終幕後 ――妃十五歳⑧
その日。ティーナーは美しいかんばせを歪め黒髪を振り乱し、自分を貶めたトルキア王妃を呪っていた。
「ああ!! あの小娘!! 忌々しい!!」
「ひ、姫様……」
「お黙りこの役立たず共!! あぁ……おのれ……おのれぇ!! よくも妾を……許さぬっ!!」
ティーナーの自分本位で高慢な思考には、自業自得という言葉はなく、自戒もない。
自分こそが王妃を先に陥れようとしていた、という事実に頓着する事もなく、ティーナーはただ王妃を憎悪し、そして自分の『可哀想な』現状を嘆いていた。
「あの小娘さえいなければ……妾は……妾は幸せになれたというのに!! あぁ……妾はなんと不幸なの!! 妾の幸福を!! 恋を!! あんなクソガキに邪魔されるなんて!!」
ティーナーは普段取り繕っていた清楚な物腰とはほど遠い、感情的な様子で周囲に当たり散らす。
「だ、大丈夫でございますティーナー姫様」
「そうでございますティーナー姫。此度の事は不問に処すと、トルキア国王陛下もおっしゃっておられたではございませんか」
「あれは『巻き込まれた』ティーナー姫様の名誉を、トルキア国王陛下が考えて下さったからでございましょうとも」
「そうでございますとも。ティーナー姫様、トルキア国王陛下のお心は、未だ姫様へと向いておられます」
そんな主人の気性を理解している侍女達は、ひたすらティーナーの怒りを静めるため、甘い言葉で慰める。
「……そう、かしら?」
「そうに決まっております。……そうでなくては、ティーナー姫様」
「……っ」
そして、その慰めに込められた侍女達の懇願に気付いたティーナーも、冷静さを取り戻し顔を上げた。
「そう……ね。……その通りだわ。……妾はこんなにも美しい。……かの方は確かに妾の美貌に好意を感じたのだから。……まだ妾は負けた訳ではないわ」
ティーナーは、侍女が捧げ持つ銅の鏡の前で濡れ羽色に輝く髪を手で梳き、白い肌に流れ落としながら心を落ち着ける。
自惚れでなく、ティーナーは類い希なる美姫だ。
髪の根元からツメの先まで丹念に手入れされ続け、まるで高価な宝石のように磨き上げられたその美貌を、ティーナー姫は幼い頃から、より効果的に使うよう周囲から教えられて来たのだ。――自分の売りは、誰よりも理解している。
「……トルキア国王陛下。……隆武帝国最高権力者の血を引く、高貴で洗練された一国の主。彼ほど妾に相応しい殿方はいないし、妾ほどあの方の隣が似合う姫はいない」
あんな小娘などよりよほど。
そう呟いたティーナーは艶然と微笑み、鏡に映る自身の美貌に満足しながらも――内心で、最大の障害となったトルキア王妃の姿を、つい思い浮かべてしまう。
『……女として色付き完全に花開くには、まだ早い。……そうなる前に――あの小娘は絶対に排除してやる』
王妃が大人の女へと成長する頃には、自分は花の盛りを過ぎている。
それがよく判っているティーナーにとって、トルキア王妃は絶対今の内に排除しなくてはならない、忌々しい障害だ。
『……そう、先日は失敗してしまったが、機会はある。……あの粗暴で考え無しのガキならば、罠に嵌めるのもまだそう難しくは無いはず。……今度こそ失敗はしない。……顔を潰すか、身体を汚すか。……あの小娘。高貴な殿方が目を背けたくなるほど、醜悪なモノへと貶めてやる』
障害が潰れ排除される瞬間を想像しただけで、ティーナーの心は安らぎ幸福を感じた。
更に自分が、なんの憂いも無く意中の男に抱かれる姿を想像すれば、その多幸感は天にも昇らんばかりに高まる。
『……妾は必ず、トルキア王の寵姫となってみせる。……絶対に……絶対にこの『機会』は逃さない。……さもなくば……』
――不愉快な事を思い出し、ティーナーの眉根が僅かに寄った。
『……いいえ、あんな事はもうどうでもいい。……トルキア王さえ籠絡し妾のとりことしてしまえば、、『あんな不愉快な事』を思い出し、死にたくなるほどの屈辱を覚える事も、もう無いのだから』
それを押し潰すようにティーナーは再び、鏡の中の自分へと微笑みかける。
『不快な過去も、忌々しい障害も、全て排除して妾は王の最愛の女となる。……そうしてやっと、妾は幸福になれる。……誰にも邪魔はさせない』
