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終幕後 ――妃十五歳⑥

 私は周囲を照らす灯籠と月明かりを頼りに、誰にも見つからぬよう中庭の離宮へと向かう。


―妃、褒められた事ではないが、一つ大人の本音を教えておくよ―

―……人間にとっては、ワガママもまた選択の一つだ―


―君には大きな責任と、立場がある―

―そんな君が、周囲の諫言を聞いてなお、それが悪い事だと判っていてなお―

―それでも、君がどうしても、自分の意志を通したいと強く望んだ時は―

―いいかい妃? ……そういう時は悪知恵を働かせ、()()()やるんだ―


―なべて世はこともなし―

―周囲の者達にそう思わせながら、自分のワガママを通せるようになったら―

―……君はもう、一人前の悪い王族だ―


―勿論僕ら保護者に君の悪事がばれたら、鉄拳制裁だけどね。ははは―


 ……貴方の教えは、心得ているぞ陛下。

 皆の善意の忠告に頷いてなお、それを破ったんだ。

 私のワガママのせいで周囲が責任を負わされる事の無いよう、私は誰にも見咎められず目的を果たし、自室に戻らなくてはならない。


『……一目、陛下の無事に眠る御姿を確かめたい。……どうしても止められないこのワガママを通すため、私は全力を尽くすぞ陛下っ』


 陛下が聞いたら、最も痛い角度からの拳骨連打は確実だろう決意を、私は固めた。

 そうして陛下の拳骨の痛みを思い出したら、私の恐慌状態にあった頭には、随分冷静さが戻ってきた。……あれを喰らうのは、やはり嫌だな。


「――っ」


 ――冷静さが戻って来たからだろう。背後で、一瞬だがカサリと、何かが動いた音に気付いた。

 ……なんだろう? 人か? 動物か? ……敵か、味方か?


「……ぅっ」


 私はできるだけ小さな呻き声を上げ、無防備に蹲ってみせた。

 ……敵でも味方でも、この状態ならば、なんらかの行動を起こすんじゃないかと、考えたからだ。


「……」


 ……だが、何も起こらない。襲っても助け起こしにも来ない。

 という事は、穀物倉庫で飼っている猫か何かだろうか。ちぇっ。


「…………立ち眩みかな」


 まぁいい。警戒はしておこう。

 私は周囲に気を配りつつ、道を急いだ。



 淡水緑地(オアシス)の色鮮やかな木々花々が美しく生い茂る、王城最大の中庭は、来客を迎える社交場としても使われる、トルキア王城の顔の一つだ。

 そんな中庭の奥には、小さな隆武風の離宮が建っている。中庭を楽しみながらの宴席を催したり、中庭散策中の休憩に使われるものだ。

 小規模だが設備は整っているので、病人の静養場所としても悪く無い。


『……あれ?』


 ……だが、周囲を警戒し、目的地の警備も警戒して、慎重に慎重に近づいたからだろう。

 遠目から離宮を目にした私は、すぐに違和感に気付き首を捻った。


『……おかしいな。……陛下がお休みになられている割りに……警備が手薄じゃないか?』


 一応灯籠で周囲が照らされているし、城中見回りの兵士達も通るが、それはいつもの事だ。

 出入り口他、侵入するような場所に兵士が配備されていないし、出入りする女官の姿も全く無い。


『……手薄、というよりもこれ……離宮が使われていない時の、普段通りじゃないか? ……おかしいぞ?』


 大慌てしたまま突撃したら、気付かなかったかもしれない。

 ……多少でも冷静にはなっておくものだな。陛下の拳骨に感謝だ。


『どういう事なんだ? ……陛下があそこでお休みになられている。そう聞いたのが聞き間違いだったか……それとも、言った向こうが勘違いをしていたか。……警備を室内に固めて、やはり陛下がお休みになられている可能性もあるんだよな。……うーん』


 遠目からでは判らない。……となると、やはりこっそり中を確認するしかないか。


『こっそり、大広間の中を覗けるのは……あの、中庭を臨む丸窓だな。あそこを閉めてある木蓋が、ちょっと朽ちて壊れてるんだ』


 穴を見つけたのは三日前だが、隙間風が気になる季節でもないし、多分気付かれていないだろう。

 

