13 僕と妃と六弟①
誕生日会から、半年経った。
一才半となった妃は、いよいよ足腰がしっかりしてきたせいだろう、そこかしこをペタペタポテポテと走り回る。
「お、御妃様いけませぬっ! そのようなお姿でっ!」
「だぅいあぅいっ。だぁだぁぶぅういっ」
――全裸で。ってちょっと待ちなさいー!!
「こらー!! 妃ー!! なんてはしたない恰好で走り回ってるんだー!!」
「あぶっ?」
大きな布を持っている女官の足下をすり抜けようとした妃(全裸)を捕まえて抱き上げると、なんだかホカホカしている。
なるほど湯上がりか。確かに湯上がり全裸は気持ちよいだろう。――だが許さん。
「湯冷めしたらどうするんだ君はっ!」
「あぅいっ」
女官達が持って来た寝間着を掴み。手を通し、前を閉じ、しっかり帯を結んで、はい出来上がり! ――ふぅ、どんどん妃に対する着衣技術が上がってる気がする。ジタバタしてももう逃がさないぞ。
「いいかい妃、隆武帝国の貴人、そして貴人の妻は、人前でみだりに肌を晒したりはしないんだ」
「あぅいっ」
「確かにこのトルキア王国は隆武の帝都と比べれば解放的で、下々はよく薄着で往来を闊歩している。それはこの国の風習だし、責めるつもりはない」
「あぅいっ」
「更に西方には、ホイホイ裸で往来を闊歩したり、裸の女性の像を造ったりする、破廉恥な大国があるのも事実だ」
「あぅいっ」
「だがそれはそれ。君はこの国の王妃、民に敬われるべき、この国で最も高貴な女性だ。隆武帝国において高貴な女性とは、美しく淑やかで羞恥を知るべき存在であり、みだりに肌を晒すなどという、はしたない行為は問題外で――」
「あぅいあぅいっ」
「ってなんで帯解いてるの?! 器用になったね妃?! もう固結びするしかないの?!」
「ぴらーりっ」
だがしかし、僕の着衣技術と共に、妃の脱衣技術もぐんぐん上がっている。最近では結んだ帯を解くのもお得意だ。子供の成長って怖い。
「すぅ、しぃーっ。きゃっきゃっ」
「すぅしぃ……涼しいって、君ねぇ」
それに、以前までは聞いた言葉を真似する程度だったのに、意味があるかもしれない? 言葉を以前よりも多く口にするようになってる。
「……それでも、まだ会話と言えるほどじゃないんだけどさ」
「きゃっきゃっ。はげぇー」
「はげてない。……はぁ。君の誕生日少し後四才になった赤毛君は、かなり流暢に話しているんだけど。……まだ君、あと二、三年は、この調子なのかな?」
「あぅあぃっ。うちょぶむりあぶべ、にっきゃいっ」
「うん……通訳が欲しいね」
まだまだ僕は、妃と話ができない。
「おっと~、御妃様、乱れ寝間着なんて性的っすねーあははは」
「うぁいっひじ、ひじーっ」
と思っていたら、いつの間にか僕の背後に飛刃がいた。この野郎。
「いいじゃないっすか陛下、私室で裸で過ごすくらい」
「馬鹿な事を言うな飛刃。はしたない癖がついて、この子が大人になってもそんな真似をしていたら、その時はどうするつもりなんだ!」
「いやっすね~陛下。その時は、目の保養じゃないっすか♪」
よし、そこになおれ呂飛刃。
切 り 取っ て や る。
「うわ! 抜剣しちゃったっすよこの国王! 本気っすよ!」
「きゃっきゃっ」
「大人しく罰を賜るが良い呂将軍! 今なら貴様の愚息一本で許してやろう!」
「だが断るっす。オイラの賢息が使用不能になったら、国中の女性が悲しむっすっ」
「心配するな! 国中の男達は祝杯を挙げる!」
むしろ僕が乾杯の音頭を取るわ!! モテ男の一部なんぞ滅んでしまえ!!
「……陛下」
「これは私怨じゃない!! 好色男のMāraを滅ぼすのは正義だ!!」
「……」
「……」
――ん? と気付いて振り返ると、私室の出入り口前には、なんとも生暖かい表情で、宰相が跪いていた。
「ぴっかーっ。ぴっかーじーっ――むぐっ」
「やめなさい妃っ。例え親愛が込められてようと、それ以上いけないっ」
「むー? むー?」
僕は剣を鞘に戻すと、片手に抱っこしている妃の口を塞ぎ、とりあえずその場は収めた。――モテ男の一部抹殺は、機を見て確実にやることにしよう。
「……ごほんっ。どうした宰相?」
「……は、国王陛下」
宰相の灯りを反射して輝く頭は、確かに妃の言う通りぴっかーだが……いかん。そんな事を想像してはいけない。笑ってしまう。
「……陛下」
「い、いやなんでもないっ。どこも凝視してなどいないぞっ! どうした、宰相?!」
「……御意」
宰相は酷く真面目な表情になって、もう一度頭を下げた。……どうした?