内心に描く輝かしい未来が手に入る事を、ティーナーは確信していた。
「――ティーナー姫様、トルキア国王陛下が」
「――っ」
そして、その幸運を運んで来るように、ティーナーの部屋にトルキア国王が訪れる。
「お加減はいかがですかティーナー姫。……先日の思わぬ災難に、お気持ちが塞いでおられると聞いたが」
「まぁ陛下っ……ああっ、陛下っ、妾は……妾は……っ」
穏やかな声に誘われるように、ティーナーは王の元へと駆け寄った。
忌々しくも、王の周囲に立つ護衛達に阻まれ縋り付く事はできなかったが、ならば王から抱き寄せてもらえば良いと、ティーナーは自分が最も儚げに見える仕草で身を強張らせ、王を見上げる。
「……陛下。……あのような汚らわしい騒動に巻き込まれ、妾はとても恐ろしかったのです……」
「ええ、判っておりますよティーナー姫。お気持ちはお察しします。……貴女のお気持ちが一刻も早く安らぐ事を、祈らずにはいられません」
「陛下っ」
変わらぬ優しい物腰と声に、王の関心がまだ自分にあるとティーナーは確信する。
『そうよ、陛下は既に妾の美貌のとりこ……何も恐れる事はないわっ』
「……」
目を輝かせるティーナーをトルキア王は静かに見返し、護衛を退かせて一歩前に出た。
そして綺麗に整った微笑を浮かべ、震え(て見せてい)るティーナーの手を、そっと取る。
「……友として、私は貴女の幸せを祈っておりますよティーナー姫」
「あぁ……陛下のお気持ち、とても嬉しゅうございます……っ」
王の好意に返すように、ティーナーはその手を握り返し、そしてそのまま王の胸へと身体を預けようと――した。
「……おっと」
「……えっ?」
だが、そんなティーナーを、王はそっと押し戻し一歩下がる。
「へ……陛下?」
「不作法を許して下さいティーナー姫。恥をかかせる気はないのですよ」
戸惑うティーナーに、王は変わらぬ整った微笑のまま穏やかに返す。
「……ですが、あらぬ誤解を受けるのは、お互い良くないと思いましてね」
「ご、かい……?」
ざわり、と不快な空気をティーナーは感じた。
そして王の視線に、いつにない不安と焦燥を覚えた。
「ええ、誤解です。私は我が妃に、私の愛情を疑われたくありませんし」
「っ……」
いつも通り穏やかで優しい王の視線は――その癖今は、一欠片の暖かみも感じさせない。
『何を――何をおっしゃっているのこの方はっ。あ、貴方が愛情を抱かれたのは、この妾にでしょう? あんな小娘より、妾は貴方好みの女のはずっ』
「それに……」
『――っ!!』
思わず口を突いて出そうになったティーナーの反論は、王の冷静な声と、王の背後――入口である扉の外に立つ人影によって封じられた。
『――う――嘘っ』
「……貴女とて、『この方』に誤解されるのは、失礼でありましょう?」
そう言って、視線をティーナーから背後へと向けながら、王は道を空けた。
王に従って周囲の護衛達も道を空け、ティーナーとその人影を遮るものは、何も無くなった。
「――ひ――」
一歩、人影が扉から部屋へと入ってくる。
「ひ――ぃ」
その姿が明るい室内で、次第に明瞭になっていく。
それはティーナーにとっての、厄災そのものだった。
屈辱そのものだった。
理不尽そのものだった。
不幸そのものだった。そして。
「ひぃいいいいいやぁあああああああああああああああああああああああ!!!」
――それら全てを凝縮した手に捕らえらえられたティーナーは、声を限りに絶叫した。
――その日の昼過ぎ。
「いやぁああああ!! 離して!! 離してぇえええ!!!」
「わっはっは。いやぁ、まんず世話っごさかけでぇ、すまんがったのぉトルキア王!!」
――でかい。とにかくでっかいおじさんが、ティーナー姫を肩に担いで城門で笑っていた。
「嫁入り行列が兇奴さ襲われで、姫がさらわれてあっささんて!! 手ごと尽くして探していたれが、おめさん達トルキア国が、保護してってもうて助がったぁっ!!」
異国訛りだろう、聞き取り辛いがとにかく迫力がある話し方をするそのおじさんは、縦にも横にも分厚く広く、見事な太鼓腹と屈強な体躯を動きやすそうな皮鎧で包んだ、見上げるような巨漢だった。その顔立ちは、岩石を切り出したように厳つい。
