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終幕後 ――王道楽土 上

 東の大帝国隆武。

 その最西端として版図に属するトルキア王国には、三つ感嘆するものが在る、と言われている。

 一つ。旧王朝より大切に整備され続けた、豊かな地下水脈をたたえる王城の水路。

 二つ。国内外の技術の粋を結集して進化を続け、外敵を撃退する北の防壁。

 そして三つ。国王の隣で艶やかに微笑む絶世の美女――今年十六歳になる、トルキア王国の王妃である。


 トルキア旧王朝最後の嫡流であるトルキア王妃リディアの、光彩奪目と讃えられる美しさは、今や近隣諸国に鳴り響く程だ。

 自ら光輝くがごとき黄金の髪に、瑞々しく清らかな白い肌と赤い唇。そして至高の宝石すら霞む碧眼に彩られたその美貌を目にした諸外国の者達は、王妃を西域の女神や大輪の薔薇に例えて感激し、そして王妃の隣に座る、王妃よりもかなり年嵩の国王に、醜い嫉妬を覚えずにはいられないという。


「……陛下」


 そんなトルキア国王昂令。王妃リディアに触れる事を許されるただ一人の夫は、今朝も愛しい妃の声で起こされる。


「……うぅ……あと……一刻……」

「陛下――陛下陛下っ!! 起きるんだっ!! 朝だぞっ!!」

「ひぎゃあっ?!」


 ――否。叩き起こされる。


「き……妃ぃ……今朝は勘弁してくれよ。……私は昨夜は……トルキア演武祭の……最後の打ち合わせを兼ねて……武将達と宴席を開いて……だね……」

「うんっ! 酒が残っているなら益々がんばって、早起きすべきだぞ陛下っ! 起きて私と一緒に早朝の城外周を走るべきだぞっ! 今朝も絶好の、鍛錬日和だからなっ!」


 美しく、そして心身共に溌剌と逞しく成長した妃は、今日も生命力に溢れて元気いっぱいだ。


「ひぇえぇえぇぇ~っ」

「ほらほら陛下っ、三十路を過ぎたら意識的に身体を動かす事を心がけないと、あっというまに衰えるって、薬師も言っていたではないかっ。さぁがんばろう陛下っ! 水滴石穿っ! 千里の道も一歩からっ! 道邇しと雖も行かざれば至らずだっ!」

