17 僕と妃と六弟⑤
「それでは、お気をつけて行ってらっしゃいませ陛下、そして御妃様」
「ああ。留守を頼む宰相」
飛刃が帰ってくる前に話は通していたので、僕と妃、そしてその供達の泊まりがけでの外出許可はあっさり出た。
「ぴっかーっ、ばいぃーっ」
「御妃様、私の名は、ぴっかーではありませんぞ?」
「ぴっかー……ぴっかり? ぴかぴか?」
「いや、どう呼んでもだめだからね妃」
「うー?」
僕は宰相の光輝く禿頭をじっと見つめる妃の視線をさりげなく遮り、王の笑顔で宰相に向き直る。宰相も宰相の拝礼で答える。赤ちゃんの無邪気な残酷には、流し対応が大切だ。
「お前のような優秀な臣がいれば、何日余が城を開けていても安心だろうがな」
「なんの、王あっての王城にございますぞ国王陛下。一日も早いお帰りを、お待ち申し上げております」
僕の言葉を否定はしない宰相の余裕が、ちょっと羨ましい。
……ああ、面倒な馬鹿になめられないためにも、このくらいの余裕を持った貫禄王に、僕もなりたいもんだ。
「――五兄様!! 突然我が薔薇の美神と、どぉこにお出かけなさるおつもりでぇ~すか?!」
おっと、面倒な馬鹿が来た来た。
僕は抱きかかえていた妃を旅行用の天蓋付き馬車に乗せると、面倒な馬鹿こと現在城に居候中の隆武帝国第六皇子へと一礼し、できるだけ余裕の笑顔で言葉を返す。
「これは第六皇子殿下。少々思う所がございまして、夫婦で小旅行と相成りました」
「ワタクシと薔薇の美神を引き離すおつもりでぇ~すか五兄様!! そうはさせませぇ~ん!!」
ははは、判ってるじゃないか。
「――ならば、ご一緒なさいますか第六皇子殿下?」
「えっ」
だからこそ、こいつには同行してもらわなくてはいけない。
「人数が多い方が、妃も楽しいと思いますので。……いかがでしょう?」
「あぶーっ」
「っ……よ、よろしいでしょ~う!! ワタクシは、薔薇の美神がおられるならばどこまでも行きまぁ~す!!」
――この男の妄想を解く鍵が、おそらくこの小旅行の目的地にはあるからだ。
「それではこちらにどうぞ。……楽しい旅になれば、よろしいですね」
面倒な第六皇子の側近達が来ないうちに、馬車から手を振る妃につられた第六皇子を、僕はあらかじめ用意していた別の馬車へと案内し、表情に出ないようにほくそ笑んだ。
「別の馬車ですか……仕方がありませぇ~ん!! 薔薇の美神の馬車まで届くように、ワタクシは愛の賛美を歌い続けまぁ~す!!」
それは鬱陶しいな。だが我慢だ。
「まぁ~すっ、まぁ~すっ」
「はいはい。……妃、後ろから忍耐力がゴリゴリ削られてゆきそうな、呪言っぽい何かが聞こえてくるけど、気にしないようにね」
「うぁいっ」
こうして僕と妃と六弟(とお供達)は、城を出発したのだった。
遠い地平線で空と繋がる荒野を見渡し、ぽつぽつ点在する緑地と水源を見つけながら、僕達は短い旅を続けた。
「あー、あれーっ、あれーっ」
「あれは、駱駝だよ妃。お城に来た交易商達も使っているけど、気候の厳しい場所では馬よりもずっと、役に立ってくれる」
「らぅだーっ……はげーっ」
「はげ……てるのかなあの頭って? ――ああ、ほら、あそこも水源緑地だよ妃。……この国の多くの土地は乾燥しているから、ああやってオアシスに小規模の邑を作って民は生活してるんだ」
「おぁしーぅ?」
「そう。水源から遠い土地に住んでいる民は、何里も歩いてオアシスや井戸まで水を汲みに行ったりもするんだってさ。……大河の恩恵に与っている帝国の王都周辺では、とても考えられない過酷さだ」
「うー」
事情はどうあれ、妃にとっては初めての遠出だ。
僕は妃の色の薄い髪や肌、瞳が日光で焼けないよう注意しながらも馬車の御簾を上げ、妃に自分の国を見せた。
「……でも、君の国は綺麗だね」
「うぁい」
不毛となりかけている乾燥した地から湧き出している水源と、その水源に命を与えられ生い茂る草木、そして花々。
厳しい自然ゆえに生まれた光景なのだと判っていても、荒野に青々と生い茂る植物群は、瑞々しい生命力に満ち溢れ、色鮮やかで美しい。
第六皇子のような夢想家達が、この国を宝石や花に喩えてもおかしくないのかもしれないな。……土地に住む民達にとっては、どうでもいい事かもしれないけれど。
「予定通り進んでるっすよ~」
「飛刃」
「ひじーっ」
そんな事を思って外を眺めていたら、周囲を確認していたらしい飛刃が黒馬に乗って駆けて来た。
