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終幕後 ――雪下泪 下

 王は戸惑いながら、妃に言う。


「……そんな事、考えもしなかったな。……勿論喪に服す時には、故人を偲んで悲しんでみせるけどさ」

「そうか」


 王の言葉に妃は頷き、そうなのか……と、小さく呟く。


「親不孝者だと、呆れたかい?」

「いいや……そもそも親への孝徳うんぬんに関しては、両親を全く覚えていない私が、とやかく言えるような事ではないと思う」


 妃はもう一度手の平で雪で濡れた王の髪を拭うと、王を雪風から守るように毛皮を引き上げて、王の肩に掛け直し身を寄せる。

 

「……ただ、私は……夫であり、幼い頃は父とも兄とも思った貴方がもし死んだら……きっと貴方との楽しかった思い出を沢山思い出して、号泣するから」

「……妃」

「……だから……少しだけ思ったんだ。……貴方には御父上に対して、なにも思い出は無いのか……と」

「……思い出……か」


 妃の人間らしい優しい情緒に癒されながらも、王はやはり戸惑いを隠せず毛皮の中で身動いだ。


「……父と会った回数だけなら、母より多いくらいなんだけどなぁ……」


 だがそれは、会う度息子を親身に気遣っていた母妃とはまるで違う。あくまで帝と皇子としての祭祀や儀礼、謁見に過ぎないものだったと、王は改めて思い出す。


「……あの男が……私に父親の顔を見せた事なんか……あっただろうか。……いや」


 ――残念ながら無かった。

 そう妃に告げようとした王は、だがそれがどこか心苦しく、思わず顔を外へと逸らす。


「――うわっ?」


 ――その時。突然窓から一際強い雪交じりの風が吹き込み、まるで王の額を打つように、雪粒が叩き付けられた。


「つめた……しかもちょっと痛い」

「陛下っ、大丈夫か?」

「……うん、小さな雪粒だったからね。雪玉だったら、この程度ではすまなかった……」


 慌てて身を離して見上げてきた妃に、王は大丈夫だと笑いかけ――ようとした。


―――……ほう、大胆な戦法を取ったものだな――令よ―


「……」

「……どうした、陛下?」


―大人しい小心者だと思っていたが、なかなかどうして、良い度胸ではないか―


 ――と。古い記憶がふいに、王の奥底からうっすらと浮かび上がり、脳裏をよぎる。


「……あれだけの事を……まだ覚えていたのか」

「あれだけの事?」

「……きっと雪のせいだ。……思い出した」


 それは遠い、そして王自身も今の今まで全く気にも留めなかった、些細な記憶だった。


「……もしかして、御父上との思い出か陛下っ?」

「そ……そんな良いものでもないよ妃。……ただ少しだけ、思いもかけぬ時に父と会って、驚いただけさ」

「聞きたいっ」

「……だからそんな、良い話じゃないんだってば……」


 目を輝かせた妃に見つめられた王は、恥ずかしそうにまた外へと視線を逸らし、そして話を始めた。


「……もう二十年は前の話だ。……あれは白い雪が帝都の家屋敷を、すっぽりと覆い隠してしまうほど降り積もった真冬の事だった」

「雪? 雪が……積もる? だってこれは、地面に落ちたら溶けて消えてしまうぞ陛下?」

「はは……この地方で育った君には想像できないかもしれないが、帝都ではこの水で出来た雪が山のように降り積もり、小さな家を押し潰したり、道を塞いだりする事もあったんだよ」

「へえ……国中に積もった、道を埋めてしまうほどの大雪かぁ……当事者達には大変だろうが、ちょっとだけ見てみたいな」


 驚いた妃の言葉に、王は微笑む。


「……あ、不謹慎か」

「いやいや、気持ちは理解できる。大人達にとっては煩わしいだけの積雪だが、子供にとっては恰好の遊び道具だったのは確かだ。雪が降り出すと、外で遊ぶ事が好きな者達は、妃のように目を輝かせていたよ」

