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白き狼は、森の夢を見る  作者: 唯純 楽
3/16

天命は、何処かにあるもの

「フィオ様」


「う、ううう」


「いい加減、泣き止んでください」


「だ、だって……も、もうお別れかと思うと…」


「何も今生の別れではないでしょうに。昼間は館を空けますが、夜には戻るのですから」


「だ、だけど、新しい人が決まったら、戻って来なくなるのでしょう?」


 フィオリーナは、先日から兄カーライルの側近として王城に勤め始めたエドワードを見送るために、早朝の朝靄の中、玄関先まで出て来たのだが、どうしても堪えきれずに泣きじゃくっていた。

 物心つく前から、殆ど四六時中、一時たりとも離れたことのない幼馴染と朝晩しか顔を合わせられないことが、どうしようもなく心細く、寂しい。

 握り締めたチーフは、既に絞ったら雫が滴り落ちそうな程濡れている。


「そんなに泣くくらいなら、なんだってエディを城へ戻して欲しいなんて、言い出したんですかね? まったく」


 フィオリーナの傍らにいた侍女のサラが、豊かな身体を大きく揺らして、ため息混じりに呟く。


「フィオ様。よくぞ、エドワードの将来をお考えになって、決断されました。今は辛いでしょうが、その内慣れます」


 白髪をきっちりと整えた執事のマートンは、フィオリーナの英断を褒め称えた。

 幼馴染であるだけでなく、護衛役であり、しかも教育係を兼ねていたエドワードは、フィオリーナにとって実兄のカーライル以上に近しい存在だ。

 兄のようでもあり、父のようでもあり、友人でもあり、時にはちょっとした恋人気分を味わう相手でもあった。

 でも、優秀で有能な幼馴染が、本当は国政に関わる仕事をしたいと夢見ていることを、フィオリーナは知っていた。

 書斎に集められた蔵書の半分はフィオリーナが読む恋愛小説だが、あとの半分はエドワードが集めた政治や経済の本ばかりで、異国の本などもある。

 フィオリーナの護衛役であるために、貴族の子弟が学ぶ王立学院へ通うことが叶わなかったエドワードは、独学で様々なことを学び、時折館を訪れるカーライルと度々熱い議論を交わしていた。

 だから、二十歳になるのを機に、エドワード離れをしようと決心し、自ら兄カーライルへエドワードを城で働かせて欲しいと頼んだのだ。

しかし、自ら望んだこととはいえ、その寂しさにフィオリーナは十日目にして最早くじけそうだった。


「直ぐに、代わりの護衛を手配しますので」


「エディのような人でなくては、嫌です」


 泣きじゃくりつつも、フィオリーナはそこだけは譲れないというように、きっぱり言い切った。

 しばらくは、エドワードが個人的に抱えている、騎士ではないが、信頼の置けるものたちを館の周辺に厚く配備して、フィオリーナの安全を図ることになっているが、早急にエドワードの後任を決めなくてはならなかった。

 そう分かっていながら、エドワードがこの館を出ると決まってから今日までのふた月の間に、肝心の後任が決まらなかったのは、今まで引き合わせた騎士の誰にも、フィオリーナが首を縦に振らなかったせいだ。

