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終幕後 ――乳姉妹十歳①

 薄く紅を差した後、伸ばした髪を隆武風の髷にまとめて、簪を差す。

 くせッ毛の私にはちょっと面倒なので、朝一番にやらなくてはならないこの作業には、いつまでたっても慣れません。


「……よし、できた」


 始めまして皆さん。わたしは今年で十歳になる、このトルキア王国城の女官見習いです。

 お城の皆様には、乳姉妹と呼ばれております。わたしが畏れ多くも、トルキア国王妃様の乳姉妹だからです。

 現在わたしはその国王妃様の、遊び相手兼お話相手兼雑用兼尻ぬぐい兼ツッコミ兼尻叩き兼……とにかく様々な御用を承る女官として、お仕えさせていただいております。

 といってもまだまだ半人前。早く先輩達のような、一人前の女官になりたいものです。


「乳姉妹、そろそろ朝ご飯を食べなさい。登城の鐘ですよ」

「今行きます、お母さん」


 そして今台所から声をかけてきたのが、わたしの母。国王妃様の乳母です。

 わたし同様、国王妃様ももうじき十歳になられ、養育の大部分は淑女教育担当の女官達に任されるようになったため、母の乳母としてのお役目時間は、半分以下になりました。


「……」

「乳姉妹?」


 ……いえ、お役目時間が減ったのは、それだけではありませんね。

 わたしの母は現在、周囲の皆様から気を使われているのです。……何故かというと。


「……何でもありません。お母さんは今日はお休みですね。……お邪魔虫のわたしは夕方まで帰らないので、どうぞお義父さんとごゆっくりお過ごし下さい」

「ま、まぁ乳姉妹、そんな言い方……」

「そ、そうだよ乳姉妹ちゃん。君を邪魔なんて、そんな事思った事もないよ」

「冗談です」


 母に、最近妊娠が判明したからです。

一年ほど前、寡婦だった母は国王陛下の勧めで、とある男性と再婚しました。

 そしてもう若くない母の妊娠を心配した国王陛下は、乳母を慕う御妃様のお気持ちを大切にしながらも母の就業時間を減らし、ゆくゆくは長期休暇を取れるよう計らって下さったのです。大変ありがたいことです。


「冗談……そう?」

「勿論です、お母さんお義父さん」


 我ながら、かわいげのない事ですね。ごめんなさいお母さん、そして優しいお義父さん。

 別に、母と義父の再婚を反対しているわけでも、不快に思っているわけでもないのです。……ただちょっとだけ……ほんの少しだけ、複雑な気分が消えないだけで。


「……もう行きます」

「あ、待って乳姉妹、朝食は……」

「すみません、今日は早く行きたかったのを、忘れていました。では行って来ます、お義父さんお母さん」

「あ……」


 胸の中を少しだけ重くするような、割り切れないモヤモヤした感情。

 一人前の女官は、こういうモヤモヤを上手く処理して、素知らぬ顔で微笑む事ができるそうです。……そういう意味でも、わたしはまだまだ半人前です。


「……はぁ……またやってしまいました」


 早く大人になりたいです。

 周囲を傷つけずにすむ、お城におられる国王陛下みたいな、理性的で立派な大人に。

 ……まぁ、本能的で立派じゃない大人の人も、嫌いではないんですけど。



「――お名残惜しいですわ。……ねぇ、次はいつ来て下さるの?」

「今晩にでも行きたいっすねぇ……貴女の温もりを、忘れないうちに」

「……まぁ、呂将軍」


 ――そんな嫌いではありませんが、時々後ろから頭を叩きたくなる、本能的で立派じゃない大人の人が城門前にいましたよ。


「おっとっと。……乳姉妹ちゃ~ん、おはようっす~。今から登城っすか~」

「おはようございます、呂将軍」


 高級そうな馬車の中にいる美女に手を振って、別れてからこっちに来たのは、同じく登城途中の皆々様が思わず振り向いてしまうほど、人目を惹き付ける金髪碧眼の美丈夫でした。

