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3 僕と妃と長兄

「――久しぶりだな弟よ!! 息災であったか!!」


 僕の妃が五ヶ月を迎えた頃、帝国から兄が来た。


「お久しゅうございます第一皇子殿下。長旅でさぞお疲れでございましょう」

「なに、西域境は珍しい物が沢山あるからなっ。あれこれと見聞を広げておったら、面白うて疲れている暇などなかったわ!!」


 幸い来たのは、兄弟仲がさほど悪く無くある程度は付き合い易い、剛胆で明るい気質の長兄だった。

 ……その点はよかったんだけど。それでもなにせ、手紙か先触れくらいしか通信手段が無いこの時代だ。

 突然兄から、あと三日ほどで到着する、という手紙を受け取った僕以下この国の首脳陣が、貴賓室だ宴席だ美女だ貢物だ賄賂だと、どれだけ慌てて準備に走り回ったか察して欲しい。

 政務で西域に向かうついでに寄るだけなので、特別な接待はいらない。なんて言葉を真に受けて何もしなかったら、どんな不興を買うか判ったもんじゃない。

 貴人を迎えるというのは、それだけで膨大な金と労力を必要とする、しかも失敗が許されない一大事業なんだ。

 忙しくて、ここ数日遊んでやれなくてごめんよ妃。でもこの国と王室のために、王様(ぼく)はがんばるからねっ。

  

「ところで、しばらく会わない内に、随分と他人行儀になった事だな令よっ!! 以前のように一兄上と呼べば良いではないかっ!!」


 そう言って僕の肩をバンバンと叩く長兄は、七尺(一尺=約30cm )に届くかと思うほどの大男な上、がっしりと筋肉で覆われた身体はどこもかしこも分厚く、黒いアゴヒゲで覆われた厳つい顔と相俟って、その威圧感は絶大だ。


「……それでは、一兄上。この身は属国の王として臣籍に降りましたが、親しみを込めてそうお呼びする事を、お許し下さい」


 戦場以外では、兄がそんな容貌の怖さを軽減させるため、気さくに振る舞っている事を知っているので、僕もできるだけ兄の意に添うよう接するよう心がけている。


「おうっ。そうでなくてはな!!」


 実際悪い人ではないし、嫌いでもないからね。


「……」


 属国王風情が、帝位に最も近い貴人に馴れ馴れしくするな。――と威圧する、兄達の側近武将達は怖いけどさ。

 まぁ気にしてたら身が持たないので、判ってないフリ判ってないフリ。


「そうそう、お前には勿論、お前の妃妾達にもと思って土産を山ほど持って来たのだ。愉しみにしておれよっ」

「は、ありがたき幸せに存じます」


 残念ながら、()の方はいません。女物の絹や香料だったら、いつも世話になってる乳母殿や女官達にあげるとしようか。

 という事で我が国の、『歓迎帝国第一皇子御一行様』が始まるわけだけど……不安は一杯だ。


「お前の妃に会うのも楽しみだっ。結婚当初は生まれたての赤ん坊だったというが、今はどれくらい大きくなったのだ?」

「はい、それはもう……」


 そう、無事スクスク大きくなってる妃も、いつもなら嬉しい元気な妃も、今回ばかりは心配なんだ。

 ……何しろ五ヶ月を迎えた妃は、いよいよ活発になった。

 そして今は周囲のあらゆるものを……『見たい触れたい掴みたい口に入れたい』と、目を爛々と輝かせて狙っているんだから……。



「おおっ、なんだまだまだ小さい赤ん坊だなっ!! いやー愛いな!! 愛い!!」

「あぷーっ♪ あぷーっ♪」

「……」


 出会い頭の高い高いが面白かったらしく、自分を手の平で持ち上げてきた厳つい大男を、妃は気に入ったようだった。


「確かうちの長男(ボウズ)の二つ下だったか? ふーむ……それにしては背が高く、体格もしっかりしておるなっ。流石は偉丈夫が多い西域の姫御だっ。」

「あーうっ、あーうっ♪ だぁ~だぁ~♪♪」


 既に妻子持ち(しかも子煩悩)である長兄は、慣れた手つきで妃を高い高いし、更にそこから、ゆーらゆーらと、ゆっくり大きく妃を揺らす。


「早く大きくなって、弟の子を大勢産むのだぞっ。帝国皇室の血を引く、この国の次代を担う王の子供だっ」

「ぅあい~あっ。きゃっきゃっきゃっ」


 ……いかん、いかんぞっ。長兄を楽しがりながら、妃の目と手が、獲物を狙う狩人のそれになっている。

 裕福な貴人であり、なおかつかなり新しい物好きである長兄は、様々な装飾品を身につけ、アゴヒゲも編み込んだり結んだりと、その洒落ぶりを誇示(アピール)している。

 ――だがしかし、そんなものは赤ん坊にとっては、自分の好奇心を思う存分に満たすための、恰好の玩具にすぎないのだ!!


