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終幕後 ――乳姉妹十歳②

下品注意。性描写を想起させる描写有。R15タグつけました。

 元々王城には、国王御夫妻のそれぞれ独立した寝室があります。

 王が妃の寝室へと通って同衾するしきたりなのは、王に側妾ができた時、そちらにも通いやすくするためでしょう。この国の国王陛下には、まだそういった存在はおられませんが。


「……よし、女官達も出入りしておらんし、陛下はまだ寝ておられるな」

「……御妃様。単なる寝坊の御妃様とは違い、国王陛下はここしばらく深夜に及ぶ有力者との宴席接待が続きお疲れのため、あえて起床時間を遅らせておられるのです。まだ起こしちゃいけないんですよ? 判ってます御妃様?」

「判ってるぞ乳姉妹。私はこっそりと、確かめさせてもらえば良いのだ。……昔みたいに一緒に寝ていたなら、もっと簡単だったのだが」 


 暗殺などを防ぐため、そしてまだ赤ちゃんには温もりが必要という配慮により、赤ちゃんの頃は国王陛下と一緒に眠っていた御妃様ですが、五歳になると、一人で眠る事にも慣れなければならない、という国王陛下の御判断で、用意された別の寝室に移されました。

 ……国王陛下が側室でも迎えるのかと少し心配しましたが、そういう事ではなく。本当に御妃様の添い寝卒業のためだったそうです。

 乳幼児の頃から側にいるせいでしょうね。国王陛下の御妃様に対する思考は、すっかり親です。


「……あれ、おはようございます御妃様。それに乳姉妹ちゃん。まだ陛下はお休みっすよ? お疲れなんっすから、邪魔しちゃだめっす」

「うむ、邪魔はしないぞ飛刃。陛下はスヤスヤ寝ておればよいのだ」

「……御妃様、本当でございますね?」


 とにかくそういう事情により、御妃様の寝室のお向かいにある御自分の寝室で、陛下はお休みです。

 部屋の前で呂将軍に一度止められた私達は、静かにすると約束した上で入室を許され、天蓋から寝台へと吊り下げられた帝国風の御簾の隙間から、国王陛下を垣間見ます。


「……」


 寝息も寝乱れも感じさせないほど静かに、国王陛下は巨大な天蓋付きの寝台で眠っておられました。

 御妃様の寝相を見慣れた私には、心配になるほどひっそりとした寝姿ですが、呂将軍曰く、この方はこれが普通なのだそうです。


「陛下……むふふ、熟睡しておられるな」

「むふふって……だから、邪魔しちゃだめっすよ御妃様」

「……」


 ……静謐、という言葉がぴったりの、気品ある穏やかな御姿です。

 東方人特有のやや彫り浅くも涼やかに整った御顔立ちと、西方の殿方と比べれば線は細いながらもしっかりした御身体は、呂将軍のような派手さはありませんが、清廉でお美しい。

 即位なされたばかりの頃は、頼りなげな少年王だったと城内の噂で聞きましたが、現在の国王陛下は、気負う事無い自然な威厳と迫力を身につけた、堂々たる我らが君です。

 周辺諸国の有力者が『挨拶』に連れて来る、美しい令嬢や女奴隷達が、ギラギラと欲熱が宿った視線を向けてくるのも、仕方が無い事でしょう。

 ……ですから御妃様には是非是非、そんな肉食獣のような妾妃志望共に付け込まれないよう、国王陛下の正妻として、立派に成長していただきたいのですが――。


「……それで御妃様、貴女様はお目覚め前の陛下に、一体何をなさるおつもりなのですか?」

「うむ、それはだな乳姉妹――これだっ」


 当の御妃様は、まるで少年のような満面の笑みを浮かべて、手に抱えていた何かをわたしと呂将軍へ向かって、ずずいっ、と差し出しました。

 