 日に焼けた肌に、がっちりしつつもすっきりとした姿勢の良い長身。そして彫りの深い華やかな顔貌。

 東の帝国出身者としては珍しい容貌をもつこの方は、トルキア王国の国王付近衛武官長――つまり国王陛下第一の護衛、国王陛下の身辺をお守りする将軍様です。国王妃様と共に育てていただいたわたしも、昔は大層お世話になりました。


「いやっすね~カタッ苦しい。昔はジン兄~って呼んでくれたっすよ~乳姉妹ちゃん? だっこから降ろすと、もっともっと~って手足バタバタしながら大泣きして」

「……何分幼い頃の事ですので、覚えておりません」


 ……そしてお世話になりすぎてて、まるで親戚のオッサン連中のように、覚えていて欲しくない赤ん坊~幼女時代の黒歴史まで山ほど記憶している方です。

 わたしは見習いとはいえ、一応女官として登城を許された身なんですから、そろそろ過去を思い出しての子供扱いは、やめて欲しいのですが。


「何々? 背伸びしたい、お年頃っすか~?」

「違います」

「でも顔に書いてあるっすよ~? ……なんだかモヤモヤしちゃったせいで、お母さんが折角作ってくれた朝ご飯を食べ損ねちゃった~、って」

「……えっ」

「図星っすよね」

「……」


 ……何故それを。……いえ、予想くらいできるのかもしれません。


「やれやれ……あいつも悪いヤツじゃないっすけど、不器用っすからねぇ」

「……発明家さん……じゃなくて、お義父さんは悪くないです」


 わたしの義父となった発明家さんは、元々呂将軍の部下ですから。

 発明家さんは呂将軍と共に帝国領から来て、その後、役に立つ道具を沢山発明した功績を認められ、国に正式に召し抱えられた人です。

 そして能力はあっても生活にはまるで無頓着だったため、死なないよう身の回りの世話をする女人くらい必要だろうと国王陛下がお考えになった事で、母との縁談が持ち上がったのです。

 元々、乳母車や可変式積み木など、作ってもらった道具の事でよく話していたため、二人とも気心は知れていたから、とか。

 ……結婚してもいいと思えるほどに、あの二人が仲良かったとは……わたしは知りませんでしたけれど。

 

「乳姉妹ちゃんだって、そんなに悪くないっすよ。親の事情にイラッとするのは、子供にはどうしようもないっす」

「だから、もう子供では……」

「そんな乳姉妹ちゃんに、お届け物っすよ~」

「――はい?」


 気が付くと受け取っていたそれは、布に包まれた椀でした。

 少し暖かいそれからは、何か良い匂い……これって、朝家で嗅いだ扁豆(レンズ豆)の汁物に似てますが……。


「乳母殿から頼まれた、朝ご飯っす」

「え?! なんで恋人の馬車で朝帰り中だった、呂将軍がこれを?!」

「いや~、家の前まで馬車まで良い匂いが届いて、ついふらふら~っと寄り道を。乳姉妹ちゃんに届ける約束で、オイラの朝ご飯も包んでもらったっす」

「恋人の家で、朝食くらい食べなかったんですか?」

「オイラ育ち盛りっすから、二食くらい楽勝っす」

「二十代後半男が、まだ育つ気ですか?」


 明らかな冗談に返すと、呂将軍はニコニコと笑ってわたしを見下ろします。

 ……う、元気出てきた? みたいな顔で見下ろすのはやめてください。……図星ですから、恥ずかしいのです。


「今日は御妃様と、学校っしょ? しっかり食べて、がんばっすよ~乳姉妹ちゃん」

「は……はい。……ありがとうございました」


 応えるように、ぽん、と一度、髷を壊さないように軽くわたしの頭を撫でた呂将軍は、そのまま軽快な足取りでわたしを追い越し、城へと入って行きました。

 

「……はぁあ」

「あいかわらず……素敵な方ねぇ」


 途端に周囲から漏れ聞こえる、女人達の囁き声。

 十代の頃は若々しい美青年として騒がれていたらしい呂将軍ですが、二十代後半に差し掛かった今では、大人の色香漂う結婚適齢期の美丈夫として、女人達の興味を更に釘付けにしております。

