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白き狼は、森の夢を見る  作者: 唯純 楽
15/16

取り戻した力と運命の邂逅

 身体中が熱くて、頭が痛い。

 息が苦しく溺れているようで、喘ぎ、寝返りを打とうとしたキースは、額に冷たいものが触れるのを感じて目を開けた。


「あ、にうえ?」


 リーゼンラールだと思ったキースの目に映ったのは、兄の姿ではなく、仏頂面のエドワードだった。


「リーゼンラールは、疲れ果てて寝ている」


 エドワードが顎で示した先には、寝台に伏せたまま寝入っているリーゼンラールの姿がある。


「フィオ様も熟睡中だ」


 キースがはっとして逆側を見ると、キースの右手を握ったままのフィオリーナが、リーゼンラールと同じように寝入っていた。


「熱は高いが、汗もかいているし、すぐに回復するだろう」


 着替えたいかと問われ、キースは起き上がれる気がしないと首を振る。


「風邪を引いて熱を出すなんて、おまえも普通の人間ということだな」


 冷たく言い捨てたエドワードは、寝入っているフィオリーナの手をキースからそっと引き剥がすと、その身体を軽々と抱き上げた。


「だが、熱があっても安心というわけにはいかない。フィオ様は連れて行く。おまえは、大好きな兄上と一緒に寝ていろ」


 相変わらずの牽制ぶりに、キースは苦笑する。


「そんなに大事なら、さっさと自分のものにすればいいだろ?」


「出来るものなら、そうしている」


 あっさりと答えたエドワードに、キースは思わず目を見開いた。


「ただ、望みがないとわかっているから、何もしないだけだ」


 効率の悪いことは嫌いだとでも言うようなエドワードの言葉に、キースは益々驚いて、思わず身を起こしかける。


「そういう問題じゃないだろ」


「自分の気持ちが、相手の負担になると分かっていて、わざわざ押し付けるほど厚かましいことは出来ない」


 どこまでも理性的なエドワードに、キースは呆れて首を振る。


「それに……フィオ様を笑顔にさせられるのは、自分ではないと分かっている」


 キースは額から落ちそうになる濡らした手ぬぐいを抑えて枕に頭を埋めた。


「それは、おまえがいつも仏頂面だからだろ」


 相手を笑顔にさせたいのなら、自分も笑顔でなくては駄目だと告げたキースに、エドワードは驚いたような顔をした。


「何だよ?」


「いや……時々、おまえはまともなことを言うな」


「時々? 俺は、おまえなんかよりも、波乱万丈の人生を送っている。経験の差だ」


 お坊ちゃまには分かるまいと言い返したキースに、エドワードは頷いた。


「そうだな。フィオ様は傷ついた動物を放っておけない性質だ。拾った犬がどんな馬鹿犬でも、ちゃんと手当てをして、大事にされる。少なくとも、恩は返せ」


 いちいち勘に触る奴だと唸ったキースを無視して、エドワードは足音一つ立てずに部屋を出て行く。


 一度目が覚めてしまうと、もう眠れそうにない。

 だが、いつも胸の奥に感じていた苦しさは、感じられなかった。

 倒れる前に、何もかも、リーゼンラール相手にぶちまけたせいだろう。

 未だに自分がリーゼンラールを頼りにしていることを、情けないと思う気持ちが半分、それでいいのだと思う気持ちが半分ずつある。

 リーゼンラールは、本当にキースが助けを必要としている時には、必ずそこに居てくれる。

 家族であろうとしてくれる。

 何一つ、恩返しなど出来ていない自分でも、見捨てずにいてくれる。

 だから、リーゼンラールの穏やかな寝息を聞いているだけで、安心する。

 激しい風と雨が窓を叩く音がし、時折雷鳴が閃いているが、恐いとは思わない。

 こんな風に、同じ部屋で兄と眠るなど本当に久しぶりだとほっと息をついたキースは、ふとその耳に金属音を聞いたような気がして、伏せていた目を開けた。

 意識を集中すると、風と雨の音に混じって荒い足音と金属のかち合う音が聞こえる。

 ただならぬ気配に、キースは無理矢理身体を起こした。


「う……なんだ?キース?」


 目をこすりながら身体を起こしたリーゼンラールに、キースは落ちて来た手ぬぐいを投げつけた。


「敵襲だっ!」


 驚くリーゼンラールを横目に、寝台から降り立ったキースはそのまま倒れそうになる。


「わ!」


「キースっ!」


 倒れこみそうになった身体を、リーゼンラールの力強い腕が抱きとめる。


「起き上がるのは無理だ」


 敵襲であっても、今の状態では役に立つまいとキースを寝台へ放り出したリーゼンラールは、素早く剣を手にしてドアへ向かうと、そこから様子を窺う。


「……ちっ! やはり、来たか。くそっ……だから、護衛を増員するようにと言ったのにあの人は……」


 ぶつぶつと文句を言いながら、リーゼンラールは寝台の上にいたキースを振り返る。


「キース。おまえは、ここから出るな。敵は、今のおまえじゃ太刀打ち出来ない相手だ」


「……敵って、何だよ? フィオが狙いなのか? それともカーライル様?」


 リーゼンラールが敵襲を予想していたことからして、必ずしもフィオリーナを狙っているわけじゃないのかと問いかけたキースに、リーゼンラールは舌打ちする。


「エドワードから、何も聞いてないのか? まったく……カーライル様もあいつも、秘密主義過ぎるんだっ!」


 大きな物音が立て続けに聞こえたところで、リーゼンラールはドアを開けて飛び出そうとする。


「待て、兄上っ!」


 キースは、寝台から立ち上がるとその腕を掴んで引き止めた。


「何だっ!」


 睨むリーゼンラールに窓を示す。


「敵は、階下にいる。階段から下りて串刺しにされたいのか? 窓から下りて、様子を窺うべきだ。今、フィオの部屋は二階じゃなくて一階にしている。だから、上は捨ててもいい」


