1 僕と妃といないいない・ばあ
僕の妃(四ヶ月)は、今『いないいない・ばあ』に凝っている。
「いないいない、ばあっ」
「あうーっ♪ あうーっ♪」
「いないいない……ないないない、ばばぁーんっ」
「あぅあぅあーっ、あぅあーっ♪」
「いなっないっないっ、ばばばぁーっ!!」
「あぅあおーっ?! うぉーっ!! ぶぉーっ!!」
「えぇ~、もっとっすかぁ~? ……陛下ぁ~、こんな感じで適当に、赤ちゃんと遊ぶ感じでやればいいっすよ~。……って事でオイラ、そろそろ本来の職務である、陛下の護衛に戻りたいっすけど~……」
「あぅあぅっ♪ あぅあぅっ♪ あぅっ♪」
……その『いないいない・ばあ』で、乳母殿や女官達以上に妃に懐かれた男を、僕は寝っ転がりながら見返し。
「……妃はお前の『いないいない・ばあ』を所望だ。気が済むまでしてやるといい。……僕がやっても、てんでつまらなそうだったのにな。ふん」
尻を向けた。ふん。
「って陛下ぁああっ! なにふて腐れてるっすかぁ!! お妃様につまらない男扱いされたのが、そんなにショックだったっすかぁ?!!」
「…………飛刃、不敬罪で鞭打ち」
「ちょぉおお!!! 女官さん!!! 女官さんがムチを片手にちーぱっぱっしてるっすー!! 加虐的美女に責められるのは、ちょっとイイかもとかつい思ってしまうっすー!!!」
「妃、ちょっとこっちおいで。……やれ」
僕が寝座っている赤子椅子ごと妃をアホから離して目を塞ぐと、慈愛に満ちた微笑の女官達が鞭を振りかぶり、アホへと襲いかかる。
「あひぃいいいっ。ちょっ、そこはだめそこはだめっすーっ! やっぱりちょっと色々反応しちゃうっすーっ!! あぁああらめぇええええーっ!!」
「あぶー?」
「……妃、これは見ても聞いてもいけない。目と耳が汚れるからね」
「なんか陛下が失礼な事言ってるっすーっ!! 」
……失礼はお前だ。空気を読まないドアホウもお前だ。
僕の目の前で、なんだか嬉しそうに女官達に鞭でしばかれているのが、僕の護衛武官にして……全く不本意だが一緒にこの国まで来た、乳兄弟の呂飛刃。
見ての通り無礼で空気を読まない怖い者知らずの阿呆であるにも関わらず、非常に納得いかないが。護衛として能力は相当なものであり。
更に腹立たしいが西域出身だった先祖の血が強く出た、褐色の肌と金髪、そして彫りの深い顔立ちの長身美男子であり。
更に更にむかつくが、つい最近まで恋人持ちの幸せ者だった。
……もっともこっちに来る前に、一緒にいかないかと求婚したら。
―はぁ? 都落ちの属国赴任? ……最悪。さよなら―
とか言われてフラれたらしいけどなっ! ざまぁっ!
「はぁはぁ……素敵な鞭使いのお嬢さん方。今度はオイラに責められてみないっすかぁ? ……できれば夜に」
「女官達、年頃の娘以上がそいつに触れられると妊娠する。下がれ」
「そんな特殊能力は無いっすよぉー?!! あぁああ待ってぇええーっ」
変わらぬ慈愛に満ちた微笑みのまま、女官達は一礼し去って行った。
「あぁああ~……男の夢と希望と浪漫の美人女官さん達がぁあああ……一晩遊んでくれるだけでよかったっすよぉおお~……」
「遊びかよ」
「折角花の独身、愉しまなきゃ損っすっ。色々な女の子と仲良くしたいっすっ」
不埒者から、嫁入り前女官達の貞操の危機を守る僕。なんて名君なんだろう。
「ばぶぉーっ、ばぶぅーっ」
そしてそんな危険な不埒者に手足をパタパタさせて、警戒心無く遊んで欲しがる純真無垢な僕の妃。
「えー、またっすかぁお妃様ぁ~?」
「うあいっ」
着々と懐いているようだ。
……不敬罪で、宮刑も加えていいかな。
「陛下ぁああああああ!! 今絶対陛下が何か怖い事考えたっす!! すげー寒気がしたっす!!」
ちっ。ケダモノだけに勘は鋭い。
「オイラに嫉妬する暇があったら、再挑戦っすよ!! 王様いないいない・ばあっすよっ」
どんないないいない・ばあだよ。
……どんないないいない・ばあでも、妃が喜ぶなら、やってあげてもよかったんだけど。
「うぶーっ」
「……妃、そんなに僕はつまらない男かい……?」
「ぶ?」
忘れもしない、数日前。
僕は乳母殿や女官達のいないない・ばあで、大喜びする妃の姿を眺めていた。
―いかがでございましょう、陛下もお妃様とお戯れになりませぬか?―
気を利かせたのか、だっこした妃を僕に近づけ提案してきたのは、妃の乳母殿だった。
ふくよかで福々しい丸顔の乳母殿は、最近では妃の幸せを考えてか、僕と妃が仲良くなれるよう、あれこれと画策していた。
