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終幕後 ――妃十五歳⑦

 翌朝。


「……おはよう、妃」

「おはようございます、陛下」


 こっそりと自室に戻って夜を明かした私は、珍しく早朝に目覚めると、爽やかな朝の空気に包まれた明るい国王家の食堂で、陛下を対面した。

 ……まだ朝餉時間ではないので、二人っきりだ。遠くに城の者達が動く物音を聞きながら、私達は並んで窓辺に立ち、昨日大騒ぎがあった中庭を眺める。


「……お疲れですね」

「ああ……昨夜は体調不良で早く休んでいたんだが、ちょっと夜に騒ぎがあってね」

「……騒ぎ?」


 私は何も知りません、一体どんな騒ぎなんだろうなぁ?

 そんな顔を向けると、窓辺から外を見ていた陛下は、ちらりと横目で私を見て言葉を返す。


「ああ……酒を過ごした客人が夢でも見たのか、少々粗相をしてしまってね。……実害は無く、粗相した者もよくよく反省して色々と誠意を見せた事だし、不問に処してあげたよ」


 どうやら、昨夜の不義密通未遂事件(?)は、そういう事で処理されたらしい。……勿論裏では、色々と取引がされたんだろうけど。あの商人、いくらぐらい戦後復興費用を搾り取られたんだろうなぁ。


「へぇ、何も起きなかったって事にしたんですか?」

「何も、起きなかったんだよ。……騒ぎの関係者にとっては、それが一番良い事だろう?」

「そうですね? ああ、私は何が起きたか全然判りませんけれどっ。私は女官達を煩わせる事無く、良い子で眠っていましたけどっ」

「ふぅん……そうなんだ?」

「はいっ、そうなんですっ」

「……」

「……」


 無言で目を細め微笑む陛下と、無邪気さを強調(アピール)して笑い返す私。

 どうやら昨夜の商人やティーナー姫の発言は、全て妄言という事で収められたようだ。

 ――という事は、ティーナー姫達以外の誰にも見られていないはずの私の悪事は、無事隠蔽できたという事だっ。一件落着っ!!


「教育的指導ぉおおお!!」

「いたいたあいたぁあああああ?!!」


 ――っと、思ったらっ!! 思って油断していたら、陛下の会心の一撃拳骨が、私の頭に三連打された!! 痛いっ!! 同じ場所を抉るような連打とはっ!! なんという鬼畜仕様拳骨なんだ陛下っ!!


「ぐ……ぐぉおお……っ」

「……全く、うまくやりなさいと言っただろう」

「……えっ」

「周囲への警戒はまだまだだ。君を見守っていた者達に気付く事ができなかったから、私に一部始終を密告されてしまうんだよ妃」

「え――あえぇえっ?!!」


 陛下の言葉に思い当たった私は、涙目で陛下を見上げ思わず叫んでしまった。

 そ、それってもしかしてっ!


「あのカサっとした気配って、やっぱり人間だったのかっ! というか、陛下の手の者だったのかっ?!」

「あの異国の大男が、一目君を見た時から異様な関心を示していたのは、判ったからね。もしものために、密かに君の護衛を増やしていたんだよ」


―……宰相、客人に対する警備は強化しておけ―

―御意のままに、国王陛下―


「あ……あれって、そういう事だったのかっ。……あれでも、私がわざと倒れても、護衛達は助けてくれなかったぞ?」

「あまりももわざとらしかったから、暖かく見守っていたんだそうだ」


 な、なんだってーっ。……中々良い演技だと、自分では思ったんだが。


「……それはとにかく妃、君はもっと自分に向けられる異性の目を、気にした方がいい」

「んー……確かに私は、人に見られるのには慣れてしまっているな」


 そういう生活だからな。


「それはそうなんだろうが……もっとこう、その視線に込められた意味を悟ってくれると、私としては安心なんだが……」


 ……それに。


「……あの時は……陛下の事で頭が一杯で、そもそも相手を気にしてなかったし」

「……えっ」


 陛下が驚いたような顔で固まった。

 ……そんなにおかしい事を言ったかな? 

