20 僕と妃と六弟⑧――終わり
夢だと判る支離滅裂な夢は、それでいて妙に現実味があったり、実際にあった過去の断片が混じっていたりする。
―ふーん、それで頭をぶつけて気絶か。マヌケめ―
―……ですが―
今見ている『夢』も、なんとなく覚えている、遠い昔に見た光景だった。
確か僕がまだ小さかった頃。誰かの隣に腰掛け、皇宮の人工池で釣り糸を垂らして話をしていた時だ。会話の内容は違うけど。
―六弟は国にとって大切な賓客です。連れ出して怪我させたなんて、大問題になります―
―国賓を守るのは当たり前だ。その守り方が、マヌケと言っておるのだ―
……僕の隣で釣り糸を垂らしていた男性は、誰だっただろう? 顔が見えない。
着崩しているけど立派な絹衣だから、兄の一人か、親戚か、もしかしたら、親身になってくれた老師だったかもしれない。
よく覚えていないけれど、その人はふらりと現れて、気が付いたら僕の隣に腰掛けて釣りを始めていたのだ。あっちも僕が誰か、知らなかったんじゃないだろうか。
―何故、護衛を側から外させた? 護衛が側にいれば、救えと命じるだけでよかった―
―それは……六弟の醜態を、これ以上見せたくなかったので……―
―どんな理由であれ、外で人払いなど、絶対にすべきではなかった―
―……―
―お前は王ぞ。国体権威の象徴たる王が、その身を粗末にする事は許されぬ―
―……―
―相変わらず、甘い感傷に引き摺られるな。はははまったく、愚か者め―
確かに軽率だったのは認めるが、図星をさされて馬鹿にされるのは悔しかったため、僕は釣り竿に集中しているフリをして相手から目を逸らした。
ふん、と鼻で嗤う隣の男。更に腹立たしいなコイツ。誰だよ。
―だが、優しい顔をして妃を泣かせるお前は、やはり皇家の男だな―
――っ。
―妃が泣いてるのですかっ?―
―ほう、手間のかかる、まだ本当の意味で夫婦ではない、あの赤ん坊が気になるか?―
―当たり前です! あの子は、僕の家族だ!―
―……ほう―
一言漏らした顔の見えない男が、面白そうに僕を見ている事が何故か判った。
腹立たしいが、ここでこいつの相手をしている暇はない。早く帰らないと。
……あれ、どうやって帰ろう? 夢からの目覚め方? え?
―なに、心配はいらん―
立ち上がった僕が狼狽え、周囲をウロウロしているのをしばらく見ていた後で、男が声をかけてきた。
こいつ絶対、僕を馬鹿にするためにしばらく黙ってたよな?!
―ん~? 夢から覚める方法を、知りたくないのか?―
―知りたいです教えて下さいお願いします―
――だがさっさと帰りたいので、素直に頭を下げる。
王の矜持? あの子が泣いてるなら、そんなもん保ってる余裕なんかあるか!
―……僕は、死にかけているんでしょうか?―
―さてな?―
拳ほどの彫像の破片が頭に激突した、までは覚えている。
あの程度では死なないだろうが、その上から彫像本体が落下していたのだ。僕の身体が潰された可能性は大いにある。
……もしかしたら、意識が戻った途端とんでもない激痛に出迎え歓迎されて、そのままぽっくり逝ってしまうのかもしれない。
―……だったとしても、帰らなくては―
―死にかけでかぁ?―
―それでも僕は! 最後まで諦めるわけにはいかないんですよ!―
あの子がまだよく判ってなかったとしても、それでももうこれ以上、あの子を置いて逝く人間を増やしたくないんだ!
―……くだらん。王たるものが、女ごときに必死とはな。女の寵愛など、傾国の種よ―
そんな僕を嘲笑い、顔の見えない男は釣り糸へと顔を向ける。
―せいぜいトルキア前国王のように、その愛情で身を滅ぼせ―
―生憎責任放棄なんてしませんよ。……僕は妃同様、妃を育むこの国を大事にします―
―……全く、生真面目な上に甘っちょろい、つまらん男だ。……誰に似たのか―
肩を揺らす男は、言葉とは裏腹に楽しげだ。腹立たしい。
―やはりお前は、絶対権力者たる皇帝の器ではないな、令―
―……せいぜい辺境の、属国傀儡王程度が似合いだ―
……え?