 その数は、二十をくだらない。

 マートンは、しかめっつらでフィオリーナを諭す。


「しかし、フィオ様。エドワードと同等程度の男は、そうそういません。時には妥協することも必要でしょう」


「でもっ……い、嫌です」


 基本的に素直な性格ではあるが、所々強情なところのあるフィオリーナは、一度拒否反応を示すと、なかなかそれを覆さない。

 これまで兄のカーライルがフィオリーナに引き合わせた騎士たちは、皆剣の腕も立ち、礼儀正しく、それなりに見た目も悪くない人物ばかりだった。

 年齢も、上は三十代半ばから、下は二十くらいまでと、幅広く用意したのだが、フィオリーナの目に適うものはいなかった。

 このままでは、永遠に決められないかもしれないと嘆くカーライルを思い出しつつ、エドワードはため息混じりで問い返した。


「では、誰ならばいいのです?」


 フィオリーナは、チーフをぎゅうぎゅうと握り締めた。


「ご希望の者がいるのなら、当たってみますが?」


「き、希望というわけじゃ……」


 フィオリーナは、エドワードの代わりに来てくれたらと、心の片隅で願っていた人物を思い浮かべる。

 すると、涙はあっという間に止まり、頬が熱くなる。


「誰です?」


 物事を決して曖昧にしないエドワードは、はっきり言えと強い口調で問い質す。

 その強さに押されるようにして、フィオリーナは小声で呟いた。


「き、キース」


「フィオ様?」


 人と話す時は、はっきり良く聞こえるようにと口を酸っぱくして叱るエドワードが、語調を強める。


「キースランド・ファレス」


 フィオリーナが、勇気を振り絞って、二年前に迷子になった自分を助けてくれた青年の名を告げると、エドワードだけでなく、マートンもサラも目を見開いた。


「それは、あの、戦神ウィラーナの再来とも言われているキースランド・ファレスですか?」


 マートンの声は、半信半疑であることが分かる探るような色を帯びている。


「王都中の女性が熱を上げているとかいう、英雄のことですかね?」


 サラは、その容貌は御伽話の騎士そのものだということは、有名な話だと首を振る。


「いいいい、言ってみただけですっ!」


 自分でも、そんな凄い人を護衛にしてもらうなど無理だとわかっていると、フィオリーナは慌てて言い訳する。

 二年前の出会いの後、フィオリーナとキースの間には接点など何もなかった。

 常に戦場にいるキースは、滅多に王都へ戻ることはなく、あれきり顔を合わせたことはない。


「わかりました」


 無理なことを口走ったと、恥ずかしくて消え入りたいと俯いていたフィオリーナは、エドワードの返答に驚いた。


「お約束は出来ませんが、手を尽くしてみます」


「本気かい?」


「無謀だろう」


 サラとマートンは、絶対に無理だと、首を振る。


「エディ?」


 フィオリーナも、疑わしいという視線を向けた。


「ついては、二年前のことをカーライル様に説明する必要がありますので、後で叱られる覚悟はして置いてください」


「えっ!」


 怯えるフィオリーナに、二人の馴れ初めを話して聞かせないことには、単なる夢見る乙女の戯言と片付けられかねないとエドワードは言った。


「今現在、肝心のキースは王都に居ませんし、方々に様々な根回しが必要ですから、かなり時間を要するかと思います。気長に待てますか?」


「は、はいっ!」


 フィオリーナは、思わず勢いよく返事をしてしまった。


「では、しばしのお別れです」


 エドワードは、フィオリーナの手を取り、軽くその指先に口づける。

 笑っていたフィオリーナは、途端に込み上げた涙で睫を湿らせる。


「う、エディ」


「夕方までの辛抱ですよ。それに……何かあれば、すぐ戻ります。ですから、フィオ様。あまり泣かないで下さい。雨に打たれるのは御免ですので」


 にわかに曇りだした空を見上げて、エドワードは苦笑した。

 フィオリーナが泣くと、何故か雨が降ることが多い。


「む、無理です」


 泣きじゃくるフィオリーナは、天候の変化は自分のせいではないと恨めしそうな視線を向けた。


「では、行ってきます」


 身を翻したエドワードは、馬上へ飛び乗ると振り返らずにそのまま馬腹を蹴りつける。

 あっという間に見えなくなったエドワードを見送り、フィオリーナは急に振り出した土砂降りの雨を合図に、泣くのを止めた。


「本当によくご決断なされました」


 食堂へ戻る道すがら、マートンがつくづく感心したというようにフィオリーナへ微笑みを向ける。


「まぁ、ちょっと寂しいことは間違いないけど、そう落ち込まなくても大丈夫ですよ」


 サラは、フィオリーナを優しく慰め、もし本当にキースランド・ファレスがこの館へ来ることになったら、自分は二十年来溜め込んでいる腹まわりの脂肪を削ぎ落とすと宣言した。


「出来もしないことを」


 ぼそっと呟いたマートンをぎろりと睨んだサラは、腕まくりをする。


「やる気かい?」


「そういうところを先に直した方が良かろう」


「なんだってっ!? この、老いぼれっ!」


「何だと? この、大食漢っ!」


「なにーっ!」


 睨み合い、罵りあう二人に、フィオリーナはくすくすと笑い出す。

 エドワードの言う通り、今生の別れではない。

 自分とエドワードの間には、マートンやサラと同じく、家族の絆がしっかりと結ばれているのだから。


「二人とも、朝から煩いぞ」


 食卓に料理を並べていたジェファスが顔をしかめる。


「食事の時には、難しい顔をしないというのが、この館の決まりです。二人とも、心穏やかにしてください」


 いつものように、皆で食卓についたフィオリーナは、満面の笑みを浮かべた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇




 いつものように、騒がしい行政府の一角にある自室兼執務室で、もう三日ほど積み上げられたままの書類の山を前にうんざりしていたカーライルは、ノックの音と共に現れた人物を見て、大きなため息をついた。

ラーゼル王国を三十年に渡って統べる、賢王の誉れ高い国王ウィルランドの三番目の王子にして、第二位の王位継承権を持つカーライルの居室は、城の東奥、行政府の近くにある。  

執務室も兼ねた部屋は人の往来が少なくはない場所にあるが、事前の申し出なく、出入り自由を許されている者は限られている。

 その数少ない出入り御免の一人であるエドワード・リーアムは、カーライルが物心付いたときからの付き合いであり、十日ほど前に、名実共に腹心と言える側近の一人となった。


「おはようございます、カーライル様」


「ああ。おはよう、エディ」


 砂金色の髪と深い青の瞳をしたエドワードは、やや童顔の整った顔立ちをしており、黙っていればとても優しげに見える。

 だが、一度でも話してみれば、その口から甘さとは無縁の辛辣な言葉が紡がれる様に、誰もが驚く。

剣の腕も、ラーゼルが誇る第一騎士団にいる騎士らを相手にしても引けを取らない。

 そんな側近が、朝から心踊るような楽しい話題を持ってくるはずもなく、用と言えば仕事に決まっていると、カーライルはうんざりした。


「毎日、フィオのところから遥々通って来るのは大変だろう?」


「大した距離ではありませんから」


「だが、王城まで少なくとも一刻はかかるだろう?」


「馬にも私にも、運動するにはちょうどいい距離です」


 必要とあらば、丸一日馬に乗りっぱなしということもあるのだから、朝晩ちょっとした遠出くらいの距離を駆けることを大騒ぎする必要はないと言うエドワードに、カーライルは若いくせに達観しすぎだと、呆れてため息を漏らした。

 正に、優秀、有能という形容詞がぴったり当てはまるエドワードは、カーライルの妹の護衛役を長年勤めていたが、つい先日、その妹フィオリーナから、役目を返上させたいという申し出があった。

 エドワードの将来を思えば、隠居暮らしをしているフィオリーナの護衛をいつまでもさせておくのは忍びないとカーライルも前々から思っていたし、信頼出来る人間を一人でも多く傍に置きたいという自身の都合もあって、二つ返事で承知した。

もちろん、エドワードをフィオリーナから引き離すに当たっては、代わりの護衛を用意するつもりだったが、その人選が思いのほか難航したのは大きな誤算だった。

人見知りの気が多分にあるフィオリーナは、カーライルがこれぞと思い、推薦した優秀な騎士たちをことごとく、蹴ったのだ。

二十人目の護衛役候補を『否』と言った妹に、さすがにうんざりしていたカーライルだったが、エドワードが一体誰ならばいいのだと問いかけたところ、フィオリーナは意外にもある人物を指名した。

しかし、折角挙がった候補は、かなりの問題を孕むことになるだろう人物であったため、到底すんなり決まりそうも無くて、カーライルの頭痛は止まない。


「今日にも、戻って来るそうですね?」


 エドワードが指しているのはその人物のことだと、尋ねるまでもない。


「そうらしいな」


「ついては、フィオ様の要望を聞き入れて頂けるんですよね? カーライル様」


 エドワードに、有無を言わせぬ強い光を浮かべた青い瞳で見つめられ、カーライルはため息を重ねる。


「私も、出来ればフィオの望みを叶えてやりたいとは思う。でも、アレだぞ? エディ。騎士の叙任を受けてたった二年で、既にラーゼルの英雄と謳われる程の男に、隠居に近い暮らしをしている女性の護衛をさせるなんて、そう簡単には認められないだろう?」


 フィオリーナが新しい護衛役にと求めた人物は、並み居るラーゼルの騎士の中でも、若いながらに立てた武勲の数が尋常ではなく、十八にしてすでに英雄と呼ばれている若者だった。

 その若き英雄キースランド・ファレスは、勇猛で知られる第一騎士団に所属し、数々の戦場で目覚しい武勲を立て続けている。どう考えても、そう簡単に第一騎士団から引き抜けるとは思えない。


