終幕後 ――妃十五歳⑤
「あっ……御妃様っ?」
「まぁっ? 廊下を走ってはなりませぬ御妃様っ」
時々驚いて声を上げる女官達を避けて、私は王城の廊下を走った。
どこに行きたいという目的があったわけじゃない。
でも息も出来ないほど思い切り走っていないと、自分でも信じられないような泣き言を口走ってしまいそうで。私はできる限りの全力で、綺麗に磨かれた城内の廊下を駆けた。
「……はぁ」
城内を抜け、回廊を通り過ぎ、更に走って走って……慣れ親しんだ小さな中庭に辿り着いて、ようやく足を止め呼吸を整える事ができた。
城の棟と棟とを繋ぐ隙間に挟まった、城の片隅にあるため利用する者も殆ど無い、こじんまりとした広場。
お客様を案内するような華美な場所ではないけれど、小さな池や木々があり、古ぼけた子供向けの遊具が設置されているそこは、私にとって幼い頃友達や陛下と遊んだ、お気に入りの場所だ。
ここにいるだけで、少しだけ気分が落ち着いてくる。
―妃っ、ああもうっ、どうして君は、降りられないのに上へ上へと上るんだいっ?―
―もっとうえっ、うえなのっ、れーっ。――あっ?―
―危ないっ!! ほらまったくっ、妃っ、人の話はちゃんと聞きなさいっ!―
「……」
古い思い出が不意に頭へと浮かび上がり、鼻の奥がつんとした。
遊具の天辺を目指して足を滑らせた私を、危ないと抱き止めた陛下。……あの頃はとても大きい大人の男性だと思っていたけれど、私との年齢差を考えてみれば、あの頃は彼も十七、八……今の私と二、三歳程度しか違わない、ほんの青年だったはずだ。
「……だけど、あの頃から陛下は……ちゃんとしていたな。言動も、行儀作法も」
一方今の私ときたら、『人の話はちゃんと聞きなさい』――なんて、子供の頃から陛下はおろか、乳母や女老師様にも散々教えられてきた対人の基本を実戦する事もできず、陛下から逃げてきてしまった。
……しかも、それを過ちと理解しながらも、どうしても戻る気にはなれない。
今引き返し、陛下としっかり顔を合わせられる自信がない。
「私は……駄目だなぁ」
俯くと、地下水が湧き出る小さな池に、私の顔が映っているのに気付く。
少し泣いて、目元が赤く腫れぼったくなってしまっているのが情けないが……そこに映る自分の髪や瞳を、疎ましく感じてしまうのはもっともっと恥ずかしい。
目も髪も、親先祖から受け継いだ大切なものだというのに。……それが黒くないというだけで、気持ちが沈むのが自分でもわかってしまう。
「……」
金の髪と、蒼の瞳。……これは決して醜いものでない。
東では少数派だが、西に行くほどその色合いを好む者達は増え、遥か西南の国では、わざわざ金の髪をカツラにして飾るお洒落まであるのだと、学んだ事がある。
私の髪や瞳は、美辞麗句を並べる謁見者達が、まず『豊かな黄金の髪と、蒼石のような瞳』などと褒めるので、そう悪い見目でもないのだろう。
……だけど。これは陛下の好きな色じゃない。
「……私は……どうして」
――陛下の好きな黒を、持って生まれなかったんだろう。
そんな考えてもどうしようもない、考えてどうなるものでもない、不毛なのにとても強い不満を感じてしまっている。
私は……他の誰でもなく、陛下に、あの人だけに綺麗だと言われたいんだ。
「……ワガママだ」
恋とはこうも、自己中心的になってしまうものなのか。
それとも誰でもではなく、私だからこうなのか。
……だとしたら私は今まで自覚が無かったが、とても嫌な女のようだ。
「……自戒しなければならないな」
「――まぁっ、御妃様っ」
「っ……ティーナー姫」
声に振り向くと、庭に面した回廊から、ティーナー姫とそのお供達が庭に入って来た。
沈んでいた気持ちが更に沈み、苛立ちまで湧き上がる。
何故私の大切な場所に、彼女が入って来るんだ。
「一体どうなされましたの? まるで無礼な野蛮人のように、御妃様が走って行く姿をお見かけしたものですから、心配になってしまい。……ああ別に、御妃様が無礼な野蛮人だなどと言うつもりはございませんのよ?」
「……」