―妃と仲良く、この野蛮な西戎の辺境で一生を終えるがいい―
―それがお前程度の小人には、相応だ―
……。
あの男――父帝みたいな事を言うな、と返そうとした時には、顔の見えない男は消えていた。……過去のあれは、あいつだったのか? ……やっぱり昔過ぎて、思い出せない。
―呼んでいるぞ―
うわ?! まだいたのか?! ……呼んでいるって、誰を、誰が?
……ぇー……っ
……ん?
……れーっ……れぇーっ……
……え……この声……あ――いたた――――?。
「――れぇーっ!! ばぁー!! はげぇー!!」
「うぁいたいぃいいいいいいいいいい?!」
覚醒と同時に僕へと襲いかかって来たのは、耳をつんざく妃の泣き声と、主に頭皮から伝わってくる、ビリビリするような激痛だった。
「れぇーっ!! はげぇーっ!! はげぇーっ!!」
「い――いたたたっ?! 痛いよ妃!! か――髪ひっぱるから!!」
れーって……僕の事? ――もしかして……君初めて、ちゃんと名前を呼んでくれたっ?
「――いやっ、それは嬉しいけど妃!! ちょっとやめて!! 僕はハゲじゃない!! 君が僕の髪を抜かなければハゲない! こらやめなさい妃――」
「れぇーっ!!」
「……あれ?」
慌てて身を起こし、僕の上に乗っかって髪を掴んだ手をグイグイやっている妃を止めた僕は、僕の身体が案外楽に動く事に、今更ながら気付いた。
「れぇーっ!! ……ひぁあああんっ!! わぁあああ!! んぎゃあああ!!」
「あ……起きて欲しかったのか、ごめんよ妃。よしよし」
大泣きしている妃を抱きしめ、頭を撫でて慰める事も問題無くできる。……よかった。
……でも……身体は生身だよな? ちょっと頭がズキズキする程度で、後は全く問題ないんだが……一体あれから僕は、どうなったんだ?
「はげれぇーっ!! おぎゃあああ!! はげれぇーっ!! うぎゃぁあああ!!」
「やっぱり、ハゲろって言ってる?! あああもう、だめだってば。そんなに泣いたら、脱水症状になっちゃうよ妃っ?」
「左様にございますね」
「うわっ?!」
暗くて気が付かなかったが、ここはどうやら持って来た天幕の中らしかった。
僕が寝ていた寝具の傍らには、水が入った吸い口を手にする乳母殿が跪いている。
「さぁ御妃様、お水ですどうぞ」
「んぐっ、んぐっ、んぐっ」
ほっ……喉の渇きには勝てなかったか。泣き止んでくれてよかった……。
「んぎゃああああ!! はげはげぇーっ!! んぎゃあああうぎゃああああ!!」
「――っと思ったら飲み終わって大泣き再開?!!! ちょっと乳母殿止めようよ?!! 赤ちゃんが泣いてるんだよ!!! 泣き止ませようよぉおおおお?!!」
「……最初はお止めいたしましたが、とても無理でした。……大好きな旦那様が真っ白な顔でピクリともしなくなれば、私だって怖くて泣き叫びますわ。今の御妃様をお止めする事など、とてもできません」
乳母殿の声がすごく低い!! 怖い!! い、いや……僕だって別に、怪我したくて怪我したわけじゃ……あれでも、怪我らしい怪我は、やっぱり頭くらいなんだよな……?