『よーし』


 私は周囲を確認し、ついでにまた背後でカサっと音が聞こえないか耳を澄ました後、身を屈めて離宮へと近づいた。

 見回りの兵士達をやり過ごし、水路に面した人工的な岩畳を跳び越え、離宮の壁を伝って忍び足で移動する。

 自宅(城)の庭で遊び尽くした私にとっては、この程度お手の物だ。柔らかい靴底の履き物のおかげで、足音もしないしな。


『――到着っ。……よしっ、それじゃあ中を拝見……とっ』


 私は木の蓋で閉じられた大きな丸窓に手をかけると、蓋の隙間に顔を近づけ、中を見た。


『んー、暗いなー……んっ?』


 ――その中には。


「……ああ御妃様……麗しいあの御姿……あの方も私に一目で恋に落ちてくださったなんて……なんという幸せ……はやく……はやく貴女様にお逢いしたい……ハァハァ……」


 その中には…………えーと、なんだあれ?


『……あれって……あぁ』


 やっと思い出した。

 暗い離宮の中で、手持ちの灯りを身体で隠して、何か布のような物に頬ずりしながらハァハァしている大男は――今日の謁見公務で会った、異国の商人じゃないか。


『しかも、なんか訳の判らないことを言っているなぁ?』


 御妃様って、私の事か?

 ……恋に落ちるってなんの妄想だ? 蛮族だからと捕虜を徹底蔑視して人間扱いしなかった奴なんか、恋どころか好感すら持つかい。


『……とはいえ……あの男はそう思い込んでいる様子だ。……それは何故か? ……ふむ』


 ――どうやら、私とこの男がおびき出されたらしい、と、この時ようやく思い当たった。

 誰に、なんて考えるまでもない。


『ティーナー姫……あの女狐め。……でっち上げの不義密通で、私を処断する気か』


 こういう手もあるんだなぁ、と、思わず感心する。直接的な暴力ばかりを警戒していたが、ティーナー姫はもっと、女として恥辱的な罠を、私に仕掛けたわけだ。


『隆武帝国において、女人の不義密通の罪はとても重いからな。そんな罪が公になれば、私は死罪にされてもおかしくないだろう。おお、怖い怖い』


 ……さて、多分動かぬ証拠を掴んだ時点で踏み込んでくるだろうが、どうしようか。


「…この高貴な香り……この手触り……。……ああ妃様……トルキアの薔薇妃様。貴女様を一目見たときから、私は貴女様の虜となったのです。……この一夜の逢瀬を果たす事ができるのならば、私は不義者として処刑されても構いませぬ……」


 勝手に死ね、と言い返したい。

 よく見た所、あの商人はどうやら何か布のようなものに口付け、頬ずりしている。気持ち悪いが、あれが本当に私のものだったら、不義の証拠だなんだと糾弾されかねん。


『まぁ、しらばっくれてもいいんだが……どうにも業腹だな』


 ――ぶっちゃけ、自分の服をスリスリハァハァされるとか、ものすっごく気持ち悪い。


「乱暴にされるのがお好きなど、淫乱な方だ。あんな貧弱そうな男では、お若い貴女様は到底ご満足なさっておられないでしょう。今宵はたっぷりと、私の男を堪能させて差し上げよう……ふっふっふ……」


 ついでに、私相手に桃色な妄想を口にされる度、怒りが二倍、三倍と膨れ上がってくる。

 ――これ、不敬罪でぶった切っていいよなぁっ?! 


『……いやいや』


 ここで怒りにまかせて突撃しても、男の適当な脳内妄想で襲われかねん。

 辛抱タマラン状態になってる男は、とっても危険らしいし。


『それよりも……』


 ……この腹立たしい状況を、利用すべきじゃあないか?