「……世の中には、過ぎたるは猶及ばざるが如し……という言葉もあってだね……妃……」

「大丈夫だっ、陛下の限界はこんな所ではないと、私は信じているぞっ!!」

「………………………………………………………………………諦めは心の養生。はぁ」


 そしてその生命力に時々ぐったりする三十路を過ぎた国王は、それでも妃の笑顔に背中を押されるようにして起き出し、今日も妃と早朝の散策(ジョギング)をするのだった。



 そういうわけで、トルキア王妃は身体を動かす事を好んでいる。


「――あっ、飛刃だっ。飛刃ーっ! おはようーっ!」

「おや、これは御妃様……と、その随分後方からヨレヨレフラフラしながら来るのは、我らが偉大なるトルキア国王陛下ではないっすか~?」

「……ひ、飛刃……切るぞ貴様……ゼイゼィ……」

「あはは、一体どこをっすかねぇ陛下ぁ~? オイラ頭が悪いから判らないっす~♪」

「……」

「そんな事より、剣の稽古をしよう飛刃っ。飛刃は今朝も演武祭前の鍛錬に来たのだろうっ? 無駄な時にはしないので、是非一手、御指南をお願いしたいっ!」


 その日も朝の散策だけでは終わらず、王妃は王城の鍛錬場近くで見つけたトルキア将軍呂飛刃を捕まえ、剣の指南を頼み込む。


「あー……陛下、いいっすかね?」

「許す。…………そして私はここで休む……ゼイゼィ……」

「良いってっ! よーし飛刃、御指南お願いしますっ!」


 そしてそんな王妃の剣鍛錬に許可を出して鍛錬場で休憩するのも、ここしばらくトルキア国王の日課になっていた。


「――おお、これは国王陛下、御妃様。おはようございます」

「今朝も鍛錬なさるのですか?」

「いや、そのままでよい。兵達は鍛錬を続けよ」


 国王と妃を迎えた早朝の鍛錬場は、多くの兵士達で賑わっていた。


「……お前達は、演武祭の鍛錬仕上げか?」


 それはもうじき、トルキア王国で、演武祭が開催されるからだった。

 兵士の鍛錬成果を確かめるためにと、隆武で開催されている武術大会を真似た演武祭が、トルキア王国でも開催されるようになって、もう五年目となる。


「仰せの通りにございます、陛下。……とはいえ、開催まであと二日となってしまっては、ワシごときが今更ジタバタしても、仕方が無いのでございますがな」

「ワシも右に同じにございます。ただ家でゴロゴロとしておりますと、妻と娘達が口うるさくてかなわんのですわい。お隣さんは、優勝目指してがんばっているのに、と」

「はは……まぁがんばれ」


 鍛錬所にいる兵達の中でも特に身分ある武将である壮年の男二人は、休憩用の椅子に腰掛けた国王に深々と頭を下げた後、再び鍛錬に戻った。

 男達は口調や態度こそ穏やかではあるものの、その鍛錬に手抜きは無く、今朝の太刀筋も鋭い。

 折角出場するからには勝ちたい、恥ずかしくない結果を残したい。というのは、ここで鍛錬している兵達皆が、身分を問わずに思っている事だ。

 ――なお、上位入賞者は名誉だけでなく、金一封がもらえる、という演武祭の取り決めも、兵士達のやる気を高める一因となってはいる。


「むぅ……木剣か」

「当たり前っすよ、御妃様」

「……でも演武祭は、刃を潰しているとはいえ、真剣でやるのだろうっ?」

「……ほほ~う、なんで、参加者でもない御妃様が、演武祭を気にしてるっすかねぇ~?」

「え~……、それは……なんでもないぞ飛刃っ。いっくぞーっ!」

「……」

「……」


 そんな静かに燃える男達から少し離れた場所で、一礼後木剣を構えた妃は、勢い良く飛刃へと飛びかかった。


「えいやっ!! ていっ!! せいっ!!」

「おっとっと。――嫌な所を、責めるようになったっすねぇ御妃様っ。感心感心っ」

「師である、飛刃の教えが良いからなっ!! ていっ!!」


 しなやかな全身のバネを使って軽やかに間合いを詰め、飛刃の攻撃をかわしつつ、鋭く木剣を振るう妃の武術も、鍛錬所の兵士達に見劣りしない大したものだ。


「それは光栄っす、ねっとっ!」

「うわっと!」


 『一度でも怠けたら、もう教えないっすよ?』と、最初に教えを乞うた時飛刃に言われた妃は、その日から約束通り一日も休まず、飛刃に言われた鍛錬を自主的に続け、地道に功夫(クンフー)を積んできた。


『……子供の頃から、実は頑張り屋さんだったもんなぁ』


 妃と飛刃の試合を見物していた王は、手の肉刺を痛がりつつも、決して修練を怠らなかった妃の子供の頃をふと思い出し、不覚にも少々感動してしまう。


『本当に……大きく、逞しく育って』


 貴人の妻の嗜みと言うには少々やり過ぎた出来ではあるものの、幼い頃から一生懸命妃が積み上げてきた成果だと思えば、王はそれを否定する事などできない。

 妃が成長し本物の夫婦となった今でも、王は赤ん坊だった妃の健やかな成長を祈り、その変化に一喜一憂した過去を、忘れる事はなかった。


『――まぁ、それはそれとして……』


 ――もっとも、成果を出せば何でも許すかと言えば、勿論そうではないが。


「――くっ!」

「はい、終わりっす。……オイラの強打を、とっさに真正面から受け止めようとするのは、御妃様の悪いクセっすね。相手の力と体格差を忘れちゃ、勝てないっすよ?」

「うぅ~……肝に銘じます、老師(センセイ)