「……これは……絵巻物、でございますか?」

「うんっ。これはな乳姉妹、帝国の御義母上様が、私へと贈って下さったものだっ」


 それは色鮮やかな絹織物で装丁された、一本の分厚い巻物でした。

 そして御妃様の御義母様という事は、これは国王陛下の御生母様――つまり、隆武帝国皇帝第三妃様からの贈り物、という事でしょう。

 ……なるほど。中身は判りませんが、紙質や外側の装丁を見れば、それが貴人が手にするに相応しい高価な絵巻物である事は判ります。


「これは、こう開くとだな……」


 お目にかかった事は勿論ありませんが、国王陛下の御生母様といえば、琴瑟の名手であり教養に溢れる高貴な美女、とお噂に名高い方。

 そんな素晴らしい淑女からの贈り物ならば、きっとこれは女人のためになる、女人用の絵巻物なのでしょう。例えばおしゃれとか、お化粧の極意とか。

 なんにしろ、それを見た御妃様が、女人として自覚していただけたなら、とても嬉しいですが……。


「――このとおりっ、男女の房事(イヤラシー)姿が、ズララララっと並んでいるのだ乳姉妹っ」


 ちょっと待て高貴な淑女ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお?!!!

 ――と叫びそうになって口を押さえた私を察したのか、呂将軍は素早く御妃様と私を抱え、廊下へと飛び出しました。ありがとうございますっ。


「お――御妃様っ! なんですかそれは?! そっ、そんな思い切って広げないで下さいっ」


 み、見てしまったじゃないですかっ。全裸の男女があんな体勢やこんな体勢で……ほ、本当に房事とは、あんな曲芸的(アクロバティック)な恰好になったりするんですか?!


「男女艶情百選……おやおや、これは帝国の人気春画家の作品っすねぇ~」

「だから、陛下の御母上様からいただいたんだぞ乳姉妹っ。ほら、ここに直筆(メッセージ)があるっ」


 そう言って御妃様が無邪気に指さした春画には、確かにたおやかな隆武の文体で、何かが書かれていました。


―まだ幼い嫁へ―

―お亡くなりになった貴女のお母様に変わり、貴女に夫婦和合の極意を授けます―

―より良い夫婦生活のため、その時が来るまでこの絵巻物で、よく学びなさい―

―いいですか? 殿方の心をがっちり掴む基本は、恥じらいつつも大胆に―

―そして殿方を不快にさせない程度にあざとく、です―


 ……第三妃様って……。


「……御妃様の事を考えて下さっているのはよく判りましたが……今私の中で、高貴な淑女に対する幻想が、大きく崩れ去りました」

「いやいや乳姉妹ちゃん。貴人の妻達ほど、実は房中術をよく学んでいるもんっすよ。なんたって権力者ってのは大抵多妻で、その中で力を持つためには、結局夫と仲良くして、その男児を産む他ないっすから」

「仲良くする……」

「そ、そんなうんざりした顔で見ないでくれっす。確かに乳姉妹ちゃん達にはまだまだ早いっすけど、これはこれで大事な事っすからね」


 ……別に、夫婦の房事にうんざりしたわけじゃありませんけど。

 ……呂将軍はきっと、それはもう大勢の女人と、『仲良く』しているんでしょうね、と思っただけです。妻もいないのに。 


「将軍の妻となる方は、さぞ御苦労なさるでしょうね……」

「へ?」

「いいえ、なんでもありません。わたしには関係ありませんし」

「あー……ははは」


 そしてそんな事は、どうでも良い事なのです。……問題は。


「お、御妃様」

「うん?」

「そちらが春画……いえ、夫婦和合の極意である事は判りました。……で、ですが御妃様は、その……そのようなものを持って、国王陛下の寝室で、一体何を確かめるおつもりだったのですか?」


 我が主に、私は恐る恐る尋ねます。

 御夫婦とはいえ、その春画のような事は御妃様が大人になってから、と国王陛下がお待ち下さっておられるので、国王陛下と御妃様は、いまだ清い関係のままです。

 まだ無垢な乙女……というより子供である御妃様が、あんなものを持って国王陛下の寝室で、一体なにをするおつもりだったのでしょうか?


