終幕後 ――王道楽土 下
――その夜。
「――という事で妃、ちょっとここに座りなさい」
「ん? なんだ陛下?」
乳姉妹から得た情報を使って色々と割り出した王は、広い寝台に妃と向かい合って正座すると、おもむろに口火を切った。
「……まず、何を企んでいるのか自主的に白状する機会をあげよう」
「え? えーと? 何も企んでいないぞ? ほ、本当だぞ?」
「……祭りの間中、おやつ抜きにされたいようだね」
「おやつっ!! ……な、なんの事だか判らないなっ。つまりおやつ抜きにされるような事は、私はやってないなっ」
「……ふぅ」
小さくため息をついた王は、妃に続ける。
「君の衣装箪笥の裏にある、壁がひび割れて出来た空間」
ぎくり、と妃は顔を強張らせる。
「その中に、男物の衣服と鎧甲冑、帽子、更には黒髪のかつらや付けヒゲまであった」
ぎくりぎくり、と妃は身を強張らせる
「更には演武祭の事前申し込みに、『虎男』という名前まであったんだが……これは偶然だろうかねぇ? ずいぶん達筆なその筆跡は、私にも実に見慣れた文字だったんだけどねぇ?」
「――も、もうしわけありませんでした陛下っ。つい他の男子達のように、腕試ししてみたいと思いつきっ」
王がそれ以上何か言う前に、妃はガバリと土下座状態になって王に詫びた。
「若い兵達が、『十六歳になったし、そろそろ腕試しに演武祭に出場してみようか』と言っているのを聞いて……私も同い年なんだから、軽はずみにやってみたいと思ってしまったんだっ。本当にすみませんっ。王妃の振るまいではなかったと、反省しているっ!!」
「嘘だね」
「うぇ?!!」
そんな妃を王は楽しそうな冷笑で見返し、妃の謝罪を却下する。
「君がそうやってしおらしく詫びている時は、大抵まだ奥の手を隠している事が多い」
「うぐっ」
「例えば、王城に隠していた男装が発見された時は、城の外にある友人の家に隠しておいた予備の男装を使用するとか」
「うごっ」
「演武祭出場登録は、当日ギリギリでもできるから、なんとかなるだろうと画策しているとか」
「うぎっ」
「あとは、前日病の振りをして、演武祭の見物さえ休んでしまえばなんとかなるとか……そういう悪巧みを、君はしている」
「ごぎぎぎ…………っ」
「……という私の考えは、間違っているかな? 妃」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ぎゃふん」
余裕綽々の王に悪巧みの全てを看破された妃は、とうとう敗北を認めた。
「やっぱりかい。まったく君はも~、妃らしく落ち着いたかと思ったら、相変わらずの暴れ虎なんだから」
「うぅっ、何故だっ!! 何故そこまで私の企みを見抜いたのだ陛下っ!?」
「王様はなんでも知っているのさ」
「そうなのか!? なんという事だ……国王陛下とは、かくも怖ろしい存在か……っ」
実は君の乳姉妹からの入れ知恵です。――という本音は、妃と乳姉妹の今後を考え、王は伏せておいた。
「認めるんだね? 色々策を弄して、演武祭に出ようとした事は?」
「……うむ、もはや隠せまい。私は罪を認めよう陛下。全て私が企てた事、協力者などいない事は先に言っておくっ。……お、おやつ抜きの罰も甘んじて受けようっ」
祭りの時期に並ぶ数々の珍しい甘味や珍味を思い浮かべたのか、妃は泣きそうになりながらそう王に言った。
「……まったく、君は」
そんな妃がかわいくて堪らず、王は妃の頭を撫でた。
妃はきまり悪げに顔をしかめ、そっぽをむく。
「むぅ……子供扱いするな陛下」
「悪戯を企てるのは、子供の証拠さ」
「ならば飛刃や宰相だって子供だなっ」
「あいつらのは仕事、悪戯ではなく計略と言う」
「むぅう……」
「……どうしてこんな事をしたんだい?」