 

『……いいじゃないか』


 私は今、とても攻撃的な笑顔になっているだろう。


『多分、ティーナー姫(もしくはその配下)は、この庭のどこかで、この離宮を見張っているだろう。……そして、私が慌てて離宮に入り、あの商人に襲われた所で、踏み込んでくるはず』


 ……ならば、だ。


「……」


 私は離宮の入口を見張れる木々の影を注意深く見つめ、人影を捜す。


『――いたっ』


 中庭に面した回廊の影に、複数女の姿――ティーナー姫達があった。虫でも恐れたか、木陰に隠れる度胸はなかったらしいな。

 ――しかも、微妙に視界から外れているらしく、こっちにはまだ気付いていない。


『良いな。……さて、あとは機会(タイミング)だが……』


 いつ動くか、それを考えていると、ふと離宮内が暗くなる。


「おっと……灯りが尽きてしまったな。……ぐふふふ、こんなに焦らして、いけないコだ……」


 きもい。ほんとうにきもいが――これは好機だ。

 私はできる限り身を屈め、木陰に隠れながら一度離宮から遠ざかると、ティーナー姫達に良く見えるよう、回廊に姿を現し回廊を駆けた。


「陛下……っ」


 長い髪をなびかせ、裾の長い寝間着をひらめかせながら、切なげに愛しい男の名を呼び、駆ける少女の姿。

 更に役者にでもなった気分で、乙女らしい装飾多加動作(オーバーアクション)もおまけだ。ティーナー姫、よく見るがいい。


「一目……一目だけでも……お逢いしたいのです……っ」


 離宮入口前。月明かりの下で切々と訴えた私は、そのまま離宮の扉を開け――ティーナー姫達に見えない屋根下まで貼り付くと、『自分は中に入らずに扉を閉め』、また丸窓の方へと逃げた。

 ……これで、あいつらの目には、私が離宮の中に入ったように見えたろうな。

 さて、どうだ? ――どう動く?


「まぁっ、見ましたっ、見ましたわっ! なんというふしだらな妃様でしょうっ。客人と密通するなんてっ」


 いっそ笑ってしまう程素直に、ティーナー姫が駆け寄って来た。


「こんな事は許せませんっ、陛下にお知らせねばっ」

「ええっ、その通りですわ姫様っ」

「すばらしい正義感ですわ姫様っ」


 そしてそのまま、隠れていたせいで灯りも持たず、『真っ暗で誰が誰とも判らない』離宮の中に飛び込んでいく。

 いいのかい? ホイホイついて行ってしまって?


「おぉおおお!! 御妃様!! 御妃様!! いらして下さったのですなぁあああ!!!」

「きゃ――きゃあああ?!! 何をなさるの!!! 離しなさい無礼者ぉおおおお!!!」


 ――ほら、良くなかったな?

 男の野太い歓喜の声と、ティーナー姫の悲鳴が離宮に響いたのは、その数秒後の事だった。


「おおっ、無理矢理がっ無理矢理がお好きなのですねハァハァ!! 受け取ったお手紙通りだ!! 存分にしてさしあげますぞぉおお!!!」

「いやあああああっ!! 誰か!! やめてぇえええ!!」

「ひぃいい?!! 姫様をお離しなさいぃいいい!!」

「邪魔をするなぁ!!!」


 離宮は暗闇中大混乱だ。

 ……勿論私は優しいからなぁ。か弱い女人を、むざむざ手込めにさせたりはしないさ。

 ということで――せーのっ!!


「あーれーっ。離宮で一大事でございますぅーっ、使用されていないはずの離宮でーっ、どなたかのーっ悲鳴がーっ。誰かーっ誰かーっ」

「なんだなんだーっ?!!」

「何故未使用の離宮に人が――うわぁっ?!!」


 女官を真似た私の声に、巡回中の兵士達が集まり、離宮は煌々とした灯りに照らされた。


「客人かっ?! だが国王陛下の離宮で、ふしだらな遊興に耽るとは!!」

「だっ誰だ?!! 違う!! 私がお逢いしたのはこんな黒髪の年増じゃない!!」

「御妃様が!! 御妃様がこの中に入って!! この男と逢おうとしたの!!」


 灯りに照らされ混乱する商人の下で、悲鳴を上げ暴れながら叫ぶティーナー姫。

 その状態でも私を貶めようとするその根性だけは、感心する。 


「はぁ? 何を言っておられる? 御妃様が、どこにおられるというのだ?」

「そっ――それは!! 本当に!! 本当におられたのよ!!」

「……ここにおられない方に、密通の罪を着せようとするとは」

「なんとも度し難いな。……とにかく、明日の朝まで拘束させていただくっ」

「なっ!! 妾を誰と心得る!! 無礼者!! 離して!! 陛下を!! 国王陛下を呼んでぇええ!!!」


 混乱する商人とティーナー姫、そしてティーナー姫の侍女達が叫ぶが、不快感をあらわにした近衛の武将に命じられ、兵士達は半裸の二人を引き起こし、捕らえた。

 さて、私はそろそろ退散しようか……。


「……何事だ?」

「――陛下ぁっ!!」


 ――えっ?


