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咎魔女  作者: えいど
人魚姫
6/18


 意識が浮上しかけた時、ふわりと食欲をそそる匂いがしてセレンは重たい瞼を開けた。

 気だるい体を起こし小窓へと視線を運ぶと、太陽が地上へ近づいている。橙に染まる世界が幻想的で、セレンは思わず「ほう、」息を吐いた。


 しばらく景色に見とれていると、部屋の扉がノックされた。何かの合図だということは分かったが、どうしたらいいのか固まっていると、「入るぞ」と言ってウォルフが扉をあける。


「起きているなら、返事くらいしろ」


 ベッドに座るセレンの姿にウォルフはかるく注意すると、食事をサイドテーブルに置いた。食事は同じものが二つずつあり、ウォルフもここで食べるのだろう。


「食べれるか?」

「うん、ありがとう」


 置かれた食事は、昨日のコンソメスープと黒くて四角いもの、何だかよくわからない赤いものと、あとは茶色くて丸いもので、そこには少しだけ緑の細かいものがまぶしてあり、器の横には昨日使ったスプーンと、小さなトライデントのようなもの、あとは小さな刃物があった。

 新しいものが出てきたとセレンがまじまじと観察していると、ウォルフは無言でナイフとフォークをもたせる。


「これはナイフとフォークだ。ナイフは大きいものを切ったりする。フォークは刺して口まで運んだり、ナイフで切るときに食べ物を押さえるのに使う」

「ナイフとフォーク…」

「ナイフは右手、フォークは左手に…そう、柄を握り、人差し指を伸ばして添える…そうだ。まずこのジャガイモをフォークで刺して押さえ、ナイフで切るんだ…」


 うまく切れないセレンの右手を強めに握り、ウォルフはナイフをゆっくりと動かす。


「焦らなくていい。食器をカチャカチャさせるな、ナイフはできるだけ皿に当てないように注意しろ…切れたら、そのままフォークを口に運んで食べろ」


 二回ほど手添えをするとウォルフは手を離し、一人でやってみろとばかりにセレンの横顔を見つめた。

 セレンは不安そうに何度も横目で確認し、その度に「そうだ、それでいい」とでも言うようにウォルフは頷いてみせた。


「ジャガイモばかり食べるな、スープも飲め。これは一度使ったから分かるだろう……こっちは、ライ麦パンだ。このイチゴジャムをつけて、ちぎって食べるか、そのままかぶり付け」


 食事の順番まで口を出してくるウォルフに、お母さんみたいだと心の中に悪態をつくが、ちっとも減っていない隣の料理に申し訳なく思った。面倒くさいだろうに、料理が冷めるのも構わず教えてくれている。

 やはり、ウォルフはいい人間だと思いながらセレンはライ麦パンをちぎって口に入れた。


「甘くておいしい!!」


 口の中に広がった甘酸っぱい味に、セレンは顔をほころばせながらウォルフのほうに勢いよく振り向き、二口三口と咀嚼していく。


「上手いのは分かったから、がっつくな。行儀が悪い。ほら、前を向いて食べろ」


 ウォルフにそう注意されても気にならないぐらい、セレンは上機嫌だった。

 海には、こんなにも甘いものはなかった。基本的に塩っぽい味しかないし、甘いといっても塩味の中の旨味、と言ったふうだったのでセレンにはこのライ麦パンは画期的だった。

 全部食べてしまうのは勿体ないと、セレンは一度パンを置いてスープを一口掬う。


「このライ麦パンは甘くて……あたし、こんなの、初めて食べた」

「甘いのは、パンじゃなくてそっちの甘いジャムのほうだ」


 感慨深げにセレンが言うと、夕日の染まって赤くも見える色素の薄い髪をウォルフは軽くたたいてそう答えた。まるっきり子ども扱いされていることにセレンは頬を膨らませ、唇を尖らせる。


「子供扱いしないでよ。もう、食べ方は分かったから大丈夫。ウォルフも食べれば?冷めたちゃうよ」

「ああ、そうするとしよう」


 ふてくされてそっぽを向くセレンに、本当に子供だなとウォルフは僅かに表情を緩める。

 セレンが食事を再開させたのを見て、隣に置いてあった椅子を反対側に移動させたウォルフもスプーンを握った。


 しばらく無言で食事を進めていると、必然的に先に食べ終わったセレンが暇になり、やることもないので目の前にいるウォルフを観察し始めた。


種族は人間、性別は男。身長は自分より頭一つ大きくて、体は程よく引き締まっている感じだ。髪は金髪で襟足で切り揃えられている。少し長めの前髪からのぞく琥珀の瞳は鋭く釣り上り、夕日に照らされて爛々と光っているが感情はあまり語ってはいない。


(顔は…まあ、整っている。うん。こう言っては悔しいが、文句なしにカッコいい。眉間にしわが寄っているのはスタンダードらしく、表情と言った表情がないし、誰も寄せ付けないような雰囲気が玉に傷だ。今だって、おいしいライ麦パンを食べているのに難しい顔をしている。少しは表情筋を柔らかくすればいいのに…そうすれば、いつも怒ってるように見えないから、変に反発しなくてすむのにな……)