「雪で遊べるのかっ」

「ああ。雪像を造ったり、雪で覆われた丘から滑ったり。……雪で家を造って、中で遊ぶ者達もいたっけ」

「すごいなすごいなっ。陛下も遊んだのかっ?」

「……私は正直……暖かい室内でぬくぬくとしていたかったんだけどねぇ。……そういう時に限って、外好きな乱暴者兄弟達が絡んできたのさ」


―令っ、雪が充分降り積もったから、明日は雪合戦をするぞ!!―


「あ、雪合戦というのは、雪で作った玉をぶつけ合う遊びね」


―お前達、貧弱共も混ぜてやるよっ―

―第九、第十弟達にも声をかけたからなっ、逃げるなよっ―

―へっへっへっ。ボッコボコにして、雪に埋めてやるぜっ―


「……と、こんな感じで。外遊びに自信のある兄弟達が、私のような室内好きな兄弟達を外に引っ張り出して、雪玉の的にしようとしたわけだ。……第九、十皇子達も、母親の身分が低い事もあって、大人しい子達だったからなぁ」

「……陛下達、いじめられてたのか。その時私がいたら、いじめっ子達なんかやっつけてやったのにっ」

「いやー、身体だけは頑強な連中だったからねぇ。君だってまともにケンカしたら、勝てないと思うよ」

「という事は……そいつらの宣告通り、陛下達はボッコボコにされて、雪に埋められてしまったのかっ?」

「……生憎私は寒いのが嫌いなんでね。そんな運命には勿論、抗ってみたよ」

「どうやってっ?」


 くすりと笑って、王は続けた。


「まず妃、皇子達が遊ぶ皇宮の中庭には、沢山の木々があった」

「木々か」

「そしてその木々はだね、枝に雪が降り積もり、その重みで折れてしまわないよう囲いをつけた上で、一本一本、枝をこう、無理矢理丸め込むようにしてまとめて、丈夫な木の幹に縛り付けられていたんだ」

「ゆ、雪って重いのか……」

「重いんだよこれが。……そして、縛られた木々の上にも、勿論雪は沢山降り積もっていたわけだ」

「うん? それがどうしたんだ陛下?」

「うん、それをだね妃……」


―えー?! オイラいやっすよ皇子ー!! 後でに庭管理の宦官達に怒られるっすよー!!―

―大丈夫だ乳兄弟、これは事故だ事故。遊んでる時に起きてしまった、不慮の事故だ―


「……と、飛刃に命令してね。夜のうちに、その枝を縛っている縄にちょっと切り込みをいれて、下から引っ張る事で、縄が切れるようにしておいたんだ」

「……え? ……枝をまとめて縛っている、雪が積もってる木の縄を切る……と……?」


 何が起こるのか、妃は考えた。

 薄ら笑いを浮かべ、王は答える。


「――雪が跳ね落ちるんだよ」

「……あっ」

「しかも、まるで投石機に乗せられた岩弾のように、勢い良くね」

「そうかっ、枝は無理矢理まとめられて、木に縛り付けられているんだもんなっ。確かに拘束が無くなったら、引き絞られた弓矢が放たれるように、思いっきり雪を振り落として元に戻るよなっ」

「そういう事。まともにやったって敵わないからね。庭にある()()()を利用させてもらう事にしたのさ。味方がひっかかってしまっては困るので、地面の方に罠は仕掛けられないし」

「流石だ陛下……子供の頃から、なんてえげつないんだっ」

「はっはっは。褒められてる気がしないよ妃」


 良い笑顔で、王は雪合戦の顛末を語る。


「雪合戦開始直後、あいつらが逃げる私達を追いかけて、木の近くに入った時、次々縄を切って雪を落としてやった」


―ひ?!! ひぎゃああっ?!!―

―なっなんだこれ――卑怯―――

―それ今だーやっちゃえーっ―

―おーっ―


「そして良い感じに雪の塊が命中して、雪に埋まって動けなくなった乱暴者達に、飛刃に作らせて木の下に隠しておいた、雪玉でとどめを刺した」

「うわぁ用意周到……陛下達、勝ったわけだ」

「そうだねぇ。日頃の恨みとばかりに、大人しい皇子達みんなで容赦無く、ボッコボコに雪玉を投げつけたからね。あっという間に乱暴者達は雪に埋もれて、戦意喪失したわけだ」

