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幕間③ 長兄と弟

「――おおっ、戻って来たか」

「第一皇子殿下! 承りましたお役目、無事果たす事ができました!」

「うん、ご苦労ご苦労!」


 絹の道こと、帝国と西域を結ぶ交易路網の半ばに在る、とあるオアシス都市で休息していた隆武帝国第一皇子は、弟である元第五皇子、現トルキア王国国王の元から帰ってきた使者を、機嫌良く迎えた。


「こちらがトルキア国王陛下よりの書状、そしてこちらが、お預かりした第一皇子殿下への返礼にございます」

「なんだ、大した物を送ったわけでもなし、礼まで気を使わなくてもよかったのにな。どれどれ……おう、これは」


 使者が差し出した小箱には、第一皇子の妃妾、そして娘達の数よりやや多めに、精美な装飾を施された硝子の香油瓶が収められていた。

 その中に満たされているのは、当然弟が王となった国の名産である、薔薇の香油だ。


「美しいな、ヘレニズム仕様か。……かの国の硝子工房には、西出身の職人奴隷も数多くいたというが、どうやら戦争中に国外逃亡される事もなく、無事工房が再開しているようだ」


 その中でも一際豪華な彫金を施され、大きな紅玉石で飾られた瓶を一つ手に取った第一王子はしばらくそれを検分していたが、やがて片手で弟からの手紙を開いてざっと目を通すと、ニヤリと笑う。


「これは、最も儂が寵愛している女に与える分か? それとも我が母――宋帝皇后に献上しろと? ふふ、~してくれ、と書いてない辺りがあいつらしい。相変わらず気遣いのできる弟だ」


 ここぞとばかりに、儂に要求する者達とは大違いよ。と続ける第一皇子は嬉しげだったが、その声には『ここぞとばかりに要求する者達』に対する嫌悪感も無い。

 自分が周囲の羨望と嫉妬、そして媚びへつらいを一身に受ける立場だという事を、よく理解しているからだ。


「弟は、どうしておった? 元気だったか?」

「はい、殿下。誕生祝賀の準備でお忙しそうでしたが、お元気そうでした」

「そうか、それはよかった。それに贈り物を誕生日に間に合わせたのは、褒めてつかわすぞ。西域のバザールで見つけた箜篌(くご)は、あいつへの誕生祝いのつもりだった」


 心酔する主人からの褒め言葉に、使者は深々と頭を下げる。


「あれは、西域に楽器は持ってこなかったようだからな。……(がく)に親しむ余裕もないと、諦めておったか。折角母妃と楽しそうに演奏しておったのに、もったいない話ではないか」


 そう楽しげに言う第一皇子は、弟と共に、弟の母親である宋帝第三妃を思い出す。

 誤解する者も多いが、後宮は男子禁制でも、その中に住む宮女や女官達は正式な命令や許可があれば外出する事ができるため、男の第一皇子にも目にする機会はあった。

 後宮と皇宮の間にある離宮で、息子のために箜篌を奏でていた第三妃は、こっそり垣間見た第一皇子がはっとするほど優しい笑顔の、儚げな美女だった。

 ――もっとも、女達の嫉妬と怨嗟渦巻く後宮で、失脚もせず暗殺もされずに第三妃の立場を保っている女が、見かけ通り儚く優しいだけとは第一皇子も思っていないが。

 