軽装の上に日差しを遮る袖無外套を羽織り、帯に柳葉刀を差した飛刃は、馬で馬車の横を歩きながら、ちらりと後ろを見て報告する。
「ただ久しぶりの遠出らしくて、後ろに座る乳母殿が、ちょっと車酔いで辛そうっすよ」
「あ……本当だ。きついかい、乳母殿?」
「……申し訳ございません」
馬車の後部座席から、乳母殿が答える。
妃の世話を頼むため、乳母殿には旅に同行してもらっている。面倒を減らすため、可哀想だが乳姉妹ちゃんはお留守番だ。
「それから歩きの従者達にも、よければそろそろ、休憩を取らせたいっすね」
「判った。休憩場所は、一度通ってきたお前に任せる」
「了解っす。もうすぐ休憩には最適な、小規模の水源地っすよ」
「うん。……あのバカは、元気だな」
「馬車が退屈ってんで、馬に乗り換えて愛の詩を歌ってるっすねぇ」
さすが自称さすらいの詩人。一見優男だが、無駄に体力がある。
「あぁ~♪ 黄金色の髪~♪ 碧玉の瞳~♪ 荒地を照らすは~類い希なる~美の~化身~♪ ららら~♪」
「らぁらら~♪」
こら妃、真似するんじゃありません。と注意しようとした所で、馬で第六皇子が駆けて来た。
「おぉ! 我が女神!! 薔薇の美神!! お疲れではありませぬか?!」
「うぁい?」
「お疲れなのですねっ! か弱い貴女様を城より連れ出すなど、五兄様は何をお考えなのですかっ!!」
仕方が無いだろう。この子連れて来ないと、お前が釣れそうになかったんだから。
……それに。
「この子にも、ためになる旅だと思いましてね」
「彼女のため? ……五兄様、そういえばこれぇは、どぉこに向かう旅なのですぅ~か~?」
「これは、殿下もよくご存じの場所に向かう旅なのですよ」
「……え?」
予想もしない返答だったのか、第六皇子は素の表情になって見返してきた。
……どうやら、興味はこっちに向いたようだ。僕はにっこりと笑い、第六皇子へやや挑発的に言葉を続けてやる。
「皇子殿下。……貴方様にとっても、そして私にとっても、一人の妃を取り合うという現状は、非常に不本意な状態でございますね?」
「っワタクシは決して負けませぇ~んっ! ワタクシの薔薇の美神への愛は、何よりも強固で、真実揺るぎないものなのでぇ~すっ!!」
強固で、真実揺るぎないもの……ねぇ。
「……それが本当に真実であるならば、妃は幸せだったかもしれませぬな」
「……何をおっしゃりたいのでぇ~すか、五兄様?」
流石に僕の言外に気付いたのか、第六皇子の表情が微かに強張った。
僕は手持ちの人形で遊んでいる妃の頭を撫でながら、薄笑いを浮かべて返す。
「――不自然極まりない、という事でございますよ。皇子殿下」
「不自然でぇ~すと?」
「はい。……この子は見ての通りただの赤ん坊。貴方様のおっしゃる美神どころか、まだ一人前の人間にすらなってない、成長途上の存在なのですから」
――違う、とは言わせないよ?
「し、失礼ではありませんか五兄様っ」
「ならば殿下は、この子が赤ん坊でないとおっしゃいますか?」
「ばぶ?」
「それは――」
「この子は赤ん坊です。――そして赤ん坊は、女神ではなく猛獣です」
「ばぶばぶ。がお~っ、がお~っ」
「も――」
「可愛い外見に、騙されてはなりませぬ皇子殿下。我が妃は、本能のまま昼夜問わずで泣き喚き、モリモリ食べ、食べながら色々出し、動き回り、遊び、暴れ、ケンカし――周囲のあらゆるものを、傍若無人に振り回して生きてたヤンチャ猛獣なのです! ――素直で良い子なのは、寝てる時だけだと何度思った事か!!」
「う~っ♪ がおがお♪ がおがお♪」
つい力説した僕の本音を当然気にせず、僕の前に腰掛けている妃は、握っていた兎の人形から、ブチブチと耳をカジり取っている。
「だぁだぁ。あぅい~。みみぃ~っ」
「あ、食べちゃダメだよ妃」
「きゃっきゃっ」
妃による度重なる虐待によって脆くなっていた人形の耳は、見るも無惨に裂けていく。
その様子をニコニコ笑顔で見下ろす妃はまるで、獲物を捕らえ弄ぶ虎の子だ。
「そっ――それでもワタクシは、恋に落ちたのでぇ~す!! これは運命だったのでぇ~す!!」
そんな僕に、第六皇子が反論する。……ほう、運命ねぇ。
「今は猛獣でも、彼女はいずれ女神となりまぁ~す!! 運命は定められているのでぇ~す!!」
「運命とは、また夢想的ですね。この傍若無人なヤンチャ猛獣が、本当に女神となるのでございますか?」