「すぐ傍で騒ぎが起きたのでは、おちおち寝てもいられん……ティーナー姫、これは?」

「ちっ、違うのです陛下っ!! これはあの小娘の密通の証拠なのですっ!!」


 ……あっちゃー、離宮ではなかったけど、近くの部屋にいたのか。

 近衛武将達を従え、寝間着の上に衣を羽織った陛下が回廊から降りてきた。その顔色は思ったより悪く無かったが、とっても不機嫌そうだ。

  ……安静にしている時に騒がれちゃ、そりゃ起こるよな。失敗失敗。


「ほらっ!! あの男が持つ手紙です陛下!! あの小娘が!! 隠れてこの男に――」

「……」


 そんな物があったのかと私が思っていると、陛下は差し出された紙を一読し、呆れたように首を振った。


「このような下手な隆武文字、妃の筆跡ではありませぬ」

「えっ……で、でもそんなのっ、代筆すればっ」

「事が露見すれば死罪でもおかしくない秘め事で、後に残るような手紙を、しかも代筆を使って書くほど、私の妃は愚かではありませんよ」

「そっ……」

「もちろん、この筆跡が誰の物か、調べても良いです。……妃の不義密通を手助けするなど、死罪は免れませぬがね」


 ひぃっ、と侍女の一人から悲鳴が上がった。それを呆れたように一瞥した後、陛下は顔面蒼白している商人の大男と、その大男が握り締めている桃色の腰巻き(パンツ)を見て、気の毒げに言う。


「……さて、妃との不義密通を企てたというのは、本当か?」

「めめめ滅相もございませぬ!! 私は国王陛下に忠誠を誓う商人!! いいえ奴隷にございます!! ほ、補修費用などいくらでもお申し付け下さい!! お望みのままご用立てします!!!」


 途端、必死に頭を床に打ち付けて下げる商人。なんだ、さっきは死んでもいいとか言っていた割りに、見事な命乞いだな。


「そうかそうか。……さておき、それはどうかと思うぞ」

「こっ……国王陛下っわっ……わたしっ……はっ……」

「……いや、ここにいない妃の事でも、離宮の事でもない。……問題は、その手にしているものの事だ」

「こっこれ……は……」


 何も言うな、と手をかざし、憐れみに満ちた表情になって国王陛下は続ける。


「それは……多分数日前紛失届けが出された……妃……の洗濯物の近くに干してあった――女官長(老女)の腰巻きだ」


 うごぎゃああああああ!!! という男の悲鳴が、明るい離宮へと虚しく響き渡った。

 ……ティーナー姫、結構ツメが甘いんだな……。


「……とりあえず、人騒がせな二人を別室へ」

「御意のままに、国王陛下」

「うそだ……こんな色っぽい……嘘だ……これがババァのなんて……」

「陛下!! 違います陛下ぁああ!! こんなのっ!! こんなのっ!! キィイイあの小娘ぇ!!」


 ……さーて。

 陛下には少々可哀想な事をしてしまったが、その分明日謝るとして。

 陛下のご無事を確かめるという目標も達成できたので、見つかる前に帰るとするか。


「……妃」


 わざと見せたティーナー姫達以外には、誰にも見咎められなかったな。

 ――よしっ、悪事達成ミッションコンプリートだっ。


「やれやれ……帰り道も、あの子をきちんと見守るように」

「……御意、国王陛下」


 そんな私の後ろを、国王に頭を下げた者達は、カサカサと続いていた、らしい。


「……ワガママを成功させるのは、まぁいいさ。……でもまだまだ、ツメが甘いなぁ」


 ――彼らに色々と密告されたせいで、早朝顔を合わせた途端、私は笑顔の陛下の、通常より二、三倍は痛い鉄拳制裁を喰らう事になる。


 ……やれやれ。確かにまだまだ、私は王妃修行が足りないようだ。

今回最大の被害者


女官長「腰巻き(パンツ)……(´;ω;`)ブワッ」

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