 寝台の傍に置かれていた剣を手に、キースは窓へと歩み寄ると大きく開け放った。

 吹き込む雨と風が、熱でほてった身体を冷やす。


「キース!」


 無理だと引きとめようとしたリーゼンラールの手が触れた右腕が熱い。

 大丈夫だと、キースは笑みを返した。


「戦わずに殺されるのは御免だ。少なくとも、やってみなくちゃ、駄目かどうかはわからない」


 もしも剣が抜けなかったとしても、それで命を落すことになったとしても、何もせずにいるよりマシだ。


「それに……熱があっても、兄上よりは役に立つと思う」


 にやりと笑ったキースに、リーゼンラールは眉を引き上げたが、その言葉を腕で証明しろと吐き捨てた。




 リーゼンラールと二人、窓から外へ出たキースは、フィオリーナの部屋へ回り、窓から様子を窺ったが、既にそこには誰も居ない。

 ランディが激しく吠える声は、正面玄関付近から聞こえている。


「護衛は何人いる?」


「いない」


「護衛も付けずに三人だけで来たのかよ?」


 一国の王子が移動するには、あまりにも無謀だと呆れたキースに、リーゼンラールは苦い顔で吐き捨てる。


「カーライル様の思惑だ」


 こうなることを予想していながら護衛を外したのだとすれば、カーライルの目的はおびき寄せることだったのではないか。

 キースは、企みなしでは腕一つ動かさないような王子の様子を思い出す。

 おびき寄せたということは、勝算があるということで、その計算にはどう考えてもキースが含まれているだろう。


「期待に応えないわけには、いかないな」


「無理をする必要はない。おまえに何かあったら、俺が親父に殺される」


「戻って来たのかよ?」


「間も無く戻る予定だ」


 キースだけでなく、リーゼンラールにとっても、ライオールは恐い父親だ。

 カーライルとフィオリーナを守りきれなかったなどという事態になれば、たとえ運よく自分たちは生き残ったとしても、ライオールの手で葬られること間違いなしだ。


「それなら、死ぬ気で戦うしかないだろ」


「ああ」


 正面玄関脇の窓から中を窺ったキースは、劣勢ながらも必死で戦っているエドワードとその部下を見る。

 カーライルも剣を抜いており、勇ましいミミが必死で箒を振り回し、腰を抜かしているサラを守っている。

 フィオリーナは、黒い覆面をした男に担がれ、まさに食堂の方へ連れ去られようとしていた。

 キースとリーゼンラールは無言で頷き合うと、閉ざされた扉を蹴り開けた。

 その音で振り返った敵の隙をついて、キースは背を向けていた二人を切り倒す。

 リーゼンラールは、即座にミミとサラたちがいる方へ足を向けた。


「キースっ!」


 カーライルの叫びと目配せで、フィオリーナを無傷で取り戻せという意図を汲み取り、キースはフィオリーナを担いでいる男へ駆け寄る。


「フィオを下ろせ」


 男は、どうあってもフィオリーナを手放すつもりはないとばかりに、背後を伺い、キースの肩越しに視線を送った。


「キースっ! 後ろっ」


 フィオリーナの叫びにはっとして振り返ったキースは、振り下ろされた剣を紙一重でかわす。

 気配を感じさせなかったその男は、黒い覆面の下に銀色に輝く瞳を持ち、濡れたように光る青い刀身を持つ剣を無造作に払う。

 何の計算もなさそうではあるが、一切の無駄がない動きは、厳しく訓練された証拠だ。

 キースは、剣の柄に手を伸ばす。

 今だけでいいから、どうか治まってくれと祈るが、手が震え、冷や汗が額から滴り落ちる。


「稀代の英雄が腑抜けになったという話は、本当らしいな?」


 冷笑と共に振り上げられた剣の先が、キースの髪を数本切り落とす。


「王女様の前で死ねるなら、おまえも本望だろう?」


 左右上下と自由自在に剣を振り回す敵に、かわすだけで精一杯のキースは、細かな傷を負い、やがて致命傷を得るのも遠い話ではないと思う。