「……なれど、止めるトルキア国王陛下のお声を無視して逃げるなど、とても粗野で無礼……ああ、言葉が過ぎました。隆武帝国で貴人に相応しい教養と礼儀を身につけられている国王陛下は、さぞお怒りになられたとは思いますけれど、それは仕方のない事でございますわね」
……しかも、私が逃げた時に、随分と詳しいじゃないか。
厳重に警備された国王の部屋に入り込むのは無理でも、遠目から盗み見くらいはしていたのかもしれないな。
「……お可愛そうなトルキア国王陛下」
……ティーナー姫の声が、じっとりと湿ったような気がした。
「東が誇る文明大国の皇宮で、礼儀正しく洗練された文化人達に囲まれて、さぞ優美にお育ちになったのでしょうに……遠い西の地で政略結婚相手として迎えたのは、まともなお話もできない、粗暴な……いいえ、お元気過ぎる、お子様なんて」
「……」
「トルキア国王陛下が、今までどれほどの気苦労と御心痛を耐えてこられたか……妾は想像するほど、陛下がお気の毒でなりませぬ」
「まこと、その通りでございますわティーナー姫様」
「あのように繊麗かつ高貴なトルキア国王陛下の御妃様ならば、ティーナー姫様のように、美妙かつ格調高雅であられるべきなのですわ」
「本当にティーナー姫様ならば、野蛮人のような振る舞いを、トルキア国王陛下の前でなさる事はございますまい。ええ、誰とは勿論言いませんが」
「ああ皆、そのように言うてはならぬ。……例え本当の事だったとしても、御本人様の前で言うのは、無礼な事なのだから」
湿っぽい言葉の影に見え隠れするティーナー姫の感情にも、ようやく気付く。
……なるほど。
「……御妃様、妾はトルキア国王陛下にお助けいただき、とても御恩を感じております。……少しでも陛下のお気持ちを和らげお慰めできれば、これほど嬉しい事はございませぬ」
「……」
「……貴女様にもトルキア国王陛下への御恩はおありでございましょう? 全く趣味でない政略結婚相手など、公式の場以外では口も聞かない王など珍しくもありませんのに、貴女様はあの方から、まるで家族のように大切にされておられるのですから」
「……そうですね。大切には、されております」
「……そろそろ、トルキア国王陛下を解放してさしあげてはいかがか?」
……この女は、私の敵だ。
「言葉に逆らい、反発し、粗野な振る舞いで王城の品位を下げる。……しかも、お好みの黒髪黒目でもない。このような王妃を、あの品位溢れるトルキア国王陛下が本心から女人として愛おしく想うなど、とても考えられませんもの。きっとご無理をして、気苦労を背負いながら貴女様の傍におられるのでございましょう」
そう理解してから顔を上げて相対すると、美しい女の笑顔には、禍々しい醜悪な歪みが潜んでいた。
今歪んだのか? それとも、ずっとこうだったのか? 私はそれすら、気付かなかっただけか?
「その御苦労を少しでも軽減して差し上げたいとは、思いませぬか?」
「……それはつまり、必要以上に、陛下に構うなとおっしゃっているのか?」
「ええ、まさにそれです御妃様っ」
「……」
「貴女様は、トルキア国王陛下の王位の正統性を示す、大切なお飾りですもの。公式の場でのみ陛下のお隣にいて義務を果たしておられれば、きっと周囲も納得なさるでしょう。……そして貴女様から解放されたトルキア国王陛下は、より傍にいて安らげる寵姫を得られ、幸せになるのです」
「……それが、貴女だと?」
――他に誰がいると?
そんな言葉が聞こえてきそうなほど、美しく蠱惑的な微笑みが返ってきた。……この女、自分の見せ方を判っているんだな。
「……我が国の王家には、何人か旧トルキアの姫君が嫁いで来られた歴史があります。つまり妾もまた、旧トルキア王室の血を引いておりますの」
「……ほう」
「嫡流直系ではなくとも、血筋の正統性なら、妾が生んだ子とて、証明できます。……妾の実家ならば、いくらでもその助力後援ができるでしょうし。……国を滅ぼされた貴女様には、御無理な話でしょうが」
女の微笑みに浮かんだ蔑みに、顔を歪ませないよう耐える。
嫌いな相手ほど努めて余裕を保ち、悠然と対峙しろ。これもまた、陛下達から教わった対人の基本だ。さっきよりは、マシな対応ができているだろうか?