―ぶ? ぶっ?―
……まぁ僕も、妃と仲良くはしたいと思っていたから、誘いには時々乗る。
なにせ僕達はお互いをまるで知らない状態から始まった、完璧な政略結婚夫婦だ。
だからこそ僕と妃は、時間をかけてお互いを理解し、信頼関係をきちんと構築していかなければならないと、僕は思っている。
どうせ政略結婚だからと、正妃をないがしろにして好みの愛妾に溺れる王は珍しくもないが、そういう重要な相手の人心掌握を考えない色ボケは大抵、周囲からの信頼も得られず、いつか足下をすくわれてしまうものなのだ。
―……というわけ僕も、妃と触れ合う事としよう―
―だーっ!!―
……妃が年頃になる頃には、僕はオジサンだしね。正直男女間の恋情を妃に抱いてもらえるか判らない分、過ごした時間で信頼は得ておきたいし、仲良くもなっておきたい。
―……えーと、いないいない、で顔を隠し、ばあで出す。……その間隔は……―
―だぁだぁっ! だぁーっ!―
自分の前にしゃがみ込んだ僕に、妃はだぁだぁ言いながら手を叩く。
……話はできないけれど、その表情や仕草から、妃が僕に期待している事は判る。
―……よし―
―だぁっ―
乳母殿達の仕草を思い出し、その間隔を思い出し、僕は構える。
そして乳母殿の動作をなぞるように――僕は行動を開始した。
―いないいない、ばあ ―
―……?―
―……―
――僕を見つめていた妃は、沈黙した。
間隔が完璧ではなかったのだろうかと、僕は繰り返す。
―いないいない、ばあ ―
―……?―
―いないいない、ばあ ―
―……?―
―いないいない、ばあ ―
―……?―
―いないいない、ばあ ―
―……―
……僕は手を顔からどける度に、妃の表情が醒めていくのを確かに見た。
―いないいない、ばあ ―
―……ぅー―
―いないいない、ばあ ―
―…………ぶー―
とうとう妃は僕に尻を向け、自分をだっこしている乳母殿に、遊んでとせがみだした。
……一言で言うならばその態度は。
――なにこいつ、ツマンネ。
の一言に尽きた。
―だぁだぁっ。だぁっ―
―あ、あらお妃様、陛下はあちらでございますよ~……―
―……いいよ。僕のアレは……つまらなかったらしい―
―え?! い、いえ陛下!! その!! そのような事は断じて!!―
―へ、陛下のアレは、少しだけその……落ち着かれてらしたのですわ!!―
―ああいうのは、子供の興奮に合わせてやるものなのです!!―
―決して陛下が、抑揚のない一本調子の無表情だったわけではございませんわ!!―
―…………―
乳母殿と女官達が、遠慮無く僕を抉る。
抑揚のない一本調子の無表情で悪かったね。
子供の興奮とか難しいよ、バァ、で表情作るのも難しいよ。
大体僕の笑顔なんて、長い帝国の皇宮(皇帝及び皇族男子の居住空間)生活で培った対人用大人向けだし。どうしてもわざとらしくなっちゃうんだよ。
……それにこういう関わりは、やった事もやってもらった事もないから、よく判らない。
もっと両親や弟妹達と気軽に会えたり、僕が乳離れした途端実家に返された乳母殿が、ずっと僕の傍にいてくれたりしたら、少しは違ったんだろう。
――いや、父帝のいないいない・ばあとか、気持ち悪いし絶対見たくないけど。
―お妃様、陛下の所にいきましょうね?―
―うーっ―
いや。と態度で示す妃に、結局僕は赤ん坊に対する対人力が無い自分の限界を悟り、がっくりとしゃがみ込むしかなかった。
「――いやいやっ、そんな難しく考える事はないっすよ~っ」
そんな僕の悩みを一蹴する、空気を読まない野獣が一匹。
「お前はいいよな。乳母殿と一緒に一旦家に帰ったし。その後生まれた沢山の弟妹達に、仲良く、いないいない・ばあをやってやったんだろうが」
乳兄弟が僕の、護衛見習い兼遊び相手として再び帝都の皇宮に上がったのは、少年期に入ってからだ。
「それは否定しないっすけどね。母ちゃん父ちゃんの妾達に張り合って、次々生むから。……赤ちゃんって一緒に遊ぶと、可愛いんすよね~♪ 楽しかったっす~♪」
「……一生作れないようにしてやりたい」
「やめてくださいっす?!! ――陛下!!! あんなのは勢いっす!!! 恥なんか捨ててゴワァアン!! バフォオオオン!! ってやっちまえばいいっす!!」
その擬音が判らない。まぁ、言わんとしている事は、多少察する事ができるけど。
「そしてキメ技は――ヘン顔っす!!!」
……えっ? ヘン顔って、宴席で笑いを取る芸人が顔を変形させるアレ?
