7 僕と妃とカタコト
お下品注意。
気が付いたら時が過ぎ、季節はすっかり夏となっていた。
王宮から見える底抜けの青空と、オアシスに生い茂る木々花が色鮮やかで美しい。帝都の人工的な壮麗さとはまた違う瑞々しい光景は、目に優しくて気持ち良いね。
……とはいえ、暑い。
国王に相応しいきっちりとした衣服を身につけた僕は、正直暑さにへばりそう――なんだけど。
「だぃだぁーっ!!」
「うぷぅーっ!!」
僕の妃(十ヶ月)とその乳姉妹ちゃんは、お揃いの腹掛け一枚で元気一杯だ。
四角(◇)形の赤布に大きく金の字って、何かの縁起物だろうか。
「……にしても、おむつと腹掛け一枚ってとても涼しそうだけど、仮にも一国の王妃として、これはどうなんだろうか……?」
「お暑い時は、素直に脱いだ方がよろしいのでございますよ。薄着になって外で水浴びすれば、暑い夏もすっきり爽快にございます」
「み、水浴びって、女性が外で?!」
「ほほほ、気持ちようございますよ」
「……」
乳母殿の言葉で、僕は最近、僕の護衛が嬉々として城下の見回りに行ってる理由を今知った。
……呂飛刃、きさま!見ているなッ!
「……あの野郎一人だけずるいぞ。そういう事なら、すぐにでも城下視察予定を……」
「陛下?」
「……いいや、乳母殿。これは下心じゃないんだ。これはそう!! 王としての真心なんだ!! この国の王として、僕は民の風習を知っておきたいんだ!!」
西域のむっちんぼいん美女達のあられもない姿を拝みたいとか、そんな理由じゃ断じてないんだ!!
「……さようでございますか……」
「だぶっ?!」
「うぁーあ?!」
だから乳母殿、そんな軽蔑するような薄冷笑を僕に向けないで下さい。
あかちゃん達が怖がってますんで。お願いします。
「うー……すけべーっ」
「ちゅけべーっ」
うぉ?!!
突然の指摘に、男はみんな助平なんだよ、と言い訳しようとしたら、並んで座ってる妃と乳姉妹ちゃんだった。
すっかり首が据わって、座っていられるようになった。更に寝返りで移動したり、はいはいしたり、時々何かに捕まって立ち上がってと、身体的な成長が著しく行動範囲も日々拡大を続けている二人だが。
「ちゅ……けべ、ちゅけべー」
「しゅけべーしゅけ、すけ、べー」
最近では、『もしかしたらこれ、意味があるっぽいような気がしないでもないかもしれない?』――程度の単語を、どんどん口にするようにまでなっている。
精神的、頭脳的な成長の現れだろう。はやく妃と大人同士の交流をしたい僕としては、嬉しい限りだ。
……なんだけど。
「ちゅけべーすぇべーすけすけー」
「えろーえろえおろーえろー」
「……君達、女の子がそんな下品な事を言ってはいけない」
「うぁー?」
「おー?」
最近その言葉が、少々下品な方向に向かっているように感じるのは、気のせいだろうか?
「下品……そういえばそうでございますね?」
僕が疑問を口にすると、思い当たる節があったのか、乳母殿も困ったように首を傾げる。
「まだ二人とも、意味を判って言っているわけではないでしょうが……時々失礼な発言になってしまってもいます。これは困りますわ」
「失礼? どのような風にだ乳母殿?」
「そうですね……あれはいただいた乳母車でのお散歩中、宰相様にお会いした時……」
―おお、これは御妃様に乳母殿、乳姉妹もおるか。お散歩ですかな?―
―はーっ―
―げーっ―
―な――なんと?!!―
―はげーっ―
―はげーっ―
―うぉおおお?!! ワシだってフサフサだった栄光の日々はあったのですぞぉおおお!!!―
「……宰相様は、泣いて走り去られました」
「ああ……確かにあれはツルツルだが、なんと残酷な指摘をするんだ妃……」
「すけべー」
「それはいいから」
「更に……」
「まだあるのか乳母殿?!」
―づらーっ―
―づらーっ―
―これは流行のお洒落カツラで!! 違うんだ私はハゲじゃない!! 上が薄いだけだ!!―
―かばーっ―
―かばーっ―
―似てると?!! このワタクシがあの鈍重で不細工な獣に似ているとでも?!!―
―たこーっ―
―たこーっ―
―今度はタコ?!! そこまでワシが丸ハゲと?!! 丸ハゲとおっしゃるかぁあああ!!!―
「……などなど、被害は確実に拡大しており……」
「最後のは、また宰相じゃないのか?」
「……昼の休み頃にお散歩に行くと、休憩中の宰相様によくお会いするのです」
老宰相……不憫な奴。あれでも若い頃は、バリバリの高級官僚として帝都で活躍し、モテモテだったらしいのに……。
「しかしこれは良くない傾向だな。いかに赤ん坊の口遊びといえど、言われて良い気分がしない者達は多いだろう」
「申し訳ございません、国王陛下」
「いや、完全に君の責任とは思わないよ乳母殿」
この子達はまだ、周囲から聞こえてくる言葉を、適当に真似しているだけだ。
それを止めるのは、乳母殿にも難しいだろう。なにしろ言葉を発する事自体は成長だし、赤ちゃんたちは、言葉がどういう意味を持つのかを、理解していないんだから。
「とはいえ……このまま放っておくのもなぁ」
「さようにございますね……」
「たこーっ」
「ちゅけべーっ」
助平なタコって……なんかとっても、倒錯春画の世界だよ妃達……。
「――!! まさかと思うが、僕がいたいけな赤ちゃん達に、こんな言葉を教え込んでいる変態だとか思われてないよね?!!」
「……えんた、へぇ、た、へんた、ぃっ――へんたいっ」
「一生懸命よりにもよって、一番傷付く言葉を覚えないで妃!! 僕は変態じゃない!!」
「はげー」
「ハゲてもない!!」
精神的圧迫でそうなる危険もあるかもしれないけど!! 王冠がハゲ隠しになる将来なんてすごくイヤだけど!!