「完勝だなっ」

「……それをね」

「ん?」

「……あの男が後宮の女達と見ていたんだ」

「……御父上が?」

「うん。……後宮を囲む大きな塀は、実はその上を見張りが歩けるように、かなり広い通路になっているんだよ。それでその日、たまたま暇だったらしい父帝は、雪が積もった宮の周辺を散策していたわけだ」

「女人達と一緒に?」

「そう。……その一団に、乱暴者達の母親もいてさ」


―まぁ!! この妾の大切な若子に、なんという乱暴を!!―

―陛下!! あの者達をきつく叱って下さいませっ!!―

―いいえっ、子の罪は母の罪っ!! あの者達の母妃達も、処罰されるべきですわっ!!―


「それがかなりの権勢家出身の后妃達でね。……いやぁ、不味いところを見られたな、と、ちょっと焦っちゃったよ」

「多分外見じゃあ、全然焦ってないように見えたんだろうな」

「どうかな……それは覚えて無いけれど……」


―ただの遊びであろう―

―兄弟皆で揃って、中々楽しそうではないか―


「……父帝の一言で、女達が黙ってくれたのはほっとしたよ」

「そっか、御父上は、陛下達を庇ってくれたんだなっ」

「……思いっきり、后妃達への皮肉が込められていたように聞こえたけどね。……でも確かに、遊びと言い切られてしまっては、それ以上后妃達も私達を責める事はできなくなった。……そして」


―……なるほど、庭木を利用したのか。くくく、悪辣だな。誰の企てだ?―

―五兄上様ですっ―

―罠も雪玉も、令兄上が前日から仕込んでいたそうですっ―

―あっ! お前達余計な事をっ―

―……令―

―っ……は、はい。……陛下、兄弟を相手に、卑劣な策を講じました。お許し下さい―

―……ほう、大胆な戦法を取ったものだな――令よ―

―……っ―

―大人しい小心者だと思っていたが、なかなかどうして、良い度胸ではないか―


「……あの時父帝は……あの瞬間だけは」


―母親似に見えるが……確かにそなたは、朕の子だな―


「……私を政略の駒である皇子ではなく……息子として見ていたと思う」


 それきり、そのような事はなかった。

 それはただ一度の、息子の成長を喜ぶ父親の言葉だった。


「……ただの、思い込みかもしれないけどね」

「ううん、きっとそんな事はないぞ陛下っ。……陛下の覚えている通り、御父上様はきっと、陛下の成長を喜ばれていたんだっ」


 ぽつりと付け加えた王に、妃はにっこりと笑顔を返して首を振る。


「……どうしてそう思うんだい、妃?」

「それはもちろん、なんとなくだっ」

「……ははは、全く女人の『なんとなく』ってやつは……」

「侮れない、だろ?」

「……だ、ね」


 そして先程の王の言葉を返す妃に、王は表情を和らげ、降参するように肩を竦めた。


「……う、わ」


 そんな王に、再び雪交じりの冷風が吹き付ける。


「ああ……全く、寒いのは嫌いだよ」

「でもきっと、寒かったから雪が降って、雪が降ったから御父上の御言葉を陛下が思い出せたんだぞ」

「……そうだね。……まぁ別に、思い出しても出さなくてもよかったんだけど?」

「陛下……実は意地っ張り照れ屋(ツンデレ)だろう?」

「……」


 王は明言を避けるように、もう一度毛皮ごと妃を抱きしめた。


「……泣くか? 陛下」

「……いいや、私は泣かないよ妃。……これだけは判る。……あの男だって、そんな事は望んじゃいない」

「……そうか」


 そして王に応えるように、妃は王を抱き返し、その背を優しく撫でた。


「……ならば、泣かない貴方の代わりに……私が泣こう……陛下」



 ――トルキア王城に正式な隆武皇帝崩御、そして新帝即位の報が届くのは、この二ヶ月後の事である。

 天運に見放されてはいなかったトルキア国王昂令は、新帝となった異母兄から廃位や死を賜る事もなく、その地位を無事保証される。


 帝国歴史書によれば、新帝より一層トルキアの王として励むよう記された勅旨を、昂令は王、そして皇弟に相応しい堂々とした態度で受け取り。


 ――そしてその傍らに控えていた虎娘妃は、夫と共に勅旨を賜りながら、亡き先帝のために清らかな涙を流したと言う。

御読了ありがとうございました。

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