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とある王国の某お城、マーリンは誕生したお姫様を祝うための祝宴に招かれていた。
引きこもりのマーリンが国王と知り合いの筈はないが、なぜか招待状が森にある家に届き、面白そうだとはしゃぐミリアに急かされて参加することになった。
そして、開宴までの時間潰しに城の周りを散策している途中、マーリンはここに来たことを後悔する。
「なんでぇ、このワタシが招かれないのよぉ!」
裏にある庭園の休憩スペースでワインボトルを振り回し、呂律の回っていない管を巻く女に見覚えがあり過ぎたのだ。
ざけんなよぉ。と白いテーブルにボトルを叩きつけ、赤い雫をまき散らすその姿は如何にも面倒そうで、マーリンは見ていないことにしてその場を去ろうとした、が、
「なに逃げようとしてんのよぉ、まぁーりん」
「……」
きつい印象を受ける細い眉が吊りあがり、くっきりとした二重の下にあるガーネットの瞳は据わっている。
関わりあいたくない、と思ったが、別行動をしていた筈のミリアがすっ飛んで来ると、マーリンは逃げられないと悟って溜息をついた。
「ゲルダお姉さま!!」
「あらぁ、ワタシのキティじゃなーい。どっかの魔女と違ってぇ、あいかわらす、かわいーわねぇ」
いつもと打って変わってしおらしい態度のミリアは、勢いのまま強調された豊かな胸に飛び込み、赤髪の妖艶な美女は慕ってくる美少女に満更でもなさそうだ。
じゃれ付く2人の姿にげんなりしながらマーリンは、渋々口を開く。
「…久しぶりだね。魔女、ゲルダ」
「おねぇさま、とお呼びとぉ、いつも言ってるでしょぉ」
「…久しぶり、ゲルダ姉。それで、酔ってもないのにその喋り方はどうかと思うよ」
冷やかに淡々と言ったマーリンに、ゲルダは赤いルージュで彩られた唇を突き出した。
その様子を見て「拗ねてるゲルダお姉さまも素敵」と言うミリアに、マーリンは胸やけを覚える。
誰だお前は、と飛び出そうになる言葉を飲み込んで、溜息を吐いた。
「おい、マーリン。お姉さまになんて口ききやがる。いてこますぞ、てめえ」
うっとりとした瞳から一変させ、ギラつく金色にマーリンは帰りたい、と思った。
ミリアの姿はゲルダを幼くしたような雰囲気で、違いと言えば艶やかな黒髪と金の瞳、少しだけ太めの幼い眉ぐらい。
いつもはゲルダと同い年くらいの美女に化けているが、可愛がってもらえるので本来の姿に戻っているようだ。
姉妹のような容姿の二人は、姉妹のような関係だった。
生まれたばかりのミリアを放っておいたマーリンの代わりに、ゲルダが彼女を育てたので親子とも言える。
更に、爪弾き者だった幼いマーリンを何かと世話してくれたのもこのゲルダだ。
なので、マーリンは彼女に頭が上がらない。
たとえ、彼女に面倒くさい習性があっても。
「もう、気分だけでも味わいたかったのに。相変わらずクールねえ、マーリンは。それとキティ、可愛い女の子が、そんな口聞いちゃだめよ」
「はい、ごめんなさい。ゲルダ姉さま」
仕方なさそうに、本来のねっとりと魅惑的な口調に戻したゲルダは、ミリアをキティと呼ぶ。
マーリンがいつになっても名前をつけないので、子猫のようなキャットアイを指してゲルダはミリアをいつもそう呼んでいた。
地べたに座り込み、ゲルダに髪を梳いてもらいながら、スリットから覗く太ももにしな垂れかかるミリアの姿はまるで猫のようで、的を得ている。
しかし、もう使い魔には名前があった。
「ゲルダ姉、その子に名前を付けたんだ」
「あら、どういう心境の変化かしらん?でも、いいことだわ。後でお祝いしなくちゃね。それで、キティ、貴女のお名前を教えてくれるかしら?」
「…ミリア。あたしの名前は、ミリアよ。お姉さま」
両手で優しく頬を包まれたミリアは、恥ずかしそうにモジ付きながらそう報告した。
「あらあら、嬉しそうな顔をしちゃって。マーリンたら、罪づくりよねえ」
嬉しそうなのは、あんたとイチャコラしているからじゃないか?とマーリンは思ったが、その後の展開が面倒くさそうなので、口を閉ざす。