「さっきいっただろう乳姉妹?」

「え?」

「私はな、確かめに来たのだ」


 ……確かめるって、何をですか?


「この絵の通り、大きいのか、をだ」


 …………大きいって…………何が?


「この絵の男のように――陛下の【パオーン】が大きいのかを確かめに来たのだっ」

「御妃様ぁああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 子供が言ってはいけない不適切な単語を掻き消すため、私は叫んでいました。

 聞いてませんね?! そこの女官さんも兵士さん達も、御妃様の発言を聞いてませんね?!!

 

「ど、どうしたんだ乳姉妹、大きな声を出して?」

「どうしたんだはこちらの台詞です御妃様!! 一体どうなさったんですか?!! よりにもよって【パオーン】なんて!! 【パオーン】なんて!! 殿方のアンナトコロを表す言葉をそんなあからさまに!! 女子がそのような事を言ってはいけません!! 【パオーン】なんて!!」

「お、落ち着くっすよ乳姉妹ちゃん、乳姉妹ちゃんも連呼してるっすよ」

「わたしの事なんかどうでもいいんです!! 呂将軍はちょっと黙っていて下さい!!」

「え、えぇ~……」

「ありゃ。大丈夫か乳姉妹?」


 大いに動揺し混乱するわたしの前で、御妃様は不思議そうに首を傾げました。

 御妃様、不思議そうにする貴女様が不思議です。朝っぱらから無邪気になんて単語を口走ってるんですか!!


「でも必要な事だと思うんだ」

「何がですか?」

「だから陛下の【パオーン】」

「その単語は未成年の使用禁止です御妃様ぁあああ!!」

「うーん、でもなー乳姉妹」


 そう言って、わたしの目の前へ、開いた春画を近づけます。ちょっ!! 近い近い!!


「女と繋がっている男のコレ、大きすぎるだろう?」


 至極真面目にそう言う御妃様が言いたい事は、よく判りました。

 ――確かに、絵の【パオーン】は大きいですけど!! 大きすぎですけど!! わたしも勿論見た事なんかありませんが、そういうものなんでしょうか?!


「見た事は無いが、殿方のコレというのは、これほど巨大なものなのか? もし陛下のコレが絵のように巨大だったら、私はこの絵の女のように、コレを体内に収める事ができるのだろうか? ……昨夜そのような事を考え始めたら、止まらなくなってしまってな」


 そう言って巻物を抱える御妃様は、やはり至極真面目なご様子でした。

 

「こういう事をしなければ、子供ができんのだろう? ……ならば妻である以上、大きすぎて無理です、とは言えんだろうしなぁ……」


 御妃様は御妃様なりに、成長後の事を考えておられるのでしょう。


「というわけで、陛下が寝ている間にこっそり夜着をめくって、陛下のアレの大きさを確認しようと思ったのだっ!! 覚悟を決めるためにな!!」

「でもやっぱり!! そんな事をやってはいけません!! それは痴女行為というものです!! 怒られますよっ」


 ――だからといって、はいそうですかと、その行動を許容する事はできませんが!!

 なんですか国王陛下の夜着をめくるって?!! 夫婦とはいえ、不敬罪が適用されかねない大変失礼で不埒な行いですよ御妃様?!!


「判っているっ。だから怒られないよう、こっそりやる事にしたのだっ」


 少しは悪びれて下さい良い笑顔の御妃様!!


