15 僕と妃と六弟③
第六皇子から正式に会いたい、と申し入れが来たのは、午前中の政務を終えた僕が一息ついた丁度その頃だった。
「判った、午後からお時間を取らせていただこう」
素っ気なく返してやると、第六皇子の伝言を持って来た側近は、小さな目を不満げに眇めた。
随分とまぁ、なめられたものだ。属国王という臣籍に降りたとはいえ、僕が父帝の血を引く元皇子だって事を忘れてないか?
「我が主は、御妃様とお逢いし、親しくなりたいとも望まれております」
「お断り申し上げる。我妃はまだ幼少であり、隆武皇族の御方との『公的なお付き合い』ができるほど、教育が行き届いていない」
「我が主は気になさいません」
「夫である、余が構うのだ」
夫を強調してやると、第六皇子の伝言を持って来た側近は、明らかに苛立ったようだった。判りやすいけど、今この国の王は僕で、妃の保護者も僕だ。
「話はそれだけか。ならばお下がりいただこう」
「っ私は――」
「第六皇子殿下の御伝言を持って来た、ただの側近、でございますよねぇ? ……ほぅ、貴公が一国の王に命令できる立場だなんて、私は存じ上げませんでしたなぁ?」
吠えかかってきそうな伝言カラスは、飛刃が止める。
慇懃無礼口調だと、更に腹立たしいなお前。いいぞもっとやれ。
「だ、第六皇子殿下の御意向を無視するか!!」
「はぁて? 無視はしておりませんな~? お話を聞き、考慮し、その上で『申し訳ございませんが』お断りしているのです。……我が国王陛下は、元皇族として臣籍に降りられる際、その権利を畏れ多くも皇上陛下より授与されておりますぞ」
「ぐ……っ」
「まさかそれをご理解なさった上で、なお文句をつけるとおっしゃるのですか? ならば国王陛下の護衛将として、相応の対応をさせていただく事になりますがねぇ……?」
「も、もう結構!!」
鬱陶しい飛刃に絡まれた側近は、取り繕うような態度でそそくさと立ち去って行った。
「まったく……こっちだって本当は、こんな態度取りたくないのにさ」
「下手に出ると、第六皇子の子守り共にまでなめられるんだから、仕方ないっすよ」
まったくだ。所詮辺境に飛ばされた、皇位継承候補にもなれなかった属国王だと舐められ過ぎればどんどん増長される。時と場合によっては、高慢に威圧するのも有効だ。
「これからは特に、だな」
「そっすね。んじゃあ、がんばりますか」
我らが麗しき御妃様のために、と軽口を叩いた飛刃に呆れた視線を向けた後、僕は肩を竦めた。何言ってるんだか、やれやれ。
約束の時間。この国に来た時から身につけていた西域風の旅装を止め、隆武の衣服をきちんと身につけて入室してきた第六皇子の申し出は、実に単純なものだった。
「財宝でも身分でも、ワタクシが持っているものなら何でも差し上げます。ですからどうか五兄様、薔薇の美神の夫たる立場を、トルキア国王王位を、ワタクシに譲ってくださいませ!」
――アホか。とはいえない。
人の妻を奪う。人の身分を奪う。それは全て、この時代権力さえ持てばできる事だからだ。むしろ妃と王位の対価を示してくる分、第六皇子は誠実だと言える。
「……第六皇子殿下。何かお考え違いをなさっておられるようでございますが」
しかしだからといって、はいそうですかとは頷けない。
僕は無礼にならない程度を心がけながらも威圧的に、第六皇子へ言葉を返す。
「私の王位は私個人のものではなく、私に一時的に王位を『貸し与え』られた隆武皇帝陛下のものです。私はこのお借りした身分を、この国の正当な王位継承者となる、私と妃の息子に継承させるため即位いたしました。つまり、個人的にお譲りする事はできません」
皇上への叛意と取られてしまいますから。そう結んだ僕は、相手の出方を見る。
実際言葉に嘘は無く、僕は父帝の孫となる僕の息子に、王位を継がせるまでの繋ぎ国王だ。
勝手な王権譲渡などしたら、反逆者として即捕縛、処刑されてしまう。
「――ですがその条件ならば、ワタクシとて父帝の息子!! この国の王となる権利はあるはずです!!」
ああ、そう返すわけか。――でもな。
「おっしゃる通りです、殿下。……ですが貴方様同様、条件が同じ息子達の中から皇上が選ばれたのが、私なのです」
「――っ!!」
父帝は僕を選び、お前は選ばれなかった。この差は決定的なんだよ。
「私は隆武の頂点たる皇上直々に、この婚姻を命じられたのです。様々な事情が絡んだとはいえ、皇上に選ばれなかった貴方様が、この国の王となる権利を行使しようとしても、皇上は決してお喜びにならないでしょう」
というわけだ、とっとと諦めてくれ。
「私はこの国の王位を預かった今、隆武の元皇族、そして皇上の息子として恥じぬよう、できるだけの事をしたいと思っております。そしてそのために、妃は僕にとって失う事ができない大切な存在なのです。……殿下、どうぞご理解いただけませぬか?」
……こいつは嫌いだが、あんまり馬鹿やって欲しくないんだ。認めたくないが長兄の同腹弟だし。こいつの悪評で、お世話になった長兄が足を引っ張られるのは心苦しい。
なんとかこれで、自分のやってる事が父帝の怒りを買う愚行にしかならないって、理解してもらえないものかな……。
「……皇上皇上皇上っ。――貴方は、隆武帝国の意向しか、お考えではなぁいのですかぁ!!」
――はぁ?