「しかし、それ程の腕前の者でなければ、フィオ様をお守り出来ないというのも事実です」


 エドワードは、無理だと匂わせたカーライルに、きっぱりと言い返す。


「まぁな……おまえ以上の腕前の者など、数少ないし、その中でも信用の置ける人物というのも、限られている。しかも、フィオが気に入るとなれば、もう皆無だからな」


「事は一刻を争います。最近、以前にも増して、館の周りに不穏な輩がウロついているのです」


 エドワードは、呑気にしている場合ではないと、口調の険しさを増した。


「フィオも、この夏には二十歳になるからな」


 カーライルは、可愛かった小さな妹が、既にそんな年になってしまったかと、少し寂しさを感じながら頷いた。

 ラーゼルにおいて、二十歳という年は特別なものであり、女性であれば大方二十歳までには結婚、もしくは婚約し、男性であれば二十歳までには親元を離れ、独り立ちするのが望ましいとされている。

 大人の仲間入りをしたと、社会的に認められる境目のようなものなのだ。

 フィオリーナは、れっきとした王女であり、本来であれば城内に住まうべきだが、特別な事情があって、王都の郊外にある小さな村に構えた館で、限られた従者たちとひっそり暮らしている。

 滅多に城へ来ることもなく、貴族や王族の間でも、その存在は伝説のような扱いになっているため、王族には付き物の政略的な婚約や結婚という話の対象外に置かれていた。

 だが、さすがに二十歳を迎えるということで、フィオリーナにも結婚相手を探すべきだということを思い出したらしい父王は、その相手について、度々宰相らと話すようになり、それと比例するかのように、フィオリーナの周りでは不穏な動きが活発化していた。

 館の周辺で、盗賊まがいの集団が度々目撃されたり、村人が襲われたりする頻度が増しており、中には金品目的ではない者たちも見受けられる。


「やっぱり、おまえを城へ戻すのは早まったかもなぁ……」


 カーライルは、エドワード本人がフィオリーナの傍にいれば、もう少し楽ではあるだろうと首を振った。


「私もそう思います。ですが、フィオ様の望みでしたので」


「それはそうなんだが……」


「後任については、珍しくフィオ様がはっきりと要望を口にされたのですから、無視するわけにはいかないでしょう。何もせずに却下しようものなら、当分ご機嫌を損ねるかと」


「だろうな。あれは、一度怒ると長引くからな」


 カーライルは、強情なところのある妹だとため息を吐きつつ、手にしていた書類をエドワードへ渡した。

 いつも無表情のエドワードが、眉を微かに引き上げるのを見て、カーライルはその気持ちは分かると頷く。

 その書類には、フィオリーナがエドワードの後任として護衛役をと要望したキースランド・ファレスの経歴がずらりと書かれていた。


「非の打ち所のない、まさしく正真正銘の英雄だ。ファレスは騎士の名門だし、十分すぎる肩書きだ。腕の方も問題ない。一応、第一騎士団長のエミリオには話した。エミリオは、相当に渋ったが本人の意思次第だと言って来た」


「ならば、話は早いのでは?」


「うーん。それがなぁ……どうにも、女性が苦手らしいという噂がある」


 カーライルは、表向きの調査とは別に、キースの学院時代の友人たちから性格や人柄を聞き込んでいたが、誰もが口を揃えて言ったのは、山のように恋文を貰い、宴席では引く手あまたのモテぶりなのに、全く浮いた噂の一つもない。貴族のご令嬢が苦手らしく、美しく着飾った女性を前にすると逃げ出すということだった。

 エドワードは、珍しく目を見開いて、首を傾げた。


「しかし、フィオ様と広場で出会った時は、そんな風には見えませんでしたが? 普通に話していたようですし」


「貴族が苦手なのかもしれないな。キースは、ライオールの次男ではあるが養子だ。表立って口にする者は少ないが、母親は娼婦で、実の父親は分からないという話だ」


 本来であれば、英雄どころか騎士になることも不可能な出自であるが、将軍である養父の力と天賦の才がそれを可能にしているのだろうとカーライルが言うと、エドワードは何か異議があるかのように、その眉をひそめて口を開きかけた。

 だが、ドアをノックする音が響いたために、口を閉ざした。


「おはようございます」


 低いがはっきりした声音で挨拶をして入って来たのは、眩い金の髪と印象的な濃紫の瞳、 腰に長大な剣を携え、鍛え上げられた立派な体躯を騎士風の服に押し込めるという、行政府のあたりをウロつくには物騒な格好をした青年だ。