「…で、僕に招待状を送ったのは、ゲルダ姉だよね?」
このままだと埒が明かないと思ったマーリンは、本題に入ることにした。
マーリンの住処は森の中にあり、普通の人は存在を知らないし、認識することも出来ない筈。
しかも、招待状を届けに来た鴉には見覚えがあった。ゲルダの使い魔、カイザーだ。
詰まる所、この状況を仕組んだのは、目の前の魔女。
「そうよ。だって、酷いんだもの」
「酷い?何が?」
「ここの王様よ。奥さんと別れるって言っていたのに、子供が出来た途端、このワタシを捨てたのよ?しかも、祝宴にも招かないし…」
クスン、とテーブルに伏せたゲルダに、マーリンは遠い目をした。
この魔女は魅惑的な外見とは裏腹に子供っぽい所があり、恋愛体質だ。
マーリンの生まれた魔女の村の中でも特に力が強く、村のまとめ役として他の魔女たちの信頼も厚いが、男に優しくされるとすぐにハマってしまい、相手に尽くして、尽くして、尽くしまくる。
男からすると、粘着質ですべてを把握したがり、束縛が強くて、気に食わないことがあるととことん話し合うような女は、面倒極まりないと思うのが常だ。
例え、傾国に美女であっても、いかに胸が大きかろうとも、自分を愛していても、だ。
追いつめられると逃げたくなるのが男と言う生き物なのに、ゲルダは一向にそれが理解できていないようで、毎回同じことをして捨てられてしまう。
そして、毎回その男にゲルダは復讐をするのだ。
半端者ではあるものの、多少男の気持ちがわかる身としては、相手の男性を憐れむ気持ちも生まれるが、大事な身内を傷つけられたのだから自業自得とも思う。
「それで?僕は何を協力すればいいの?」
「魔女の村―この国の人は仙女の村と言っているけど。まあ、とにかく、姫の誕生を祝う宴が開かれるので、参加して祝福をしてくれませんか?っていう招待状が来たの。だから、協力してもらうと思って」
何を、とはマーリンは尋ねなかった。
蠱惑的な笑みを浮かべる魔女が考えることなど、一つしかない…………
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「フレデリカ姫、ご誕生おめでとうございます」
祝宴に招かれた客人たちが立ち上がって一斉に祝辞を述べ、ワインの入ったグラスを王と王妃、新たな命に掲げる。
上段には王と王妃、王女が並び、40人は座れる長テーブルを中心に、6人掛けテーブルが囲んでおり、立っているものを含めれば100人ほどがひしめき合っていた。
王が祝辞の挨拶を述べると、招かれた仙女たちが軽やかに赤いカーペットの上を通り、王女に祝福を与えていく。
一番目の仙女は、世界中で一番美しい女性になる祝福を、
二番目の仙女は、天使の心を持てる祝福を、
三番目の仙女は、驚くほど優雅にふるまえる祝福を、
四番目の仙女は、誰よりもうまく踊れる祝福を、
五番目の仙女は、どんな鳥よりも美しい声で歌える祝福を、
六番目の仙女は、どのような楽器も見事に演奏出来る祝福を、
そして、七番目の仙女が現れた瞬間、兵士が二人が掛かりで開ける程の立派な扉が、けたたましい音を立てて開いた。
「ワタシは、仲間はずれかい?」
全身を赤いローブで身を隠した乱入者は、酷くしわがれた声でそう言い、その声は大きくもないのにシンとした部屋に響き渡る。
「垣根の魔女だわ」
震える声でひとりの仙女が呟いた。
真っ青になる仙女たちに、王は「本当にあの老婆が垣根の魔女なのか!?」と玉座から転がり落ちながら叫ぶと、幸せそうだった顔を紙のように白くさせる。
『垣根の魔女』とは、生と死さえの垣根すら越えるという力を持った仙女として伝わっており、神聖で尊ばれる存在である仙女が邪悪な魔女と呼ばれるのは、彼女のその荒い気性が関係していた。
気に食わない者には酷く残酷な仕打ちをするという仙女の機嫌を、知らぬ間に損なってしまったとなると、一体どんな残虐な仕打ちを受けるのだろうと、王は玉座の下で頭を抱えながら震える。
実の所、『垣根の魔女』は悪事を働く際のゲルダの仮の姿であり、他の仙女も王と関係を持った愛人たちだ。