「どうかお考え直し下さい御妃様!! たとえ夫でも、殿方に恥をかかせるような真似をしてはなりませぬ!!」

「ん? なんで恥なんだ乳姉妹?」

「アレが大きすぎると女人が大変でしょうが、逆にもしアレが小さかった場合、それは殿方の恥になるらしいのです!!」

「え、なぜだ? 小さい方が楽そうだから、私としては助かるぞっ」

「よく知りませんが、殿方の沽券の問題らしいのです!!」

「へぇ? そうなのか、飛刃?」

「少なくとも、小さいは褒め言葉じゃないっすね~。いずれにしろ、陛下のアッチは御妃様が大きくなってからお確かめ下さいっす。陛下にそんな悪だくみがばれたら、大目玉っすよ~?」


 むー、と可愛く唇を尖らせ、御妃様は反論します。


「私は今知りたいのだっ。疑問に思った事はすぐに調べ、自分の目と耳で確かめよと、学校の女老師様もおっしゃっておったっ」

「それは学問に対する姿勢にございます御妃様っ」

「学問というならば、房中術とて陰陽五行思想で体系化された学問ではないかっ。よく学べと義母上様もおっしゃっておられたのだっ。私は学ぶぞーっ」

「させないっすよ~」

「うわっ、入口を塞ぐとは卑怯だぞ飛刃っ」

「だめです御妃様ーっ」

「乳姉妹おまえもかっ。だが私は負けんっ」


 一度出された国王陛下の寝室に入ろうとする御妃様と、それを苦笑しながら止める呂将軍と、必死に止めるわたし。そしてその様子を、見守る周囲の人々。

 無茶をしている御妃様に向けられる周囲の人々の視線が、暖かいのはいつもの事です。

 あれこれやらかしながらも、基本的に悪意がないから、強く怒る気にはなれない。と、女官の先輩方もおっしゃってましたっけ。

 ……この御妃様をしっかり叱る事ができるのは、私の母である乳母と……この方だけでしょうか。


「……何をしているのかな?」

「あっ」


 おはようございます、我らが君。


「私の夜着をめくるとかめくらないとか、色々目覚めに聞きたくない事を言っていたようだけどね……僕の妃?」

「なんだ、お目覚めか我が陛下。陛下が怒らないよう、こっそりやろうと思っていたのだが失敗だったなっ」

「……そもそも、怒られるような事をしないという選択肢は、君の中にないのかな?」


 乱れた髪と夜着の襟を直しながら、入口まで歩いてこられた国王陛下は、にこりと微笑みました。


「ないなっ」


 そんな陛下を見上げ、御妃様も満面の笑顔でにっこりと応えました。


「そうかい…」

「そうだぞっ」


 にこにこにこと、国王御夫妻が笑顔が交わされること数秒――後。


「こら妃ぃいいいいいいいいいいい!!!」 

「あいたぁあああああああああああ!!!」


 ごつーん、と良い音を立てて、いつも通り陛下の雷とゲンコツが、御妃様の脳天に落ちたのでした。


「いたいぞ陛下ーっ」

「痛くしてるの!! え? ――な、なにその春画(エロ本)?!! 何見てるんだ!! 君には十年早い!!! 没収没収!!!」

「やだーっ!! これは私のために、陛下の御母上がわざわざ贈って下さったものなんだ!!」

「母上ぇえええ!!! 嫁とはいえ童女に何贈ってるんですかぁあああああああ!!!」

「これが夫婦和合の極意と聞いたぞ陛下!! 違うのかっ?」

「ちっ違わないけどやっぱり君にはまだ早いのっ!! これは大人指定本!!」

「結婚してるんだから、私だって大人になりたいぞ陛下!!」

「そういう事は、朝きちんと一人で起きて、皆の前で楚々と振る舞える一人前の淑女になってから言いなさい!!」

「うーん? 残念だが、それは一生できないような気がするぞ陛下っ」

「あっさり諦めるんじゃありません!! ――ああもう!! 元気なのはいいんだけど!! 大きな病気もなく大きくなっているのは、喜ばしい事なんだけどねー!!」