「ふ~ふぅふぅっ♪ うっ♪ だぁあぁっ♪」

「おお、どうしたどうした? はははっ、このヒゲの良さがわかるかっ。うむうむっ」


 一番目に付いたのだろう長兄ヒゲへと、妃は遠慮無く手を伸ばす。

 ――うげっ!! 長兄逃げて!! その赤ちゃんの手は貴方のヒゲを慈しむものじゃない!! ブチブチ毟り取ろうとしている手だ!! ついでに口の中にいれようとしてる口だ!!


「――え、宴席前に、軽く湯浴みでもいかがでございましょうか一兄上っ?! 豊かな水源に恵まれたこの国では、下々にまで入浴の習慣があり、ここの浴室も、それはそれはもう憩いの空間でございますよぉっ!!」

「あうーっ」

「ん? そうか?」


 咄嗟に長兄の手から妃を奪い取って距離を取ると、長兄は少し驚いたように、だがすぐに笑顔になって頷いた。


「あうーっあうーっあうーっ」

「おお、ではまたな義妹よ。宴席の前に、土産をみせてやろうな」


 こらだめっ!! あれは玩具にしちゃだめ妃!! 下手したら不敬罪になっちゃうよっ!! それに長旅で汚れてるんだから口に入れてもだめっ!! ばっちいんだからねっ!!


「あぇーっあぇーっ」

「だ・めっ。……ああ、挨拶も済んだし、後は妃を奥にひっこませておけば……」

「……畏れながら陛下、帝国第一皇子殿下はただ今お妃様へ、宴席前に土産を見せてやるとおおせでしたが……」


 くっ、そうだった!! 焦ってるな僕!! ありがとう老宰相!! ――いや、それでも大丈夫、まだ策はある!!


「よしっ、妃はおねむという事にするんだっ。――いやっ、『本当はとてもご一緒させたいのですが、この通りです』と、本当に眠っている姿をお見せして、嘘付いたわけじゃないとあちらに御納得いただいた上で、妃を下げようっ。これで円満解決だっ」

「御意のままにっ、国王陛下っ」

「というわけで妃っ、おねむだっ。はいねんねこ~ねんねこ~♪」

「ね~んね~。ね~んね~♪」

「羊が一匹~、羊が二匹~♪」


 僕と宰相と護衛の飛刃と女官長は、部屋の片隅に固まり、妃を取り囲み暗くしながら子守歌を合唱する。

 珍奇に見えても大真面目だ!! 

 国の頂点に立つ者の一挙手一投足には、国の命運がかかってると言っても過言ではない。――だからこの国の王妃であるこの子が、巨大権力者の不興を買うわけにはいかないんだ!!


「うー?」


 というわけで!! 大人しくねんねしなさい妃!! ねんね!!


 そして。



「やぁ~良い湯であったっ。はっはっはっ」

「あーぃっ。あぅーっ」

「おお、義妹は益々元気になったなっ」


 ――駄目だった。


「くっ……飛刃が都で流行ってた、幽鬼子守歌まで熱唱したのが駄目だったか……っ」

「ちょ!! 陛下オイラのせいにしないでくれっす!!」

「も……申し訳無い。……きっとワシの音痴っぷりが……」

「いえ宰相様、私も子守歌など、もう何年も歌ってはおりませんでしたので……」


 だいたい人選のせいか。――いやっ、過ぎた事を悔やむより、今を乗り切るため全力を尽くそう!!