「……これはなんとかしなくてはならない。いや、するべきだ!!」
「さようにございますね……」
同情か、多少優しい視線を向けてくる乳母殿と僕は頷き合う。
「しねーこのばいたー」
「くそびっちー」
「ちょおおおおおおおお?!!」
妃!! ――国母たる君の(悪気無い)暴言は、僕が絶対に阻止してみせるからね!!!
「というわけで、覚悟しろ飛刃」
「何が『というわけ』なのか、判らないっす陛下」
「判らないのか?」
僕は、おっぱいおっぱい♪ 言いながら帰って来た、アホの獣を座らせ、その前に立つ。
「つまり妃達の悪い言葉は、お前の悪影響だと言ってるんだ!! 品行方正になれ!!」
「えぇー?! なんっすかそれはぁー?! 意味判んないっすよ陛下ぁー!! 横暴っすー!!」
「なにが横暴なものか!! あれを見ろ!!」
僕が指さした先では。
「おっぱいおっぱい♪」
「ぱいぱいぱいー♪」
はいはいどころか、ハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイッ!! くらいの勢いで妃と乳姉妹が動き回り、新しく覚えた言葉で歌っている。
「あれが何よりの証拠だ!!」
「うへぇええー?!!」
「妃達はきっと、身近にいるお前がポンポン言う下品な言葉に影響されてしまったに違いない。どうせあの子達の前で、『あのハゲ宰相クソむかつくタコー、タコジジィーっ』などと悪態をついていたんだろうっ」
「言ってないっすよぉーここしばらくは。確かにいけ好かない選良ジジィと最初は思ってたっすけど、一緒に仕事してるうちに、あのジーサンとは随分仲良くなりましたもん」
「……あれ? そうなのか?」
鼻持ちならない帝都の高級官僚出身者なんて、飛刃が一番嫌ってそうなタイプだと思ったのに。
「今はあのジーサンの履歴が気に入らないだけで、あのジーサン自身が嫌いなわけじゃないっす。悪口だって言ってないっす」
……あれー、おかしいなぁ? 絶対こいつが諸悪の根源だと思ってたのに……いいやっ!!
「それでもきっと、だいたいお前のせいだ!!」
「酷い横暴っすよ陛下っ」
「五月蠅いっ、根拠はあるっ。――妃達の近くにいる人間の中で、『死ねこの売女!!』や、『クソビッチ!!』などという下品な言葉を言う者が、お前の他にいるかっ!!」
「うぇ?!! なんっすかそれぇ?!!」
「この子達が言っていたんだ!! 心臓止まるかと思ったぞ!!」
僕はまだぱいぱい言ってる、二人の赤ちゃんをまた指さした。
「この子達が暮らすこの城の奥向きで働いているのは、上品な女官達ばかりじゃないか!! お前じゃなければ誰があんな下品な言葉を、この子達の前で言ったというんだっ」
「……女官達が上品? ……あぁ、なるほどっす」
……なんだよ飛刃、その苦笑は?