騎士と言われた方が納得の容貌だが、その胸に光る銀の徽章は狼を基調にした騎士のものではなく、鳥の羽を象った、れっきとした行政官のものだ。

濃紫の瞳に宿る光は油断のないもので、しかめ面をしているとますます物騒に見えるが、エドワードを見ると眉間の皺を微かに緩めた。


「おはようございます、カーライル様。エドワード、早いな?」


「ああ。おはよう、リーゼンラール」


「エドワードが朝からいるなど、珍しいのでは?」


「エドワードとは、これから度々顔を合わせるようになると思う。仲良くやってくれ」


 カーライルの言葉に、リーゼンラールは眉を引き上げたが、問い返したりはしない。

 半年前からカーライルの側近として仕えているため、必要がないとカーライルが判断している場合は、問いかけたところで答えを得られぬことを知っている。

 リーゼンラールは、その目元を少しだけ緩ませ、承諾の意を示す。


「それは有難いですね。カーライル様への小言が半分で済む」


「おまえの仕事は、私に小言を言うことか?」


「私の仕事を円滑にするために、必要な手間であることは、間違いないでしょう」


 さらりと嫌味を言ったリーゼンラールに、カーライルは唸る。

 二つ年下で、しかも新米部下のくせに、偉そうな態度がムカツクのだが、相手がどんな身分であれ、萎縮したり、擦り寄ったりしないところは、気に入っていた。

 武骨な見かけとは違い、口が達者であったのは意外だったが、リーゼンラールはここ最近で一番の掘り出し物だと、カーライルは思う。

 半年ほど前、城下の孤児院への援助打ち切りの件を巡って、総務大臣を相手に大立ち回りを演じた行政官がクビになるという噂を聞き、好奇心から身請けすることを決めた。

 しばらく使ってみて、駄目ならば適当に放り出すつもりで、ごくごく気軽に引き取ったのだが、地下牢から釈放させ、そのまま執務室へ呼びつけたリーゼンラールの顔を見て、それがとんでもない拾いものだと知った。

 生き写しかという程、父親にそっくりの容貌をしたリーゼンラールは、常勝将軍という通り名を持つライオール・ファレスの長男であり、幼少の頃から剣の腕は相当なものと有名で、父に倣って騎士になるべく王立学院の騎士課程に入り、卒業まで首席の座を一度も譲ることはなかった。

 が、間違いなく父の後を継いで騎士に、やがては将軍になると誰もが思っていたリーゼンラールは、何を思ったのか、卒業する間際になって、行政官になると言い出した。

 並み居る将軍や騎士団長、更には国王の懇願をも撥ね付けてのことだ。

 誰もがその転向を惜しみ、向かぬ道を選んだものだと嘆いたが、リーゼンラールは、見習いから通常は最低でも五年かかるところを、たった二年で正行政官まで上り詰め、剣の腕だけでなく、頭脳も優秀だと証明して見せた。

 ただし、騎士気質が抜けきらず、短気で癇癪持ちとして多くのお偉方に恐れられているというもっぱらの噂ではあった。

 そんなリーゼンラールは、カーライルの好奇心を刺激する格好の観察対象で、今や不思議な縁を感じる相手である。

 何と言っても、リーゼンラールは、フィオリーナの護衛候補であるキースランド・ファレスの義兄なのだ。


「それにしても、相変わらず朝から仏頂面だな、リーゼンラール。何か問題でも?」


 カーライルは、リーゼンラールの苦味ばしった顔の眉間に刻まれた深い縦皺を示した。

 カーライルより二つ年下のリーゼンラールは、エドワードと同い年のはずだが、厳しく険しい表情が常であるためか、その容貌はどう見ても三十代。二十二の若者には、全く見えない。


「問題には、既に起きたものと、これから起きると予想されるものの二種類ありますが、今朝の場合は、後者です」


「で? これから何が起きるんだ?」


 美辞麗句も、謙遜も建前も無視して、言葉を選ばず話すエドワードとは違い、時々回りくどい物言いをするリーゼンラールは、相手を話に乗せる術に長けている。

 つい問い返したカーライルに、リーゼンラールは大きなため息と共に頷いた。


「不肖の弟が戻って来るものですから……」


 カーライルは、思わずエドワードと顔を見合わせた。


「おまえの弟は、今夜も、山ほどの勲章を貰って、美女たちの祝福を受けるだろうな。キースランド・ファレスの名は、ますます王国内外に知れ渡り、ますます多くの貴婦人が言い寄ることだろう」


