終幕後 ――妃十五歳③
結局流れてしまった涙を拭いながら乳姉妹に話を聞いてもらって、私はようやく少し落ち着く事ができた。
「……このままウジウジしてても駄目だものな。乳姉妹、私はちゃんと陛下と話をすることにする」
「それがよろしいでしょう、御妃様。……大丈夫ですわ」
そして決心を口に出せば、ほんの少しだけど勇気が出た。
……弱音を聞いてくれて、ありがとうな乳姉妹。
――という事で私は今、陛下と話をする機会を作ろうと、申し出るきっかけを捜している。
……いる……んだが。
「――……という事でございまして、国王陛下におかれましては、捕らえた蛮族を奴隷として、是非私共にお売りいただきとう存じます。トルキア王国の戦勝を祝し、良い値をつけさせていただきますぞ」
「……蛮族の捕虜達を、買いたいと申すか。……だが彼らは現状言葉も通じず、文明国の常識も知らない。そう良い商品になるとも思えぬが?」
「いいえ、国王陛下。使い潰し、殺してしまっても胸が痛まない奴隷というものは、これでなかなか売れるものなのでございます。重労働の三段櫂船の漕ぎ手や娼婦、はたまた、剣闘場で猛獣に喰い殺されるための剣闘士などとしても、買い取り先はいくらでもございます。ああ、神に捧げる生贄が欲しいとおっしゃるお客様もおられましたな」
「……」
――中々その好機が掴めないまま、夫婦揃っての公務が再開してしまった。
……陛下に話しかけようとすると、大抵ティーナー姫が来るんだよな。
陛下もにこやかにお話している以上邪魔しては悪いと思っていたが、ここは多少強引にでも、機会を得るべきだろうか。
……おっと、仕事中仕事中。
「所詮兇奴など、まともな国や信仰も持たず、大国の言葉や文明も知らぬ、害獣にも等しい蛮族にございます。偉大なトルキア国王陛下に有効活用されるならば、それはむしろ光栄な最後でございましょう」
今日の謁見相手は、戦勝祝いの貢物を持って来た西国の商人だ。
大柄な体躯に赤い巻き毛と髭、大きな蒼の瞳を持つ偉丈夫で、中々人好きする魅力的な容貌だが……言ってる事は差別意識の塊だ。異民族に対するこういう考えは、好きじゃないな。
「あぁっ、麗しき王妃様のご尊顔を曇らせてしまいましたか! 恐ろしい話を聞かせてしまいました事、どうか平にご容赦をっ」
「……大事無い」
とはいえ、国に多額の祝貢を持って来た商人を公然とは非難しづらいので、そっと口元に袖を当て、視線を僅かに逸らして遺憾の意を示してやる。
少なくとも私は、この商人が言うように兇奴の民が害獣とは思えない。彼らは言葉や風習は違えど、私達と同じただの人間だろう。
「おぉ……憂いに満ちた御姿もまた女神のごとしでございますが、どうか王妃様、あのような獣共のために、お心をお痛めになる事などございませぬよう」
「……」
確かに兇奴は隆武帝国でも西側でも嫌われているらしいし、このトルキアの国土を侵し戦を仕掛けてきたあげく敗れたんだ。捕虜から奴隷に――人間扱いされない階級に落とされるのは、乱世の倣として当然かもしれない。
だがそうなったとしても、やはり彼らは生まれてから死ぬまで、変わらず人間だと私は考える。……だって奴隷になったからといって、彼らは急に角牙が生えて獣に変身したりはしないんだからな。
「……宰相」
「……御意」
そんな事を考えていると、隣の国王陛下は傍らに立つ宰相と小声で言葉を交わし、西国の商人へと向き直る。
その表情はいつも通り謁見用の穏やかな無表情で、動揺など微塵も感じさせない。……流石だ。私ではこうはいかない。
「……そなたの申し出は、このトルキアに利益をもたらすものと理解した。嬉しく思う」
「おぉ……」
陛下の御言葉に好感触を得たのか、商人の表情が輝いた。……陛下、やっぱりあの人達を、死地へと売ってしまうのか?
「――なれど、捕虜はトルキア王国の重要な戦利品である。より大きく活かす術は無いか、多くの者達の意見も踏まえ、熟慮せねばならない」
でも、続けられた言葉に商人の顔が曇る。
熟慮か……陛下、それってもしかして、遠回しに断ってる?
