幕間
予想外の乱入者を送り出したあとの祈りの間は、ピリピリとした静けさに包まれていた。
「…先程の件、本気ですか、ばば様」
黒髪の男の、不満しかない声色にため息をつきながら、ばば様…イチは頷いた。この男の、不満の要素が分からないわけではない。けれども、イチはあの少女こそ、次の魔王にふさわしいと直感していた。
先代の魔王は、予想以上に早く死んでしまった。誰も治すことができぬ病の中、本当にあっさりと、柔らかな表情で旅立ってしまった。優秀な人材だった。あの少女のようにふらりと城に立ち寄って、窮地にあったこの国を、ある程度の所まで建て直したのだ。誰もが、彼を好いていた。ドライは特に良くなついていたから、尚更なのだろう。
けれどイチは、あの少女も同じだと感じていた。いや、知っていたと言っても良い。あの魔王も、少女も、きっと、同じところから“やって来た”のだ。
イチと、同じ様に。
「あの娘はな、よき心映をしておる。そう邪険にしてやるでないよ」
「ですが、」
「魔王と、タカヒロ様と同じではないか。ある日ふらりと、オークを伴って現れた。わしは少し驚いた、水晶に兆しはあったが、まさかここまでとは」
「…同じ?あれが?それは、我等が王への冒涜だ」
「…勘違いするなよ、ドライ」
言い募ろうとするドライの首もとを、イチの杖がそっと押さえる。もうだいぶん背も曲がり小さくなったイチを見下ろし、ぎゅう、と唇を噛み締める姿は、駄々をこねる子供のようだが、齢数百を超えるこの青年にそんな例えを用いるのもおかしいか。言い含めるようにして、イチはゆっくりと語りかけた。
「たった今をもって、王は、変わったのじゃ。その運命の裁定は、覆らぬ。良く心得よ」
イチには、あの少女の服装に見覚えがあった。泥にまみれ、あちこち記憶と異なるところがあったが、リボンのついたセーラーは、イチも、袖を通したことがある。だってイチも、同じところから、来たのだ。
「了解いたしました、……【先代様】」
魔王が切り替わったのなら、もう先代ではなく先々代なのだが。項垂れる黒い頭を撫でてやると、イチは困ったように表情を崩した。全く強情なことである。
かつてまだ日本が戦争の最中にあった頃。
大戦に紛れて姿を消した一人の女学生が、何代目かの魔王としてこの地に現れたのでした。
魔王とは何か、米英の類いか、分からぬまま祭り上げられた身でしたが、彼女は精一杯努力しました。
少なくとも彼女の周りの生き物たちは、彼女の目からして、“死ぬべき”とは見えませんでした。
彼女には、予言の才がありました。
水晶玉を覗けば、未来が見えることがあったのです。
この力があれば、たくさんを救える。
そう思いました。だけれど。
時代が、悪かったのでしょう。
聖と魔とは争い、そこに救いなどはなく。
彼女のそばで多くの魔物が死に、彼女は多くの敵を滅ぼし、それでもなお、何一つとして好転しはしませんでした。
あの、“魔王様”が現れるまでは。
優しい男でした。
ひょろりとしていて、仕事熱心な、へらりとわらうとのんきそうな顔が印象的だったように思います。
狡猾ではあったが、同時に、懐の広い男でもありました。
彼が来てからは多くが、好転しました。
休戦協定が結ばれ、貿易が始まり、時代は目まぐるしく移り変り。
まるで革命だった、と言えるでしょう。
世界は、驚くほど、平和になりました。
彼女はそれを、ずっと見ていました。
彼のようには、彼女は多くを救えませんでした。
もとの世界に戻る選択肢も、一時は彼女の手元にありました。
けれど、彼女もまた、王たらんとしたのです。
多くの血を流すことしかできなかった彼女は、王にはふさわしくなかったかもしれないが、けれど、王でありたいと思いました。
せめてこの地で、王達を見守ろうと。
彼の作った平和がまた崩れつつある中、あの娘は、苦しむでしょう。
完璧な王の治世のあとは、何をしようと、愚かしく見えるものです。
せめてそれを少しでも、減らし、守ってやらねばと。
かつて、女帝と呼ばれた魔王がいました。
でもそれはまた、別のお話。