12 僕と家臣達と空騒ぎ
流血、残酷描写注意
兵士達に上から押さえ付けられた壮年の男が、僕にむかって吠える。
「――忌まわしき蛮隆!! 貪欲な鬣狗帝国に、我が祖国をこれ以上蹂躙させはせぬ!! いいか!! 貴様らがどれほどの暴虐でこのトルキアを支配しようと、必ずや王国の正統な末裔が、この国のあるべき姿を取り戻すだろう!!」
蛮隆――隆武帝国の蔑称を叫ぶ男は、服も身体もこれ以上ないほど薄汚れて垢まみれで、髪はボサボサ。貧民窟を徘徊する下民にも劣る汚い身なりだが、その眼差しは揺るぎなく、取り押さえられ突きつけられた処刑用の刃に対する怯えもない。
……なるほど、確かにこれは貴種であり、武人だ。
「はっ!! 亡国の落人が何を粋がっているのか!! こ、国王陛下っ、あの男は確かに前国王の姉の息子にございます!! 身を隠していたあやつを発見し、ご報告申し上げた、この私めの忠誠心、お判りいただきましたでしょうか?」
僕の視界の端に這いつくばって、ニタニタ笑いながら元主筋を平気で売り渡す、丸々太った元廷臣の人品とは比べるまでもない。
……こんなのを信用して密告されたのは愚かだとは思うけど、やっぱり切羽詰まってたんだろうね。気の毒に。
僕は貴種――前国王の甥を殴って黙らせようとした兵士を制止し、その言葉を最後まで聞く。
「我命ここに潰えようと、トルキア王家の誇りは潰えぬ!! そして今は貴様らの支配に屈服させられていようと、誇り高きトルキアの民は、いつか必ず蛮隆の王を故国の地より打ち払うだろう!! 呪われろ!! 東の悪虐帝の小倅が!!」
悪逆帝……否定できない。
僕の父親、隆武帝国五代目皇帝宋帝は、息子である僕の目から見ても暴君の独裁者だ。
ついでに貪欲で好色で気まぐれで残忍で薄情と、その性格も腐れ外道だ。
しかも愚鈍な怠け者だったらもう少し被害は少なかったかもしれないのに、周辺諸国にとっては最悪な事に、頭脳明晰で行動力がある。
皇帝じゃなかったら多分、山賊か海賊か謀反人でもやってそうなあの父帝に目をつけられたこの国の前王は、気の毒といえば気の毒だったろう。
僕の立場上同情はできないし、詫びるつもりもないけど。
……という事で。
「――この地は既に隆武に属している。隆武の地に生きる民は、隆武の民。そしてこの国に生きる民は、皇上より王位を賜った余の民である」
「――っ」
「貴様ら『残党』がこの国を争乱に誘うというのならば、余は全力で貴様らを廃し、民を守るだろう」
「なっ――何を盗人猛々しい事を!!」
厚顔無恥に返ってくる怒りを受け止めた上で、この国と民を守る事を約束する。
それが前王の甥……妃の従兄弟に、僕ができる唯一の約束だ。
「蛮隆の僭称王よ!! 貴様もいずれ、ここで首を討たれる!!」
そうかもしれない。だがその恐怖を見せず処刑を見届けるのも、王の責務でね。
「さらばだ、トルキア王家傍系血筋の将よ。……そなたは最後まで勇敢であった」
「貴様ぁあああああ!!」
刑執行時刻となった。
処刑人は、日光でギラギラ無慈悲に光る、巨大な首切り斧を握り締め振り上げると、首筋めがけてそれを打ち落とした。――それは寸分違わぬ狙い通り、前王の甥の首を刈り取る。
「そなたが信じた、神の御許に行け」
転がり落ちる怨嗟と憤怒に歪んだ生首から、目を逸らす事は許されない。
僕は震える指先を誤魔化すように握り締め、前王の甥を睨み付けた。
「こっ、これでこの国に対する、我が忠誠は、お判りいただけましたねっ? わ、私が再び王宮にお仕えできましたならば、粉骨砕身の覚悟でお勤めに励ましていただき――」
遺体が処理されている目と鼻の先で、豚……じゃなかった。太った男が騒いでいる。
「おお……無論じゃ。旧王家を見放したその方の行いは、とくと見届けさせてもらった。約束通り、褒美をつかわそう」
「宰相閣下!!」
その醜態から僕の視界を遮るように、部下を率いた宰相が太った男の前に立ち、応じている。
……ありがとう宰相。さすがにアレを、視界の端にでも入れるのは嫌だ。後は任せる。
「――だがその前に、『そなたが着服した前王の甥御殿の遺産について』、取り調べねばならんのう」