「帝都より、先触れの御使者がご到着されました」
「……帝都から?」
長兄が訪ねてこられた時も来たが、先触れの御使者というのは要するに、『あと何日くらいで○○様が到着なさるので、歓待準備よろしく』と知らせる早馬の事だ。
権力者ほど突然来られても困るので、あれこれ用意ができるこの制度自体に不満は無い。……のだが、やや深刻そうな宰相の様子には不安になる。
一体、誰が来たっていうんだよ?
「……まさか、皇上陛下か?」
「いいえ陛下、こちらにいらっしゃるのは、皇上陛下ではございません」
よかった。父帝以上面倒臭い相手なんて、そういないし……。
「陛下、こちらにいらっしゃるのは――隆武帝国第六皇子殿下にございます」
――ピタッと、一瞬自分の思考が停止したのを僕は感じた。
「う?」
慌てて無理矢理頭を働かせ、飛刃に視線を送ってみる。
「……だ、第六……」
あ、珍しく顔が引きつってる。ちょっとざまぁだが、全然嬉しくない。
「……御使者殿が、謁見室前の控え室でお待ちにございます。……陛下、御支度を」
「……わ、判った」
「うぷー?」
僕は不思議そうな顔で見上げる妃を女官に手渡すと、よろめく足に力を込めながら、身支度にかかった。
――あの野郎!! ――何しに来やがったぁ!!!
皇帝の息子である僕には、大勢の兄弟姉妹がいた。
その内後宮住まいの姉妹達とは、関わるどころかまともに顔を合わせた事もなかったが、同じ皇宮に住んでいる兄弟達とは、嫌でも様々な関わり合いを持つ事になった。
そして大勢の兄弟には、仲良くできる者も、できない者もいた。
好き嫌いだけの、単純な理由じゃない。
兄弟との人間関係には、為人の良し悪しは勿論、能力差違、収めた教養の一致不一致、それぞれの生母の後宮における勢力関係などといった、様々な要因も複雑に絡み合っていた。
「トルキア国王陛下、おなりにございます」
ただ威張り散らしていれば良いほど強い立場ではなかった僕は、その様々な要因を考慮しつつ周囲に気を配った。
その上で仲良くできる兄弟とは普通に付き合わせてもらい、仲良くできない兄弟達とも適切な距離を保ち、好かれないにしろ敵対しないように気を付けていた。
皇帝の居城なんて魑魅魍魎の巣窟で、好んで敵を増やすなんて、自殺志願以外の何者でもないからね。
そんな秘かな努力の甲斐もあって、僕が十才二、三を過ぎる頃には、仲良くできない兄弟の殆どとも、お互い仲良くできないなりの冷静さで、付き合えるようになっていたと思う。
「――隆武帝国属、トルキア国王昂令にございます。……宋帝第六皇子殿下、ようこそこのトルキアにおいでくださいました」
――そう、『殆どとは』、だ。
世の中には、どうしても、何をしても、うまく付き合えない人間がいる。
例えばそれは、権力者に命じられ、僕を暗殺しに来た宦官共だったり。
とにかく僕を見ると苛立つらしく、暴言暴力を振るってきた第三皇子だったり。
僕の母のせいで、自分の母の官位が上がらない事を恨んでいた第八皇子だったりと、相手は様々だったが。
そんな者達以上に、僕が上手く付き合えない、正直付き合いたくないと思っているヤツが、僕の兄弟の中には存在した。
――隆武帝国宋帝第六皇子。僕の一ヶ月違いの弟。
「――おお五兄様っ、この漂白の名も無き詩人は今、西域の浪漫を求め、麗しき砂漠の薔薇トルキア王国に、足を踏み入れたのでございまぁ~す!!」
こいつは――馬鹿だった。
「……左様にございますか」
「ああ、そのよぅ~な他人行儀な御言葉使いなど、お止め下さぁい五兄上様!! 今のワタクシは、美しき詩が湧き上がる衝動のまま諸国を一人さすらう、一介の詩人に過ぎませぇ~んっ♪」
だったじゃない。――今も馬鹿だ。
一人どころか大勢のお供を連れて諸国を傍迷惑に彷徨っている、詩人気取りのこの馬鹿とは、子供の頃から全く、ちっとも、これっぽっちも仲良くできなかったししたいとも思わない。
話が通じないからだ。
「ワタクシ同様優美な風流人だった五兄上様が玉座などという虚しい愚物に縛り付けられているなぁんて、このワタクシ涙が止まりませぇ~んっ♪」
――そして僕を同類にしようとするからだ!! なんという屈辱!!
一緒にするんじゃねぇえええ!! この責任放棄放蕩皇子が!! 僕は書画詩作楽に励んでいたって、父帝に押しつけられた皇族教育をおろそかになんかしてない!! 好きな事以外全部放り出して周囲の期待からも逃げて遊び呆けてる、てめぇみたいな大馬鹿阿呆と同類と思わるだけで虫酸が走るわ!!