 結局、飛刃に返し技(カウンター)からの強打で木剣を弾き飛ばされ、妃の試合は終わった。


「でも、イイ線はいってたっすよ御妃様。オイラも油断できなくなったっす」

「その強者ぶった態度が悔しいぞ飛刃っ。いつかお前から、勝利をもぎ取りたいものだっ」

「あはは、させないっすよ~。これで喰ってる身としては、お守りする方々より弱いわけには、いかないっすからねぇ」

「むぅ……その余裕のまま、優勝を目指すのか?」

「いやいや、相手だって殆どがトルキアの兵士。オイラと同じく、これでメシ喰ってる猛者共っすよ? まぁ、王の近衛として、上位入賞は目指すつもりっすけどねぇ」


 五年間は近衛武官として城内警備の任務に就いていたため、実のところ飛刃は、今年が演武祭初参加だ。


「……というわけで鍛錬所の皆さん、お手柔らかに?」


 ややぎこちない動きで見返して声をかけた飛刃に、男達はにこやかに返す。


「はっはっは、するとお思いですかな呂将軍?」

「散々遊び倒した末に、可愛い幼妻と結婚しやがった勝ち組野郎に」

「花街の娘々(ねーちゃん)達と未だ仲良くしてる助平野郎に」

「王城の女官達から、『貫禄が増した姿が素敵』などと未だ言われている色男野郎に」

「我らが」

「お手柔らかに」

「するとでも?」

「はっはっは」

「はっはっは」

「はっはっは」

「はっはっは」

「はっはっは」

「あー……あははは~……」

「――飛刃」

「あ、へ、陛下ぁ~助けて下さいっすよぉ~っ」


 そして相変わらず同性から全力で嫉妬されている飛刃に、薄ら笑いを返して王は言う。


「お前上位入賞できなかったら、『選り抜きガチムチトルキア兵・千人組み手の刑』な」

「いぎゃあああああああ?!!」


 ムサ苦しくて死ぬぅうううう!! と絶叫する飛刃に、それはよろしいですなっ、と返した鍛錬場の男達は、王の提案に拍手喝采を送った。


「飛刃~、相変わらずお前、男達には嫌われてるなぁ?」

「うぅ……御妃様、これは色男の名誉税ってやつっすぅ……」

「そーなのか? まぁもうすぐ子が生まれる我乳姉妹に、心配をかけないようにな?」

「……それは心得てるっす」

「うん。ならば良い」


 妃の乳姉妹でもある飛刃の妻は、現在産休中で実家に下がっていた。


「……さてと、じゃあ今朝はそろそろいいかな。飛刃……いや、呂老師様(センセイ)、一手御指南ありがとうゴザイマシタ」

「はいはい。……ここしばらく、熱心っすねぇ御妃様?」

「ん? そーか? グーゼンじゃないカ?」

「……」


 そんな乳姉妹を気遣った妃は、やがて何食わぬ顔で木剣を飛刃に返すと、ひらりと身を返して王の元へと戻ってくる。


「じゃあ、戻ろう陛下っ。そろそろ、朝餉の時間だぞっ」

「そうだねぇ……」


 明るい笑顔の妃を見返していた王は、やがて笑顔を返して妃に言う。


「ちょっと飛刃に話があるから、妃は先に戻ってなさい?」

「……わかったぞ~っ」


 一瞬王をじっと見返した妃は、すぐに笑顔に戻って、鍛錬所の外へと駆けて行った。


「……飛刃」

「……多分、陛下がお考えになった通りじゃないっすかねぇ……?」


 妃が帰った鍛錬所に残った王は、飛刃と視線を交わし、揃ってため息をつく。


「あれは……ここしばらく思っていたが、何か企んでいる顔だな」

「顔っすねぇ」

「御意にございますな」

「あれは、御妃様が五歳の頃、王城の壺を割って、こっそり隠した時と同じ顔にございましたな」

「いやいや、あれは御妃様が九歳の頃、市場から逃げた仔虎を、こっそり城に匿って飼っていた時の顔にございますな」

「あれは驚きましたな。大きな猫と思いましたが。それより御妃様が十二歳の頃……」


 王と飛刃の会話に、鍛錬所の将達も混じる。

 妃を赤ん坊の頃から見知っている年長の男達は、王妃の挙動不審を感じ取る。


「……何かあったか?」

「警備上は特に何も? 演武祭に訪れた諸外国の王子や良家子息が、御妃様に美辞麗多加で何かと話しかけたがる程度で」

「ああ、それは大した事では無いな」


 毎年の事と、王は軽く肩を竦めた。

 特に由緒あるものでもないが、大勢の出場者で賑わう大きな武術大会という事で、トルキア王国の演武祭にはここ数年、諸外国の戦士達が腕試しに訪れている。

 その中でも王城に滞在を許された近隣諸国の良家の子息達が、(外見は)女らしく美しい王妃に心惹かれ、なんとか逢う機会を得ようとするのは、毎年の事だった。


「今年は、鬼嫁の眼光で男共を追い返す我妻も産休中っすからねぇ。オイラや近衛、女官達も、王妃様には特に気を付けてるっすし、客として滞在している坊ちゃん達も、そんな状態で無分別な真似はしないっすよ。殆どは」