 しょちゅう怒りながらも御妃様を愛し、なんとかその女子力を目覚めさせたい国王陛下と、国王陛下を慕いながらも、常にその斜め上か下へと成長を続ける御妃様。

 そんな我がトルキア王国御夫妻の日常は、こんな調子です。


「やーれやれ。そろそろ学校の時間じゃないっすかね~乳姉妹ちゃん? 御妃様が朝食食いっぱぐれるっすよ~」

「……そうですね。御妃様……」

「あっ乳姉妹!! 陛下から私の絵巻物を取り戻すのだ!! 手伝ってくれ!!」

「……まいりましょう御妃様。朝餉の支度が整っております」


 そして、御夫妻にお仕えするわたし達の日常も、こんな調子です。

 呂将軍に荷物のように抱えられて連行されるお妃様に続き、わたしがそっとため息をつくのもいつものこと。本当に、どうしてこう育った。


「うわーっ! 飛刃離せーっ! 私の夫婦和合がーっ!」

「はいはい。夫婦和合は大きくなってから、国王陛下直々に教わって下さいっす。……あ、そうそう御妃様」

「ん? なんだ?」

「ちなみに春画は大抵、見た目の衝撃(インパクト)を重視しているためか、男のアレはどどんと大きく書かれるもんっす。陛下のアレはいくらなんでもあそこまで大きくならないんで、ご安心くださいっす」

「へぇ、そうなのかっ。よしっ、また一つ私は学んだぞ乳姉妹っ」

「……はい。わたしも(いらん)知識が一つ、増えてしまいました」


 わたしの主人である御妃様はこの通り、美しく探求心に満ち溢れた、とてもとてもお元気な方です。

 どのような大人になるのか想像もつかないこの方に、わたしは乳姉妹としてお仕えする役目を仰せつかったのです。

 ……ですけど……わたしなんかに、できるんでしょうか。

  


「うー、コブになってしまったぞ乳姉妹。陛下は優しいのに、怒ると容赦がない」

「それだけ御妃様の事を、心配なさっておられるのです」

「うん、それはそうだな。……おっと、みんなが来る。御妃呼びは、一旦終わりだ」

「はい、判りました。『虎娘お嬢様』」


 朝餉を終えた御妃様は、私と共に王城敷地内にある学校へと登校しました。

 トルキア王国には、男児のための学校と共に、実は隆武帝国にも公的なものが無い、女児のための学校があります。国王陛下のご命令で、設置されたのです。

 といっても、別に隆武帝国よりもトルキア王国の方が、女児教育が進歩している、という事ではありません。むしろこれは、ある程度の身分の女児達に最低限の教育をうけさせるための、苦肉の策です。


「今日は、隆武字からか」

「その前に、刺繍の宿題を提出ですよ」


 要するに支配国として日の浅いこの国には、隆武帝国の女人教養を支える、家庭教師がいなかったのです。

 隆武帝国において良家の子女は、家政については母親から、そして琴瑟や詩歌といった教養は、家が雇った家庭教師から教育を受けるのが慣習なのだそうです。良家ほど大金をはたいて教養人を雇い、娘に名家に嫁ぐに相応しい教養を身に付けさせたのだとか。

 ですが帝国としては最西端にあり、十年前までは外国だったこの国では、女達は隆武風の料理や刺繍を知らず、家庭教師になれそうな教養人なども、そうそういるはずもありません。

 これでは、これから生まれて来る子供達が、隆武の風習を何も知らないままとなる。そう危惧された国王陛下は、男児と同じように女児のための学校を設置し、数少ない女人の教養人達を学校の老師(教師)として、隆武の基本的な教養を身に付けるようにされたのです。

 幸いその新たな試みは、属国民となった旧トルキア王国の民にも受け入れられ、十年たった今では、私達が通う王城敷地内の他にもいくつか、女学校はできているようです。


「おはようっ」

「おはようございます」

「ごきげんよう」


 もっとも学校に通う女の子達は、勉学に励むというよりは、同世代の子達と気兼ねなく遊べる機会を楽しんでいるようですけどね。わたしと御妃様も含めて。

 