「い……やっ! 離しなさいっ!」


 横目で、フィオリーナが何とか逃れようと暴れ、迫るエドワードを見た男が、仕方ないとばかりにフィオリーナを放り出すのが見えた。


「きゃっ!」


 床へ転がったフィオリーナは、直ぐに男の手を逃れたが、ふと何かを思い出したかのように身を翻した。


「フィオっ!」


 物陰から現れた男が、白刃を振りかざすのが見え、キースは無意識の内に剣を投げつけていた。


「ぐっ!」


 胸に命中した剣を見下ろした男は、フィオリーナを傷つけることなく倒れる。


「自ら丸腰になるとは、よほどの馬鹿だな?」


 冷たい声と共に唸りを上げて襲い掛かる白刃を感じたキースは、覚悟した。

 だが、その白刃は何故か逸れた。


「ちっ!」


 真っ白な鳥が、男の眼前を掠めた。

 こんな夜中に、しかも館の中で見るには違和感のありすぎる光景だった。

 だが、一瞬気が逸れたキースの耳に、リーゼンラールの叫びが聞こえた。


「キースっ! 使えっ!」


 白銀の輝きが耳を掠めて背後の壁に突き刺さった。

 それが何であるかを判別する前に、キースは柄を握り締めて引き抜いた。


「ちっ! 身体さえ手に入れば、生かしておく必要もない。死んで貰った方が、運びやすい」


 キースは、銀の瞳に冷酷な笑みを浮かべた男がその白刃を翻した相手が自分ではないと気付き、目を見開いた。

 男が刃を振り下ろそうとしたのは、床に落ちていた輝く何かを拾おうとしていたフィオリーナだ。


「フィオっ!」


「フィオ様っ!」


 カーライルの悲痛な叫びと、エドワードの叫びが重なる。

 キースは、意識するより先に、動いていた。

 振り下ろされるはずだった剣を受け止めたキースに、銀の瞳が驚きで見開かれる。


「ふっ。噂は所詮噂か」


「真実は、おまえ自身で確かめればいい」


 力任せに受けた剣を跳ね返し、キースはフィオリーナを一瞥する。


「そこを……動くなよ、フィオ」


 カーライルもエドワードも、それぞれの敵を相手にするだけで手一杯だ。


「自分が盾になるつもりか? 面白い。切り刻んでやる」


 声だけで、これ程冷酷さを感じさせるものかと思いつつ、キースは鋭い剣を受ける。

 これまで戦場で対峙した敵とは違う、底知れぬ力を感じる剣には、ラーゼルではない土地の匂いがする。

 斬撃は、打ち合うごとに重さを増し、キースは多少なりとも身体が鈍っていることを自覚して舌打ちする。

 いつもなら、大したことのない左手の怪我も、これ程手強い相手では不利に働く。


「どうした? 限界か?」


 突き出された剣が、キースの耳を掠めて背後の壁を貫く。


「姫君もろとも串刺しにしてやるよ」


 合わせた剣を力任せに押し込んでくる尋常ではない力に、キースは歯を食いしばる。

 膝が折れそうだが、自分が倒れればフィオリーナを守るものは何もない。


「ここでおまえを倒せば、最早ラーゼルに恐れる者など一人もいなくなる」


 不意に剣を引いた男は、聞きなれぬ言葉を呟いた。

 その手にしている剣から青い炎が立ち上り、それは渦となってキースを襲う。

 剣の腹で受け止めようとしたが、そのまま壁に叩きつけられる。


「きゃっ」


 危うくフィオリーナを押し潰しそうになり、キースは何とか踏み止まる。


「足掻くだけ無駄だ。人では、勝てぬ」


 再び青い炎が巻き上がり、その剣から腕を伝い、そのままキースへと切りかかってくる。

 受け止めるのは無理かもしれないと思いながら剣を振り上げようとしたキースは、何かが足元を掠めたことに気付く。


「ランディっ!」


 ランディは、キースへ切りかかろうとした男の足に噛み付いていた。


「邪魔を……するなっ!」


 翻った白刃は、ランディへ向けて真っ直ぐに振り下ろされる。


「駄目ぇっ!」