 ……ああそうだ。私は陛下に、まだ言わなきゃいけない事がある。……お詫びだ。


「……国王陛下、昨日は私の一方的な勝手により、折角作っていただいたお話合いの時間を放り投げてしまい、本当に申し訳ございませんでした」

「……」

「あ……あと、私を『見守って』いた人達からご報告が上がった事についても……お詫び致します。……色々な要因が重なったためとはいえ、感情的に行動し過ぎました」


 そう言って、私は陛下の前に頭を下げる。

 一晩経ってから考えると、昨日の私はやはり、色々な選択を誤ってしまったと思う。


「全ては私の自制心の無さが、招いてしまった騒動です。……できるならば処罰を、私だけにお与え下さい」


 昨夜の私は一歩間違えば、陛下と一方的に話を打ち切ったまま不義密通の疑いをかけられ、陛下のお側から排除されていたかもしれなかったんだ。

 そうなったら陛下や私の周囲まで、どれほどの迷惑や被害が広がっただろう。

 ……陛下が怒るのは当たり前だ。何も無かった事にはしてもらったが、この際、陛下の気がすむまで拳骨を喰らうしかない。さぁ、ガンガンどうぞ陛下。


「……妃」

「ごめんなさい、陛下……え?」


 ……あれ、痛くない。

 そんな見当違いな事に驚きながら、私は陛下にそっと抱きしめられていた。


「……一つ、教えて欲しい」

「はい」

「君の質問に、正直に答えた私が、良くなかったのか?」

「……」


―……そうだね―

―……慣れ親しんだからだろう。……私にとって黒い髪と瞳はとても美しく、また好ましいものではあるよ。……確かに間近で愛でる事ができれば、さぞ心は躍るだろう―


「……ち、がう。……陛下が、悪いんじゃない。……私が陛下の気持ちを、受け止められなかっただけだ」

「……嫌、だった?」

「……うんっ。嫌だったっ。……私が持ってない黒を好ましいと思う陛下の言葉が、すごくすごく嫌だったっ」

「それは……何故だい?」

「……黒に……綺麗な黒を持つ女人に、嫉妬したんだ私はっ」


 そうか、と小さな声で陛下は呟き私の頭を撫でた。

 髪から伝わる優しい感触に、私は泣きたくなる。……綺麗な黒髪なら、もっと優しくされたんだろうかなんて……そんな醜い事、考えたくないのに。

 

「……馬鹿だなぁ」

「……ごめん」

「ああ、違うよ。……あの時馬鹿だったのは私だ。……君に言いたい事は、ちゃんと先に言っておけばよかったんだ」

「……いいたい、こと?」


 少し身体を離して私を見つめた陛下が、幸せそうに笑う。


「……私は、君の色が世界で一番好きだよ」


 ……っ。


「君の髪の色も、目の色も、肌の色も、全部とても大切で、とても好きだ。……それが黒だからとか、金だからとかどうでもいい。……何色だろうと、君が持つ色だから、とても大事な色になったんだ」


 ……陛下。


「確かに黒髪黒目は好きだ。慣れ親しんでいるし、その色を持つ美女も好みさ。……でも、どんなに好みの黒髪黒目の美女だろうと、君より大切とは、私はもう思えない。……いや、長い時間をかけて、思えなくなっていったんだ」

「……ほんとう……ですか?」


 ああ、と頷いた陛下が苦笑する。


「……ずっと君が大切だった。……そして、愛しいと思うようになった」


 陛下に与えられた温もりに応えるように、私の体温も上がる。

 ……嬉しい。すごく嬉しくて、ドキドキする。……でも。


「……だけど」

「……うん?」

「だけど……それならどうして……陛下は私を最近避けていたんだ?」


 その喜びの中でも、僅かな不安を忘れられない。


「……どうして、帰って来た貴方は、私から視線を逸らしたんだ?」

「……っ」 

「私は……陛下に見て欲しかった。……出迎えできちんとしてる私を見て、大人になったって、見直してほしかった。……だから、目を逸らされたのは嫌だったんだ」

「……笑わないかい?」

「笑わない。それに、私の顔が突然鬼に見えたって言っても、怒らない」

「言わないよ」


 苦笑した陛下は……何故か悲しそうに見えた。……どうしたんだ、陛下?