「悪かったけど、状況は理解させてくれ。……あれから、一体どうなったんだ乳母殿?」
「……陛下」
「ぼ、僕はその……大きな怪我は、していないよう……なんだけど?」
「そりゃ、オイラがお助けしたっすからねー」
「あ、お前もいたのか飛刃――うわぁ?!!」
天幕が開き、入って来た飛刃の姿に思わず叫ぶ。
「ど――どどどうしたんだ飛刃?!! お前埃及の木乃伊みたいになってるぞ?!!」
半裸姿の飛刃は、額から喉、肩、胸と包帯でグルグル巻きにされていた。
「大体陛下のせいっす」
あー……その姿、もしかして……。
「飛刃……お前僕をかばったのか」
「そりゃ、庇うっしょ。危うく陛下がぺっしゃんこになる所だったっすからねぇ」
「ぺ、ぺっしゃんこ……」
ぞっとしながらも、飛刃から経緯を聞く。
「まず落ちて来た石で陛下が気絶したっす、それで、更に続いて落ちて来た彫像の下敷きになりそうになった所を、オイラが庇ったっす」
「だ、大丈夫なのかお前?!」
「それはなんとか。ギリギリで飛び退いたから、直撃は避けたっす。……直撃しなくても、結構痛かったっすけどね。破片で背中や肩ザックザク切っちまったし」
「うぅ……」
返す言葉がない。僕に頭以外に傷がないのは、こいつの負傷と引き換えだったのか。
「す、すまん……」
「いや、そっちは別に怒ってないっすよ。陛下を守るのは、オイラの仕事っす」
「そ、そうか? ……でもお前も、乳母殿同様声が低いぞ飛刃……」
「……いくら呼んでもあんたが目を覚まさないせいで、御妃様がずぅううっと、大泣きしっぱなしだったっすからねぇ」
「うぅ……」
「可愛い女の子がずっと泣いてりゃ、オイラだって可哀想になるってもんっすよ陛下?」
やっぱり、返す言葉がない。
「……僕はどのくらい寝ていたんだ?」
「丸一日っす。気絶にしちゃちょっと長かったっすからね。オイラ達も一応心配したっすよ」
たかが脳震盪で、そんなに寝てたのか。……疲れが溜まっていたせいもあるかもしれないな。それは、周囲やこの子が、不安になっても仕方が無い。
「というわけで、御妃様の気が済むまで毛を抜かれてくださいっす陛下」
「なんで?!!」
「泣かせた女房の平手を受けるのは、男の責任っす」
「悪かったとは思ってるよー!!」
「れぇーっ!! はげれぇーっ!! はげれぇえええええっ!!」
「あーもー妃ーっ!! ごめんってばーっ!!」
宥めるために妃を抱きしめると、妃も僕にしっかりとしがみつき返して、更に大声で泣いた。
……あ、声が枯れてる。……この子はどれだけ、泣いてたんだろう。
「……ごめんよ」
「んぎゃぁあああっ! わぁああああっ! れぇーっ! れぇええええ!!」
「……うん。ごめん。本当にごめん。……不安にさせたね」
妃はじっとりと汗だぐで、綺麗だった顔は真っ赤になっていて、涙と汗と鼻水とヨダレでグチャグチャだ。
「れぇ!! ……ばぁか……はげぇ……れぇ!! れぇえええ!!」
「……ごめん」
「ふぇ……えええ……ふぇええん……うぁああ……」
……なんてこった。謝る以外に言葉が出て来ない。
それほど、言葉にならない妃の不安が伝わってしまった。……こんなにこの子は、僕を必要としていた。
「……約束するよ妃。もう絶対に、短慮な真似はしない」
「うぅうう……やぅ、そく?」
「うん。約束するよ。……これから一生、何も不安にさせないっていうのは無理だと思う。……でも君を心配させないよう、僕もできるだけ僕自身を大事にする。トルキア国王として、君の夫としての約束だ」
「……やぅそくぅ……やぅう……ふぇえええ……っ」
「うん……約束だ、妃。……本当に、ごめんよ」
「うー……れー……やぅ、そくぅっ」
約束、と言いながら何度も背中をさすると、妃はようやくしゃくりあげながらも泣き止み、僕の服を強く握った。
勿論きちんと意味は判ってないだろう。……それでもなんだか、僕は初めて妃と話ができたような気がした。
なんとも情けない状況だし、頭(主に頭皮)もズキズキするけれど……それでもちょっとだけ嬉しいと思ったのは、妃の成長を、実感できたからだろうな。
「……あ」
「……う?」
そういえば、妃大泣きの衝撃ですっかり忘れていたんだが……。
「第六皇子殿下はどうされた?」
まさかあいつまで巻き込まれて大怪我、なんて事になってないよな? 一応助けられたはずだし?