 フィオリーナの悲鳴が聞こえ、キースは自分の右腕から白銀の光が溢れるのを見た。

 そして、それと同時に折れそうになっていた足が力を取り戻し、剣を握った腕に力がみなぎる。

 迸る光が剣に纏わりつき、その輝きを一層増す。


「な、にっ!」


 驚く男が慌てて身を引こうとしたが、キースは剣を一閃させた。

 この世のものとは思えない絶叫が響き渡り、血しぶきが降り注ぐ。

 対峙した男は、紙一重でかわしたものの、その胸は深く抉られていた。

 男は、それ以上己が戦えぬと知ると、未だ戦っている仲間も省みず身を翻した。

 追いかけようとしたキースは、突然恐ろしい程の静けさに包まれるのを感じて、足を止めた。

 自分の鼓動と荒い呼吸だけが聞こえる。

 右腕が熱く燃えるようだ。


『戦え』


 不意に聞こえた声は、どこか聞き覚えがある。


『戦え』


 剣を伝って滴り落ちる血の匂いが、キースの意識を冷やし、研ぎ澄ませる。

 倒すべき敵が、目の前にまだ大勢いた。

 劣勢であるエドワードとカーライル。多勢に無勢で戦うリーゼンラールを援護して、必死でサラたちを守ろうとしているミミ。

 そして、茫然として座り込んでいるフィオリーナとその傍らで唸るランディ。

 今優先すべきは、誰一人、傷つけさせないことだ。

 キースは、唸りを上げて敵を威嚇するランディを見下ろし、まるでその唸り声が自分のものであるかのように感じる。


「キースっ!」


 早く手を貸せと叫ぶカーライルに、キースは一気に駆け寄ると、そのまま三人ばかりをなぎ倒し、一転してカーライルが相手をしていた三人を叩き伏せた。


「ふっ……さすがだな。私の助けなど必要なさそうだ。サラが恐怖で今にも死にそうだ。さっさと片付けろ、キースランド」


 カーライルの軽口に、キースは軽く頷く。


「御意」


 次にキースは、エドワードとその部下たちを相手にしている一団目掛けて一気に駆け寄った。

 相手の動きを見切るまでもなく、ただ無造作に剣を一閃させ、一度も剣を合わせることなく五人を床へと沈める。

 残った敵が怯む間に、キースは一気に畳み掛けた。

 何をどうすべきか考える必要もなく、身体が勝手に動く。

 すべての敵を倒し、残ったのは血の匂いだけだ。

 転がる敵の数は、三十近いが息のある者は一人もいない。

 あっけなく訪れた静寂に、息を切らしたエドワードが茫然とした面持ちでキースを見やる。

 剣を握る右腕が、後から後から溢れ、留まるところを知らぬ力に疼く。

 次の敵を求めるように視線を巡らせたキースは、力強い手で右の手首を掴まれ、はっとして振り返った。


「剣を放せ」


 顔色一つ変えず、息一つ乱れぬ冷然とした表情のリーゼンラールが、そこに居た。


「手を離せ」


 その声は、何故かわずかばかりの焦りを滲ませていて、濃紫の瞳には勝利を喜ぶ色よりも、不安の色が濃い。


「キースっ! 手を放せと言っているっ!」


 耳元で怒鳴られて、ようやくキースは強張った右手を離した。

 奪うようにして剣を取り上げたリーゼンラールは、滴る血を振り払うと素早く鞘へと収める。

 それを見て、ようやく、リーゼンラールが自分の剣を放ったのだと気付き、その無謀とも言える行為にキースは目を剥いた。


「あ、兄上っ!」


 何だってそんな真似をしたのだと、その左腕を掴んだ瞬間、キースは不快な感触に驚く。

 見れば、掴んだ手が真っ赤に染まっていた。


「怪我っ!」


「話は後だ。フィオリーナ姫。ご無事ですか?」


 引きとめようとするキースを振り払い、腰を抜かしている様子のフィオリーナの無事を伺う。


「は、はい」


「カーライル様もご無事でしょうね?」


 まるで、そうでなければタダでは置かないという声音に、カーライルは肩を竦めた。

 ほっとしたように息を吐いたリーゼンラールは、その傍らにいた灰色の衣を纏った人物を見るなり、唸りを上げた。