「五兄様がなんと言うと、彼女は我が薔薇の美神に間違いありませぇ~ん!! ――未来の彼女が、夢でワタクシに微笑みかけたのですかぁ~ら!!」
――やっぱり。
「信じてくれなくてもかまいませぇ~ん!! ですがこの国に辿り着いた最初の夜、彼女はワタクシの夢に現れ、その麗しい微笑みを向けてくれたのでぇ~す!! あの瞬間感じた運命を、私は確信していまぁ~す!!」
「……」
美人女官と妓女を使った色仕掛けで、こいつの側近から情報を聞き出していたが、本人の口からこうはっきり言われれば、こっちの推理の裏付けもできるというものだ。
「疑ってなどございませんよ、殿下」
「――えっ?」
「だって貴方は、まだ妃に会う前からおっしゃっていたではありませんか」
―……ワタクシ、この国に入った最初の夜、夢の中で薔薇の美神にお逢いしまぁした―
「――とね。……少なくとも私は、貴方が『妃と良く似た誰か』を見て、それを妃の未来の姿だと思い込んだ事は、疑ってはおりません」
なぁ、と視線ずらして飛刃に問いかければ、馬上の飛刃は呆れたように軽く頷く。
「……思い込んだ、でぇすと?」
――そうだよ。
そして僕も、僕の命令で調査に行った飛刃も――あんたの思い込みの原因が、既に判っているんだ。
「い、いかに五兄様の言葉といえど、聞き過ごせませぇ~ん!! 五兄様は我が愛を、運命を!! 思い込みだとおっしゃるのでぇ~すか?!」
――だから、そうだよ。
とあっさり答えると更に怒りそうなので、適当に誤魔化しておこう。
「――第六皇子殿下、私は誰のものだろうと、人知を越えた運命など信じていないのですよ」
「……え?」
「そんなものを自分の目で見た事も、この身に感じた事もありませんからね」
誤魔化すためだが、これは本音だ。
人の悲喜交々は運命なんかじゃない、全て人間自身が起こした様々な所行の結果だ。
何が起こってもその裏に他人の陰謀や打算が見え隠れしていた皇宮で育てば、そのくらいの現実は嫌でも見えてくるというものだ。
「ご、御自分が信じないから、ワタクシの運命もお信じになられないとおっしゃいまぁ~すか?! 五兄様!!」
「……そうお取りになって、結構ですよ第六皇子殿下。とにかくそういう事情ですので、私は貴方の運命にも何か、現実的な意味があるのではないかと思ったわけです」
「何を――っ」
「……そして予想通り、意味は在りました」
「……えっ?」
――そう。
第六皇子が『薔薇の美神』の夢をみたのも、その薔薇の美神が妃によく似ていたのも、ちゃんと現実的な意味があった。
「がうがう……ぶ?」
「……よしよし、まったく君は、お転婆さんだね妃」
だからこそ、僕は妃をこの旅に伴った。……そうしてやりたい、と思ったからだ。
「……五兄様がおっしゃる事は、ワタクシには判りませぇ~ん」
返答を迷ったのか、しばらく沈黙した後言葉を発したのは第六皇子だった。
「ですが五兄様がそこまでおっしゃるならば、よろしいぃ~でしょう!! ワタクシはワタクシの運命を見極めるためにも、五兄様達の旅に同行致しましょ~う!! そして我が愛は何物にも揺るがぬのだと、我が薔薇の美神に証明するのでぇ~す!!」
そう言って風になびくマントを優美に払い、第六皇子は馬上から妃に一礼した。……変態のくせして、相変わらず姿だけはキラめいていて、絵になる優男だ。
「うぁい? へんたぁ~い、ばぁ~いっ」
そんな変態が面白かったのか、耳が片方千切れた兎を振り回し、妃は笑った。
「おお、我が薔薇の美神よ。野性味溢れる戦乙女のごとき貴女もお美しぃ~い……」
「うぁい? うぁいっ。がぉがおっきゃっきゃっ」
……まぁ、いいか。妃も旅を楽しんでいるみたいだし。
「あ、そろそろ休憩場所っすよ~陛下」
やがて飛刃の声で近づいていたオアシスに気付き、旅の一団は休憩時間となる。
「目的地までは、あとどのくらいだ飛刃?」
「ん~、余計な寄り道するわけでもないっすから、休みながらでもあと一日ってとこっすかねぇ」
「……この路をこのままならば……五兄様、貴方がワタクシ達を連れて行こうとしているのはまさか……」
流石に見覚えある路で、気付いたか。そうだよ。
「――ええ、第六皇子殿下、私達が行こうとしているのは、貴方様がこの国で最初に宿泊なさった、過疎邑でございます」
――夢想に逃げ込んだ皇子様。あんたの運命とやらの正体を、そこで見せてやるよ。