「偶に帝都や母を思い出しながら楽器を奏でるくらい、許されるだろう? 女子の教養手本として、妃に聞かせてやるのも良い。王にも道楽は必要だ」 

「なんと慈悲深き御言葉! 殿下の思し召しを知れば、トルキア国王陛下もさぞや感激なさる事でございましょう!」

「実に! 母妃の身分に問わず弟妹様達をお気遣いなさる皇子殿下は、正しく帝国の次代を担う御方にございます!」


 第一皇子の、属国王として臣籍に降った異母弟への気遣いに、側付きの武将達は皆皇子への忠誠をより深めて称賛する。

 身分を問わず、能力を買われて引き立てられた者も多い側近達にとって、第一皇子は文武だけでなく、人格品位にも優れた、完全無欠の主君だ。


「それほどでもない。――家族を想うのは、当然の事だ」


 そんな側近達の信仰にも近い妄信を、第一皇子も強くは否定しない。

 ――自分のために躊躇無く手を汚せる()()は、多ければ多い程都合が良いからだ。


「この麗しい香りが似合う妻妾達が待つ帝都まで、あと少しだ。皆の者、苦労をかけるが期待しておるぞ」


 隆武帝国第一皇子。

 今上宋帝と皇后の間に生まれ、自他共に認める現在最も皇太子に近い帝国屈指の貴人は、嘘偽り無く慈愛と威厳に満ちた言葉で目下の者達を平伏させつつ――同時にその命の使い所を、当たり前のように計算できる冷徹さを兼ね備えた男だった。


『令……お前が幸せそうで、あの辺境で満足しているようでよかったぞ。……お前がもう少し野心家であったならば……儂と争う気があったならば――儂は後継者争いで、真っ先にお前を殺していただろうからな』


 ――お前には、その恐ろしさがあった。


「……殿下?」

「ん? ああいや、なんでもないぞ」


 内心の呟きを口にしていた迂闊さに苦笑いしながら、皇太子は常の鷹揚な笑顔で護衛に返す。

 弟の昂令同様、第一皇子の護衛は第一皇子の乳兄弟で、最も信頼している将だ。この男だけは、第一皇子に同居する複雑な性質を理解している。


「弟が、楽しそうでよかったと思っただけだ。……ほら、皇宮にいた頃のあいつはいつも顔を強張らせていて、ちょっと怖かっただろう?」

「……殿下とご一緒の時は、笑顔でおられたようでございましたが」

「ああ、一応な。だが心底からのものではなかったろう」

「はて、邪な二心ある御方には、見えませんでしたが?」

「ははは、そういう意味ではないぞ」


 主君に相対するものを良く見ている護衛に笑って首を振り、第一皇子は返す。


「弟――令はある意味、とても正直な奴だった。……だから、儂に庇護され安堵しつつも、なんとなく儂に対する警戒心を解けなかったのだろうよ」

「……なるほど。元第五皇子殿下は、殿下の()()()御心を、よくお察しになっていた、と」

「ははは、こやつめ。納得しおった」


 あっさりと理解され、それはそれでおかしく感じた第一皇子は笑う。

 無礼だと感じたのか、少し離れた場所に控える側近が、護衛に『不敬である』と喰ってかかる。


「……いずれにしろ、あれとは皇宮内で争わずに済んで、よかったと思っている。……避けられぬ相手もいるからな」

「御意」


 皇帝と後宮の頂点に立つ皇后との間に生まれた第一皇子が、まだ皇太子でないのは、皇后の争敵(ライバル)である権勢ある名門出身の妃達が、それぞれ自分が産んだ皇子を次期皇帝にと画策しているからだ。

 権勢ある名門から力と富を引き出したい皇帝は、その権力争いすら利用し、立太子を引き延ばしながら各家の様子を見ている。第一皇子の立場は、その闘争に勝ち抜かねば決して盤石にはならない。


「とはいえ、今の所争敵達はそれほど恐ろしくない。……否、恐ろしいが、扱い方は判っている」

「御意」


 第一皇子は、変わらぬ朗らかな笑みのまま、声に僅かな殺気を込める。

 それに気付いた護衛は、何事も無く主君の言葉を受け入れ、主君の争敵などいつでも殺せると内心で誓う。


「……」


 ――だがもし第五皇子が標的ならば、やや殺し難いとも想像する。

 そんな護衛の内心を読み取ったように、第一皇子は問う。


「ふん、お前も令の厄介さに気付いたか?」

「……元第五皇子殿下に、というよりも。……元第五皇子殿下の周辺に、というべきでございましょう。……呂飛刃、トルキア国宰相をはじめとして、あの方の周辺は有能な曲者が多い」