 ――ちなみに、一部の殿方の興味も釘付けにしている、という怖気が走る噂もあります。


「でも、さっきの馬車の女人って、確か紅夢楼の女将よ」

「城下じゃ一番大きい妓楼じゃないの! ……あの色っぽさ、多分元妓女よね? 元妓女って一流所なら美人だし殿方慣れしてるし、恋人にするにはなかなかよねぇ」

「ふん、元でも所詮は賤業婦でしょ。呂将軍の正妻には、なれないわよ」

「あら、そもそも呂将軍は、結婚なさる気がないと言う話ではないの?」

「でも噂では、国王陛下から進められている良縁があるとか」

「ええっ、本当なの?!」

「噂よ噂。なんでも――」


 囁き合いながら足早に城内に入る女人達は、楽しそうです。話題になりやすい方ですから、好き嫌いに関係無く話の種には事欠かないんでしょうね。


「よかったわね乳姉妹。呂将軍とお話できて」

「子供の頃からよく、貴女は呂将軍に遊んでもらってたものね」

「なんだか懐かしいわ。あの頃の乳姉妹は、赤いほっぺがとってもかわいくて……」


 そしてわたしにかけられる、特に嫌味でも冷淡でもない、普通に楽しげな声。

 まぁ当然です。十歳になるかならないかのわたしが、呂将軍のそういう対象になるはずもないのですから。


「……ところで乳姉妹、国王陛下が勧めている、呂将軍の良縁について、詳しく知らない?」

「わたしに、心当たりはありませんね」

「乳姉妹も知らないの? じゃあやっぱり単なる噂なのかしら……」


 ……ああでも、わたしがもし年齢なんかどうでも良くなるくらいの、とんでもない美少女だったら、周囲の対応は違ったかもしれませんね。


「噂では、呂将軍の女癖の悪さを見かねた国王陛下が、お話を持って来たんですって。本当だったら、一体どこの御令嬢なのかしらっ」

「さぁ……」


 そんな事をわたしがふと思ったのは、我が主君を思い出したからでしょうか。


「それじゃあ乳姉妹、今日もお元気な猛虎妃様のお相手、がんばってね」

「がんばります」


 我が主君、トルキア国王妃様は、本当に美しくお育ちになられました。

 ……少なくとも、外見は間違いなく。



 呂将軍からお届けされた朝食を休憩室で素早くお腹に詰め込んだ後、集合して女官長のお話、女官使用空間の掃除、祭祀儀礼と毎朝の共同作業をこなしたわたしは、自らの仕事を始めるために王族居住棟へと向かいます。


「おはようございます」

「ああ乳姉妹おはよう。……今日も頼むわよ」

「はい」


 そして国王妃様の寝室に入ったわたしは、部屋に控えていた先輩女官の言葉に頷き、部屋中央に備え付けられている天蓋付きの寝台へと視線を移します。


「……」


 寝台には、白い夜着に包まれた、素晴らしい美少女が眠っておられました。

 現トルキア国王妃――そして隆武帝国に滅ぼされた、旧トルキア王国最後の王女である、リディア様です。

 輝く長い黄金色の髪に、艶やかな白い肌。淡い薄紅色の頬と、より鮮やかに色づく紅色の唇。今は見えませんが、双眼は極上の蒼石(サファイヤ)を思わせる深い碧色。

 上品かつ優美な顔貌と、未成熟ながら女性らしく育ちつつあるすらりとした無垢な肢体はどこか蠱惑的で、まるで天才彫刻家が全力で彫り上げた最高の美の女神(ウェヌス)像が、命を得て幼くなったかのごとく。

 その神々しいまでの美貌には、何度見ても感動を通り越し、畏怖すら覚えてしまいそうです。

 