「五兄様!! 確信いたしました!! やはり貴方にとって、我が薔薇の美神は、ただ政略によって婚姻させられた駒でしかないのですね!!」
――はぁああ? 誰がいつそんな事を言ったよ?!
だいたいうちの妃は、薔薇の美神なんて珍奇な名前じゃない!!
「あぁ!! 世俗の醜悪な争いに加わらず、静かに書画をしたためられておられた五兄様は変わってしまわれた!!」
「お、落ち着いて下さい殿下。なにやらお考え違いが、おありになるようですが……」
「五兄様も所詮は、権力に狂い醜く争い合う皇族、真の美と愛を知らぬおぞましい皇帝の息子に過ぎなかぁった!!」
「っ――殿下! 不敬にございますぞ!」
馬鹿!! 腹立たしいのはよく判るが、口には出すな!! 皇帝と皇后の息子だろうが!!
「ワタクシはあいつらとは違う!! ワタクシは真の愛に生き!! 真の美を守るのでぇ~す!! ――五兄様!! 私は必ず非情な貴方の手から!! どんな手を使ってでも、薔薇の美神を救い出してみせまぁ~す!!」
「こ、国王陛下申し訳ございませぬ!! 第六皇子殿下はお疲れのご様子にて!!」
「なにとぞ!! なにとぞ今の言葉はご内密に!!」
「えぇい放せ!! ワタクシは間違っておらぬ!! あの男は!! あの男の女共は!!」
「お許しを!! どうかお許しを!!」
謁見室は騒然となり、錯乱したように叫ぶ第六皇子は側近達の手で、強引に外へと連れ出された。
「……陛下」
「……何も聞かなかった、それでいいな」
「御意」
あいつを追い払う材料にはなるかもしれないけど、どこかから漏れ伝わって、まとめて長兄までなんらかの被害を被ったらやりきれない。
現状隆武帝国の次期皇帝として、長兄ほど兄弟を大切にしてくれる皇子はいないんだ。だから余計な事は言わないし聞かない。
「――国王陛下!!」
うぉなんだ?!
見ると一緒に戻らなかったのか、第六皇子の側近の一人が、頭を床に打ち付けるようにして僕に拝礼していた。
「伏して!! 伏してお願い申し上げます!! ――あの方にこの国と御妃様をお譲り下さい!!」
……従うと思っているのか?
そんな僕の呆れた視線を感じとったように、側近は続ける。
「貴方様が御病気で退位という事になれば、次の国王選びが行われるでしょう!! その機会をお与え下されば良いのです!! そうすれば後は、皇后陛下とその御実家の御力でなんとでもなります!! 貴方様が反逆者とされる事もございません!!」
「それで僕は、くたばりぞこないの病人として余生を送れと?」
「第六皇子だけでなく、皇后陛下も陛下には感謝なさるでしょう!! 貴方様は一生辺境の王では味わえない贅沢を許され、安楽に過ごされるのです!!」
――囚人としてな。アホか。僕だったらそんな面倒な『病人』、さっさと毒でも飲ませて始末する。
「話にならないな、下がれ」
「お、お待ちを!! どうか!! 必ず良き王となるとお約束いたします!! 我らも粉骨砕身の意気で新国王にお仕えし――」
とり繕う気力も無くした僕は、兵士に命じて側近を連れ出させた。だがもはや色々と切羽詰まっているのか、側近は涙ながらに訴えて来る。
「第六皇子殿下は!! あの方はお可愛そうな御方なのです!!」
ああ、頭がな。
「お身体が弱く皇后陛下に溺愛されていたため、あの方は幼少期を後宮でお過ごしになられました。――幼い頃から母親と敵対する女達の闘争地獄を目の当たりになさっていたあの方は……耐えきれずお心を閉ざされ……っ」
閉ざしたまま引きこもってりゃ、迷惑を撒き散らす範囲は狭まったのに。
……でもそういや、あいつを皇宮で見たのって、わりと大きくなってからだったような気がする。
あれはええと……夜、皇宮の廊下を、あいつがウロウロしてたんじゃなかったか……?