「そなたのように、奴隷を買いたい者達は大勢いる。……彼らを一度に召集し売買を競わせれば、より大きな利益が見込めるであろうな」
更に商人の顔がひきつった。
ああ、一対一より一体複数の方が、より厳しい条件争いになるものな。
この商人はもしかしたら、手土産持参でおだてれば、陛下が上機嫌で取引してくれると踏んでいたのかもしれないが、陛下達はこいつが考える以上に冷静だったらしい。
……ちょっとだけいい気味だ。はは。
「……御妃様、謁見中声をたてて笑ってはなりませぬ」
おっと失敗、声が出ていたか。背後の宰相すまん。
「……」
へ、陛下にも聞こえてしまったか。……でも陛下の苦笑混じりの視線に、ちょっとだけ安心する。子供の頃のようで懐かしい。
「――だが、いち早く戦勝祝いにかけつけたそなたの真心は、嬉しく思う」
そんな陛下は穏やかな無表情に戻って視線を前へと戻すと、話を締めるべく商人を持ち上げ、そして結論を付け加えた。
「そなたを城の客人として迎える。出立までゆるりと寛ぐが良い。機会があれば、また話を聞こう」
つまり、『もらうものはもらったし、客として遇してやるんだから感謝しろよ? 出立までに更に何か好条件を出してきたら、話くらいは聞いてやってもいい。話くらいはな』――という事だろう。副音声が聞こえてくるようだ。
一応謝意を示しているようでありつつ、まったく謙らない。流石の国王目線だ陛下。
「お、畏れ多い御言葉にございます国王陛下」
陛下の本音を察したのか、商人もより謙って一礼し、挨拶なのか今度は私へと視線を移す。
「国王陛下の御心のままに、そなたを客人として歓迎する」
「――はっ、ははぁっ!! ありがたき幸せに存じまする、麗しき御妃様!!」
私が定型文通り言うと、更に商人は謙り、頭を床に打ち付けるようにして何度も頭を下げ始めた。……なんだか急に気合いが入った礼をしているが、痛くないかそれ?
「……宰相、客人に対する警備は強化しておけ」
「御意のままに、国王陛下」
だが挙動不審な商人でも、陛下は客としてお気遣いなさっているようだった。
陛下は流石だな、私も見習わなくてはっ。
――そして(挙動不審な)商人との閲見後。
「へい――」
「トルキア国王陛下ぁ~っ」
謁見の間から退席し、並んで廊下を歩いている陛下に話しかけようとしたら、ティーナー姫と愉快な侍女達が、国王陛下に駆け寄って来た。いつもながら、絶妙な時期だ。
「お役目お疲れ様でございましたっ。陛下のお疲れを少しでも癒すことができるならばと、妾が菓子を焼いてまいりましたのよっ」
「それはありがとうございます。妃も菓子は好きですので」
「あら……まぁ王妃様っ、いらっしゃいましたのっ? ああお許し下さいませっ!」
すぐ横にいる、しかも王妃仕様に着飾った私を見逃すってすごいな。視界に異常でもあるんじゃないのか?
「申し訳ございませぬが王妃様っ、この菓子は一人分なのですっ。妾は貴女様が、もう公務をなさる年頃なのだと知らず……ああっ、不手際をお許し下さいませっ」
「大事ありません」
別に欲しくない、と言うのもなんだか大人げないような気がしたので、流す事にした。
「……それならばティーナー姫、私の分を半分妃にあげてもよろしいか?」
私を気にしてくれたのか陛下がそう言うと、今度は目に涙を浮かべ、ティーナー姫が泣き崩れる。
「そんなっ! わ、妾は……妾は陛下に喜んでいただこうと朝早くから……ああっ」
「お優しくお美しく健気なティーナー姫様っ、ご立派にございますっ」
「お優しくお美しく健気なティーナー姫様っ、なんと真心に満ちた御方なのでしょうっ」
「お優しくお美しく健気なティーナー姫様っ、姫様の邪魔をなさるなんてっ」
「お優しくお美しく健気なティーナー姫様っ、どんな邪魔でも、姫様は負けませぬっ」
オヤサシクオウツクシクケナゲナティーナーって名前だったか? 長いな。
……私を邪魔者よばわりしたい気持ちは、良く判るが。
「ああ皆っ、皆そんな事を言ってはならぬっ。王妃様はトルキアの紛うことなき嫡流っ。国王陛下にとって大切な、政略結婚相手なのだからっ。例え政略結婚であってもっ、二人は御夫婦なのだからっ。王妃様っ、どうかお許し下さいっ。全て妾が悪いのですっ」
悪いと思ってるなら、政略結婚連呼するな。当たっている分、地味に効く。