 囁くような護衛の返答に、第一皇子は満足気に頷いた。


「おう、それよ我乳兄弟」

「……」

「それこそが、我弟の手強さだ。……あれの能力は皇子としては極々凡庸だが、周囲の者達を『手を貸してやろう』という気分にさせるのだ。……一種の求心力(カリスマ)と言っても良い」


 第一皇子は、ふと昔を思い出す。


「意識は……しておらんだろうな。もししていたら、皇宮内でももう少し上手く立ち回っていただろう。……暗殺の標的になった時は、驚いたな」


 第一皇子の記憶に残る弟――第五皇子昂令は、表情を強張らせて様々な恐怖や理不尽に堪える、小さな子供だった。



 下々の邑々だろうと、貴人が住む皇城の中だろうと、大勢の人間が同居していればそれぞれ側に居る者達に好き嫌いを感じ、自分の利害を計算し、派閥や階層を作りたがる。


―やーい令の女顔ーっ―

―貧弱矮躯ーっ。お前なんか戦になったら、真っ先に殺されるぞーだっ―

―……―


 そんな皇宮の中で、物静かでか弱い姿の昂令は、やや粗野な気質の皇子達が作った集団に、馬鹿にされる存在だった。


―どこだ?! どこにいったあの婢!!―

―あっ令!! お前今、こっちに走って来たガキの下女を見ただろう!!―

―……さぁ? 今絵巻を見ていたから―

―ちっ! 役立たずめ!―

―……―


 といっても、大人しくされるがまま、という子供だった訳でも無い。


―……もう出て来ていいよ、下女―

―だ、第五皇子殿下……なんと御礼申し上げれば良いか……ううっ―

―気を付けるんだね。乱暴者達の最近の流行は、下女に蛙をぶつける事らしい―

―で……でっかい蛙を沢山持って……蜥蜴や蛇まで……うわぁああんっ―

―……大丈夫、下女は沢山いるから、集団に戻れば解らないよ―


 昂令は沈黙と無関心を装う態度で乱暴者達の攻撃に耐え、時々は乱暴者達の餌食になりそうな弱い者達を庇いながら、静かに皇宮の片隅で暮らしていた。


―こらこらお前達っ、女子をからかうのはいかんぞっ―

―あっ一兄上様っ―

―だって一兄上様、あいつらピーピー泣くから面白いんだっ―

―いかんなぁ、そんな事では女子に嫌われてしまうぞ。人生の大損だっ―

―えぇー?―

―よーし、退屈ならば今日はこの兄が、城下の祭りに連れて行ってやろう!!―

―本当っ?!―

―やったーっ―

―令! お前も来いっ。外は楽しい事が沢山だぞっ―

―……ありがとうございます、一兄上様―


 そして第一皇子は、粗暴な皇子達や昂令も含め、自分の弟達は等しく鷹揚に、可愛がって接していた。――弟達の今後の扱い方を、見極めるためだ。


―おお、三の弟よ、お前も偶には一緒にどうだ?― 

―ふん、折角ですが、私は貴方と違って暇ではないのです。一兄上―

―そうかそうか。ではまたな。四の弟よ、お前はどうだ?―

―ひぇ?! ぼぼぼくはっ、いっ、いえっ、お稽古がございまして!! 一兄上様!!―

―そうか、それは残念だな―


 懐く者、媚びへつらう者、敵愾心を剥き出しにする者、妬む者、怯える者。

 全ての皇子達に幼い頃から平等に接する事で、第一皇子は弟達の性質を探り、自分へ向ける感情を見出した。

 そしてその結果を考慮しながら、将来弟達の誰を味方として取り込むか、敵として排除するか、どちらでもない者として監視するかを考えていた。

 弟達全てに優しくしたいと思う気持ちに嘘はなかったが、同時に敵を効率的に排除する方法も、この頃から第一皇子は思案していたのだった。


―ほら令、あの芸人を見てみろっ、面白い化粧だろうっ?―

―……はい、まこと―


 そんな第一皇子にとって、常に緊張を解かず静かに自分と接する昂令は、本心をおし量りにくい子供だった。


