12
お昼が遅かったので、セレンとウォルフは簡単に白パンと干しイチジクを食べ、夕暮れの中、二人で外に居た。
「……やはり危ない。お前は家の中に居ろ」
「大丈夫!あたしが歌ったら、快眠だし、傷も出来なくて済む。一石二鳥だよ」
「俺のことはいい。いつものことだから気にするな。何かあっては遅いんだぞ」
「よくない!」
押し問答続ける二人は、家の中でも一悶着あった。
夜が更ける前にウォルフを眠らせて安全かつ快眠を、というのがセレンのプランだったが、寝ている時間に規則性がないのと、もしもの時に逃げ道がないというのを理由に却下された。
妥当案で出されたのが、外で安全なマージンを取って、ウォルフが変身した所を眠らせ、セレンが家に帰ると言うプランだった。
それでも心配なウォルフは、新しい靴を履いて負担がかからないようにイスに座っているセレンに、やはりやめようと、計画を拒み続けている。
「2回も成功したんだから、平気だって!」
「もしもが起きたら、どうするんだ」
「ウォルフは心配しすぎだよ!そんなこと言ってたら、なんにも出来ない」
果てなく続きそうな討論に、ウォルフは実力行使に出ようとするが、セレンが今すぐ歌を歌って眠らせると脅すので、拮抗状態が続いた。
「オオカミに変身する時、必ず遠吠えを上げるんでしょ?それを聞いたら私が歌って、完了。ほら、簡単」
「そういう問題ではない…」
今までの人生、誰かを傷つけるかもしれないという恐怖と闘っていたウォルフにとって、セレンの提案は簡単に頷けるものではない。
しかし、セレンはそんなのお構いなしに踏み入って来る。
「大丈夫、ウォルフ。あたしが嘘が下手なのは知ってるでょ?」
「ああ、」
「歌には絶対の自信がある。誰だって、初めは怖いかもしれないけど、やってみないと分からないこと、たくさんあるよ」
「そうだな」
「信じてよ、あたしのこと」
それとも信じられない?と自信満々な笑みで問われて、ウォルフは否定することが出来なくなった。
「…信じよう。だが、」
「分かってる。危なかったら、逃げるから心配しないで」
最後のひと押しとでもいうかのように、セレンはウォルフの手を握りしめ、「大丈夫だよ」と言い聞かせる。
そんなやり取りをしているうちに、夜の帳は下りはじめてきた。
「ほら、いってらっしゃい」
「いって来る」
不安そうなウォルフに、そんな表情は柄じゃないでしょ、と笑ってセレンは丸まった背を押す。
何度か振り返ってこちらを見るウォルフに明るく手を振り続け、その姿が見えなくなってからセレンはギュッと震える指を握りしめた。
「大丈夫、失敗なんてしない」
(いつも助けてくれるウォルフのために、出来る限り力を尽くしたい。呪は解けないけど、楽にすることぐらいなら、あたしにも出来る)
力強く頷いて、セレンは薄く浮かび上がる月を睨みつけた。
一方、ウォルフは出来る限りセレンから離れようと、小走りに急いでいた。
みな、呪の事情を知れば距離をとったり、ぎこちなく腫れものを扱うようにウォルフに接した。
だが、セレンだけは、全てを知っても恐れず踏み込んできたうえに、力になると励ましてくれている。その心遣いを嬉しく思う反面、そのたった一人を傷つけてしまったら、と考えると怖くてたまらなかった。
こんなことを伝えたら、柄じゃないとまた言われるだろうか?そう思い、努めて明るくふるまう笑顔を思い出す。
《大丈夫》
そう言って、微かに震えながらも、力強く自分の手を握った小さな手を思い出して、ウォルフは小さく笑った。
「……本当に、嘘が下手くそだ」
倒れこんでも怪我が少なくてすみそうな場所を見つけ、服が破れないように脱いで丁寧に畳んだウォルフは、月を見上げてその身を任せる。
《信じてよ、あたしのこと》
「信じている、」
誰よりも、とウォルフは呟き、会って数日しかたっていないのに馬鹿みたいだと自嘲した。
不思議と、いつも感じる変身への恐怖はなかった―