「両親を殺され、国を滅ぼされ、……本来ならば女奴隷に落とされても仕方が無い身の上である貴女様が、もったいなくも、正式な妃として遇されているのです。そのご恩返しのためにも、トルキア国王陛下から身を引く事をご決心なさってはいかが? ……トルキア王妃、虎娘様?」
私達の他に誰もいない場所で、最も言いたかっただろう言葉を述べ終えた女に、御名の取り巻き達から称賛の声が上がる。
「素晴らしいお考えでございますわ、ティーナー姫様」
「トルキア国王陛下のご多幸をティーナー姫様ほど考えておられる方はございませぬ」
「ティーナー姫様ならば、きっとトルキア国王陛下にご寵愛されますともっ」
取り巻き達の称賛を浴びながら、女は可憐に、まるで慈愛に満ちた天女のように、優しく微笑む。
「……なるほど。ティーナー姫、貴女様は国王陛下の幸せをお考えか」
「ええ、勿論でございます御妃様。……全てはトルキア国王陛下のため。勿論ご理解いただけますな?」
そして理解しなければ、私は陛下を不幸にする悪者か?
「――お断りだな」
――ふざけるなよ、この泥棒猫が。
「っ……まぁっ」
できる限りはっきりと言ってやったのが効いたのか、女の顔が驚愕引きつり、一瞬憤怒が滲んだ。だがすぐに悲しそうな被害者の泣き顔になり、守るように取り巻き達の怒声が上がる。
「なんという高慢な物言いでございましょうっ」
「ティーナー姫様のお優しいお気持ちが判らないとはっ」
「あれだけティーナー姫様が、トルキア国王陛下の御為と、御言葉を尽くされましたのにっ」
「黙れ」
びくり、と取り巻き達の肩が揺れる。
――そうだ黙れ。私が話しているのは、目の前の女ただ一人だ。
「……トルキア国王陛下のお幸せなど、どうでも良いとおっしゃるの? きっと陛下は、貴女様に振り回され御苦労なさっておられるでしょうに……」
さも悲しげに言う女をしっかり見返し、聞き間違いなど無いようしっかりと答えてやる。
「――『きっと』、『でしょうに』。……そればかりだな」
「な……」
「ティーナー姫。貴女の今の言葉は、現時点では、ただ貴女の頭の中だけで組み立てられただけの物語にしか聞こえない。……もっとも、『陛下が言った』と貴女が伝えた所で、私は信じない」
「な、なんという……っ」
思わぬ反撃だったのか、女の視線が挑戦的に尖った。いいだろう。言いたい事は全て言ってやる。
「私は私を疎む言葉も、拒絶する言葉も、陛下御本人から以外、一切受け取る気は無い。――赤の他人である貴女が、我夫の言葉を代弁など、やめていただきたい」
「っ!! お判りにならないのっ?! あのお優しい陛下が、貴女を疎ましく思っていようと、貴女様を拒絶する言葉など吐くはずがないではありませんかっ!! 貴女様はもっと、あの方のお心を慮るべきなのですっ!!」
「心を慮る? ――そんなものは所詮、ただの推論に過ぎないじゃないかっ。本人に確かめずして、他者の心を勝手に決めつける方がどうかしているっ!」
「そんなもの、あの方を心からお慕いしていれば、自然と判りますっ。女人の勘とは、そういうものなのですっ」
「生憎だが、私には判らんなっ。――だがそれで良いと思っているっ、黙って傍にいただけでは判らないからこそ、私達には、会話という意思伝達手段があるんだっ!」
「――っ」
次第に余裕を保てず怒鳴ると、女の華奢な肩が震え、怯えたように取り巻き達の方へと後ずさった。まだまだ、私も修行が足りない。
「……私だって、陛下が幸せな方がいい。……陛下が、黒を持たない私の容貌をどうしてもお気に召さないと言うのならば、それも受け入れたい」
「……」
「だから――陛下のお気持ちを確かめるため、また私は陛下と話をする。……本当の事を言ってもらえたと確信できるまで、何度でも話す。その上で、どうすれば良いか自分で決める。もう逃げない」
「……」
「……もう話す事は無いな? ならば失礼する、ティーナー姫」
必死に呼吸を整え、冷静な表情を取り繕い、ゆっくりと私は立ち去る。
……やっぱり誰相手だろうと、ケンカは後味が悪いものだ。こんな事は、もう二度とやりたくないな。
「……小娘……お前など、絶対陛下に相応しくなんかない……っ」
すれ違い様、憎悪に満ちた女の声が背中に投げつけられた。
言い返そうか少し考え、やはり止める。……代わりに出来る限り綺麗な笑みを作って振り向くと、笑いかけてやった。
「――っ」
……何故、更に退く? もしかして、そんなに私の笑顔は怖いのか?