「陛下って、女官達の食堂とか談話室とか更衣室とか、覗いたことないっしょ?」
「は? そりゃあしないさ。そんな事する必要は無いからな」
というか、更衣室ってなんだ更衣室って。お前やったのか? 犯罪だぞそれは。
「まぁまぁ、とにかくオイラの提案を、ちょっと聞いて下さいっすよ」
「……?」
「いいっすか陛下? 今度、腹痛とでも言って政務から席を外して……」
その後続いた飛刃の提案に、僕は思わず呆れた。
「そんな事をして、何になるっていうんだ?」
「オイラの予想が正しけりゃ、それで陛下の疑問は解決するっす」
ついでにオイラの濡れ衣も晴れるっす。
そう自信満々に言う飛刃を完全に信じたわけじゃなかったが……飛刃の説明は、試してもいいかな、くらいの説得力はあるものだった。
――という事で。僕は政務をちょっと休憩して、寝台の下に隠れている。
妃がお昼寝している真っ最中だ。乳母殿や女官達が出入りするこの部屋に、こっそり入り込むには飛刃が協力した。
――あの野郎の微笑み一発でフラフラ付いていった女官の子達、ちょっとチョロ過ぎるよ? そいつ一見気さくで優しげだけど中身は結構黒いよ? そんなのにひっかかっちゃ駄目だよ? ……全く眼中に入ってないらしい僕の、嫉妬じゃないよ?
『……それはとにかく……シーツで密閉された寝台の下は……暑い。いつまでこうしてればいいんだろう?』
上からは妃のスヤスヤという寝息が聞こえてくる。……あの涼しそうな恰好で、気持ちよくお休み中なんだろうな。……うぅ、赤ちゃんはいいなぁ……。
「――でしょう! あんた!」
――ん?
「――によっ! だいたい――!」
……これって……女官達の声?
極々小さい、眠っている妃の邪魔にならない程度ではあったが、かなり剣呑な響きの声は、この部屋に控えている女官達の物のようだった。……何? ……喧嘩?
「呂将軍に話しかけられたからってボォッとして!! みっともないのよこのブス!!」
「なんですって!! あんただって何よそのデカ口カバそっくり!! はっ、鏡見なさいよ!! この厚化粧の腐れビッチ!! あんたなんか呂将軍に相応しいわけないでしょ!!」
ちょ……おぉい……。
「あんたこそ許婚がいるくせに!! この売女!! 淫乱!!」
「あんなタコハゲのデブどうでもいいのよ!! その点呂将軍はいいわぁ……容姿端麗な上野性味溢れててすっごく性的。お尻なんてこう、きゅっと上引き締まっててぇ……正直たまんない」
「最低ね!! ど助平女!! あんたなんかタコハゲとお似合いよ!!」
「はっ!! 腐れ×××は黙ってなさいよ!!」
「どっちがよこの○○○○女!!」
禁止用語!! 春画本でも伏せられる発言禁止用語で女官さん達が大喧嘩だよ!! 声はギリギリ抑えてるけど!! それでもこれ絶対――。
「あうー?」
「あ、あらお妃様。お目覚めでございますか?」
「そ、そろそろお腹が空かれましたかしら? 乳母殿の所にまいりましょうね?」
「うー……たこはげぇ……」
――妃が聞いてるよぉおおお!!
「――という事で、どうだったっすか~陛下?」
「……」
……そして少し後。妃を連れて女官達が部屋を出た隙に脱出した僕は、ニヤニヤしながら近寄って来た飛刃を睨み、結論を叫んだ。
「やっぱりだいたいお前のせいじゃないかぁああああああああああああああああああ!!!」
「えぇええ~?! オイラがもてるのは、この高品質を考えれば、仕方のない事っすよぉ~?!」
黙れ歩く公然猥褻男が!!
――こいつ――やっぱり宮刑に処すしかないのか?!!
――こうして僕は、妃達のちょっとアレな言語習得を終わらせるため、女官達に口を閉じてもらう事にした。
と言っても、別に多少の私語くらいで厳罰に処したりはしない。ただ女官長に、『言葉の意味は判らなくても、聞いていらっしゃる方がいるのですよ』と、しっかり注意してもらったのだ。
それでも充分な効果はあったようで、その後妃達の側で喧嘩を始める女官達は、いなくなった。
……まぁ飛刃の言う、更衣室や食堂や談話室で、どうだかは判らないけどさ。
というわけで残るは、妃達だ。
「ごきげんよう、ごきげんよう陛下。さぁ、言ってごらん?」
「はげー」
「違うってば。ごきげんよう、だよ。……ふぅ、下品な言葉を忘れさせるために、美しい言葉を覚えさせようと思ったけど……」
「はげぇー」
「気に入ったのそれ?! それとも僕の未来を幻視でもしたの?! やだよ!! ハゲないからね!! ハゲるもんか!!」
……けど、道は遠そうだ。だが負けるものか。王宮内において、お上品な言葉は正義なんだからっ。
「そんな固い言葉より、もっとかわいい言葉を覚えさせるべきっすよ陛下~」
「かわいい言葉?」
「『陛下素敵』、とか『愛してる』、とか『世界で一番大好き』、とか♪」
こいつは――アホか!!
「……ちゅき?」
――っ?!! ……び、びっくりした。