「あっ、おーい、おっはよーっ」


 御妃様は学友の中でもよく話す少女が登校してきたのを見て、手を振ります。

 そして、御妃様の声に気付いたその少女は。


「おーっほっほっほ!! あいかわらず(かんざし)一本差さない、男のような恰好ですわね虎娘!! 色香のない事!! このわたくしを、見習ったらいかがですのっ?!」


 そう高笑いしながら御妃様に返しました。

 隆武の衣で美しく着飾り、可憐な簪で髪を留める、黒髪黒目の東方美少女です。少年のような恰好をしてもやはり美しい御妃様に競争心が刺激されるのか、何かと挑発的な物言いをなさるお嬢様ですが。


「うんっ、見習うのは無理だが、衣も簪もとてもかわいいなっ。いつもながら、君にとても良く似合っていると思うぞっ」

「えっ……」

「なぁ、乳姉妹?」

「ええ、まことに」

「え……ぅ。……と、とーぜんですわねっ。ほほほほっ、自分は飾らないくせに、貴女審美眼だけは確かなようですわねっ。認めてあげてもよろしくてよっ」

「うんっ、ありがとうなっ」

「ほ、ほほほほっ」


 褒めると素直に喜ぶため、ちょろい……ではなく、大変付き合い易い方です。

 御妃様がお世辞ではなく、本気でかわいいと思ってらっしゃるのも良いのでしょう。このお嬢様と御妃様は、入学以来の仲良しさんだと思います。


「――でも虎娘、貴女って色々と知りたがりのくせに、相変わらず自分を着飾る事だけは、無関心ですのね。いつまでもそんな恰好をしていたら、変わり者と思われて、お嫁のもらい手がなくなってしまいますわよっ?」

「大丈夫だ、私には令がいるから」

「令……ああ、許婚でしたっけ? でも許婚という関係ごときで油断していたら、甘々ですわよっ」


 ですが、そんな仲良しの彼女も、御妃様の素性は知りません。隠しているからです。

 本来御妃様は、隆武帝国が良しとする女人の正規教育――つまり城の中で家庭教師達から、個人教育を受けなくてはならないお立場です。

 ですが御妃様が学校に通ってみたいと願ったため、国王陛下は素性を隠す事を条件として、入学を許可なさいました。その方が、色々面倒が無いんだそうです。


「よろしくて、虎娘? 殿方の心をしっかり掴むためにも、美しい装いと立ち振る舞いは大切なのですわよ。……貴女折角見かけは悪く無いのだから、もっとちゃんとなさいな」

「うーん、でも動きにくいのは嫌いなんだよ。出歩く時に邪魔だしな」

「もう虎娘っ! 淑女は軽率に、あちこち出歩いたりしないのですわよっ」


 なお虎娘というのは、御妃様が学校に通うために名付けられた(あざな)です。

 名付け親は国王陛下。ぴったりだと思いますが……陛下のそこはかとない諦めが入っているように思えるのは、多分気のせいではないでしょう。


「淑女らしくなさい虎娘。そして許婚の心を、がっちり掴むんですわっ。それが女人の幸せというものなのですっ」

「淑女らしくは無理っぽいから、それ以外でがっちり捕まえる事にするよ」

「もうっ、貴女はっ」


 そんな国王陛下が出して下さった許可のおかげで、御妃様は今日も楽しく学校生活を送っておられます。


「女老師様が、来ますよ~」

「あら、席につかなくては」

「それじゃ、またあとでなっ」


 御妃様がここにいる子達の影響を受けて、もう少しだけ女の子らしくなれば、国王陛下もここにやった甲斐があったとお喜びになると思います。


 ……無理かなぁ。

伏せ字はぞうさんでお送りしました。

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