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白き狼は、森の夢を見る  作者: 唯純 楽
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序章

 昼間でも日の差し込まない、薄暗い裏通り。

 何かが腐っているような饐えた匂いと、酔っ払いの喚き声、飢えた人々が伸ばす細く枯れた腕が空を彷徨う場所。

 遠く聳える白い王城に満ちる、煌びやかな音楽と色鮮やかなドレスの花、溢れんばかりの美味な料理とは程遠い、別世界。

 今日も、その手を罪で汚し、血に浸し、誰かを踏み台にして、己の命を繋ぐことが当たり前の人生を送る人々が生きる世界。

 この世の幸せというものから見放された場所に生き、誰からも見放されて死んで行くことが約束された場所に、キースは生まれ育った。

 ついさっき、市場の外れで仲間の少年たちと金持ち風の男を襲い、軽く締め上げた後に巻き上げた金の入った小さな皮袋を懐に、のんびりと、しかし油断なく昼下がりの寂れた通りを歩いていた。

 本日の成果はなかなかのもので、この先数日の糧を得てもまだ余裕がある額を手に入られた。

 母親の稼ぎの足しにするために、あばら家の床下に隠してある箱へ仕舞っておくのがいつもの習慣で、無駄に使うつもりはないが、日が暮れ始めると仕事へ出掛ける母に、何か美味しい土産でも買って帰ろうかと思いつき、市場のある方へと路地を曲がる。

 寂れた通りから、それなりに人の往来があり、所々に屋台が出ている猥雑な通りへ出たキースは、ふと道端に気になる店を見つけて足を止めた。


「気になるか?」


 薄汚れた路地と路地の隙間に、形ばかりの屋根と空き箱の机と椅子を並べた店らしきものに、灰色の外衣を身に着け、深くフードを下ろした男が一人、座っていた。


「私もおまえが気になるぞ?」


 商売道具らしきものは、机の上にある青い石が一つだけ。

 何の店だろうと首を捻りつつ、キースは好奇心に駆られて歩み寄る。


「何を売っているんだ?」


「おまえが望むものを売っている」


 謎掛けか。

 占い師か何かだろうと思ったキースは、腹の足しにもならないものに払う金はないと、背を向けようとした。

 だが、その背に男が低く呟いた。


「力が欲しいか?」


 自分が一番欲しているものを言い当てられ、キースは驚いた。

 振り返った先、フードの奥に白い歯が見える。


「年の割には腕っ節が強そうだが、所詮子供だ」


 十になったばかりではあるが、体格のいいキースはもう少し年上に見られる。

 呑気に母に甘えていられる環境ではなかったので、多くの貧しい子供たちがそうであるように、狡賢さにかけては、大人も顔負けだ。

 今では、同じような生い立ちの子供たちを取り纏めて、ちょっとした盗賊団のような集団を作り、効率よく金持ちを襲っては奪った金を山分けにしたりしていた。

 要するに、このまま行けば罪人まっしぐらの道を歩んでいる。


「でも、もう直ぐ子供の遊びでは済まなくなる」


 男の声には、厳しさが含まれている。


「今でも、遊びでやってるつもりはない」


 生きるためだ。

 奪ってでも、命を繋ぐための糧を得なくては、死んでしまうとキースは言い返す。


「そうだろうが……それでも、おまえは力が欲しい。違うか?」


 もっと大人で、もっと強ければ、腕っ節を拠り所に、傭兵になれる。

 安定して金を稼げるようになれば、貧しい暮らしを必死で支えている母の手助けが出来る。

 だから、キースは当たり前だと頷いた。


「欲しい」


「では、何の力が欲しいのだ?」


「何の?」


「おまえを傷つけるもの、すべてを破壊するためか?」


「違う」


 キースは考えるより先に答えていた。


「ならば、何のためだ?」


 誰かを叩きのめすために、もっと強くなりたいとは思わない。

 キースは少し考え、毎朝疲れ果てた顔で戻ってくる母を思い、呟いた。


「大切なものを守り抜くため」


 目の前の男は、ふっと息を吐いた。

 フードの奥に見える笑みが大きくなる。


「ならば、それを与えてやろう」


 男は青い石を握ると、キースに右腕を出せと言う。

 得体の知れないものに本能的な恐怖を感じて逃げようとしたが、男の手がキースの腕を掴む方が早かった。


「何だよ! 金なら払わないぞっ! 子供騙しのまじないだろ」


「まじないはまじないでも、これは本物だ」


 男は、無理矢理キースの右袖を捲り上げた。


「これは、我らがシンファースの神からの贈り物だ」


「シンファース?」


 聞いたこともない名に首を傾げるキースに、男は視線をキースの腕へ落としたまま説明した。


「南の方にあった古い一族だよ。この世のすべてと調和し、この世のすべてに感謝し、穏やかに暮らす術を知っていた一族だ」


 争いも、憎しみもない暮らし。

 奪い合うこともなく、ただ与えられる自然の恵みに感謝をして生きる一族の話に、キースは思わず呟いた。


「そんな風に生きられたら、幸せだろうな」


 無意識の呟きだったからこそ、本音だった。

 見たこともないその一族を羨ましいと言ったキースに、男はふっと微笑んだ。


「望めば、おまえもそのように生きられる」


 顔を上げた男の顔を間近に見たキースは、フードの奥、日に焼けた頬に青い刺青のような紋様が左右対称に刻まれていることに気付いた。

 文字のような、絵のような、不思議な形をした青い刺青はとても美しいもので、思わず見とれたキースは、ふと右腕が熱くなるのを感じ、驚いた。


「わっ!」


「これは、勝利を齎す印だ。おまえはこの先、戦いの中で決して負けぬ、英雄と呼ばれる男になる」


 キースの右腕には、青い小さな狼が描かれていた。


「ちょっと待てよっ!何だよ、これっ!」


 慌てるキースに、男は大丈夫だと微笑む。


「強い男になる印だぞ?南の方では、刺青を入れるのが習慣だ。今は小さな狼だが、おまえが育つにつれ、この紋様も大きくなり、狼も育つ。そして、より大きな力を発揮するようになる」

そういう問題じゃないと言い募るキースの前で、男は立ち上がると天を仰いだ。


「何のために力を欲したのか、それを忘れるなよ?私は、悲劇の英雄を生みたくはないからな」


 まぶしそうに太陽を眺めた男は、その手を空へ差し向けると大きく一振りした。

 その瞬間、白い羽が舞い上がった。


「わっ」


 驚くキースの目の前で、白い大きな鳥が空へと飛び立つ。

 舞い落ちる羽は、地面へ落ちる前に消え、そこにはただの路地が広がっていた。

 一体、何だったのだろう?

 キースは、自分の右腕を見下ろしたが、そこには何の印も残っていない。

 白昼夢。

 その日、十歳のキースが学んだのは、世の中には説明のつかないことが起きるということだった。


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