国境を越えて近隣の村を襲っているようです。クフェル軍の偵察を兼ねた行動と見て、ガルフィス砦を預かっているシェルランドも増員を要請しています」
カーライルは、瞬時にその表情を険しいものへ変え、受け取った書簡に目を走らせた。
ラーゼルの西に位置するクフェル帝国は、ラーゼル建国当時から、和平と戦争を繰り返している長年の仇敵だ。
両国の間には、二十年前にラーゼルが独立を保障した大小さまざまな国を持たぬ部族が存在しているため、程よい緩衝地帯となっており、ここ最近は、たまに小競り合いが起きるものの、大きな戦端が開かれるようなことはなかった。
クフェル皇帝アヴァンデールが六十歳という高齢であるにも係わらず、帝位を譲る直系の男子がいないため、次期皇帝を巡る国内の政治的な争いが対外的な侵略などを抑制しているのだろうと思われていた。
ところが、昨年から急に、国境付近でのクフェル軍の動きが活発になり、それと比例して、これまでとは比較にならないほどの鉱石の輸出を始め、周辺諸国を軍事力ではなくその経済力で支配する意図が見え隠れするようになっていた。
アヴァンデールが退位するような話はなく、継承者も未だ定まっていない状態ではあるが、それまで噴出していた貴族や王族らの鍔迫り合いが止んで、まるで若返ったアヴァンデールが永遠に帝位にあるかのような磐石ぶりだという報告もある。
まさか不老不死などあるはずもなく、何か裏の理由があるに違いないと判断したウィルランドは、カーライルにクフェルの動きを探るように命じていた。
「エドワード。おまえが放っている密偵からの連絡が途絶えていると言っていたな?その後連絡は?」
「ありません。既に、三日が過ぎていますので、おそらく…」
「感付かれたか」
「そう思われます。ただし、何かあれば、命を捨てる覚悟のある者を選んでいますので、こちらの動きが漏れるようなことにはならないだろうと…」
エドワードは、自分の部下は、拷問に掛けられるような事態に陥る前に、自分自身で始末をつけることが出来ると淡々と説明する。
カーライルは、そうでなくては困ると思いつつも、情報よりも命が軽いというのはどうにもやりきれないと、内心嘆息した。
エドワードの生家であるリーアム家は、代々王族の影武者を務め、間諜の一隊を従えて暗躍することを任務とする特殊な家柄である。
現当主は、ウィルランドの側近として陰で動いているが、その長男であるエドワードも、既に自分の一存で自由に動かせる『手下』と呼べる者たちを従えており、カーライルの命令によって彼らを間諜として放ったり、フィオリーナの護衛の任務に就かせたりしていた。
リーゼンラールは、カーライルのように心の動きを押し隠す性質ではないため、眉根を寄せて押し黙っている。
「今までと違って、慎重で頭の回る策士が皇帝の傍に居るのかもしれないな」
カーライルは、調べれば調べるほど、これまでとは違うクフェルの動きを感じていた。
これまでは、国内の不満を外へ向けるためや、貴族や王族間の勢力図を書き換えるためといった、やや行き当たりばったりの侵略を繰り返しており、そのため人口、財力共に国力として遥かに下回るラーゼルでも、何とかやり過ごすことが出来ていた。
また、ラーゼルの北に位置するもう一つの大国シアンも、なかなか内政が安定しないクフェルと深い付き合いをするのを嫌がって、ラーゼル寄りの態度を取っていたことも、それを可能にした。
だが、もしもクフェルの内情が安定し、その貿易の相手としてシアンを主眼に置くようになれば、ラーゼルは孤立しかねない。
「今ここで、情報が入らなくなるのは、痛いな」
「既に、次の者を向かわせていますので、一両日中には何とかなると思います」
エドワードは、定時の報告がなかった段階で最悪の状況を考えて次の手を打ったので、程なく再び定期的な報告が入るはずだと請け負った。
「まぁ、性急に動けば向こうの思う壷だ。商人らからも話を聞くよう、手を回せ」
「はい」
エドワードは、軽く頷くと早速手配するために退出する。
一方、カーライルが王子としてこなす公の仕事を補佐するのが仕事であるリーゼンラールは、今日一日のカーライルの予定を事務的に読み上げ始めた。
公私混同は絶対にしないと心に決めている様子のリーゼンラールに、カーライルはつまらぬ予定を適当に聞き流しながら、つくづく家族の関係は他人にはわからないものだと思った。
ファレス家の兄弟に血の繋がりが全くないことは、周知の事実だった。