「テーブルに肘をつくな、行儀が悪い」

「…はい」


 いつの間にかまじまじと見ていたのか、肘をついて前のめりになっていたセレンに、ウォルフの注意が飛ぶ。


(性格はよくわからないけど、マナーにうるさくて説教しいだ。あたしのお母さんより細かくて厳しい。人間の世界には慣れていないから、もっと優しくしてくれてもいいと思う。まあ、教えてないから無理な話だろうけど……でも、見知らずのあたしを助けてくれて、こうやって面倒まで見てくれているんだから、人間にしては優しいのだろう……)


「……人の顔をじろじろ見るな。失礼だぞ」

「ご、ごめん」


 いつの間にか食べ終わったウォルフに声をかけられ、セレンは慌てて目線を反らした。

 ウォルフが食器を片づけ始めたので、セレンは空になった食器を重ねてトレーに乗せていく。全て乗せ終え、ウォルフがトレーを持ち上げて運ぼうとするので、セレンは手伝おうと立ち上がったが、カクンと膝から力が抜けて床に尻もちをついた。


「っ~!」

「どうやら、お前は床が好きなようだな」

「べつに、好きでやってるんじゃない!!」

「なら、大人しくしていろ。急に動くからそうなるんだ」


 溜息をつきながらウォルフはセレンを引き上げ、一度立たせる。前回と同じようにベッドに座らせると思っていたセレンは、意外な提案に目を見開いた。


「動かないのも体に悪い。このまま部屋を移動して、そこで話をするか?」

「う、うん。そうする…でも、片づけなくていいの?」

「そんなもの、あとで取りにくればいい」

「じゃあ、お願い」

「ああ」


 歩き方もいまいち分からないし、丁度いいかもしれないとセレンは提案を受け入れ、ウォルフの腕をしっかりと握って恐る恐る足を動かし始めた。

 体重の掛け方が掴めず左右にふらつくし、膝も気を張っていないと崩れそうになるが、ウォルフの右足が後ろに下がるのに合わせてなんとか左足を前に出す。


「大丈夫か?疲れたなら休憩する」

「ううん、まだ大丈夫」


 義務的な口調だったが、ウォルフの腕はしっかりとセレンを支えていた。

 部屋を出て短い廊下を歩き切ると、少し広めの部屋に入る。そこには大きなテーブルと4つイスがあり、人間の生活用品が置いてあった。セレンがなんとなく用途が分かるのは、入口から一番遠い角の作業台くらいだ。食材が置いてあるから、あれは多分キッチンに違いないと予想をつけた。


「ここに座って待っていろ」

「うん、ありがとう」


 イスを引いたウォルフは少し息が切れているセレンをそこに座らせ、一度部屋を出ていく。きっと、食器を取りに行ったのだろう。

 すぐに戻ってきたウォルフはキッチンに食器を置くと、小さい器に水を入れてセレンと自分の前に置き、向かい合うように席に着いた。

 これは何だろう、と小さいを器を観察していると、ウォルフは簡潔に「それはコップだ」と教えてくれた。

 一度、水を飲んで見せてくれたので、セレンは頷いて見よう見まねでそれに倣った。


「さて、今日の朝、言った通り話をする」

「話し…」


 水を飲んで一息つくと、ウォルフはそう切り出した。


「まず、お前は状況がよく分かっていないようだから順を追って説明するが、最初に言っておく。ここは、海の孤島だ。だから、大陸に行くには8日後にくる迎えの船が来るまで帰れない」


「8日……ここには、誰も住んでいないの?」


「住んでいない。この島は俺の私有地だ。それに、俺もいつも居るわけではなく、月に一度、10日間ほどしかいない」


「…ってことは、あたしはウォルフが居るときに遭難したからラッキーだったね。誰もいないこの島で倒れていたら、死んでしまうところだったかも……」


 考えなしに地上を上がって、なにも出来ずに死んだなんてぞっとする、とセレンは顔色悪く身を震わせた。


「まあ、そういう捉え方もあるが、逆に俺が居ないほうがよかったかもな……」

「なんで?」

「……俺は男だ。未婚の女が男と二人っきりなのは、あまりいいことではない」

「そんなことない!あたし、ウォルフが見つけてくれなかったら死んでたかもしれないし、なんにも知らないの、馬鹿にしないで教えてくれる……」


(そう、彼は優しく親切な人間だ)


「あたし、助けてくれたのがウォルフでよかったと思う。本当に、ありがとう。あと、最初は嫌な態度をとってごめんなさい…」


 セレン肩を縮こまらせると、ウォルフは首を横に振る。


「気にするな、見知らぬ男がいたら警戒するのは当たり前だ」

「うん、ありがとう」

「ああ」


 ぶっきら棒な態度の中の優しさに、少しだけ、セレンはウォルフのことが分かったような気がした。

 

「…さて、順を追って説明するが、昨日の昼過ぎにお前を浜辺でみつけた。外傷はあまりなかったようだが、背中に大きなあざが出来ている。とりあえず生きていたので、ここまで連れてきて塗り薬は塗っておいた。そして、今日の昼前にお前が起きたので食事をとらせて寝かせた。そして、夕方にお前が起きて現状に至る……ここまでの経緯は分かったか?」