「おうっ、おめっらもトルキア王に礼ば言えっ!!」
「ありがとうございますいね!!」
「助かりましたっでぇ!!」
ついでに、巨漢おじさんの背後に並ぶ男達の集団もまた皆巨漢。大迫力だ。
「いや、当然の事をしたまでだ。リュルキス族王」
そんなおじさん達の前に立ち、ウチの陛下は朗らかに応対していたが。
「――さ、山賊?」
「海賊?」
「お、鬼?」
「巨人……」
遠巻きに見守る女官達からは、怯えたような囁きが聞こえてくる。
……別にそこまで怖がる事もないと思うんだけどな? このおじさん迫力はあるけど、敵意はないようだし。……なにより。
「ぎゃあああああ!! 離しなさいこの下郎!! お前との婚姻など!! 妾は決して認めてはおりませんぞきゃああああ!!」
――あのティーナー姫を連れて帰ってくれるというのだから、私にとっては好意に値するおじさんだ。
あ、ティーナー姫尻揉まれてる。
「がっはっはっ。気ぃ強い嫁ごっだなぁ!! ええぞええぞっ、ワシの嫁なら、跳ねっ返るぐらいでねぇどなっ!!」
「お黙りこの下賤者!! 陛下!! トルキア国王陛下!! 違うのです!! これは全くの間違いで――」
「……ティーナー姫。……姫とそちら、リュルキス族王との婚姻は、国同士が正式に約定が取り交わした政略だったそうですね。姫の御国にも確認させていただきました」
「――っ!!」
穏やかだが反論を許さない陛下の言葉に、無理矢理振り向いていたティーナー姫の言葉はピタリと止まり、顔は強張った。陛下はなおも言う。
「そして貴女は、婚姻するためリュルキスの地へ向かっていたところを、兇奴に襲われさらわれたのですか」
「そっ……れは……」
「……姫から詳細をお教えいただけなかったため、確認に手間取ってしまいましたよ。……勿論国同士の約定を、軽々しく外で話す訳にはいかなかったでしょうから、仕方がありませんが……」
「へっ陛下!! 妾は決して貴方様を騙したわけでは――」
陛下は、おじさんに担がれたティーナー姫を見上げ微笑む。
「婚姻は、王族の大切な責務ですね」
「……っ」
「貴女も一国の主に連なる者ならば、よもやその義務を、お忘れではありますまい?」
「そ……れはっ!! ですが陛下!! 妾は貴方様を――」
「貴女の今後のご多幸を、友として祈らせていただきましょう」
そして、一縷の望みを託しているんだろう、ティーナー姫の懇願を、陛下はあっさりと無碍にする。
「……どうぞお幸せに、ティーナー姫」
「へっ――へへ陛下っ!! トルキア国王陛下!!」
そう言って優美に一礼する陛下の――隣にいた私も、陛下に倣って一礼し、ティーナー姫に言葉を添えてやる。
「へ――陛下待って下さい!! 違う!! イヤ!! こんな粗野で下品で野蛮な男の妻となるなんて妾は――」
「ティーナー姫」
「っ……トルキア王妃っ」
「……我が夫共々、貴女様のご多幸をお祈りします。――どうぞ、トルキアから遠く離れたリュルキスの地で、御夫君とお幸せに」
「っ――っっっっっ!! この――このぉおおお!!!」
おーや、鬼の形相になって、どうされましたティーナー姫? 折角貴女の幸せを、祈ってあげたというのに。
……二度とトルキアに来るなよ、女狐。
「がっはっはっはっ!! なごりおしっが、そろそろ出発だっどティーナー。ワシの嫁っご」
「気安く呼ばないで!! お前のような下品で野蛮な簒奪者!! 我が夫とも王族とも認めるものか!!」
「がっはっはっはっは」
そんなティーナー姫の罵詈雑言に怒る様子も無く、むしろどこか楽しそうに聞くおじさん……じゃない、リュルキス族王は、しばらく笑った後陛下へと向き直り。
「……借りがでぎだの、トルキア王」
……意外にも、真剣な表情で言葉を発した。……借り?
「……おや? 借りと思ってもらえるのかリュルキス族王?」
「馬鹿にすっもんじゃねっぞトルキア王。……ワシゃああっまり頭は良ぐねっが、おめさん達のおかげで、ワシとティーナーの実家、双方の面子が潰れながっだごとぐらいわがる」
……??