「よーしっ、それではお待ちかねだ義妹よ。土産をこれに」


 は、と頭を下げた長兄の側近武将達が道を空け、大小様々な箱を抱えた下僕達が謁見の間に入って来る。

 当然長兄一人で旅をしているはずもなく、兄上には側近武将を頂点に、兵、下僕、奴隷と大勢の供がいる。

 そしてそんな長兄が城に逗留している間は、身分分けした彼らの休憩場所も確保しなくてはならないし、彼らがこの国で問題を起こさないよう、監視もしなければならない。

 こういう点でも、貴人を迎え入れるというのは大変なんだ。

 まぁ、それはともかく。 


「さて、まずはこれかっ。弟、義妹、こっちに来い来いっ」

「だーっ」

「は、はいっ」


 僕はジタバタしている妃をしっかりと抱え、やんちゃできないようにしつつ長兄へと近づき下座に座る。


「だぁーっだぁーっ」


 眼前に広がる箱の山に、目を輝かせる妃は一生懸命逃げようとするが逃がさないよ。

 頼むから大人しくしてなさい。

 君は良い子だろう? 良い子のはずだ。良い子でいてくれ。


「――ほら、まずは帝都で揃えた絹織物だっ。美しかろう?」

「だぁああああーっ!!」


 だがそんな僕の願い虚しく、大興奮で長兄が持つキラキラするモノに突撃したがる妃。

 ……うん。仕方ないけどね。本当に珍しい、きれいな絹物だし。


「どうだ、美女を飾るにこれほど相応しい衣はなかろう?」

「はい、まこと」

「妃にこれで色々と仕立ててやるといい。あとこの辺はお前の妾達にでもと思ったのだが、まだいなかったのだな。ならば世話になっている女官にでも褒美でやるといいぞ」

「そうさせていただきます」

「そしてこっちの藍色は、深く鮮やかであろう? お前にどうかと持って来たんだが……」


 赤青黄色、紫粉に玫瑰紅、品紅、青蓮紫、蘇木色、玫瑰灰、鶏冠花紅、牽牛紫……。

 色と模様の洪水のような布の山に、妃は大喜びで手を叩く。


「きゃい、きゃーいっ」

「はい、は……だめ、駄目だよ妃。絹でイタズラしちゃだめっ」


 キラキラに触りたくて仕方がない妃を止めつつ、僕は土産に恐縮する。

 基本的に吝嗇(ケチ)じゃない長兄は、威容を示す意味も込め、公的にでも私的にでも土産には贅沢な趣向を凝らして、贈る相手を喜ばせるとは聞いていたけれど……本当にこれはすごい。


「うー……」

「ん? 触りたいのか? 良いぞ、この辺りは全てお前の物だ」


 ……でも。


「……いけません、一兄上様」

「……ん?」

「このような御品を汚してしまっては、申し訳がありません。これはまだ、妃に触れさせるべきではないと、私は思います」


 ――あ、すごいきつい視線が、長兄の背後から向けられた。

 ……でもすごいからこそ、まだ妃には早い。

 ねぇ妃、赤ちゃんがこんな贅沢品を、おもちゃにして遊んじゃいけないよ? 


「なんだ弟よ気にするな、これは義妹であるお前の妃への、余からの贈り物だぞ? 遊ぶなり汚すなり好きにして構わん。いくらでも新しいものを用意させる事くらいできるからな」

「お気持ちは大変嬉しく。ですがそれは妃のためには、ならないと存じます」

「……ほう?」


 ……長兄の好意を無碍にしたととられるか? とられるよなぁ……。でも、この赤ちゃんを僕の妃と認めている以上、その教育だけは誰にも譲りたくないんだ。 


「この子は赤子なれど王妃、この国の国母にございます。国母とは王同様国の代表であり、決して、他国の貴人からの賜り物を、粗略に扱ってはならぬ身分です。そのような無礼を、王として許す事もできません」

