2 僕と妃と乳兄弟
「――さてと。ところでお前、見合いしろ」
「うぷー」
「いやっす」
本日の政務を終えて夫婦の私室に帰ってきた僕は、乳母殿達と部屋で待っていた妃(四ヶ月半)を抱きかかえつつ、後ろに立つアホ護衛の呂飛刃に切り出した。
「あぷー。あぷー」
「おっと。はいはい。こうかな~妃? ほいっ、ほほいっ」
「きゃーいっ」
切り出しつつ、夫婦間交流を図るのも忘れない。
最近妃は、抱えられた状態でピョンピョン跳ねる事を憶えた。まだ歩けない妃が足裏を地面に着け、膝を屈伸させるのを面白がるのは、もしかしたら自分が持つ歩行能力に、気付いているからかもしれない。
「うおっほっふっ。ほっ、ほっ♪」
そろそろうつ伏せにすると顔を上げたり腕を上げたりするし、何かの拍子に寝返りうったりもするし、妃がはいはいして、自由に動き回れるようになる日も近いかもね。
……赤ちゃんって、どんどん大きくなるなぁ……。
「おーい陛下、返事無視しないで下さいっすよ。イヤっすからねオイラ。見合いも結婚も」
……ちっ。折角妃の成長を感じていたのに、空気読まない上に主君の命令を拒むたぁ何事かそこのアホウ。
「これは命令だ呂飛刃。見合いして結婚して家庭を作れ。この地に骨を埋める覚悟をしろ」
「この地に骨を埋める覚悟はとっくに出来てるっす。でもそれと結婚は全く別問題っす。オイラは陛下の護衛っす。一人身の方が身軽で、人質を取られる心配もなく、陛下をお守りしやすいっす」
適当に言い訳してるが、本音は判ってるんだからな。
「だが遊びたいんだろう?」
「遊びたいっす! 今は色んなお姐ちゃん達の間をフラフラして、楽しく恋愛したいっす! だから女房子供は、まだ考える気も無いっすっ!!」
あっさりと力説しやがった。
だがそれでは困るんだ。
「……苦情が来ているんだ」
「苦情?」
「女官長からな。……お前のような男が、独身のまま嫁入り前の女官達に近寄れる立場だと、よからぬ噂が立ちかねないと」
これは女官達を統括する女官長が上げ、帝国から赴任してきたこの国の宰相に受理された、正式な陳情書だ。
「正しくは女官長、というより娘達を城に上げた親達が女官長に陳情し、女官長が書簡にしてまとめたという感じだ」
「えぇ~っ!」
「親が決めた許婚がいる女官も少なくないからな。お前がそういう女性と間違いでも起こしたら、大きな問題になってしまう」
「いやいや!! オイラは婚約者持ちなんて面倒な女の子に、無理矢理手ぇ出したりなんかしないっすよ?! お互い合意で火遊びする、人妻なら大歓迎っすけど!!」
それはそうだろう。一応乳兄弟であるこいつが、好きこのんで女性を不幸にする修羅場を作るような下衆男だとは、流石に僕も思ってない。
……思ってないが、こいつは判ってるようでやっぱり、自分の事を判ってない。
「……怖いのはお前側からの誘惑ではなく、――娘達の心変わりだ」
「……え? 陛下、後ろ半分よく聞こえなかったんすが?」
小さく言ったからな。
――つまりこいつは端から見ると、娘達が許婚なんかポイしたいと思わせてしまうような、夫として超優良物件男なのだ。
西域の血が強く出たがっしりした長身と、彫りの深い男前な容貌に加え、不本意だが王である僕が最も信頼する護衛でありこの国でもトップクラスの出世株、ついでに実家は地方にあるとはいえ、帝都在住の上流階級にも負けない裕福な有力者だ。
――おまけに独身とくれば、よっぽど許婚に惚れ込んでいるか、理性が強い娘でなければ、誘惑されればグラリとなってしまうだろう。否、誘惑されなくても勝手に惚れて、軽はずみな事をしてしまうかもしれない。それはとても困る。なんとかしてくれ――。
大体そんな内容を、流暢かつ上品な文体で書き記した老齢の女官長の気苦労を思うと、なんだかすまない気分になった。……僕が全く無関係、というわけでもないしね。
「とにかくだ。お前には手綱を握ってくれる、しっかりとした、あと多少嫉妬深い正妻が必要だという結論に達したんだ」
「うぇええーっ!! イヤっすよーそんな女房っ!! 遊べないっすよーっ!!」
「遊ばせないのが目的なんだ。その女房に惚れて、良好な関係を築けば問題ないだろう?」
「……もし夫婦になって惚れ込んだ後で真っ黒な本心が見えたら、オイラが立ち直れないっすよ」
……お前、やっぱり。
「――それにやっぱり、今のオイラはフラフラしてる方が楽しいっす。遊び人極めるっすっ」
「それは僕が許さん」
「ばうっ」
「妃も許さないと言っている」
「言ってないっすよ?!」
「とにかくだ。見合いがイヤなら自分で見つけて求婚しろ。お前が真面目に結婚する気があると女官長に言えば、多少猶予期間も作ってやるから」
「お断りっす。オイラ結婚する気なんてさらさら無いっす。それでも陛下達が無理矢理オイラを結婚させるって言うなら、オイラ新婦を放置するっす。新居にも帰らないっす。それで遊び呆けるっす。……そんな可哀想な婚姻を、陛下は罪もないどこかの娘に結ばせるつもりっすか?」
「……」