妃の肩が、微かに揺れた。
「……別に。さっきも言った通り、ただの軽率な好奇心ゆえだっ」
「……それも、嘘だろう?」
「嘘では無いっ、本当だ陛下っ。全部私が悪いのだっ。それは認めているっ……うわわっ」
グシャグシャグシャ、と乱暴に髪をかき混ぜられた妃は、おもわず悲鳴を上げた。
「……っ」
「……妃、私はそんなに頼りないかな?」
そのままその頭を抱え込んだ王は、妃に穏やかに尋ねた。
「っ違うっ」
「君が城に迎えた他国の王子から、不快な事を言われたのは判っている」
「そ、それは……」
「それが、君が暴走しかけた理由だろう? ……私の目には、君は悪ふざけをしているようにはみえない。……ただ、一生懸命に見えるんだけどね?」
「……陛下には」
「関係ないかい? 本当に?」
「………………………………………………………………………………」
妃の秀麗な顔が、小さな子供のようにくしゃりと歪む。
「……って、言ったんだ、あの野郎」
「え?」
「『あんな年嵩の貧弱男、いつくたばるか判らない』って言ったんだっ!! 誰もいない所でっ!! あいつっ!!」
「……」
癇癪を起こしたように叫ぶ妃の言葉を、王は黙って聞く。
―国を滅ぼされるかもしれない―
―病に倒れるかもしれない―
―いや、今日にでも刺客に襲われて殺されるかもしれない―
―あんな貧弱男に頼るのは、愚かだと判るだろうリディア姫?―
―……俺と俺がやがて治める強き国ならば、貴女様を守って差し上げられるぞ―
「許せなかったっ!! ……そりゃっ、陛下はあんまり強くないけどっ!! 体力も無いし剣もへっぽこだけどっ!! 意外にも乗馬は上手いけど、体力無いからやっぱりあんまり乗ってられないけどっ!!」
「グッサグサ来る妻の本音が辛い!! ……あ、もしかして最近私を朝の鍛錬に誘うのって、そのせい?」
「だって鍛錬すれば、頑健になるかもしれないじゃないかっ。そしたら少なくとも、病は防げるっ」
「ま、まぁ、そこは間違っちゃいないけどね……」
全部ばれてしまった妃は、涙目で王を睨みながら言葉を続ける。
「……演武祭で、あいつを、ぶちのめしてやるつもりだったんだっ」
「正々堂々って事?」
「うんっ。そして勝った後で、あいつにこっそり正体をばらして、『陛下は私がお守りするから長生きする!!』って、宣言してやるつもりだったんだっ」
「……あれ、私が妃に守られる立場?」
「いいんだっ、私も陛下には守られているし、お互い様だっ」
「……妃」
「……陛下は私には無いもので、私や国民を守って下さっている。ならば、私は私が持っているもので、陛下を守りたいっ」
「……」
――女に守られる腰抜け、と侮辱される可能性もあったな。
そう思いながらも、王は妃の気持ちがどうしても嬉しく、その柔らかい金髪をグシャグシャと撫でながら、妃を抱きしめる。
「全く……馬鹿だねぇこの子は」
「むぅっ、認めるがシミジミ言わなくてもいいじゃないかっ」
「いやぁ、シミジミしちゃうよ。……本当にもう、君は……大きく、逞しくなって」
「……陛下」
妃の背をぽんぽんと叩き、王はおもわず緩みそうになる涙腺を誤魔化しながら、言葉を続けた。
「アフジャール王国第一王子、ナヴィド。あのアホ王子と公衆の面前で喧嘩しなかったのは、国の友好関係を考えてくれたからだろう?」
「だって、大切なものだろう? ……だからアホ王子は、演武祭でヤッてしまおうと思ったんだ。正々堂々勝負で負けた所で、文句は言えまい」
「ああ。しかも女人に負けたなんて、男を下げるような事は王子は死んでも公言できないだろうな……まぁ、あの王子が王になったら、関係が悪化するかもしれないが」
「う……」
「それは心配ないよ。……あっちがこっちとの友好関係も理解できないアホ以上のドアホなら、周辺諸国と囲い込んで潰すだけだ」