それから王宮に戻り、私は陛下に再度話したいと願った。
「現在国王陛下におかれましては、砦の補修特別予算会議にご出席です。その後官僚、商人達を含めた会合、宴席と深夜までご予定が続きますので、本日これ以上お時間を取るのは、難しいかと」
……が、陛下のご多忙を近衛兵に返され、部屋に戻るしかなかった。
今日は本当に予定が詰まっていたんだな。折角時間を取ってもらったのに、悪い事をしてしまった。
「判った。ゆっくり話がしたいし、明日の朝餉の時でも狙うとする。無理を言ってすまなかったな」
「いいえっ、御妃様っ。畏れながら私も、御夫婦の仲直りは早い方がよろしいかと存じますっ」
「あはは、うん。……経験論か?」
「畏れながら!! 私は未だ独身であります!! ギリィ!!」
「……あ、うん」
とはいえ、謝ると決心したんだ。明日ちゃんと謝って……それから、今日の話の続きを……やろうっ。したくないけど、やろうっ。
「――それで、陛下がどうしても黒髪が良いとおっしゃるなら、黒髪の仮髪を作ってみようと思うんだっ。それとも染料で染めてみるとかっ」
「……必要無いと思いますが……ですがそうやって御妃様が前向きになったのならば、良かったかもしれませんね」
妃の私室に戻って来た私の話を聞いた乳姉妹は、そう言うと手早く用意した茶を、音も無く私の前へと捧げ出した。――うん、やっぱり乳姉妹はこういうのが上手だ。
「……ですが、あの女狐がそこまではっきり対抗意識を示してきたのならば、お気をつけ下さいませ御妃様」
「ん? 大丈夫だ、お互い言いたい事は伝わっただろうし、もうケンカはしないぞ。あっちから何か言ってきても、話を聞くだけに留める」
気に入らなくても、一応客人だからな。暴力を振るったりはしないから心配無い。
「……お気をつけ下さいませね御妃様」
そんな私に何故か顔をしかめた乳姉妹は、私と顔を合わせ、しっかりと言い含める。
「か弱い女人の害意を甘くみてはなりません。……特に自分が被害者だと感じた女人は、どれほど悪辣な手段を使った所で、なんの罪悪感も覚えぬものなのですから」
「そっか……でも大丈夫だぞ乳姉妹っ。彼女に叩かれたって、避ける自信はあるっ」
「…………心配です。無茶をなさらないか、今夜は見張っておきましょうか?」
そう言って小首を傾げる乳姉妹。おいおい。
「婚礼支度で大わらわのお前は、ちゃんと定時で帰すに決まってるだろうっ」
「ですが……」
「大丈夫だ乳姉妹っ。お前昨日、嫁入り道具の一枚として作っていた衣の袖を、スッ転んだ弟に破られてしまったと言ってたじゃないか。修繕するんだろう?」
「そ、それは……そうなのですが」
乳母と発明家の間に生まれた男児。乳姉妹にとっては異父の弟になるその子は、五歳になる腕白坊主だ。
お姉ちゃんが大好きのようで、毎日回りをチョロチョロしては、あれこれ失敗して怒られているらしい。……うーん、他人とは思えん親近感を覚える。
「弟君も、お姉ちゃんの嫁入りが寂しいんだろうな。早めに帰って、多めに構ってやればいいと思うぞ」
「そこまでお気遣いいただかなくても。……嫁に行くと行っても、呂将軍の家は、私の実家のすぐ近所ですし」
「それでも一緒に暮らせないというのは、やっぱり違うものだろう?」
「……そうですね」
乳姉妹の顔が、ふと緩む。
「というわけで、また明日な乳姉妹」
「……くれぐれも、お気をつけ下さいませね御妃様?」
「うんっ、大丈夫だ任せておけっ」
「……」
後ろ髪を引かれるように何度も振り返りながら、乳姉妹は家に帰っていった。
――よしっ、明日ちゃんと陛下とお話できるよう、早起きするぞっ。
――と決心した夜。
早々に寝間着に着替えていた私の耳に、その小さな会話は聞こえて来た。
「……陛下が御倒れに?」
「宴席中に、御病気みたいだったわね。……お悪いのかしら? 心配だわ」
――えっ?!