「や、やだよそんなの」
「ヤじゃないっす!! オイラは今まで、恥を捨てて笑いを取る事で、女の子の気持ちを楽しく解きほぐして仲良くなってきたっすっ!! 美男子の落差萌えってヤツっすっ!!」
「お前今さりげなく、自分を美男子だと言わなかったか?」
「事実っす。ぶっちゃけヒョロモヤシッ子な女顔の陛下より、女の子受けはイイっす」
殴りたい。殴ろう。
「避けるなっ」
「いやっす。――とにかくっすね陛下っ、陛下が緊張した時ついお妃様にもやってしまう、胡散臭い作り笑顔はダメっすっ。そんなんでいないいない・ばあをされたって、あかちゃんが面白がるはずはないっすっ!!」
うっ。アホのケダモノのくせして、痛い事を言うじゃないか。
……でも生活空間内とはいえ……あまり下品な真似をするのは、一応一国の王としての威厳がだな……。
「逆に陛下!! 陛下が素の表情を出している時は、お妃様も笑顔全開になってるっす!!」
……え?
「おいら難しい事は判らないっすけど、まだあかちゃんでも、お妃様は陛下の事をよく見てると思うっす。だから陛下が素直に嬉しい、楽しいって顔すると、本当に嬉しそうに笑うんだと思うっす」
……本当かな? と見ると、妃はきょとんとした顔で赤子椅子から、じっと僕を見つめていた。
「うぷー」
「……」
……妃、君は本当に、素直な僕の方が親しみを感じている?
……そんな僕を、少しは好きだと思ってくれる?
「あぁーいっ」
――そうか妃。
それなら僕は――君を喜ばせたいというこの気持ちに、素直に従うべきかもしれないね!
「――飛刃、小道具を持て!」
「おおっ、陛下やる気っすね?!」
ならばヘン顔にも、本気を出そう。
そう誓った僕は、宴席でおどけていた芸人達の姿を思い出しながら、その完成に奔走したのだった。
そして。
「びわぁあああああああああああああああああああああああああああぁん!!!」
――妃に泣かれた。
「何故だ妃?! 僕は素直に全力を出したのに!!」
「うぁああああん!!! わぁああああん!!! びゃぁああああ!!! ふぎゃぁああああ!!!」
「――いや、泣かれるっすよそりゃあ。いないいない、で顔隠して近寄って来て、ばあ、でそんな顔見せられたら、普通の子なら大泣きっす」
「な、なんだと?!!」
僕は随分かかってようやく作り上げた自分の顔を
――白塗りに分厚い炭のような黒眉、はみ出した芋虫のような紫色の巨大唇、真っ赤な円形に塗られた頬、そして折った箸で上に向かせたブタ鼻を、鏡で愕然と凝視した。
「――何故だ?!! 笑いを取っていた芸人達は、確かにこんな顔をしていたのに!!」
「そりゃ、それが作った顔と判ってる子供なら、面白いっすよ。でも判らないあかちゃんにしてみりゃ、いきなりバケモノが現れたようなもんっす」
「な……んだと!! それが判ってるならさっさと止めろぉ!!!」
「いやぁ、陛下がどこまでやるのかと観察していたら、面白くなって。つい」
「貴っ様ぁあああああああああああああああああ!!!」
「びひゃああああん!!! ぶぇえええええん!!! びゃぁあああびゃあああああ!!!」
「あぁああ泣かないでくれ妃!! 乳母殿!! 女官達来てくれぇええええ!!!」
お呼びでしょうか、と部屋に入ってきた乳母殿が、僕を見てぎょっと固まる。
続いて入って来た女官達も、笑顔のまま肩を小刻みに震わせる。
ああ驚くだろうさ!! 笑えるだろうさ!!
だがそんなのはどうでもいいんだ!! 重要な事じゃない!!
「妃を泣き止ませてくれぇえええっ」
「びひゃぁあああああああ!!! ぶやぁあああああああああああびぃいいいいいいいい!!!」
僕の叫び声と、ジタバタと暴れながら泣き叫ぶ妃の声が、国王夫婦の私室に響く。
騒ぎを聞きつけて何事かと人が集まり、僕の顔を目の当たりにした被害者は、着々と増えていく。
こらそこ、ご乱心かとか言うんじゃない。僕はただ、夫婦間交流を図ろうとしただけだ。
「しっかし陛下……あんたヤル時は完璧を目指す男っすねぇ……ぶははははっ」
「笑うな諸悪の根源がぁあああああ!!!」
「ばぶぁああああん!!! だぁああああああああん!!! にぎゃぁあああああああああ!!!」
こうして僕ら夫婦の日常は、時に平穏に、時にこんな風に渾沌化しながら、騒がしく過ぎて行くのだった――。
……なお恐怖はしばらく消えなかったらしく、三日間ほど僕が近くに寄ると、妃は泣いて乳母殿にしがみついていた。
とりあえずあのアホは、女官ではなく屈強な男の鞭打ち刑に処す事にしようと思う。