「――はっ?」
あ、今絶対、宰相良い笑顔している。
「そなたがあの方の潜伏場所から、あの方が再起のためにとっておいた蓄財を、運び出した事は判っておるのだ」
「はひ?! なななんの事でございましょう!! わわ私めは、決してそのような事は――」
「……元廷臣であるそなたに、監視の目がないと思ったか?」
「ひぃっ?!」
「そうか……収奪物は国家の所有であり、旧王家の残党が隠し持つ遺産は、全て国庫に押収する。……我らが国王陛下がそう定められたこの国の法を……そなたは破った上、その罪をしらばっくれるというのだな?」
――いかんのぅ。
おそらく笑顔で吐き出されている宰相の声は穏やかだったが、暖かみは全く無い。
「お――おおお待ち下さい!! わわっわたくしが!! わたくしめの密告で!! あの残党が捕縛されてぇえええ!!」
「無論、無論。……よって本来ならば妻子も連座し罪に問われるところを、その功績により罪一等を減じ、そなただけの罪としよう。司法の慈悲に感謝するがよい」
「そ――んな!! そんな!! お待ちを!! 宰相閣下お待ちを!! 出来心だったのです!!」
「ああ、そうそう。そなたへの褒美の金子は、妻子に届けてやるから安心せい」
「御慈悲をぉおおお!! やだ放せ!! 放してくれぇえええええ!!!」
豚……じゃなくて、見苦しく醜態を晒す肥満した豚のような男……ああもう、豚男でいいや。
とにかく事態の急転直下に対応できなかった豚男は、宰相が命令を下した兵士達に捕らえられ、泣き叫びながら引き摺られて行った。
「おお、怖い怖い。……宰相サマ、最初っからあの下衆に褒美をくれてやる気なんか、無かったっすよねぇ~?」
「ほっほっほ。……このような時代です呂将軍。自分と家族の今後を熟考し、君主に見切りを付けて他国に仕える者を、責める気はございませぬ。……なれどかつての主筋に、後ろ足で砂をかけるがごとく下卑た行為を、現国王陛下がお喜びになる……などという心得違いをする者を、褒めてやる気も毛頭ございませぬなぁ」
何より、見ていて不快にございました。――そう朗らかに付け加えた好々爺は、意外だが僕の父帝に、強い忠誠を捧げている。
なんでも帝都の官僚時代、自分の手柄を取り上げようとした上司の嘘を見抜き、直接取り立ててくれた事に感謝しているんだそうだ。
どうせあの父帝の事。使える手駒を増やそうとしただけだと思うから、そこまで恩義を感じなくてもいいと思うんだけどねー。……まぁいずれにしろ、この宰相の前で見苦しい不忠行為は、失敗だったんだよ豚男君。
「あの豚男、地下の取り調べ部屋で何分持つっすかねぇ?」
「あの豚男は、もう遺産着服の罪は認めているんじゃないのか飛刃?」
「いやいや、あの豚男にはあれこれと余罪がありましてなぁ。とはいえ、とりあえずは遺産の隠し場所だけでも、速やかに吐いてもらいましょう」
あの男の呼び名が、僕達の間で豚男と定着した所で、屠殺される家畜のような悲鳴が聞こえてくる。
「宰相、見つかった遺産は、余自身が検分しなければならないか?」
「御意。国庫の物は全て、王家の管理下に置かれる、という建前がございますので」
「うは、面倒臭ぇ~。じゃあまた忙しくなる前に、メシでも喰っとくっすかぁ陛下?」
「不謹慎だぞ、飛刃」
と言いつつ、それも悪く無いかと日程管理を思い出している時点で、僕も相当図太くなったと思う。
こうして数刻後、故豚男から聞き出した自白によって、旧王室残党の遺産は城へと運び込まれたのだった。
「……これは」
故豚男が廃屋の地下に隠していた遺産を、僕、そして同席を許した宰相と飛刃は、じっと見つめた。
彫刻に絵画、金銀の食器、宝石、そして皮袋に詰められた金銀の貨幣。
薄汚い身なりからは考えられないほど、多くの遺産が残されていた。(多分あの恰好だったから、故豚男も僕達を誤魔化せると思ったんだろう)
「……陛下」
「……うん」
……といっても僕達が気になったのは、その遺産の多い少ないじゃない。
「うぉおっ。陛下! この彫像半裸っすよ! おっぱい丸出しっすよ!」
「そっちでもない。黙ってろ飛刃」
確かに……丸出しだけどな!