「皆、あれの見た目に騙されているのです。中身を知れば、誰も、言い寄ったりしません」


 リーゼンラールは、仏頂面で冷たく弟を貶した。

 カーライルは、エドワードの視線から、『英雄』に探りを入れる絶好の機会を逃すなという指示を読み取る。


「でも、恋人くらいいるんだろう?」


 カーライルの矢継ぎ早の問いに、リーゼンラールは首を振った。


「そんな相手はいませんよ。キースは、弟は、見た目とは違ってかなり晩熟ですから」


「晩熟? あの顔で? どう見ても、毎晩美女をとっかえひっかえしていそうじゃないか? なぁ、エディ?」


「ええ。学院時代も、かなり多くの令嬢たちが夢中になって追い掛け回していたとか。さすがに騎士になってからは、そんな暇もないようですが、相当に遊びなれているともっぱらの噂で……」


「エドワード。そんな噂、どこから仕入れたんだ?」


 リーゼンラールは、人の噂とは実にいい加減なものだとため息をついた。


「あれは、宴席で女性と踊るより、馬で荒野を駆け巡る方が好きで、夜の闇に乗じて甘い言葉を囁くよりも、書斎に篭って、月の満ち欠けの理由を調べる方が好きなお子様だ。恋人どころか、まともにダンスの相手をすることも出来やしない」


 カーライルは、エドワードの寄越す視線から、二人で話していた件をリーゼンラールへ言わなくていいのかという問いを読み取り、否と目だけで答えた。

 ここまで弟を貶す以上、王女の護衛なんて話をすれば、とんでもないと真っ向から否定しそうだと思ったのだ。


「でも、ラーゼルの英雄だろ?言い寄る女性は山ほどいるんじゃないか?」


「英雄?真に英雄と呼ばれる男となるには、あれは修行が足りません」


「おいおい。そんなことを人前で言うなよ? 必死でやっても、キース程勲章を貰えぬ他の騎士たちから刺されかねない。常勝将軍ライオール・ファレスの息子というだけでも、妬みの対象になるのに。謙遜は、時には嫌味に聞こえるぞ」


「キースは、やや型破りなところはあるだろうが、間違いなく腕が立つだろう? リーゼンラール」


 エドワードの言葉に、リーゼンラールは首を振り、鼻で笑った。


「はん。腕が立つだけでは、立派な騎士とは言えないだろう? ラーゼルの騎士団には、あれより遥かにマシなのがゴロゴロいる。あれがどういう男か、三日も一緒にいれば分かる」


 そこまで言うからには、それなりの理由があるのだろうし、それを探り出す必要があるかと、カーライルは一端、引くことを決めて話題を変えた。


「なるほどな。ところで、何の用だ? リーゼンラール」


「申し訳ありません。今夜の宴席の件です。陛下から出席するようにと直々の仰せですので、いつものように逃げたりしないで下さい」


 半年の間で、すっかりカーライルの行動と思考を読んでいる優秀な側近は、的確に釘を刺した。


「だが、ひな壇から他人がイチャつく様を眺めているだけなんて、つまらないだろうが?誰か、見目麗しい美女でも侍らせてくれるというならいいが……」


「どうしてもとお望みであれば何とかしますが、その場合、後々陛下から山のような見合い話が持ち込まれるということは、ご承知でしょうね?」


 リーゼンラールは、カーライルの望みとあらば自分に出来ないことはないと言いながら、先ほどよりもさらに太い釘を刺した。


「まぁ、美女は無理でも……そうだな。おまえの弟と話してみたいな」


 宴席でならば、名誉の勲章を授けられた騎士と話しても少しの不自然もないとカーライルは思いつき、嬉々として身を乗り出した。


「キースとですか? ……時間の無駄では?」


「いやいや。ラーゼルの英雄だぞ?戦場の話も聞きたいし、何よりおまえがどんな兄なのか、聞いてみたい」


 にやりと笑ったカーライルに、リーゼンラールは顔をしかめた。


「あれが、サボらず宴席に出ればの話ですが」


「出るように、手を回せ。とにかく、一度紹介してくれ」


「はぁ、わかりました。一応、きちんと宴席に出席するよう、軽く締め上げて脅しておきます」


 渋々、嫌々という顔を隠そうともせず、カーライルが出席することを国王へ報告するために退出して行ったリーゼンラールの残した物騒な言葉に、カーライルとエドワードは顔を見合わせた。


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