ただ、将軍という肩書きを持つ二人の父であるライオールを恐れ、父に劣らぬ腕前と頭脳の持ち主であるリーゼンラールを恐れ、英雄と謳われるキースランドへのやっかみは己の器の小さいところを示すだけだと知っている者が大半だからこそ、大っぴらに語られることがないだけだ。
貴族の間では、正妻の他に愛妾を囲う者は多く、跡継ぎに恵まれない正妻が、愛妾の子を養子に迎えることも珍しいことではない。
だが、そういった場合、大抵は愛憎入り混じった争いが起きる。
異母兄弟など、余所余所しい関係の方が当たり前で、仲睦まじいなど奇跡だ。
しかも、全く血が繋がっていない後妻の子と、嫡子である正妻の子ともなれば、度々凄惨な暗殺事件が起きるほど、上手くいかないものなのだ。
それが、どうやらファレス家に限っては、違うらしい。
エドワードに命じて探らせた表面上の関係では窺い知れぬ絆が、リーゼンラールとキースにはあるのかもしれないと、カーライルはまだまだ自分はこの新しい側近のことを理解しきれていないことを実感し、そっとため息をついた。
「リーゼンラール」
「で、次は……」
延々と続く予定を読み上げていたリーゼンラールは、カーライルの呼びかけに途中で遮られるのが不服とばかりに仏頂面になる。
「おまえは、本当に弟想いなんだな。義理の兄に、これ程までに想って貰えるキースは、幸せな奴だ。きっと、キースもそれはわかっている。だから、おまえが嘆くようなことはしないだろう」
もしも、キースがフィオリーナの元を離れると言い出した場合、最期の切り札はリーゼンラールだろうと思いつつ、カーライルは安心しろと微笑んだ。
それを見たリーゼンラールは、仏頂面を微妙なものへ変え、驚いたことにその頬を赤らめて喚いた。
「そういう歯の浮くような、聞いている方が恥ずかしくなるようなことを昼間っから、素面で口にしないで下さいっ!」
これまで、女性に関しても、仕事に関しても、もちろん騎士としての腕前に関しても瑕一つなさそうだと思われたリーゼンラールの意外な弱点を見つけ、カーライルはにやりと笑った。
「そう照れるな。おまえがキースを溺愛しているのは、何も恥ずかしいことではない。麗しき兄弟愛だ。うん、実に美しい」
「まるで変態みたいな言い方は、止めて下さいっ!キースの顔立ちのせいで、穿った見方をする相手は、真に受ける。例え冗談でも、疑われるようなことを口にしないで下さいっ!」
ムキになって言い募るリーゼンラールに、カーライルは笑い出す。
「別に、他意はないし、言いたい奴には言わせておけばいいだろう?それとも……実は本当に、苦しい片思いをしているのか?」
リーゼンラールがキースをそういう意味で愛しているのだとしたら、それは気の毒な話だとわざとらしく同情顔をしてみせたカーライルに、リーゼンラールは手にしていた書類をテーブルに叩きつけると、そのまま手を剣の柄にかけた。
「それ以上、侮辱するおつもりなら、騎士の作法に則って決闘を申し込みますが?」
鋭い視線は、本気だ。
その体から一気に立ち上った殺気に、カーライルは慌てて首を横に振った。
「で……統治官のルサナウの次は、誰と会うんだった?」
面会の順番の続きを聞かせて欲しいと促すと、リーゼンラールは苛立ち紛れに手近な壁を一発殴りつけた。
鈍い音がして、石造りの壁がへこみ、亀裂が走る。
ラーゼルの騎士は、剣技だけでなく弓術や体術というものを修めるのだが、体術を極めれば筋力や体格に関係なく、その気合一つによって、素手で岩をも砕くことが可能になるというのが師範たちの言だ。
生まれて初めてそれを目の当たりにしたカーライルが固まる前で、拳を打ちつけた痛みなど全くない様子で、リーゼンラールは何事もなかったかのように、再び書類を手にして長い面会者名簿を読み上げきった。
「では、陳情書をご用意しますので、面会前に目を通してください」
一度退出し、自分の執務室から面会順に纏めた書類を持ってくると背を向けたリーゼンラールは、ドアのところでふと立ち止まり、自分が殴りつけたせいで思い切りへこんだ壁を一瞥した。
「そちらの壁の修繕費は、カーライル様の名前で要求させて頂きます。宜しいですね?」
否と言うことは許さない。
その意思を冷たく光る濃紫の瞳に認め、カーライルは頷いた。
「では、失礼します」
壊れるかと思う程の勢いでドア閉めたリーゼンラールの足音が完全に聞こえなくなったところで、カーライルは大きく息を吐き出すと、ずるずると椅子の背に凭れかかった。
人に手懐けられぬ狼というのは、リーゼンラールだ。
狼の子を育てるのは、狼に決まっているのだと、カーライルは不用意に挑発した自分を心から反省した。