「……陛下、悪い顔だな」
「王様ってのは、そういうものなの。自国こそ正義、自国の繁栄こそ勝利。友誼を結びつついつ裏切るか算段するのも、為政者の大事な判断さ」
「うわ~ぁ」
悪人顔だ、と文句を言う妃の頭を更にかき回した王は、やがて穏やかに妃に言う。
「……それからね妃、君が私のために、剣で戦う必要なんてないんだよ」
「でも……」
「私は弱いけどね、本当に危なくなったら、自分の身は自分でなんとか守るし、君の事だってなんとか私が守るようがんばるよ。……私が、そうしたいと思っている」
「……陛下」
そして顔を上げて見返してくる妃に軽く口付け、王は照れくさそうに笑う。
「……少しは、愛する君の前で、格好付けさせてくれ」
「陛下……令っ」
頬を赤らめた妃は、強く王に抱きつき頷いた。
――その後。
「――ちっ。トルキア王の飾り人形か」
「お~や、これはこれはアフジャール王国第一王子、ナヴィド殿下ではないっすか。これはこれは、かくも高貴な方と剣を交えられるとは、恐悦至極ぅ~♪」
無事に開催された演武祭一回戦にて、飛刃はアホ王子こと、アフジャール王国のナヴィド王子と対峙していた。
――クジだったはずの対戦順に、些かの他意を感じながらも、飛刃は慇懃無礼な態度で、筋骨隆々としていかにも自信に満ちあふれた王子を見返し、刃を潰した剣の柄を握る。
「ふんっ!! 王族の身辺に侍るのが仕事の近衛などが、武将と言えるかっ!! リディア姫にも媚びを売っているのか!? まるで道化だな!!」
「呼び間違いは、一歩間違えば深刻な不敬っすよぉ? まぁ、国王陛下と楽しく観戦なさっているリディア王妃様は、気にもしないっすけどねぇ」
トルキア国王昂令の隣で、声援を送ってくるトルキア王妃リディアをちらりと見た飛刃は、わざわざ『王妃』を強調するように王子へと言葉を返した。
「っ!! あんな年寄りっ!! 隆武皇室の血を引くというだけのつまらない男ではないかっ!!」
「――黙れよ」
――そして、トルキア王への侮辱を王子が口にした途端、飛刃の声が改まる。
「なっ!! この無礼者!!」
「無礼上等。自国の王を侮辱されて怒らない、近衛武官はいない」
「はっ! 本当の事を言って何が悪いっ!!」
「何も知らないクソガキの曇った目なんかで、我らが君の品定めができるものか」
「――なんだとっ!!」
「あの方は、強い。……武器を振り回す力じゃない、あの方の地道な努力と忍耐力が支える差配は、民を活かし、国を富ませ、栄えさせる。それが、我らが君の強さだ」
「下らん!! そんなもの!! 強き英雄にこそ民は導かれるのだ!! 政務など、大臣や宰相の役目ではないか!!」
「ああ、そうかい」
飛刃はこれ以上無い程蔑んだ笑みを浮かべ、王子に剣を向ける。
「――ならば、その英雄の力とやら、このトルキア王家の盾に振るってみせろ!!」
十六年間、いかなる危機からも王族を守ってきた国王付近衛武官長の挑発に、演武祭会場は沸き立った。
「飛刃……負けないよなっ陛下っ」
「当然だろう? ……あれはね、仕事は果たす男だよ妃」
――大言壮語したアフジャール王国の第一王子が、飛刃に剣を掠める事すらできず完全敗北し、自慢の顔を血まみれの岩石のように腫らして担架で運ばれるのは、その少し後の事となる。
「……陛下、飛刃って剣技が巧みだとは思っていたが……本当に、ものっすっごく、強かったんだなぁ」
「戦になったら敵陣が全力で狙って来る王を警護する近衛武官が、弱いはずないだろう妃? 普段ヘラヘラしてるから分かり難いけど、あれは我が国屈指の猛将だよ」
「……乳姉妹には、勝てないけどな?」
「……鬼嫁は、怖いらしいからね」
トルキアは、今日も平和だった。