お前も相手も、そんな不幸な家庭には勿論したくはないが……だからといって女官長と宰相の陳情も、無視する事はできない。
さてどうするか……。
「ばぶー?」
「……うーん……あ」
……そうだ、これならどうだ。
「……飛刃、お前の気持ちはよく判った」
「判ってくれたっすか陛下っ?」
「判ったので、僕がお前の妻となる娘を紹介しよう」
「判ってないじゃないっすかーっ!!」
いいや、判っているともさ。
「お前がとっても『放置しづらい娘』を、紹介してやる」
「なっ、なんっすかそれっ?! ――まさか陛下、オイラ好みの前掛けが似合う、美人というより可愛い系の女の子を紹介してくれるつもりっすか?!」
そういや、お前の好みそんなんだったな。ちょっと丸顔が可愛いとか。
「……まぁ、外れてはいないかな」
「なんと?!! ……ま、まぁすぐ結婚とかじゃなくて、会うだけならぁ~……」
「食い付き良いなお前。……まぁいい」
――ほれ。
「あぶ?」
「ぶ?」
「へ?」
「――乳母殿の実娘にして、我妃の乳姉妹ちゃん(四ヶ月半)だ」
いぎゃあああああ!!! という飛刃の叫び声が部屋に響いた。失礼な。
「どうだ、いくらお前でも、こんな幼気なあかちゃーんを放置はできまい」
「いいいいいいいいイヤっす!!! それはいくらなんでも無理がありすぎっす!!!」
「何を言う、お前の好み通りじゃないか。可愛い系だし、前掛けも似合う」
「それ前掛けじゃなくてヨダレ掛けじゃないっすかぁああああああ!!!」
僕は抱き上げた乳姉妹ちゃんを差し出すと、アホは逃げようとするが逃がさずに受け取らせる。
「ふぇえ……」
「あっ、抱き方悪いと泣くぞ。泣かせるぞ。お前のせいだぞ」
「うわあわっ!! ご、ごめんごめんっ。泣いちゃだめっすよ~いい子いい子。よしよし」
「う……あきゃっ」
乳母殿の横でウトウトしていた乳姉妹ちゃんは、いきなり抱き上げられて驚いたせいか多少ぐずったが、飛刃があやすとすぐに機嫌を直した。
流石女好きのタラシ。イケメン顔と声は赤ちゃんにすら通用するのか。
「って陛下!! いくらなんでもこれは無いっすからね!! オイラ陛下と同じ苦労をする気は無いっすっ」
「なにおうこの無礼者。だが不幸ではなく苦労と言った事は、ギリギリ許してやろう」
「だって陛下今、別に不幸じゃないっすよね? というか、結構幸せそうっす」
「……」
……あの権謀術策渦巻く帝国皇宮で、息を潜めるようにして生きていた頃と比べれば、確かにね。
「でもそれとこれとは別問題っす。オイラ恋人も許婚も得るなら同世代がいいっす。それで苦労している陛下の前でイチャついて、幸せっぷりを見せつけたいっす」
よし、正直にぶっちゃけられてムカついたので、正式文書で結婚許可証を書いてやる。
「止めて下さいっすぅうううう!! オイラはどうとでも誤魔化せるっすけど、この子が気の毒っすよ!! 遊びたいオイラの事情に勝手に巻き込まれて知らない間に結婚とか、可哀想過ぎるっすよぉおおおっ!!」
「ぷあぷー?」
用意していた結婚許可証に署名をしようとした僕を、流石の飛刃も土下座する勢いで必死に止める。
……ふふふ。やはりこいつも、無力な赤ちゃんは放置できないだろう。計算通り。
「……ならば仕方がないな」
「……え」
「この許可証は、僕が預かっておく。そしてこの話は、それとなく女官長と宰相に伝えておいてやる」
つまり、『呂飛刃には、国王が考えている有力な縁談があるらしい』という噂を、軽く上から流してやると言う事だ。
本人が笑って否定する程度の軽い噂でも、許婚がいる女官なら、もしかしたら本当かもしれないと考えて自制心が働くだろう。それに乳姉妹ちゃんと明言するわけでもないから、彼女に傷もつかない。
「期限はその乳姉妹ちゃんが髪上げして簪をする、十歳くらいまで。それまでに気持ちの整理をつけて、相手を得て結婚しろ。結婚を決めた相手が噂を気にするようなら、それは僕が直接否定してやるから」
そして飛刃の結婚後、噂はあくまで噂として終わり、この結婚許可証は破棄される。
めでたしめでたしだ。
「……け、結婚できなかったら?」
「噂は真実となり、いたいけな十歳の幼女が犠牲になるしかないなぁ」
「あぷー?」
「ちょっとぉおおおおおおおおおおお?!!!」
――なんてのは乳姉妹ちゃんが可哀想だから、最悪こいつの長年の不敬を理由に。宮刑発動でもしてやろうかな? ……実際これで、究極万事解決なんだよなぁ……。
「陛下!!! なんか今とんでもなく鬼畜な事考えてるっすね?!!!」
なんの事だかなぁ~。
「そんな事にならんよう、将来を真面目に考えるんだな」
「う、うぉおお……」
乳姉妹ちゃんの首がぐらつかないようきちんと抱きかかえながら、飛刃は器用に苦悩し悶える。
「……あんな女ばかりじゃないって事は判っているだろう?」
「……」
「お前ならすぐ立ち直れると僕は信じているぞ」
基本的に優しいヤツなんだよな。
……だからこそ、立ち直ったら良縁が結ばれれるのも早いと思ってるぞ?