「勿論、私にだって判っているさリュルキス族王。……貴公が見た目通りただの野蛮人ならば、リュルキスの先王から王位を奪い、内乱続きだった地を統一して発展させる事もできなかっただろう」
「……」
「だからこそ私も、貴公を利する方向で動いた。……借りと思ってくれるならば、今後はトルキアとも、是非よろしくお願いしたい」
リュルキス族王の目が、一瞬酷薄に細められた。そしてその大きな分厚い唇は、皮肉気な笑みの形に歪む。
「……おっめぇ……ティーナーを含め、ワシらの騒動を利用しだな?」
「……いやいや、結果的にそうなってしまっただけさ」
「よぐ言う。……おめ、優しげな顔しで、わっるい男だなぁ。やっば、皇帝なんで大悪党の子は、みんな悪党なんが? それとも母親が稀代の悪女が?」
良く判らなかったが、侮辱された陛下はくすりと笑い、リュルキス族王に返す。
「その理屈ならば、優秀な簒奪者の息子は優秀な簒奪者になるのかな?」
「……」
「貴公がいずれ生まれるだろう息子達の教育を間違わずに、幸せな家庭を築く事を祈っているよリュルキス族王」
「おめ……性格わっるいなぁっ!!」
「なにせ大悪党の巣育ちなものでね」
「うわぁ、ブン殴りでぇ薄ら笑いだ」
「それは、私の護衛武将が許すまいよ」
「ふん、男が自分の身ぃ守るんに、護衛頼みが?」
「簡単に死ねない身としては、効率的だよ? 何せ自分の手足と違って、失っても替えがきく」
「……がははっ、悪鬼めぇ!!」
「あはは、それは貴公の見かけの事かな?」
……よ、良く判らないが、笑顔でギスギスしながら、王二人は解り合ったようだった。
……あ、肩に担がれたティーナー姫が、顔面蒼白で固まっている。
「……おう、そこの嬢ちゃんっ。いや、御妃っがっ」
「え?」
私か、おじさん?
「トルキアの御妃、おめの旦那はおっがねっぞ!! 心して連れ添っだほうがええっ!!」
……そうか。……そうかもなぁ。……それなら。
「ご忠告ありがとうございます、リュルキス族王様。……心し、我が夫トルキア国王の隣に相応しい、大悪女となる覚悟をいたしましょう」
「……」
「……」
……今はまだ、結局この騒ぎの何がどうなって落着したのかも、判らないのだけどな。
「……がはははっ。ええどええど御妃っ、その心意気はええっ、気に入っだっ。ワシの好みになるには、あと十年は欲しいがなっ!! ……いぃや、育ち具合によっでは……あど五年ぐらいっがぁ……?」
「……そろそろ時間ではないかな、リュルキス族王?」
私の返答に大笑いしたリュルキス族王に、どこかむっとした口調で陛下はそう言うと、私の横から前に移動した。ん? どうした陛下?
「ほーう? がはははっ、おめ、女房が絡むと人間臭い顔になんだなぁ、トルキア王?」
「一体なんの事だか。さっさと帰らないと、道中日が暮れて物騒だよリュルキス族王」
「なーに、兇奴の残党でも襲ってきだら、返り討ちしで憂さ晴らしだぁ。――よぉし!! 帰っぞおめぇら!!」
リュルキス族王の呼びかけに、うおう!! という地が震えるような男達の大声が返り、王城の城門に響く。そして。
「そっではなぁっトルキア王!! その内まだ会おっど!! おめとは、敵でも味方でも楽しそっだ!!」
「へ……陛下ぁあ……こんな……こんな野蛮人が……妾の……いや……いやよ……」
「嫁っご!! 帰ったらさっそぐ子ぉ作っど!! 十は産め!!」
「いやああああああああ!!」
迫力声の巨漢集団は、ティーナー姫と侍女達を連れて……というより捕縛連行して、自国へと帰っていった。
「……はーやれやれ。これでようやく一段落か。……飛刃と宰相にも、ようやく休みがやれるなぁ。……あ、飛刃のやつ、結婚準備は進んでるのか?」
「……新居の支度は、乳母殿が手伝ってくれてるって乳姉妹が言ってたぞ」
「そう。ならなんとかなってるかな」
それを見送った陛下は、やや気抜け気味の、おっとりした様子でため息をついた。……先程族王おじさんとやりあった時のギスギス感は、もう無い。
「さて、城に戻ろうか妃」
「うん……陛下」
「……ん?」
「えーと、陛下。……結局今日はどういう事だったんだ? 陛下達は何を画策していたんだ? どうして陛下はティーナー姫に優しかったんだ? ……あと、陛下は悪党なのか?」
「色々と聞きたい事はあるようだけど……そうだねぇ」
二人並んで歩きながら、陛下は私の質問を吟味するように少しだけ沈黙すると、くすりと笑って私に返す。
「陛下は悪党なのか? か。……悪党な私は嫌いかい、妃?」
答えになってないな、陛下。……でも。
「……私は、君の性格が世界で一番好きだよ」
「……」
陛下はやや驚いたように私を見たが、やがて気付いたのか、苦笑して私のおでこをこづく。
「こら、人の言葉を真似しない」
「あはは、ばれたか。……嘘は言ってないんだし、いいだろう?」
「……はいはい。……まったく」
……あ、今陛下照れたな? ――あいたっ。
次回完結