「真の美と愛を探し求めておられた殿下の心を、御妃様が掴まれたのです!! ――あの方は諦めませんぞ!! どんな事を――自分のお嫌いな権力を使っても――!!」
哀願、泣き落としから恫喝まで。様々な事を喚きながら、側近は退出させられて行った。
「……あいつらも、もう限界なんっすかねぇ?」
「気の毒ではあるんだよな。……権力か……」
……厄介だな。
ただでさえ皇后陛下は、第三妃から生まれた僕を好いてはいない。
「……あの馬鹿が権力を使うとしたら、まずどう出るかな宰相?」
「暗殺など、直接的な手段に訴えるよりも、まずは手紙を出し、隆武皇后陛下にご助力いただくでしょうな。そしてあの方に甘い皇后陛下は御力を使い、貴方様がトルキア国の国王に相応しくない、という悪評を広めて廃位させる動きを作った上で、『改心した』第六皇子殿下のトルキア新国王即位を、皇上に言上なさるかと」
……すごく厄介だなぁ。
女性とはいえ、帝都の最高に近い権力者の工作じゃ、僕に止めようがない。
「……ですが陛下、ご安心下さい。……これは明らかな悪手にございますぞ」
「……え?」
「……くっくっく」
宰相……何笑ってるんだ? 目が怖いんだが?
「宰相ジーサン、何企んですっる?」
「おお呂将軍。企むなど、この気弱な爺がとんでもございません」
嘘付け元切れ者の野心家。
「……第一皇子殿下に、ご迷惑がかかるような企みではないだろうな?」
「陛下、隆武の第一皇子殿下は、この爺の浅知恵程度で足下を崩されるほど、ヤワな御方ではございませんぞ」
「そう信じたいがな……」
……いや、信じるしかないか。
「……とにかく僕も譲る気はない。……少なくとも、薔薇の美神とやらで頭が一杯な色ボケ馬鹿に、王位を譲る気はない」
「御意のままに、国王陛下。……貴方様は、いかがなさるか?」
……そうだな、僕は。
「……あの馬鹿が、妃への想いを冷める方法を考えようと思う」
――今こっちで僕ができる事は、やっぱりこれしかないだろう。
「冷める、っすかぁ? 色ボケした馬鹿を夢から覚ますのは至難の業っすよ陛下」
「そうなんだろうけどな……」
なんだかな……。
「ん? 陛下、なんかアテがあるっすか?」
「アテって程のものではないが……」
よくよく考えてみると――実は気になる違和感はあったんだ。
……思い出した。
「なぁ二人とも。……薔薇の美神――『の生まれ変わり』って、なんなんだろうな?」
――え? と、飛刃と宰相は僕を見返した。
やがて思い出したのか、宰相が口を開く。
「それはもしや、第六皇子殿下が初めて御妃様にお会いした時発せられた、御言葉にございますか陛下?」
「ああ」
―間違いありませぇん!! あなたこそこの国に降臨せし美の女神!! 薔薇の美神の生まれ変わり!!―
「……生まれ変わり? ……確か南西方の国から伝えられてきている、『仏教』という教えには、輪廻転生という生まれ変わりの思想がございましたな。あれでなかなか博識な第六皇子殿下ならば、ご存じでもおかしくはございませんが……」
「……そういえば、言ってたっすねぇ? ……単に御妃様の美しさを褒め称えただけと思ってたっすけど……」
二人もやはり違和感を覚えたのか、首を捻る。
そうだよ、あの時の第六皇子は、何時にも増して、何かがおかしかった。
―……豊かな金の髪……偉大なる海を思わせる深い碧眼……そしてこの麗しいお姿……―
あの――まるで部分を一々確かめるように、妃の姿を凝視していたあの男にとって――。
「……なぁ、薔薇の美神って……本当にただの、夢の中の妄想なのか?」
「……陛下?」
「それにしてはやけに、具体的じゃなかったか? ……まるで、実体を見た事があったように感じなかったか?」
「――っ!」
同感だったらしい。飛刃も宰相も、思い当たったように僕を見返し、そして頷いた。
「それ――判るっすよ陛下! 確かに第六皇子殿下は、夢の中の理想ってよりは、明らかに実在の誰かと比べるようにして、御妃様を賛美してたようだったっす!」
「妙に現実的な夢も御座いますが……判る気がいたしますぞ陛下。……私も、その可能性はあるように思いまする。……もしそれが事実ならば――」
そう、それが事実ならば、一つの答えに辿り着く。
「――薔薇の美神は妃じゃない。別に在るって事になるな」
だとしたらそれは、あの馬鹿の目を覚まさせる、突破口にならないだろうか?