「……おそれながら第六皇子殿下、私はこの責務に誇りを感じております」
――という本音は言えない!! どんなに腹が立っても言い返せない!!
だってこいつは弟ではあるが――後宮のトップ、皇后陛下を生母とする、本来なら皇宮皇子最強の勝ち組なんだ!! つまりあの聡明な長兄の同腹弟!! ありえん!!
「お・おぉ~う五兄様っ、美を求める心の渇きから、目を背けてはいけませぇ~ん。人間に必要なのは美であり愛っ。人は美と愛のために苦しみながら、それを渇望せずにはいられない罪な生き物……つまり人にとって、美と愛こそが至上の芸術なのでぇ~すっ♪」
生憎今の僕に必要なのは、国力と人材と国境警備強化の軍事力と妃の相手をする家族の憩い時間だよ。
あーもう!! 砂漠の熱気で脳味噌がとろけきった馬鹿阿呆がタレ流す妄言なんかには、一切興味がないから大人しく帰ってくれ!! って言えたら、どんなにすっきりするだろうなっ!!
「殿下、詩作はのちほどごゆるりとなさいませ」
「お・おぉ~う、そうですかぁ我友?」
「――皇子殿下はお疲れにございますぞ、属国トルキアの御方々!! いつまでこんな寒々しい場所に御留めするつもりか!!」
そんな馬鹿の妄言を宥めたのは、馬鹿の護衛というか子守りというか、とにかくそんな貧乏クジを引かされたのだろう武官の一人だった。
「……湯浴みと宴の支度が整っております。第六皇子殿下、どうぞこちらに」
「お・おぉ~う。感謝申し上げます五兄様っ」
こっちを属国側と見下した高慢な口調は気に入らないが、立場には同情するので許してやろう。でもさっさと帰れ。
「……こちらには、やはり詩作にいらしたのですか?」
「その通りでぇす。オアシス都市の中でも特に美しい、砂漠の薔薇と讃えられるこのトルキアを、ワタクシの詩で永遠にしたいのでぇす。仕上げたら絵巻にして差しあげまぁすので、五兄様が絵を付けてくださいまぁせっ♪」
……心底破り捨てたい。だが我慢だ。というか砂漠の薔薇って、単にそれトルキアの名産品宣伝だったんじゃないのか?
「……ワタクシ、この国に入った最初の夜、夢の中で薔薇の美神にお逢いしまぁした」
……何言ってんだこいつ?
「……あの美しさ……艶めかしさ……たおやかさ……ああ、思い出すだけで愛おしい……かの女神に守られたこの国ならば、素敵な詩が芽生えそうでぇす♪」
とうとう妄想の女に滾りだしたこの馬鹿を一国も早く国から追い出せるよう、宰相達と相談する事にしよう。
こんな皇族教育大失敗の見本みたいなヤツ、妃の教育に良くない。
……とはいえ、挨拶させないわけにもいかない所が辛いけどな。
「第六皇子殿下、まだ幼少にて謁見と宴席は失礼させていただきますが、我が妃がご挨拶申し上げます」
「御妃……おお、義姉上ですねぇっ♪」
「――妃、こちらに」
宴席の端で、盛装した妃が乳母殿に抱かれている。
宴会に入る前に挨拶させて、ささっと私室に引っ込ませてあげるための位置だ。
乳母殿が僕の近くで跪き妃を降ろすと、ヨチヨチ僕に近寄って来た妃は、知らない一団を物珍しげに見つめ、片手を上げる。
「うぁいっ」
「――!」
はい、よくできました。
「赤子ゆえ、正式な拝礼はご容赦下さいませ」
まさか赤ちゃん相手に、文句は言わないよな?
「……」
……何固まってるんだこの馬鹿?
「……豊かな金の髪……偉大なる海を思わせる深い碧眼……そしてこの麗しいお姿……」
「うぶ?」
まぁいいか。さっさと妃を、部屋に戻してあげよう――。
「――薔薇の美神!!」
――――――――――――――――は?
「間違いありませぇん!! あなたこそこの国に降臨せし美の女神!! 薔薇の美神の生まれ変わり!!」
「あぶ?」
「ああ!! これぞ正に運命!! 我が女神よ!! ワタクシは貴女を愛するため、この国にやってきたのでぇす!!!」
待て待て待て待て?!!
「だ、第六皇子殿下? わ、我が妃に何を……」
「お許しくださぁい五兄様っ! ですがこれは運命!! 愛の宿命からワタクシは逃れる事はできないのでぇす!!」
「な、何をおっしゃっているのか、理解しかねますが……」
「お願い致します!! 五兄様っ!!」
馬鹿は突然妃を抱き上げた僕の足下に跪くと、見目だけは良い顔をうっすら紅潮させ、陶酔した声で叫んだ。
「御妃様を!! ――我が薔薇の美神を!! どうぞお譲り下さぁい!! ――愛してしまったのです!!」
へ――変態だ!!!!
本編最終話予定です。少しだけ長めですがストックが無いため、今まで以上に不定期更新となります。ご了承下さい。