「貴様……話が違うだろうがっ!」


 この場の惨状に似つかわしくない、飄々とした表情の男は、左右の頬に見事な青い紋様を持っていた。

 一瞬にして、十年前の光景を思い出したキースが声を上げるより先に、リーゼンラールの鉄拳が男を襲う。


「わわっ! お、落ち着けって! リゼ!」


 一撃目をかわし、続いて襲った回し蹴りをかわした男は、エドワードの背後に隠れるようにして、リーゼンラールを見上げる。


「この惨状を見て、落ち着いていられるかっ! この詐欺師がっ!」


「人聞きの悪いこと言うなよ。詐欺なんか働いていない」


「この野郎……切り刻まれたいならそう言えよ。今すぐ望みを叶えてやるぞ?」


 放っておけば、そのまま実行しそうなリーゼンラールに、キースはそっと腕を引く。 


「兄上、何が何だかさっぱり分からないけど、今はそれよりも先に、手当てを……」


 触れるだけでしびれそうな程の殺気が伝わって来るが、怯んでいる場合ではない。


「キースの言う通りだ、リゼ。話は後だ。いくら捨てた腕とはいえ、大事にした方がいい」


 セツリと呼ばれた男の言葉に、引っかかるものを感じたキースだが、今は癇癪を爆発させる寸前のリーゼンラールを宥めるのが先だ。


「とにかく、話は後にしよう? 兄上」


 落ち着いてから、ゆっくり話をした方がいいと懇願する。

 リーゼンラールは、忌々しいという表情でセツリを睨みつけていたものの、ため息と共に頷いた。


「みんな無事か? 怪我は?」


 カーライルの問いに、呆然としていたサラはガクガクと首を縦に振り、青ざめていたジェファスとマートンは、大きく息を吐く。

 フィオリーナを抱き締めたミミも、未だ恐怖が拭えぬ様子で何度も頷く。

 キースは掛ける言葉に詰まり、血に濡れた手を握り締めた。

 一番にフィオリーナの無事を確かめたかったのだが、その黒い瞳にもしも自分への恐怖が映っていたらという不安に、キースは目を合わせることが出来ないまま視線を彷徨わせる。

 だが、そんなキースにフィオリーナが掛けた言葉は、意外なものだった。


「キースは、大丈夫ですか?」


『……は、無事か?』


 はっとしてフィオリーナを見やったキースは、その姿が二重に見え、キース自身の意思と身体が二重に重なり合うような、奇妙な感覚を覚えた。

 右腕が、急に脈打ち、一層の熱を感じる。

 心臓が鼓動を早め、息が苦しいと思いながらも、どうにか声を絞り出す。


「フィオは?」


『……は、ご無事ですか?』


 意識する間もなく、膝を着き、フィオリーナの黒い瞳に目線を合わせる。

 フィオリーナは、その手を伸ばし、そっとキースの右腕に触れた。

 熱いと感じていた場所に直接触れたわけでもないのに、キースは冷たさを感じた。

 フィオリーナは、青い顔に無理矢理笑みを浮かべた。


「私は、大丈夫です」

『大丈夫』


 その言葉を聞いた瞬間、二つに重なっていたものが一つになり、目の前にはフィオリーナだけが見える。

 右腕の熱は消え、身体に満ちていた力が消える。

 しばし、茫然としたキースだったが、フィオリーナに抱きついていたミミが、ぼそっと呟いた。


「うそつき」


「何?」


 顔をしかめたキースに、ミミは叫ぶ。


「戦えないなんて嘘じゃないのよっ! いっぱい辛い思いをしたんだって、可哀相だなって、ちょっと同情しちゃったじゃないっ! あんなに、あっさり倒せるんなら、勿体ぶってないで最初っから助けに来なさいよっ!」


「全くもって、ミミの言う通りだ! もう少しで、フィオ様が攫われるところだったではないかっ!」


 マートンが、ミミに加勢した。


「そうよっ! 風邪だって、仮病じゃないのっ!? 大体、本当の英雄なら、こんな時に風邪なんか引かないでしょっ! フィオ様に構ってもらいたかっただけじゃないのっ!?」