「ああ、あの方なら元気っすよ」
「それは何より……」
「元気過ぎて、この中に突進してこようとするのを止めるのが大変でした」
「は?」
「まぁ陛下が起きたから、もういいっすよね」
いいって、なにがだよ飛刃おま――
「五兄様ぁああああああああああああああああああああ!!」
「ぎゃああああああああああああああああああああああ?!!」
「あう?」
突然天幕の中に突撃してきた男に背後から抱きつかれるという恐怖体験に、僕は遠慮無く絶叫した!! 妹!! せめて妹ならよかった!! 妃を潰さない配慮だけは買うが、どんだけ美形だろうと弟の抱擁なんざいらん!!
「あぁああ傷が痛むのでぇ~すね五兄様!!! ですが目覚めらぁ~れてよかったでぇ~す!! ワタクシが徹夜で語り尽くした怪我快癒の祈りが、天の神様へ通じたのでぇ~す!!!」
しかもアホ皇子に戻ってやがる!!! お前まともに話せたんじゃないのか?!!
「ああ、第六皇子殿下は普通に話せるけど、こっちの方が楽なんだそうっすよ~陛下」
「なんで知ってんだよ飛刃?!」
「陛下が寝てるとき、世間話したっす。なんでもず~っとアホ皇子として暮らしてきたから言動が染みついてて、よっぽど気合い入れないと、普通の皇子にはならないそうっす」
なんだそれは?!! だったら一生気合い入れてろアホ弟!!!
「我が身を呈してワタクシを救って下さった五兄様の高潔なお心!! ワタクシ感動しまぁ~した!! ワタクシ帝都に戻ったらその栄誉を讃え、五兄様の彫像を作り大通り中央に設置させていただきたいと思いまぁ~す!!」
「下々の血税をつまらん事に使うなこのアホ皇子ぃいいいいいいいいいいいいいい!!!」
敬意も敬語もかなぐり捨てて六弟をブン殴った僕は、間違ってないだろう。うん。
とにかくそんなこんなで。
「長らくお世話になりまぁ~した。五兄様、義姉様」
「道中お気をつけ下さい、第六皇子殿下(もう来るな)」
「へんた~、ばぁ~っ」
「おぉ~う、義姉様の中でワタクシは、不動の変態なぁ~のですねぇ~っ。少し寂しいでぇ~すっ」
「へんたぁ~い。ばぁ~いっ」
「うぅ……さらばです。……我が薔薇の美神に良く似た、美しい方」
隆武帝国第六皇子の義姉(幼児)求婚騒動は無事解決し、城に戻った数日後、荷物とお土産をまとめた六弟は、帝都に帰れると大喜びする側近達と共に、城を旅立って行った。
あの調子ならどうせ、帝都に帰ってからもまた何かと面倒を起こすのだろうけど、それでも心を病ませていた根本の感情を吐き出せたのは、よかったんじゃないだろうか。
あの馬鹿と付き合わされる側近達の今後の幸運を、多少は祈っておこう。
「あっさりと、行ってしまったっすねぇ陛下」
「心の整理がついた以上、ここに未練もないだろうからな。……薔薇の美神の彫像は、粉々になってしまったし」
そして当然だが、廃邑に隠されていた薔薇の美神の彫像――つまり妃の母親の彫像は、落下後地面に衝突して、完全に壊れてしまっていた。
「ああ……あれは、修復不可能っすよねぇ……」
「できるなら、持って帰りたかったんだけどなぁ……はぁ」
「ぶ?」
特に顔面は粉々で、もとの顔を想像するのも厳しくなっていた。……あれって妻の姿を独り占めしたがっていた、前国王の呪いかなんかじゃないだろうな? ありえそうで怖い。
「結局、持って帰れたのは両目玉だけだったっすしね~」
「怖い言い方するな飛刃。両目に使われていた蒼玉と言え」
「めだまぁ~」
「蒼玉だからね妃、蒼玉。……君が大人になったら渡すから、大切にしてくれよ」
「うぶ~」
幸い彫像の眼球に使われていた宝石だけは原形を留めていたので、持って帰って国庫に保管している。形見の品なので、妃が成人した頃に正式な形で贈与する予定だ。
「……れー」
「ん?」
「れー、だっこ、ちて」
「はいはい。……よいしょっと」
……それまで、先は長いだろうか、それともあっという間だろうか?