恨みを晴らさないかと持ちかけられノリノリだった彼女たちは、まさかゲルダが本当は『垣根の魔女』で、呪いをかけようと画策していたなどと夢にも思わなかっただろう。
七番目の仙女、マーリンはひっそりとため息をつき、この茶番が早く終わらないかと思っていた。
老婆の姿をした魔女は音もなく王女の入った揺り籠へ近づくと、その枯れ枝のような節くれ立った指で、王女フレデリカを指さす。
「おまえは、15の年に、紡錘に指を刺され、命を落とす事になるだろう」
魔女は薄くひび割れた唇で、恐ろしい呪いを口にした。
マーリンはそれを聞いて固まり、赤いフードの陰からでも分かるほど爛々と輝くガーネットの瞳を見つめる。
生気のない姿なのにそこだけが生命力に満ちていて、彼女自身の意思でその呪いをかけたのだとマーリンは理解した。
王に呪をかけるとばかり思っていたのに罪のない王女に掛けるなど、どうかしていると思ったが、マーリンは取り消しの出来ない呪いに頭を悩ます。
その場に居た皆は驚愕し、王は悲鳴を上げ倒れてしまいまった。
そんな気弱な王を王妃は助け起こし、呪をかけた張本人に厳しいまなざしを向ける。
そして、その表情を見て魔女は意地悪そうに笑い、突風を巻き起こして消えてしまった。
とんでもない爆弾を落としていった魔女に、七番目の仙女は重い足取りで王と王妃の前に進み出る。
「おうさま、おうひさま。まだ、祝福はのこっています」
明らかな棒読みでそう告げた黒い仙女に、その場に居た者たちは眉を寄せて怪しんだ。
「わたしには、呪をとくことはできませんが、死をまぬがれることはできます」
「それは、本当ですか?」
「はい、おうじょさまは紡錘に指をさされますが、命をおとすことなく、百年のねむりにつくのです」
「それでも構いません。娘を、フレデリカを助けて下さい」
王妃の美しいペリドットの瞳に、やる気のない口調だったマーリンは態度を改めて力強く頷く。
この場で誰よりも王女を想っているのは母である彼女で、願いを叶えるのならこういった女性の方が、乗り越えられる可能性が高い。ならば、とマーリンは口を開いた。
「本当に助けたいんだね?」
「はい、仙女様」
「対価を支払うとしても?」
「はい、この子を助ける可能性があるのなら、何でも差し出します」
「そう、なら、願いを叶えるための対価を。貴女は僕に何を差し出す?」
マーリンがそう言って黒衣から生白い手を差し出すと、王妃は目を瞑って深呼吸をし、しばし考えると前向きな目でアメジストを見据えた。
「もし、フレデリカが百年の眠りについたら、私たち夫婦はこの城を去り、余生を民として生きましょう」
それは富も、地位も、領地も、娘さえも捨てなければならないという対価。
貴族として生きてきた王と王妃には辛い余生となるに違いない。
死さえ願うかもしれない生活をかけるという王妃に、マーリンは思わず口角を上げる。
「なら、その願いを叶えましょう。フレデリカ姫に祝福を」
賢い王妃に敬意をこめて貴族のお辞儀をし、黒い仙女は一瞬にして空気に溶け込んだ。
この日を境に、王国には紡錘が姿を消した。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
王宮の裏庭でゲルダと待っていたミリアは、現れたマーリンを見て眉を顰める。
「マーリン、てめえ、なにニヤニヤしたんだよ。気持ちわり―な」
相変わらず口の悪い使い魔のことなど目に入っていないようで、マーリンは珍しく上機嫌だった。
何を言われても、いつものダルそうな表情に戻らないマーリンを気味悪く思い、ミリアは少し心配になる。
なにせ、こんなこと今までに一度もなかったので、変なものでも拾い食いをしたのかとさえ思った。
「おい、マーリン。一体どうしたんだ?」
「何でもないよ」
「何でもないって顔じゃねーだろ」
そう突っかかるミリアをどこ吹く風でいなし、ゲルダの反対側のイスに腰掛けて頬杖をつく。
視線の向かう先は、祝宴が開かれた大広間。
それは、初めて自ら呪の抜け道を提案した、賢い女性がいる方だった。