 懐いているかといえば懐いているが、心を許しているかと言うと、そうでも無く。

 礼儀正しく接しては来るが、そこに媚びや打算を感じさせず。

 嫉妬や恐怖が無いわけではないだろうが、それが悪感情になっている様子もない。


―……一線退いておるのかな、お前は?―

―……―

―まぁ、そうしたいならそうすれば良いっ―


 あえて言うならば、適切な距離を探り、今からそれを保とうとしている。

 処世術かと苦笑しながら、そんな大人びた昂令を、第一皇子は嫌いではなかった。


―ふむ、あの楽師は美しいが、容姿も技量も、お前の母妃の足下にも及ばんな―

―……一兄上様? 何故僕の母上のお姿をご存じなのですか?―

―ふははっ、離宮を垣間見る絶好の場所を、()()知ってしまってなっ―

―……覗きですか?―

―芸術鑑賞だっ。令、お前にも今度教えてやろうっ―

―結構です―

―即答かっ―


 見せてはもらえない本心を少しだけ寂しく思いながらも、第一皇子は機会を見つけては、昂令に構っていた。

 だからこそ。


―第一皇子殿下、宦官からの密告ですが、大変です!―

―ん? どうした?―

―宦官の一部が、命を受け暗殺を企てました!! ――標的は第五皇子殿下です!!―

―令かっ!! ……まさか命じたのは皇后……母上か?!―

―解りません。……ただ最近皇上は、三妃様を連日で御寵愛なさっておられると……―

―動機は悋気か。確かに護衛も少ない令ならば、可能だろうがな!―

―あっ殿下!―


 昂令の危機を知り、即帯剣して部屋を飛び出した。

 別に、他の弟の危機だったとしても、助けようとはしただろう。だが死んで欲しくない、とここまで強く祈るような気持ちになったかどうかは、解らない。


―……誰もおらんな。――巻き込まれたくない、という事か―

―殿下、危険です! 部下を回せば―――

―我乳兄弟よ! その余裕も無さそうだぞ!―


 暴力を恐れ逃げたのだろう召使い達はおろか、おそらく黒幕に賄賂で抱き込まれたのだろう。護衛武官のいない広い廊下、そして昂令の部屋に、第一皇子は吐き気がする。

 最高権力者の居城だと誇示した所で、腐敗した権力闘争が生み出した闇の中では、こんな事は当たり前のように起こる。

 皇子の暗殺も皇子を見捨てる者達も、この頃の帝国では、決して珍しくはない。


―令! どこだ令!―


 既に殺されたか、それとも拐かされたか。不安を覚えながらも、逃げたかもしれないという希望に縋り、第一皇子は破鐘のような怒声をあげ弟の名を呼んだ。


―おい!! 近くの部屋で皇子が害されようとしたのだぞ!! 動こうともせぬか!!―

―ひぃ!! お、お許し下さい!! 私は無力な卑しき者でございます!!―


 堪らず近くの部屋に押し入り、自分が仕える皇子の足下で息を殺していた召使いにも、詰め寄った。――当たり前のように昂令を見捨てる小男に、苛立ちが増す。


―……様っ―

―誰だ?!―


 そんな第一皇子の耳に、小さな震え声が聞こえた。

 振り向くと、本来ならば第一皇子に直接声をかける事すら無礼にあたる下女が、床に頭を擦り付けるようにして、平伏している。


―ご……ご無礼を、お許し下さい―

―下女か。巻き込まれたくはないだろう。下がれ―

―だ、第五皇子殿下をどうかお助けくださいませっ―

―なんだと?!―


 巻き込まれるどころか、昂令のため助けを求めた下女に、第一皇子は思わず驚いた。


―お前、あいつがどこにいるか、知っているのか! 許す、すぐ案内しろ! 走れ!―

―はい。こ、こちらにございますっ―


 そう言って慌てて駆け出す小柄な下女を、第一皇子はどこかで見たような気がした。

 少し考えた第一皇子は、思い出す。


―お前……蛙に泣いて、令に助けられた下女かっ―