「――というわけで、僕の妃がウトウトし始めているが、乳姉妹ちゃんの目が冴えてしまった」
「……あふ」
「あぷぷー?」
「えっ」
両者を見比べれば判るだろう。このままでは元気な乳姉妹ちゃんが、妃のおねむの妨げになってしまうのだ。というわけで。
「逢い引き行って来い。乳姉妹ちゃんが眠るまで帰ってくるな」
「それただの子守りじゃないっすかぁ?! ――あっ、ごめんなさいっすお妃様っ、すぐ静かにするっすっ。乳母殿、お嬢さんをちょっとお借りするっすっ」
乳母殿はニコニコと微笑みながら、飛刃にどうぞと答えた。子守りの苦労が軽減されるのが、嬉しいのかもしれない。
「ふ……むぅ……」
「おねむかい妃。……寝る子は育つ。沢山寝て、大きくなるんだよ」
育ち過ぎて僕の身長追い抜くのは、ちょっと勘弁して欲しいんだけどね。
そんな事を考えている僕に、妃はやがてむにゅむにゅとつぶやきながら目を閉じ、静かな寝息を立て始めた。
「よしよし……一度寝ると中々おきないのは、君の美点だと思うよ」
世の中にはとても繊細で、物音一つで飛び起き泣き出す赤ちゃんもいるらしいからね。
世のお母様方、ご苦労様です。
「……陛下、お妃様を御寝所にお連れしますか?」
気が付くと乳母殿がそう言って、手を差し伸べていた。
……うーん……。
「いいよ、僕が連れて行く。……お前達もしばらくは、下がっていい」
乳母殿と、部屋に控えていた唯一の女官である女官長にそう言うと、二人は深々と一礼し、部屋を出て行った。
……わざわざ確認しに来るとは。女官長、相当陳情書の成り行きを気にしてたんだなぁ。
「おっとっと。……そーっとね。はい到着、っと」
私室を抜け、その奥にある寝室の巨大な寝台、その子供寝台スペースへと妃を寝かせ、お腹に軽い布をかけてやってミッション終了。
最近寝返りして転がるようになったから、寝台から落ちないように柵で囲んで、安全確保をしたんだよね。
「ぷぅー……」
「……妃を檻で囲う王の図。……字面だけならとっても倒錯的なのに、実体は全く平和な光景だなぁ……」
帝国の属国化されたばかりのこの国が、平穏なんて少しも思ってないけれど。……それでも……スヤスヤ幸せそうに眠る妃を見下ろしていると、帝国で暮らしていた時とはまるで違う、安らかな幸せを感じる。
……夫婦とは少し違うけれど、家族になるって、こんな気分だろうか。
「……」
……あいつだって、本当はそんな幸せを望んでいたろう。
恋人を娶り、家族になって子供を増やし……それを潰した原因は、僕にもある。
「……あいつはさ妃、恋人がいたんだ。貴族階級の、名家の子女」
……でも。
「……ダメになっちゃった。……あいつが僕について、属国の武官になるって決まったから。……帝都の貴族にとって、属国に落ちるなんて、屈辱でしかないんだってさ」
政略結婚の駒でしかなかった僕としては……正直に言えば、幸せ者爆発した。フラれてざまぁ、……な気分も嘘ではないんだけどさ。
「……それでも僕の乳兄弟が、あんな女に傷つけられ、これからずっと幸せになれないなんて……やっぱりイヤなんだよ」
ただの感傷だけどね。
でも背中はできるだけ蹴ってやって、前に進ませてやろうと思う。
「……すぴー……すぴー……」
「やれやれ、熟睡かな? ……おやすみ妃」
どうか良い夢を、と祈りながら、僕はおそらく赤ちゃんを連れて暗くなった城の周囲をいるだろう乳兄弟を思い出し笑う。
「……案外、似合ってたよなぁ。……お父さんと娘って感じで?」
僕と妃は、せいぜい兄と妹だけどね。うん。