「れー、ぱたぱたちてーっ」
「はいはい。ぱたぱた~、足ぱたぱた~手ぱたぱた~」
「きゃっきゃっ」
……そうだな、今僕は、ようやくここまで来たって気分だけれど、月日が経ってから振り返れば、あっという間だったって思うかもしれないな。
「はい終わり。じゃあ僕は政務があるから、後でね妃」
「やーっ」
「だめ。乳母殿」
「うわぁあああんっけちぃいいいいっ」
「君が泣いても、仕事はほっぽり出せません。君にもいずれ判るよ、妃?」
「……うー」
どっちにしろ、遅くて速い月日を、僕達は進んでいくしかない。
「……れー、はげろ」
「命令形?!!」
だから一歩一歩。ゆっくりとでいい。
……僕と話をしていこうよ――妃。
――そんな騒動が落着した、約一年後。
「――国王陛下。隆武帝国、皇后陛下からの御文にございます」
「うえ……」
「こーごー? だれー?」
二歳半になって、乳母車を卒業した妃の散歩に付き合っていた僕は、宰相から恭しく差し出された高級そうな書簡に、思わず顔を引きつらせた。
「……まさか、今更例の件かい?」
好かれていない皇后からの個人的な手紙など、嫌な予感しかしない。
六弟は自分の申し出を撤回すると言ってたが、あのババァ、三妃が生んだ僕が幸せなんて許さんと、強引に六弟の属国王即位を命令したりしないだろうな?
「――……あれ?」
なんて事を危惧しながら渋々書簡を開き読み進めた僕は、内容を確認する程、不可解な気分になっていく。
皇后の書簡は、ざっと要約すると。
――この間は薔薇香油をありがとう。とても素敵。
――すばらしい治世を敷いていると、聞き及んでいます。さすがは皇帝陛下の御子。
――これからも隆武の名を汚さぬよう、国王として励みなさい。
――それでこそ、この妾もそなたの国王即位を祝った甲斐があったというもの。
――妾は、トルキア国王としてのそなたの活躍を応援しています。
――妾は、トルキア国王としてのそなたをとても認めています。
――妾は皇后であるからして、皇帝陛下のご英断に異を唱えるなどありえません。
――嘘ではありません。疑わないように。
こんな事が、やや装飾多加な雅やかな文体で綴られていた。
……なにこれ?
今まで皇子の中でも塵芥並み、不快に無視していたくせに、わざとらしいぐらいの持ち上げようじゃないか? ……六弟が何かしたのか?
「……ふむふむ、ほっほっほ。どうやらあの烈女様は、きつ~くお灸を据えられたようでございますなぁ」
「どういう事だ、宰相?」
「要するに、あの御方が第六皇子殿下を、この国の王として押し上げてくる事は無くなった、という事でございましょう」
意味が判らず、何かの暗号化もしれないと宰相に見せると、一読した宰相はどこか酷薄な表情で目を細め、小さな笑声を漏らした。
……もしかして、こいつ。
「宰相……お前、何かしたのか?」
「ほう、何故そう思われますかな、陛下?」
「以前お前が、誰かに手紙を出した事を思い出した」
なるほど、と宰相はまた笑い、ひっそりとした声で続ける。
「……国王陛下、隆武の皇帝陛下は、大変優秀な方です」
「え? ……まぁ、それは……うん」
優秀な屑というのが、多分僕を含めた皇子達の、父帝に対する人物評だ。
「そして御自分が優秀なだけでなく、皇帝陛下は御自分と存分に議論ができる、国内でも特に優秀な人材を相談役として召し抱えられております。あの方は独裁者であり時に暴君ですが、自ら裁定を下す前に多くの者達の話を聞き、より良い決定を下そうとなさるのです」
それもまぁ認める。人物としては相当にアレだが、為政者としてのあいつは、暴君であっても決して暗君ではない。
「――その相談役達の何人かは、私の元好敵手達でございました」
「――えっ」
「平たく言えば、科挙合格者の中でも特に優秀層でございますな。合格年度は違えど、優秀な者達はやはり、自分は他よりも優れているという自負がありますからな。何かというと同じ優秀者とは張り合って、相手を打ち負かそうとしておりました」