満月に近い月がくっきり浮かび上がり、遠吠えが聞こえてくる時を耳を澄まして今か今か、と固唾をのんで待っていたが、小屋の前に居るセレンには一向に聞こえてこない。
不審に思いながらしばらく森を見つめていても、変化はない。
この短い時間で遠吠えが聞こえないほど移動することは難しいだろうし、不測の事態にセレンは唇をかむ。
これは、一度小屋で待機した方がいいとセレンはびっこを引きながら自分の部屋に行き、窓から外を窺った。
しばらくすると森の中から人影が現れ、驚きに目を広げたままセレンは勢いよく小窓を開け、身を乗り出す。
「ウォルフ!」
首をかしげながら戻ってきたウォルフは、大手を振って迎えるセレンに軽く手を挙げて応えた。
考えながら歩いているのか、ゆっくりとした足取りでセレンに近づき、ウォルフは何とも言い難い顔で立ちつくす。
「……何故か、変身しなかった」
「それは、見ればわかる」
何の捻りもない報告に、セレンは思わず冷静に突っ込んだ。
「満月の前後二日はいつも変身していたんだ。昨日が満月で、一昨日も、その前の日も変身していた」
おかしいと呟くウォルフに、セレンはあれっ?と思う。
「……今回、初めに変身した日って、ウォルフの怪我をあたしが見た日だよね?その前の日も外に出てたけど、あの日は変身してないの?」
「ああ、見ていたのか。万が一変身した場合を考えて、念のために外で寝ていた」
「……ごめん。あたしが居たから、余計に気を使わせちゃったね」
「気にするな、俺が勝手にしたことだ」
心配症だな、と思うと同時に、悪いことをしたと肩を落とすセレンの髪を、ウォルフはかき交ぜるように撫でた。
「俺もこのまま寝るから、お前はゆっくり寝るといい」
「待って、寝るってどこで?」
「外に決まっている」
当たり前のようにいうウォルフに、セレンは眉を吊り上げる。
「それを改善したいから、今日の試みをしたんでしょ!外で寝たら意味ないじゃない!!」
「しかし…」
「しかしも、かかしも、おかしもないよ!だったら、あたしが外に寝るから!!」
憤慨するセレンに困り果てたウォルフは、それならと、布団の上から体を縛るよう提案し、セレンも渋々と承諾した。
「もし、それで変身しなかったら、明日は普通に寝てよね!」
そんなこと、あたしはしたくないんだからとセレンは悪態をつく。
そのあと、どちらがベッドで寝るか、ソファーで寝るか一悶着があったのは別の話だ。
人間の世界に来て6日目。
セレンの朝は、ウォルフを拘束していた縄を解く所から始まった。
「ほら、ウォルフは心配しすぎなんだよ!今日はベッドで寝て貰うからね!!」
「ああ、分かった」
少し不満そうにウォルフが頷くと、セレンはキッと睨みつける。
「絶対だよ!」
「ああ、」
念を押すセレンに観念したように、ウォルフは固まった体を動かしながら頷いた。
そして、お互いに朝の支度をすると、朝食の準備に取り掛かる。
足の傷がまだ痛むセレンはイスに座りながら、ライ麦パンに玉ねぎ、豚肉の煮凝り、トマトの薄切りとパセリの順で盛りつけ、一番簡単なオープンサンドイッチ作っていた。
その横で、ウォルフはコンソメスープを煮込んでおり、夕食の際はセレンもスープ作りを手伝うことになっている。
順調に朝食が出来上がり、セレンがオープンサンドに齧り付くと、おいしさに唸った。やはり、苦労して自分で作ったものは違う、と大袈裟に感動するセレンに、ウォルフは心の中で「具材を乗せただけだけどな」と突っ込む。
そんなこと露ほども知らないセレンは、上機嫌で朝食を胃に収めた。
少し休憩した後、セレンは洗濯を覚えるべくウォルフに井戸の使い方を教えて貰い、そして、汚れものを桶で擦るその後ろ姿を椅子の上から眺める。
本当を手伝いたかったが、しゃがみ込むと痛みに顔を顰めてしまうので、ウォルフの判断で今回は見学と相成った。
暇で仕方がないセレンは、水に漬けておいた洗濯ものを棒でぐるぐると回し、洗濯板に力強く擦り付けるウォルフと世間話をすることにした。
「ウォルフって結婚してないの?」
「藪から棒になんだ」