「……殆どは、か」

「馬鹿は毎年出るもんっす。……といっても、少々お口が過ぎた程度っすけど」

「ふん? ……妃に、私のような冴えない老いぼれに嫁がされて気の毒だ、とでも言ったか?」

「そんな感じっすね。あとは……」


―誇り高きトルキア王家最後の姫君が、このような望まない婚姻を結ばされるとは―

―私が必ずや、あの男から貴女様をお助けしよう―

―私の父は、貴女様を私の許婚になったはずの姫と言った―

―つまり貴女様は、本来なら我が妻だったはずなのだから―


「――とか、近衛武官や女官達が見てる前で、堂々とぬかしてやがったっすよ」

「それはそれは。おいたが過ぎるお口だ。……妃の許婚となりえた国の王子、というとどこの誰かな。確か今年の参加者は、パルダン王国の第三王子と、ハティア王国の第八王子と、アフジャールの第一王子と……」

「あ、そいつっす。アフジャール王国第一王子、ナヴィド」

「ほう。……南西から地中の海交易路の、よい取引相手国だな」

「その辺、御妃様もわかってらして、殺気だった近衛や女官達を押しとどめて、落ち着いて対応してらしたっす」

「……妃が?」

「そう、御妃様が」


―ナヴィド王子、貴方様は我が国と良好な関係を築く、アフジャールの御世嗣―

―そのお立場に相応しい御言葉を、心がけられた方がよろしいでしょう―

―トルキア国王の妃として、今の言葉は、聞かなかった事にいたします―

―……ただし、これ以上我が君に対する無礼は許されぬと、ご理解なさいませ―


「――と、優美さの中にもしっかり毒を含ませた口調で、王妃様はアホ王子に冷淡にお返しして、その場を堂々と立ち去っていったっす。アホ王子は呆然、数秒後に真っ赤になってウダウダ」


 おぉー、と、孫の成長を見守るような、武将達の拍手が湧き上がった。


「あ、陛下には言うなと、御妃様は口止めもしてたっす」

「言ってるじゃないか飛刃」

「口止めされたのは、御妃様に付いていた武官と女官達っす。こっそり影から様子を見守っていたオイラは、口止め命令範囲外っす」

「お前って、そういう抜け道捜すのが上手いよな」


 悪びれない飛刃に苦笑した王は、肘掛けに肘をついて飛刃を見上げると、飛刃に問う。


「……妃は、怒ったのだろうか?」

「それはもう。誰もいない王妃の私室に戻った瞬間、『ふざっけんなあの○○○○の×××野郎ー!! てめぇの△△に□□□□□ブッ刺されて死ねぇえええええ!!』と言いながら、枕を殴ってたっすから」

「ど、どこでそんな野蛮な言葉遣いを。……いや、聞くまでもないか」

「え? なんっすか~陛下?」

「もういい。……はぁ」


 諦めたように言う王は、やがて肘掛けに着いた肘に身体を預け、ボソリと言う。


「……まさかアホ王子に怒ったせいで、妃は何かしょうもない事を、企んでいるんじゃないだろうな?」

「そういや、御妃様が特に挙動不審になられた時期と、ぴったり一致してるっすねぇ」

「……乳姉妹、早く帰ってきてくれ……」

「気持ちは判るっすけど、産み月の妊婦を今の騒がしい王城に連れて来たくはないっす」

「判ってる。つい漏れた弱音だ。……だが今や乳姉妹は、乳母殿以上に妃の企みを看破できる対妃の熟練者(エキスパート)だ」

「確かに、オイラ達は『なんかやらかしてるな~』としか判らないっすもんね」

「うむ」

「うーん、仕方が無いから妻に聞いてみるっすかね? 状況を話せば、御妃様の行動を読んでくれるかもしれないっす」

「そうだな、頼むか。……飛刃」

「はい?」

「……」


 複雑な表情で逡巡した王は、そっぽを向きながら飛刃に言う。


「……もし当たったら、負けるなよ」


 誰に、とは言わない王の言葉に、それでも飛刃は一礼を取ると、強気の笑みを浮かべて応えた。


「御心のままに、我らが君。――口の利き方を知らないクソガキ退治は、オイラにおまかせっす」


 お前も大概だけどな、と返して王は苦笑した。

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