聞こえて来た窓の外に顔を出すと、頷き合う女官らしき数名の影が、私の部屋のすぐ傍から立ち去るのが見えた。
「お熱が高くて、移る病だといけないと、一度中庭の離宮で安静にされるようよ」
「中央中庭の端にある、あの離宮ね……」
「大した事がなければよろしいのだけれど……本当は、かなりお悪いのではないの?」
……うーん、暗くて顔が見えなかったな。呼び止めて詳しく聞きたかったんだが……。
「……御妃様、何をなさっておられるのですか?」
「っ! あっ、女官長っ!! 良い所に来た!!」
「はい? いかがなられましたか?」
私は、灯りを消し夜の挨拶に来た女官長へと駆け寄り、話を聞く。
「へっ、陛下が御倒れになったとは本当かっ?」
女官長は、老境に差し掛かった柔和な顔に、やや驚きを浮かべ私を見返した。
「……どちらでそのお話を?」
「ほっ本当なのかっ?! 陛下は大丈夫なのか?!」
「落ち着かれなさいませ、御妃様。……はい、陛下が宴席中体調不良による立ちくらみを起こされ、少々お早めに、その場から退席なさったのは事実でございます」
「なんだってっ!! お、お見舞いに行かなくては」
「お待ちを、御妃様」
慌てて部屋を出ようとする私を、女官長はやんわりと止め頭を下げた。
「御妃様、どうぞお見舞いは明日の朝に。今夜は、陛下をゆっくりと休ませて差し上げて下さいませ」
「え……」
「陛下の急な体調不良は、いわゆる過労にございます。本日のもっとも効果的な治療は、睡眠を取ることだと薬師も申しておりますので……どうか、今宵はもう」
「で、でも……熱が出たというのは本当なのか?」
「はい。ですがさほど高い熱ではございませんよ」
た、大した事はないって言っても……熱は苦しいじゃないか。
……心配だ
「……本当に、大丈夫でございますから。……まったく、陛下が御妃様にいらぬご心配をかけてはならぬとおっしゃられたから、皆明日まではと黙っておりましたのに。……一体どこの不調法者が、口を滑らせたのか……」
「あ、い、いや。私は知ることができて、よかったと思っている」
「……御妃様、今宵はもう、お会いできませぬのですよ?」
「わ、判ってる。今夜は大人しく、陛下を心配しながら夜を明かすよ」
「……御意のままに」
私には内緒にするつもりだったらしい女官長は、困ったような顔をしつつも一礼し、灯りを落とすと部屋を出て行った。
「……」
王妃の部屋は、私一人になる。
夜勤の女官達は左右にある小部屋に控えており、私が何か用事が出来たとき、寝台に備え付けの鈴を鳴らして呼ぶ仕組みになっている。
「…………」
……つまり今の私は、こっそり部屋を出る事はできるわけだ。
……良くない事は、ちゃんと聞いた女官長の話で判っている。夜中に突撃し、お疲れの陛下の安眠を、妨げるつもりもない。
……ない、のだけれども……。
「…………陛下」
横になると浮かんでくる不吉な光景と、暗闇で聞いた言葉が気になって眠れない。
……陛下は本当に、大した事はないのか?
私に伏せられている事情は、もっともっとあるんじゃないか?
……本当は、外にいた者達が囁いたように、陛下がもっと悪い病気に罹ってしまっているんじゃないのかっ?
「駄目だ……」
中途半端に秘密にされた上で、知ってしまったせいだ。余計心配で、気になって怖い。
……まさか、もし陛下が……朝起きたら冷たくなっていた……なんて事になったらっ!!
「……ごめんっ」
私は横たわっていた寝台から身を起こすと、そのまま身を伏せ、小さく窓を開ける。
ここは二階だが、屋根伝いに脱走は慣れている。こっそり行ってすぐ帰って来れば、女官長達にもばれずにすむ、はず。幸い寝台の下には、外を歩いても問題無い履き物もあるし。
「一目……一目眠るお顔を確かめるだけだから。……確か、中庭にある離宮だったっけ」
私は意を決し、窓の隙間から外へと抜けだすと、陛下の元へと向かった。
――陛下、どうか無事でいてくれっ。
「……」
――そんな私を、追いかけている者がいるとは……この時は思わなかった。
妃「私達には、会話という意思伝達手段があるんだっ!」
王『あったんだ?(´・ω・`)』