「足の引っ張り合いじゃないんだな?」
「ほっほっほ。相手を弱らせ追い落とすなど、面白くもございません。……詩会でも楽会でも麻雀でも論戦でも、万全の状態の相手を完膚無きまでに叩き潰し、高笑いと共に蹴り落として初めて、勝ったという実感が味わえるのでございますよ」
「なるほど、大体判った」
歪んでいるが、中々楽しそうな友人関係だ。
「その好敵手の何人かが、現在皇帝陛下の相談役に就いておりましてな。皇后陛下が、貴方様を国王の座から追い落としに来た場合に備えて、手紙を出しておいたのでございますよ」
「助けてくれって?」
「まさか」
ですよねー。この一見好々爺、実は政権闘争勝ち抜き元高級官僚が、軽々しく助けを求めるはずもないか。
「忠告させていただいただけでございますよ。簡単に言うと、このような内容ですな」
――現国王陛下の治世だからこそ、私は力を発揮できる。
――皇后が押す第六皇子は、政に興味が無く、取り巻きが強引で強い。
――もし、かの方が即位すれば、私は何もできなくなるだろう。
――取り巻き達の専横政治となれば、やる気のある官僚も、次々身分を追われるだろう。
――そうなったらこの国は、間違い無く腐敗荒廃するだろう。
――この国の早急な復興を目論んでいた皇上も、さぞお怒りになるだろう。
――それでも皇后の味方をしたいなら、止めないが。
――そうでないなら、より良き選択を期待している。
「……つまり、皇后の味方をすると、結果的に皇帝の怒りを買うぞ――と、遠回しに脅したわけか宰相?」
「あくまで忠告でございますよ、忠告。それを受け取った彼らがどう行動するかは、彼ら次第という事で」
「……忠告ねぇ」
こんな忠告をコイツから受け取って、それでもなお皇后の味方をしようと考える程、相談役の連中は馬鹿ではなかった、という事か。
「相談役達は多分、僕を廃し第六皇子をトルキア国王にしたい、っていう皇后の思惑を、皇上に密告したんだな」
「左様。そして皇后陛下は、女のでしゃばりと浅知恵を嫌う皇帝陛下より、きつーくお叱りを受けたのでございましょう。皇帝陛下より本気の怒りを買えば、皇后陛下といえどただではすみませぬからな。そして慌てた皇后陛下は一転して、貴方様の過剰な支持に回ったと。いう顛末でございましょう」
ふーん……ちょっと、いや、相当いい気味だな皇后。一言でいうなら、ざまぁ。
皇后だろうと寵姫だろうと、皇帝の本気の怒りを買ったら、後宮では生きていけない。
一兄上の母親だから失脚されると困るんだが、……あんな話を六弟から聞いた後だと、今後皇帝に廃されないかと怯えながらビクビク生きていってくれるならば、多少なりとも溜飲は下がる。
「いやはや、持つべき者は、意思疎通ができる好敵手達ですなぁ」
「いやいや、持つべき者は、一見好々爺のくせしてえげつなく頼りになる宰相だろう」
「お褒めにあずかり、光栄に存じ上げます国王陛下。それでは」
「うん」
僕は書簡を畳むと、何事もなかったように一礼する宰相に頷き、先を走る妃の方へと歩き出す。
「れーっ、はやくーっ」
「はいはい。すっかり速く走れるようになったね~、妃」
「ぶーんっぶーんっ」
大きく手を振り走り回る妃は、また大きく、より流暢に話ができるようになっている。
「何をしてるんだい?」
「ぶーんぶーんっ、ぶーんぶーんのまねっ」
「ぶーんぶーんって?」
「ぶんぶんぶぶーんっ」
「……まだまだ、知的な会話と言うには、ほど遠いんだけどねー」
「なーにー?」
「なんでもないよ~。……のんびりで、いいよ」
「う? ――うんっ。ぶーんぶーんっ」
こうして妃と僕が過ごすトルキア王国城の日常は、今日も平和に過ぎて行くのだった。
終わり
王と妃が話したので、本編終了です。御読了ありがとうございました。