「……恐ろしくなった」

「……え?」

「……成長した君が、隆武の衣装で装い、隆武の様式で拝礼する姿はとても……自然で美しくて。……だからこそ、恐ろしくて悲しくなった」

「よく、判らない」


 陛下は、寂しそうに首を振る。


「……私達の婚姻は、隆武帝国の侵略によって成り立っている。……本来なら君は、隆武の装束や隆武の言葉が、そんな風に似合う姫君じゃなかったはずなんだ。……君にはもっと、相応しい世界が、ここにあったはずなんだ」

「……」


 ……ああ、そうか……この人は。


「……陛下は、隆武に飲み込まれた私を見て、辛かったのか?」

「……戦争帰りだったからだろうね。……どうしようもない、自己満足(エゴ)だったと理解しているよ。……侵略者の感傷なんて、嗤うしかないだろう?」

「……嗤わない」


 私は陛下に抱きつき、強く抱きしめて応えた。

 ……この人は、私を通してかつて存在した王国を想った。……私の中のその血を、認めてくれた。それをどうして嗤えるだろう。……私は、嬉しい。


「……いつか君は、隆武が攻め滅ぼし失われた自国を想い、私を恨むかもしれない。……そう思ったら、どうしようもなく辛くなった」

「恨まない。……他の誰が恨んだって、私は、絶対に恨まない。……だって私は、貴方の妃だ」

「妃……」

「……多くの悲劇が在ったのは、知っている。……それが遠い昔の事じゃなく、今でも大きな爪跡を残す現実なんだって事も、判ってるつもりだ陛下」


 ……だけど。


「……だけど、その爪跡も含めて今のトルキア王国なら、私は陛下と共に、この国を守る。……この国を愛する。……そうしてゆきたいんだ」


 貴方と一緒だから、そう思えた。

 何もできない赤ん坊だった頃から、私を守り慈しんでくれた貴方となら……私は。


「……虎娘……いや、リディア」


 失った国で名付けられた名を呼び、私の夫は私を抱きしめ返す


「……私も、君と共に在りたい。……愛してる、君が欲しい」

「……っ」

「求めてもいいかリディア? ……私の妃」

「……令。……私の、陛下」


 ――頬の熱さで判る。……私は今、きっと笑ってしまうほど真っ赤に違いない。



 ――それから。


「……早朝から、大胆でしたねぇ。……朝食を持って来た女官達が、入るに入れず立ち往生渋滞していましたよ」

「く、口付けくらいで……そんなに冷やかさなくてもいいじゃないか乳姉妹っ」

「何をおっしゃいます御妃様。私はこの通り、お喜び申し上げているのです」


 その日の午後、私は私室で乳姉妹と、繕い物に取り組んでいた。私は飾り帯――乳姉妹の結婚祝いの追い込みで、乳姉妹は……なにやら沢山の女人物らしい布をチクチクと繕っている。


「それで、実質的な初夜は今宵でしょうか。それとも明日か? ……これはしばらく、準備のあれこれや後始末のあれこれのため、泊まるべきでしょうか」

「泊 ま ら な く て い い か らっ!! じゅ、準備とか後始末とか生々しいぞ乳姉妹っ!!」

「女官の仕事でございます。御本懐を無事遂げられます事、お祈り申し上げます御妃様」

「いっいやいやっ!! 陛下はまだ大変お忙しくお身体も万全ではないからなっ!! そういう事は、もうちょっと後になりそうだっ!! ……それほど、後でもないだろう……が」

「ほう……一段落してから、思う存分しっぽりどっぷりという事でございますね」

「だだだから生々しいぞ乳姉妹っ!!」


 改めて言われると余計に照れる!! ……や、やはり、近いうちに、そういう事になるのだよな。……焦らぬよう、御義母様からいただいた資料を、見直しておくべきだろうか……。


「春画は、あまりアテにならないそうですよ」

「何故判った?!」

「女官の嗜みでございます。……ふぅ、流石に数が多いですね」


 息を吐くように私をからかう乳姉妹は、だが目の前の繕い物の山には苦労しているようだ。

 ……そういえば、針仕事があるなら一緒にやって良いとは言ったが……あれは城の仕事なんだろうか? 聞いてみよう。


「そういえば、その多量の繕い物はどうしたんだ乳姉妹っ?」

「お城住まいの女官達のものでございます」

「ふーん……あれ? そういうのって、当番制か何かだっけ?」


 話題を逸らした私にいいえと首を振り、乳姉妹は応える。


「違います。針仕事は専門職の女官達がおりますし、細かい私物などは、自分で繕うのが女官の規則でございます」

「あれ? それならなんで、乳姉妹がやってるんだ? お針子ではないだろうお前」

「これは、罰則でございます」


 ……罰則?