「……」

「お許しいただけるならば、この妃への賜り物は、妃が美しさと価値を理解し、身につけ美しく装う時のために、大切にとっておきたいと存じます」


 それがこの子のためです。

 そう言う僕に、長兄は僕と、僕の腕の中でジタバタしている妃を見返し――やがて楽しそうに破顔する。


「――そうかっ。それもそうだっ。ならば今度は、赤子が遊ぶため、楽しむための物を出していくぞっ。これは存分に遊ぶためのものだからな、使ってもらわんと困る」


 ……第一皇子殿下に逆らうなと、長兄の背後から側近武将達が睨んできた。

 でも、長兄は納得してくれたみたいだった。……よかった。


「まずこれは――あまりの見事さに衝動買いした、等身大熊の木彫り物でな!!」

「あぶぉおおお?!!」

「一兄上様?!! 猛獣は止めて下さい!! 妃が怖がって――」

「うぉおおおお!! だうだうだうぅううううう!!!」

「すごい食い付いてる?! ええ妃?! これ触りたいの?!! 怖くないの?!! 僕の化粧顔は怖がったくせに?!!」

「……化粧顔? まあ良いはははっ!! これなら触ってもかじっても構わんだろう!! どーんと行け義妹よ!!」

「うぁああああいっ!!!」

「ああ……はいはい、背中に乗りたいんだね?」

「うぉおおおおいっ!!!」


 頑丈な木彫りの熊にしがみつき、パシパシと叩く妃は大興奮だ。

 そんな妃を笑顔で眺めながら、長兄は箱から次々と、絵付けされた木工玩具、近郊で仕入れたのだろう沢山の果物や花、甘い香り漂う砂糖細工、色鮮やかな糸で作られた鞠、人形、美しい書画などを、次々と取り出させる。


「義妹の趣味が判らなかったのでなっ。とりあえず女童が好みそうな物を、片っ端から買って持って来たっ。さぁ義妹よ、どれがいいっ?」


 あはは……大盤振る舞いには感謝いたしますが、この小さな妃は、まだ何にでも興味を示すお年頃なんですよ。一兄上様。 



 こうして長兄一行が滞在した五日間は、怒濤のように過ぎて行った。


 その間に、兄上が妃と僕を連れて城下へと遊びに行ったり。

 城下の市で、もらった熊と似た白黒熊の木彫りを見つけ、長兄が衝動買いしたり。

 一緒に川で遊んだり山を歩いたり草原を眺めたり。

 女官達の歓迎の舞に、酔った長兄が混じったり。

 楽師達の演奏に合わせて、酔った長兄が歌ったり。 

 自称長兄にもっとも信頼されている側近から、馴れ馴れしいと因縁つけられたり。

 その側近を、飛刃が長兄の目の前で、まとめて試合で叩きのめしたり。


 ――などと色々な事があったが、なんとか無事に長兄達の出立日となった。



「うぉあーっ! あぅーっ!」

「おお義妹よ!! 義兄との別れを悲しんでくれるかっ!! うんうん、また会おうぞっ!!」


 ……いえ長兄、懐いているのは確かですが、多分妃は未だ、毟り取れなかった貴方のヒゲを狙っているのだと思います。はいはい、さよならしたらこっちにおいでね。


「ひぇーえぇー……いげぇー……」


 ……もしかして、ヒゲって言ってる妃? 次期皇帝の呼び声高い帝国第一皇子殿下も、君の中ではヒゲ扱い? 


「世話になったな。帰りは別の道順を通るのでここには来られぬが、息災でな弟よ」

「はい。道中のご無事をお祈り申し上げております。……一兄上様」


 うん、と頷いた長兄は、大きな手を上げると、それをポンと僕の頭に乗せ、僕が付けている冠ごと、ぐしゃぐしゃと撫でる。

 ちょっ、ちょっ! 痛いってっ!! 大体子供じゃないんですから――。


「……お前は、あまり笑わない子供だったな令よ」

「……っ」

「いや、お前だけではない。……権勢を振るう妃の子として生まれなかった皇子は、皇宮の片隅でいつも緊張に顔を強張らせ、暗殺や陰謀の影に怯えていた。……そうでない皇子達は驕り高ぶり、弱い立場の皇子達を見下していた」


 でも貴方は違いました、長兄。

 強い立場の皇子達だろうと弱い立場の皇子だろうと変わらず、明るく、そして優しく接していた。全て自分の弟だと言って。

 ……それは強者の余裕ではあったのでしょう。

 でもそれでも、貴方の側は、皇宮生活において数少ない、安心できる場所でした。……感謝しています。


「……お前が明るくなってよかった。驚く程だ」

「……」

「大切にしたい、と感じる伴侶も得ていてよかった」

「……一兄上様」

「焦らずゆっくりと、夫婦の時間を育むといい。……では、また会おうぞ。弟と義妹よ」


 長兄は最後にもう一度僕の頭をかき混ぜると、豪奢な輿ではなく馬に飛び乗り、そしてこの国を去って行った。

 僕達は僕達の兄が行列に紛れてしまうまで、その後ろ姿を見送っていた。

 ……きっとまたお会いしましょう、一兄上様。



「……ひげぇー……」

「……妃、まさか君、初めて発した人間らしき言葉が、それなのかい?」


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