「落ち着かれよティーナー姫。……判りました、菓子は私がいただきます。妃、すまない」
「いいえ、陛下」
泣き崩れ、小動物のように震えるティーナー姫を宥めるように、陛下はそう応じられた。……やっぱり今日も、この調子で話ができないだろうか……。
「――ところで妃、先程何か言いかけたね。どうしたんだい?」
――っ。
逸らしていた視線を陛下に戻すと、いつの間にか陛下に縋り付いていたティーナー姫は、侍女達に支えられていた。陛下が任せたのだろうか。
「陛――」
「ティーナー姫、お話は後ほど伺いますので、今は我妃と話をさせていただきたい」
「――っ。……は、はい。どうかお許し下さいませ陛下」
……我妃。久しぶりに言われた気がする。
「……それで、どうしたんだい妃?」
「……はい、陛下。お話したい議がございます。できれば、人払いし二人で」
ティーナー姫を支えていた侍女達の、なんだか獰猛な視線が私に集中した。何を想像しているか知らんが、撤回する気は無いぞ。
「ふむ……そうだね。……では午後の休憩時間、王宮の国王の部屋で話を聞こう。話を聞くときは全て人払いをし、誰であろうと入室させない。それでいいかい?」
「はい、ありがとうございます」
できるだけ真面目に言ったからか、陛下も真面目に受け取って了承してくれた。よし。
「それでは、また後ほど。陛下、失礼いたします」
「ああ、また後ほど。妃」
陛下とティーナー姫に一礼し、私は女官達と共に王妃の控え室へと戻っていく。今日は順番の関係で、乳姉妹は控え室待ちだったな。早く会いたい。
「……姫様の御前で、あんな約束……」
「……なんと心無い……」
囁くような、だが聞こえなくもないティーナー姫の侍女達の囁きを耳が拾う。
どうも、私の言動は悪く取られてしまうようだ。だがもう、オドオドしても仕方が無い。堂々と彼女達に微笑み、王妃らしく部屋へ戻るとしよう。
「っ……小娘が」
「……何かおっしゃられたか、ティーナー姫?」
「い、いえっ……なんでもございませぬ。……ただ妾に王妃様が、とても冷たい笑みを向けられましたので……ああ、怯えが……っ」
「……」
「……その、陛下」
「はい、なんでしょうか姫?」
「……王妃様はまるで馬賊のように馬に乗り、剣を振るうとお聞きしましたわ。……まるで生まれる性別を間違ったような、猛々しい御方……とも」
「……そうですね」
「やはりそうですのねっ。……そ、そのような猛々しい御妃様では、優美な隆武皇室にお育ちの国王陛下がお付き合いするのは、さぞお疲れになった事でございましょう?」
「そうですね。とてもとても、大変でした」
「当然ですわねっ、あんな――」
「――ですが、それが我妃なのです」
「っ……」
「……ご理解いただければ幸いですね、ティーナー姫?」
「は、はい……」
……うーむ、ティーナー姫と陛下は何を話し合っているのだろうか? 離れてしまうと流石に判らん……。
「――それで御妃様、陛下の私室に、その恰好で行かれるのでございますか?」
「そうだぞ乳姉妹っ。やっぱりこの恰好が、一番気合いが入るっ」
王妃の控え室へと戻った私は、女官達が止める中、公式な装いである深衣を脱ぎ捨て簪を全て外すと化粧も落とし、普段着に着替えた。
簡素な膝上丈の襦を細めの帯で留め、下は袴に膝丈の靴。髪は後ろで、一本に結わえる。動きやすく馬にも乗りやすい、私的な城外視察の際にも愛用している恰好だ。外に行くときは、これに剣帯と短剣、季節によっては袖無外套が加わる。
「まるで殿方の恰好ですわよ?」
「自覚はあるなっ。お前も知っているだろう乳姉妹。自慢ではないが、この恰好で町を歩いていて、男と間違われなかった事はないっ」
「本当に自慢になりません御妃様。……ですが、陛下と自然な会話をなさりたいのでしたら、そのようないつもの恰好も、よろしいかもしれませぬな」
「そうかな?」
「ええ。……お城にお戻りになられてからの陛下は、少々御妃様に戸惑われていらっしゃるようでございましたし」
「と、戸惑う……」
それはやっぱり、私の女らしい振る舞いや装いが似合ってないからだろうか? ――き、気持ち悪いとか思われていたらどうすればいいっ?!
「……多分、今御妃様が思われたような事ではございません」
「乳姉妹?! 今私の頭の中を読んだのかっ?」
「女官の嗜みでございますわ、御妃様」
女官恐るべし?!