「ちぇ~、……でもまるっきり外れてもいないっしょ?」
「……ほう、呂将軍も気付かれましたか?」
「そりゃあ、これだけあからさまなら」
そう言うと、飛刃は等身大の彫像から離れ、皮袋の中に手を入れると、無造作に中身を掴み取り出す。
「金貨、銀貨、青銅貨に銅貨……これぜーんぶ、トルキア王国でも、隆武帝国でも使われてる貨幣じゃないっすよねぇ?」
その通りだ。じゃあこれがどこの物か、なんて確かめるまでもない。
「――大秦国のものだ」
「っすよね」
「仰せの通りにございます、国王陛下」
意見が一致した所で、三人揃って渋顔になるのも仕方が無い。
大秦国――西域風に呼ぶならばロルマ帝国は、トルキアを更に西。絹の道の西の起点となる、西方随一の強国にして、大版図を広げ繁栄を続ける大国だ。
位置的にそこそこ近いトルキア王国とは浅からぬ因縁を持ち、トルキア王国の最盛期には、何度か小競り合いになった事もあったらしい。
「しかも王宮の文書には、トルキア側の勝利でロルム帝国は退けられたって書いてあったんだよな」
「あはは、盛りっしょ。でなきゃ、大秦が本気じゃなかったか、他事が起こってそれどころじゃなくなったかっすよねぇ。国力と数は力っすよ陛下」
「それにしたところで、かの大秦国と事を構え、滅亡も併合もされず独立を保ったのですから、最盛期のトルキア王国は確かに、精強な国家だったのでしょうなぁ」
「……そのせいで、今も気にされてるのは、確からしいけどな……」
「……あー」
「……おおせの通りに、ございますなぁ」
――僕ら三人が危惧したのは、そこだ。
浅からぬ因縁から、そしてロルマ帝国と東(隆武帝国)と結ぶ、絹の道の中継国というトルキア王国の国土事情から、ロルマ帝国が未だ、トルキア王国及びその周辺諸国に、強い関心を示しているらしい――というのが、僕達が東西で商売する商人達から仕入れた情報なのだ。
「……遠すぎるし、交易がお互いの利益になってるから、今の所ロルマ帝国と隆武帝国の仲は悪くはない――が」
「できれば支配下に置きたかったトルキア王国が、隆武帝国の属国となっちまったのは……大秦国にしてみれば確かに、面白くない話っすよねぇ」
「……もし、旧王家の残党が隠し持っていたこの遺産が……大秦国からの資金援助、もしくは大秦国に匿ってもらうため、旧王家の残党が賄賂として用意されたものだったら? ……と、考えてしまいますなぁ……」
つまり近くの超大国ロルマ帝国が――もしかしたら、この国にちょっかいかけてくるかもしれない、という事だ。
「……万一戦争にでもなったら……隆武の帝都は、遠いしな……」
「左様にございますな、陛下。……隆武におわす皇上(皇帝)が、この国を取り戻すために動かれたとしても、我らで持ちこたえるのは……」
「……陛下、宰相ジーサン、なんでオイラを見るっす?」
「……駄目だな」
「……駄目そうでございますなぁ」
「ちょぉお?! なに全否定してるっすか?! オイラやればできる子っすよ?!」
ふん、さっき国力と数は力だって言ったのはお前だろうが。
……立派に命果てるのも王族の責務か……短い人生だったな。
「うぅ、せめて大きくなった妃が見たかった……」
「儂も、成人した孫が見とうございました……」
「うわー陛下と宰相ジーサンの顔が暗いっすっ?! え、えーと……で、でもほら~っ、そんな大した理由じゃないかもしれないっすよっ」
「……例えば?」
「例えば~……ほらっ、単に、あの殺されたおっさんが、大秦国と商売してただけ、とか~っ」
商売……にしても、不自然だ。
「呂将軍。通貨が違う他国との交易は、物々交換が主流にございますぞ」
「あれっ? そうだったすかジーサン?」
「はい。両替商はぼったくりますし、貨幣価値は変動しますからなぁ。交渉力は必要ですが、地元の特産を他国で欲しい物に代えるのが、現時点の商売では一番容易いのですよ。ですから普通の商売では、これほど多量の他国貨幣は得ないのが普通でございます」
「そうっすかぁ~?」
「はい。……ですからつい、不吉な事を考えてしまうのでございますよ」
「ああ。……僕もな。……貨幣だけじゃなく、こういう西方の芸術品は、有力者への賄賂になるし……」
僕は皮袋から目を逸らすと、兵士達が今いる小部屋の壁際に設置した、等身大の彫像を見上げる。
「……」
素材は大理石だろうか。薄布を纏った長い巻き毛の女性像は、まるで生きているように瑞々しく、そして美しい。
西方の神話で、理想の姿に作った彫像に恋した男の話があったけれど、そんな馬鹿なと言えないほど、西側で作られた彫像は確かに、艶めかしく生々しいな。
……たしかに……おっぱいどころか足も腕もへそも太股も丸見えだし……。
「キャー、陛下ってばイヤラシーっ」
「ばっ馬鹿な事を言うな!! 作り物だぞこれは!!」
「そんなに気に入ったならば、戦利品として城に飾りますかな?」
「ばば!! 馬鹿な事を言うな宰相!! 破廉恥!! 破廉恥だ!! こんなふしだらではしたないもの、幼児の健全育成には不適切だ!!」
「確かに、西側で作られた芸術品は、絵でも彫像でも妙に本物っぽくて、景気良く脱いでるっすよねぇ。隆武の書画じゃありえないっす」
「向こうの者達は裸になる事に抵抗感が無い、とロルマから返ってきた商人が言っておりましたなぁ。……なんでも大昔には、男だけの全裸大運動会を開催した国もあった……とか」
「最悪だ!!」
せめて全裸で運動会なら女だけにしてくれよ!! その方が絶対目に嬉しいから!!