「やはりそうかっ! 常々、不埒な行いをしていないと言いながら実際は……」


 わいわいと噛み付く様に、キースは苛立ち混じりのため息をついた。


「クソジジイに子ブタの分際で……」


「ミミ、マートン、もう止めて下さい。キースは、本当に具合が悪かったのです。熱だってとっても高くって、普通なら起き上がれないくらいだったのに……本当に、大丈夫ですか?」


 心底心配だと気遣うフィオリーナに、キースは頷く。


「やれやれ。みんな無事で、何よりだ。終わりよければ、すべてよし。だろう? リゼ」


 セツリの勝ち誇ったような言葉に、リーゼンラールは噛み付いた。


「何がすべて良しだっ! この惨状の、一体どこが、終わり良しなんだっ!」


 セツリは、再び怒り出したリーゼンラールに、首を竦める。


「フィオリーナ姫に何かあったらどうするつもりだったんだっ!」


「それは大丈夫だろう。キースは、死んでもフィオを守るだろうし、キースが駄目ならエディがいる」


 カーライルが、その辺の心配はいらないと、鷹揚に笑う。


「兄様っ!」


 縁起でもないことを言うなと、眉を吊り上げたフィオリーナに、カーライルは肩を竦める。


「でも、私よりもおまえの方が無謀だぞ、フィオ。白刃の下に身を晒すなんて……さすがに私も息が止まった。まぁ、そのお陰で面白いものも見られたが…」


 カーライルの視線を右腕に受け、キースは、あの白銀の狼は一体何だったのかと思いつつも、争いの中で不用意に何かを拾おうとしていたフィオリーナを思い出す。


「ところでフィオ。一体、何を握り締めているんだ?」


 カーライルの指摘に、フィオリーナは自分の右手を見下ろした。


「あ、こ、これは……大切なものだから失くしてはいけないと思って」


「フィオは、何を思ったのかおまえの制服を抱き締めたまま担がれていたようだぞ?」


 カーライルは、キースのためにと一式持って来たものをフィオリーナに預けてあったのだと言い、それにしても何だって攫われるというときに、そんなものを大事に抱き締めていたのか理解出来ないと苦笑する。


「私、気が動転してしまって……でも、これだけは、失くしてはいけないと思ったんです」


 失わずに済んでよかったと微笑んだフィオリーナの小さな手から現れたのは、銀の輝きだ。


 狼を象った騎士の徽章。


「きっと必要になるから、絶対に失くしてはいけないと思ったんです」


 キースにとってとても大切なものだろうと、同意を求めるように首を傾げるフィオリーナに、キースは思わずその手を握り締めた。

 小さな手に握り締めていてくれたのは、失くしかけたキースの騎士としての誇りだった。


「ありがとう、フィオ」


 キースの言葉に、フィオリーナは嬉しそうに頷いた。

 間近にある黒い瞳は、優しくて温かい光に満ちている。


「いいえ、お礼を言うのは私の方です。私たちを守ってくれて、ありがとうございます。本当は、とても恐くて、辛かったでしょうに、戦ってくれてありがとう。キースは、やっぱり、私が思っていたように、強くて、優しくて、温かい人です」


 そんな言葉を聞いてしまったら、折角我慢していたものが溢れてしまうだろうと、キースは唇を引き結ぶ。


「それに……本当に、噂どおりにウィラーナみたいでしたね! 自由自在に閃く剣が、まるで白い狼みたいに見えました。ランディにそっくりです!」


 キースは、こんな惨状を目の当たりにしながら、そんな感想を述べるフィオリーナは、大物かもしれないと思う。


「キースは、私にとって、いつでも、どんな時でも助けてくれる英雄です」


 少しの疑いもないというフィオリーナの満面の笑みに、キースも笑みを返そうとしたが、堪えていた涙が零れ落ちた。

 驚いたフィオリーナの表情に、キースは泣き顔を見られるのは御免だと、その身体を引き寄せた。


「キ、キキキース?」


 固まったフィオリーナのか細い声も、喚くエドワードも、腕を引っ張るリーゼンラールも無視して、ただ強くその身体を抱き締める。


「礼を言わなくちゃならないのは、俺の方だ」


 そんなことはないと言うように、身じろぎしたフィオリーナの耳に、キースはもう一度、囁いた。


「ありがとう」

 


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