「というのは冗談でございますが」
「冗談なのかっ?」
「それでも、御妃様がご心配なさるような事は無いと、この乳姉妹断言できますわ」
乳姉妹は、ちょっと歪んでいた私の帯を直しそう言った。
「……そうかな?」
この、普段着にしてはちょっと華美な刺繍に彩られている帯は、刺繍が得意な女児学校の友達からもらったものだ。乳姉妹の声と共に、友人のきついが優しい声も思い出して、懐かしくなる。
「はい。どうか素直なお気持ちを、陛下にお伝え下さいませ。……側室など取って欲しくないと思えば、お心のままに」
「……そんな事は言えないが……そうだな、できるだけ素直な気持ちで、陛下と話してみよう」
……だがその友人は既に嫁ぎ、目の前の乳姉妹もじきに嫁ぎ、私は妃として公務に立っている。もう子供ではないのだ。それを忘れてはいけない。
「……できるだけ、でございますか?」
「そう、できるだけだ。――さぁ行ってくるぞ乳姉妹。いざ、出陣だっ」
裾を翻すようにして身を返し、私は陛下の私室へと向かう。
壮麗華美な王妃の装いとはまるで違う軽快な装いは、私の気分も少しだけ軽くしてくれた。
私は約束通り、陛下の元へ一人で向かう。
廊下を警護している兵士達は大勢いるが、基本的に無言で規則的に動く彼らが場を盛り上げる事は無く、兵達が何人いようと、廊下の整然とした雰囲気は、整然としたままだ。
「陛下……もう来てるかな?」
王宮の国王の部屋とされているのは、城の奥向き、つまり国王夫妻の居住棟ではなく、公的な場とされる城の表向きに在る一部屋だった。
陛下が格式張った謁見よりも、相手とより深く話したい時に使用なさる部屋で……私のために使われるのは初めてだ。真剣に話を聞いてくれるという事だろうか?
「……おや?」
部屋の扉前に立つ兵士に来訪を伝えようとした私は、中から声が聞こえてくる事に気付く。陛下の他に、誰かいるのか?
「――……では――とは話は――?」
「――っす、これが返答の――っす。――様もとてもお喜びに――。あと――の方が……」
「――ふん。……まぁ想定内だな。古狸め――」
「――はは、確かに狸顔――。あーあと……は……で――」
「――そうか。では再び――に――」
……ん? 陛下と……これってもしかして……。
「御妃様。畏れながら、扉が開きます」
「ん? あ、ああ。すまん……あっ」
「――では、また行ってくるっすよ~陛下っ。――あっ、なんだか久しぶりっすね~御妃様っ」
「――飛刃っ!」
ヒラヒラと手を振りながら国王の部屋から出てきたのは、隆武帝国出身にしては珍しいらしい金髪碧眼の美丈夫、トルキア王国国王付近衛武官長。ついでに乳姉妹の婚約者である、トルキアの将軍呂飛刃だった。
上質な装いだが、旅装束だな。……どこかに行っていたのか?
「本当に、久しぶりだな」
口に出してみて、改めてそうだったと思い当たる。
「飛刃、戦場から帰ってきて以降、陛下のお側にしばらくお前がいなかったな? 何かあったのか?」
「いやいや、お仕事っすよ~お仕事。戦地に居残るわけにもいかない陛下の代わりに、オイラ達武将は、あちこち色々と動き回ってるっす~」
「そ、そうだったのか? それはご苦労様だ」
「いえいえ」
にこやかに私へ返す飛刃の首には、良く見ると陛下の首飾りが下がっている。隆武帝国、そしてトルキア王国王室二つの印章が彫り込まれた金製の首飾りは、確か陛下の名代という意味があったはず。……もしかして、重要な任務中なのだろうか。
「まぁ、国内が落ち着かないと、ゆっくり結婚式もできないっすからねぇ。いっちょがんばるっすよ~。ってわけで、もう一回行ってくるっす~」
「そうか……あっ飛刃っ、もう行くのかっ? お前、婚儀前の乳姉妹に会っているかっ?」
スタスタと歩いていく飛刃に、私は思わず声をかける。乳姉妹は、ちゃんと婚約者に会っているだろうか?
「いいえ。――『私などにお構いになる暇がおありならば、国王陛下、御妃様、そして戦地に残る兵達のために、よくよくお働き下さいませ』って言われちまったっすからねぇ。ははっ、できた鬼嫁っす」
「鬼って……」
「強いって意味っすよ~。隆武では厄災を祓うため、瓦に鬼が刻まれてたりするっすからねぇ」
「へぇ? それは知らなかったな」
「ははは。……御妃様は、女狐を祓える鬼瓦になれるっすかねぇ?」
「む……それは」
「……ははぁ、苦戦中っすか」
返事に困った私を見て、振り返った飛刃はニヤニヤと笑った。イヤな奴め。
「まぁ、悩め悩めっす。悩む程女は色香が深まるっすよ~御妃様っ」
「そうなのか? ……じゃあ悩む程、男の場合は何が深まるんだ?」
「眉間の皺っすね。陛下のあれとか」
「っ……あははっ」
思わず吹き出した私に、芝居がかった一礼を返した飛刃は、部屋を去って行った。
……相変わらず、楽しく軽い奴だなぁ。陛下と違って、年を取るほど表情が明るく親しみ安くなっているようだ。
「――妃? 入室は許可している。入りなさい」
……さて、いよいよ、だな。
王「そうですね。とてもとても、大変でした(*´ω`*)ホッコリ」