「と、とにかく情報を集めろ宰相!! 前国王の甥御が所持していた遺産の出所、そして大秦国――ロルマ帝国及び周辺諸国との国境付近異変を探れ!!」
「御心のままに。国王陛下」
「それからこの遺産は、全て国庫に厳重保管しておけ。そのうち有益な使い道ができるかもしれない」
「えー? 飾らないっすかぁ? この全裸像(♀)とか半裸像(♀)とか」
「絶対に飾らない、布で包んでおけ。過剰梱包だ」
「ちぇーっす」
不満そうな目をしても、僕の城で全裸半裸の女体彫像など許さない。――妃が真似したらどうするんだ!
こうして前国王の甥御の処刑によって発見した、多量のロルム帝国貨幣と芸術品に関する調査が始まった。
――始まったが、十日も経たないうちに、大した事情じゃなかった事も判明した。
「――はっ? 前王の甥が、ボられてただけ?」
「はぁ……あの方の元使用人達からの証言なのですが、あの方は単に西方の芸術品収拾を趣味としており、ずっと昔からその現金での支払いのために、両替商からロルマ帝国の貨幣を買っていたのだそうです。……言い値で」
「うわぁ……」
「そりゃ……きっとボられてたっすねぇ……」
「……なお大秦国――ロルマ帝国の動向はというと、国力は安定しております。現元首は内政を整えると同時に、維持できない東方の属州からは潔く撤退し、国境の安定化を優先している名君、との事です。……この元首が、わざわざ安定させた東方の交易中継都市があるこの国を、戦火に沈める可能性は低いと思われます」
「えっ! ……攻めてこない……という事か?」
「御意。少なくとも、年内に突然大秦国が攻めて来る、というような心配は不要だろうと、聞き取りをした交易商人の多くも証言しておりました。私もそれなりに、信用できる話だと考えます陛下。……勿論警戒はしておくに越したことはございませんが」
よかった……。と、思わず足腰が脱力してしまった。……怖かった。
優秀な宰相以下臣達の尽力で、急速に復興は進んでいるが、国土と民を大国から守るには、まだまだこの国は発展途上なんだ。
……王として民を守ると誓った以上は逃げられないんだから、せめて人が見てないところで厄介な敵が来ませんように~、来るな~、と、神と先祖に縋りながら、震えるくらいは許して欲しい。
「ほらほら~、大した事無いって、オイラの言った通りだったっしょ~?」
「うるさい飛刃っ! ……はぁ、とんだ空騒ぎだった」
「いえいえ。おかしいと思った事を放っておかないのは、良いお心がけにございますぞ陛下」
「それは……そうなんだろうけどね」
それでも無駄に騒いでしまったという気まずさは、しばらく僕の中に残る事になった。
「なかなか威風堂々とした国王にはなれないなぁ」
「なに、若造の頃から威風堂々としておられたら、それはそれで恐ろしゅうございます」
「何事も経験っすよ陛下。経験~」
……そう、しばらくだ。しばらく経ったら、そんな気まずさは吹き飛んでしまった。
――それはもっととんでもない『面倒』が、この国に降りかかって来たからだった。
このバカバカしい空騒ぎが伏線だった、なんて思いたくなかったよ……まったく。
次話に続きます。