「何か、やらかしたのか?」

「はい。女官として、新米のような大失敗をしてしまいました」

「大失敗? あはは、しっかりしてきたと評判のお前でも、まだそんな失敗をするんだな」


 そうなのでございますよ、と応えた乳姉妹は、針仕事に戻りながら話を続ける。


「実は……私はついうっかり、女官長様のお洗濯物を、御妃様のお洗濯物と勘違いしてしまい、御妃様の物干し竿で干してしまったのですわ」


 ……ん? ……待て?


「……女官長の洗濯物を、私の洗濯物と、勘違いして?」

「左様にございます」

「……下着もあったか、それ?」

「ございましたねぇ。……大変愛らしい桃色の腰巻きでしたので、思わぬ勘違いをしてしまったようでございます」


 ……それって……。


「…………か、勘違い……か?」

「勘違いでございます」

「そ……その勘違い……もしかして陛下もご存じだったか?」

「失態を報告致しましたので、おそらくご存じでございましょう」

「……」

「……」


 申し訳ございません、ともう一度謝罪した乳姉妹は、そのまま何事も無かったように針仕事を続けた。

 ……私は気付かない内に、彼女に守ってもらっていたらしい。


「……ありがとうな、乳姉妹」

「はて、いかがなされましたか御妃様? 突然お礼など?」

「いや……まぁその……なんていうか……」


 なんと言えば良いのか。しばらく迷うが上手い言葉は見つからず、結局私はゴニョゴニョと口籠もりながら、決意表明をするしかない。


「……乳姉妹、私はもっと……賢い王妃になるからな」

「それはとても良い御決意にございますね」


 乳姉妹は嬉しゅうございます。そう付け加えた姉のような存在は、一見可愛いのに油断の無い表情で微笑み、針仕事を続けた。

 ……お礼を兼ねて、結婚祝いはがんばって仕上げよう。

 あと、女官長にはお詫びに今度、好物の黒蜜でも贈るとしよう。


「……しかし」


 ん? なんだ乳姉妹?


「あのティーナー姫は今頃、どうなさっておられるでしょうねぇ。……明け方近くまで、戻された部屋で、陛下を呼んで騒いでおられたという噂でしたが」


 ふーん……まぁ。


「どうでもいいな」


 見苦しく醜態を晒したあの女には、もはや敵意も興味も湧いてこない。……勿論あっちがまだ何か仕掛けてくるなら、王妃として迎え撃つだけだが。


「さようにございますか? ……ここしばらく、あの女との間にどういう事情があったのか、陛下にお聞きになりたくはございませんか?」

「その辺の事情は、乳姉妹も知らないのか?」

「私もまだ、陛下にそこまで御信任いただけるほどの実績はございません」


 そうだったのか。うーん……。


「だからこそ私は、正直……ここしばらくの陛下の御様子が、気になっておりました」

「ああ、愛情云々はさておき、ティーナー姫を大事にはしていたものな」


 ……少なくともティーナー姫が、脈有りなんじゃないかと思うくらいには、にこやかに接待していた。

 ……むぅ……。


「……いいさ」


 余裕の笑みを浮かべられるよう努めながら、私は乳姉妹に言う。


「陛下がおっしゃらないならば、聞かない。機会があれば、事情を知る事もあるだろう。今はそのくらいでいいさ。……私は陛下を信じる」

「大人になられましたね、御妃様。……少々笑顔が引きつってはおられますが」

「っ……嫉妬してないと言えば、やっぱり嘘だからなっ」



 そんな私達の最後の疑問が解決したのは、数日後の事だった。

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