椅子を反対に乗りこなし、背もたれに腕と顎をのせたセレンはブラブラと足を揺らす。その行儀の悪さに、振り返ったウォルフの眉がピクリと上がったが、普通に座っていても退屈なのだろうと口をつぐんだ。
自分が動かないように言ったのだから、仕方がない。あまり締め付けすぎては注意をしても反発を生むだけだと、耐える。
「私より年上でしょ?いい歳だから、結婚してるのかな、って」
「俺は21歳だが、結婚する気はない」
「でも、ウォルフって、身分の高い生まれなんじゃないの?後継ぎは?」
予想外のセレンの鋭さに肩を揺らしたウォルフは、ふりかえらず洗濯板を擦る手を止めた。
「なぜ、俺が身分が高いと?」
「だって、この島はウォルフのものなんでしょ?本に、土地を持ってるのは貴族って書いてあったよ」
「祖先代々受け継がれた島だ。家自体は、大したことはない」
そう答えて、ウォルフは洗濯物を洗い出す。先程より勢いよく飛んでいく水しぶきを眺めながら、セレンは「ふーん、そうなんだ」と適当な返事をした。
「こんな呪持ちになるなら、絶えたほうがいい場合もあるだろう」
「…そっか。まあ、ウォルフが決めることだしね」
「否定しないのか?」
いつも明るく前向きなセレンにしては冷めた反応だと思い、ウォルフは気になって後ろを振り返る。そこには、無邪気な笑顔が鳴りを潜め、自重気味な笑みを浮かべるセレンが居た。
「そりゃあ、寂しそうかな、とは思うけど…私も似たようなもんだし。追放された身だから、結婚はないかなあ……」
海と同じ青い空を見上げるセレンはどこか寂しそうで、ウォルフは何と答えていいか分からず、洗濯桶に視線を逸らす。
周りが怖くて人を寄せ付けずに孤独になったウォルフと、生まれた時から孤立を義務付けられたセレンとでは、同じ独りでも、立場が違いすぎた。
「人魚姫の真実とやらを見つけたら、どうするつもりなんだ?」
上手い返事が思いつかなかったウォルフは、洗濯物を絞りながら話題を変えることにした。
「やることもないし、世界中をブラブラして、新しいものを見てみたいな!あ、もちろん偶にこの島に来て、ウォルフを眠らせに来てあげるよ」
先ほどの憂い気な雰囲気を一変させ、満面の笑みを浮かべて未来を楽しもうとする姿に、ウォルフは少し安堵する。
「…それはありがたいな」
たわいもない会話の中の、ついでのような言葉だったが、ウォルフはセレンの気持ちが嬉しかった。
会話をしているとあっという間に作業が終わり、洗濯物を干し終えたウォルフはセレンをリビングまで運んで、二人で本と向き合った。
夕食の時間になると、危うい手つきでポタージュ用のジャガイモを切るセレンをハラハラと見守りながら、ウォルフは厚切りベーコンの入ったポテトグラタン、キュウリの浅漬けサラダを用意する。
無事に出来あがった食卓に、一方は大満足で、一方はぐったりしていた。どちらがどっちかは言うまでもない。
陽が暮れはじめると、ウォルフは変身してもいいように森へ行き、セレンは部屋の小窓を全開にしてベッドの上で待機した。
しかし、夜が空を包んでも遠吠えは聞こえず、再び首をかしげながら戻って来たウォルフに、セレンは「喜べばいいのに」と呟く。
「喜べるわけがないだろう。急に呪いが解けるなんて、都合のいい話があるわけがない。理由が分からない限り、用心はすべきだ」
腕を組んで悩ましげなウォルフに、セレンは頷く。
「心配性だな、と言いたいところだけど、確かに昨日が本当に偶々だったかもしれないわけだし…」
「ああ。しかし、理由が分からないと逆に不安なものだな。今まで、何か奇跡が起きないと期待していたこともあったが、こうも前触れがないと…」
「そうだよね、呪を解こうとしたわけじゃないのに……」
うーんと頭を悩ます二人だったが、途中でセレンが大きなあくびを一つ漏らした。
「ふああ、分かんないこと考えても仕方がないよ。明日にしよう」
「……それもそうだな、寝るか」
そして、再び縛るか縛らないかでひと揉めがあったそうな。