「……すぴー……すぴすぴすぴー……」

「……」


 ――起床時間をとうに過ぎても、寝台から落ちそうな不自然な大の字体勢で、呑気なマヌケ顔で、ヨダレをたらしイビキをかきながら爆睡していなければ、ですが。

 どうしてこう育った。


「……御妃様、おはようございます。お目覚めの時間でございます」

「ぐー……」


 わたしの国王妃陛下お付き女官見習いとしての一日は、まずこんな御妃様に、御起床いただく事から始まります。


「御妃様、起きて下さい」

「ぐーすか……ぐぅ……」

「もう朝でございますよ。どうか起きて下さい、お願いします」

「ぷぴー……ぷぴー……うぅ……その背肉は……私が捌いた……」

「どんな夢を見ているのですか。いいから起きて下さい」

「……首は持って……帰るのだ……陛下に……お見せする……うふふ……Zzzz」

「……」


 と言うよりも、御妃様が起きないと仕事が進まないのです。

 という訳で、この乳姉妹容赦はしません。……耳元で、せーの――。


「くぉらぁあああああああああ!!!!! うぉきろぉおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

「ふひゃぁあっ?!!」


 お母さん直伝。腹から出す大声攻撃を御妃様に叩き込むと、御妃様はその場から跳ね起き、その反動で寝台から転がり落ちてしまわれました。


「ふぎゃっ?!! ……? ……あ……あれ? 虎の王は? 死闘は?」

「一体どんな夢を見ておられたのですか、御妃様」

「ゆめ……ぇ?」


 床に転がったまま首を捻った御妃様は、驚いたように身を起こすと、きょろきょろと周囲を見渡し、ようやく理解したのか、ぶつけた頭をさすりながら、私を見上げます。


「……なにをするのだぁ乳姉妹、……酷いではないかぁ~……」


 私の主君。トルキア国王妃様のお目覚めです。

 

「申し訳ございませぬ御妃様。何度お声をお掛けしてもお目覚めになられなかったので、強制執行をさせていただきました」

「強制……うぅう、乳母直伝のこらーっは効くなぁ。耳がキンキンする。……私が悪かったが、もうちょっと優しく起こしてくれてもいいのだぞ乳姉妹?」

「申し訳ございません。ですが今日は学校ですし、……それに『今朝は確かめたい事があるから、必ずちゃんと起こしてくれ』とおっしゃられたのは、御妃様でございますよ」

「――あっ、そうだった。起きねばっ」


 本当は頼まれていたとしても、高貴な方の耳元で大声など言語道断なのですが。

 御妃様は女官見習いの蛮行を全く気にする事無く立ち上がると、明るい表情で背伸びされます。


「おはよう、乳姉妹っ」

「おはようございます、御妃様」


 真珠のような白い歯を見せて笑う御妃様は、一言でいい表すならば天真爛漫、または天衣無縫。夫であるトルキア国王陛下と周囲の大いなる愛と寛容に守られ、スクスク元気にお育ちになられました。

 ……ええ、それはもう元気過ぎるほど元気で、とんでもなく活動的で、ありえないほど探求的に。

 多分国王陛下は、もうちょっとだけでもお淑やかに育って欲しいと、思ってはおられるはずですけどね。淑女教育係の女官に、『なんとか頼む。とにかく頼む。元気が有り余っていて、余にも行動予測が付かないだけで、決して悪い子じゃないんだ。匙を投げないでくれ』と必死に頼み込んでらしたし。


「――よーしっ、では行くぞ乳姉妹っ」

「え? 朝餉もまだで、どちらに?」


 そんな御妃様は、近寄って来た女官達の手で素早く身支度を調えられると、貴人にあるまじき、お気に入りの歩き易い衣をひらりと翻し、何かを抱えてわたしに言いました。


「決まっておるっ。我が夫、国王陛下の寝室だっ」

「……え?」

「寝ている陛下に確かめたい事があるのだっ。行くぞ乳姉妹っ」


 確かめたいって何をですか? と問い返す前に御妃様が歩き出したので、私も追うしかありませんでしたが……これだけは言えます。


「――今日も嫌な予感しかしません……御妃様」

終幕後の未来。三話予定です。

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