「うん、分かったけど、ウォルフしかいないということは、着替えも全部…?」

「他に誰が居る。それに、全裸だったお前をそのままにするわけにはいかないだろう」

「ぜ、ぜんら!?」

「裸のことだ」

「そんなの知ってる!」


 人魚の姿で胸をさらしているので大して気にしていなかったが、自分でも見たことがない足やあらぬ所を見られたことが恥ずかしく、顔を赤面させてセレンは顔を手で隠した。


「不可抗力だ。それに、その貧相なもので俺は変な気など起こさない」

「うるさい!!そんなこと聞いてないし、そこじゃない!」

「気にするな、ないほうが好きだという奇特な男もいる」

「失礼だ!少しはある!!」

「そうだな、申し訳程度には…」


(前言撤回!この男、優しくもなんともない!ただのデリカシーがない男だ!!)


 怒りに拳を震わせたセレンはテーブルを叩いてコップを投げつけたかったが、一応助けてもらったのだから文句は言うまいと、コップを握りしめて水を煽り、ダンッと乱暴に置く。


「その話はもう終わり!」


 そしてセレンは強制的に話を終わらせ、ウォルフはその様子に眉一つ動かさず頷いた。


「分かった……なら、次は俺が聞きたいことを聞く。お前は何故あんなところで遭難していた?この島は大陸からかなりの距離があるし、存在も知らない漁港の人間も多い。それに、お前はものを知らなすぎる。一体、何者なんだ?」


 眉間を深くして真面目に話しを切り出したウォルフに、セレンは居住まいを正した。

 人間に人魚の話をしてはいけない。だけど、人間の世界のことは分からないから下手に嘘をついても、余計に怪しいだけ。いろいろ考えて、セレンは一番言い逃れできることを言うことにした。


「記憶が、あんまりないんだ……」

「何一つ覚えていないのか?」

「ううん。海に出た理由だけは覚えてる……あたし、人魚姫を探しに来たんだ」

「人魚、姫…?」

「うん、バカみたいでしょ?」


 おとぎ話を信じて、遭難するなんて。そう言ってセレンが笑うと、ウォルフは難しい顔をさらに難しくさせて、一度うなずいた。


「……そういうことにしておこう。とりあえず、8日後までここを出ることはできない。拾ったからにはお前の面倒は見る。ただ…」

「ただ?」

「一つだけ守るべきことがある。それが出来ないなら、今すぐ出ていけ」

「うん。それで、なにを守ればいいの?」


「絶対に、夜は外に出るな」


「それだけ?」

「ああ、それだけだ。外には危険な夜行性の獣がいる。だから、夜は外に出るな」

「分かった。ちゃんと守る」


 いやに真剣なウォルフの言葉を固唾をのんで待っていたセレンは、簡単な約束に肩透かしを食らったような気分で頷いた。


「ならいい、そろそろ陽が落ちる。部屋に戻って寝たほうがいい」


 席を立ってセレンの腕をとろうとするウォルフに、セレンは「あ、」と声を上げた。


「まだ何か聞きたいことがあるのか?」

「えっと、ウォルフが知ってる、人魚の話が聞きたいんだ」

「人魚の話など、どこでもいっしょだ」

「でも、知らない話があるかもしれない!」


 お願い、と見上げるセレンにウォルフは溜息をつく。


「分かった、人魚の話をしてやる。だが、それは明日の話だ。疲れただろう?」

「あたし、まだ疲れてない。聞きたいんだ」


 自分の知らない『人魚姫』の話の続きがあるかもしれない。そう、はやる気持ちのまま訴えたが、ウォルフは頑なに首を横に振り続けた。


「気付いていなくても、急に動いて疲れたはずだ。無理をするな」

「…分かった」


 萎れたように項垂れるセレンの腕をとって立ち上がらせ、ウォルフは窓から見える景色を見て口を再び開いた。


「それに、もう日が暮れる」


 ウォルフの視線を辿って外を見ると、夕日が森の中に消えていくところだった。そして顔を正面に戻すと、太陽を見つめる琥珀の瞳が反射して金色に見えた。


「ウォルフ?」


 外を見たまま動かないウォルフの名前を呼ぶと、ハッとしたようにセレンに向き直り、「行こう、」と言って歩き出した。


 行きより帰りのほうがスムーズに歩け、大した時間もかからずに元の部屋にたどり着くことができたセレンは、ベッドに腰をおろしてウォルフを見上げた。


「ありがとう。おやすみなさい、ウォルフ」

「ああ、」


 挨拶を返すことなく、頷くだけの返事をしたウォルフはセレンが布団をかけるのを見守った後、そっと部屋を出て扉を閉めた。


「確かに、今日は疲れたかも……」


 温かい布団の中に入った途端、眠気が襲ってきたセレンは、気だるさに身を任せてそのまま眠りについた。





夢の中、外から切ない獣の遠吠えが聞こえたような気がした。




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