―は、はいっ―

―……恩義か?―

―……それもございますが……―

―が?―

―偶然お見かけした私に、助けを求めないあの方が……あまりにも、お可愛そうで―

―……―


 他人を傷つけないよう距離を取るのが弟らしいと思いながら、第一皇子は下女を見下ろした。

 巻き込まれればあっという間に殺されていてもおかしくないか弱い少女の姿には、はっきり昂令を助けたいという意志の強さが表れている。


―あ、あそこでございますっ―

―ん? あそこは儂が教えた、離宮の影か――うぉあ?!!―


 やがて、やっと到着した離宮の茂みの影から、何か大きな者が悲鳴を上げて転がり出て来る。

 何かと確かめた第一皇子は、それが顔を切り裂かれた宦官だと解った。

 同時に、成人にしては小柄な誰かが短剣を構え、飛び出して来る。


―ち、乳兄弟! お前だけでも逃げろ!! 大人に勝てるわけ―――

―下がってろ殿下!! ぶっちゃけ弱いあんたは超邪魔っす!! 足手まといっす!!―

―ひど?!―

―来るなら来い汚らわしい暗殺者共が!! 呂家の長男が相手になるっす!!―


 それは最近皇宮に戻って来た、昂令の乳兄弟だった。


―……なんだ、慌てる事はなかったな―

―え?―

―だが良かった!! ははははっ―

―へ? うひゃあああ?! 第一皇子殿下?!! ままままさか第一皇子殿下がくろま―――

―阿呆乳兄弟!! 不敬な事を言うな!!―


 乳兄弟の口を塞ぐため、慌てた昂令が飛び出してくる。


―殿下!! 第一皇子殿下!!―

―突然どちらに行かれてしまったのか?!―


 そして泣き叫ぶ宦官を第一王子の乳兄弟が拘束した頃、ようやく第一王子配下の信用できる武官達が到着する。

 昂令の無事を確認し、更に泣きながらへたり込む下女と、それを助け起こそうと駆け寄ってくる金髪の美少年を見た第一皇子は、妙な安堵感に包まれて思わず笑ってしまった。


―あ、一兄上様?― 

―あはははは。……無事でよかったぞ令。しかしお前、恐ろしい奴だな?―

―……え?― 

―まだ未熟な少年と、か弱い下女が、お前を助けようと必死になったのだぞ―

―……―

―強い者が助けようとするよりも、それはよっぽど勇気が必要な行為だ―

―……彼らが、強かったのです。感謝しております―


 そう言って乳兄弟と下女に感謝を示す昂令に――それだけではないと、第一皇子は思った。



『……あの時の二人が強かったのは本当だろう。だが強くあろうとしたのは、令を守ろうとしたからだ。……皇子といっても皇位からは遠い、暗殺の標的になってしまうほど立場の弱いあいつのために、あの時あの二人は、自分ができる事で、懸命に戦った。……それはとても、本人が思う以上にすごい事なのだぞ』


 僅かな時間で回想を終えた第一皇子は、現実に戻ってくる。


「我乳兄弟よ、あの事件を覚えているか?」

「勿論です、我君」


 その後暗殺事件は処理され、実行犯である数人の宦官と、事件当夜昂令を見捨てた武官達、そして黒幕とされた妃は、それぞれの形で死を賜った。――黒幕とされた妃の裏に、更なる黒幕がいたのかどうかは、すぐに捜査が打ち切られたため判明していない。


「……儂はな、西域まであやつに会いに行って、やはりあの暗殺事件の頃と同様、あやつには求心力があると思ったのだ。決して望んで行ったわけでもないだろう城の文官、武官達が皆、国王に対して真剣に仕えておったからな」

「御意。私の目にも、彼らの仕事ぶりはとても誠実に思えました。……皇宮の役立たず共と、取り替えたいほどです」

「はははは、そう言うな。数が多ければ、役立たずも増えるのが人の世というものだ」

「……」

「まぁそういうわけでな、儂は周囲が力を貸してくれるあいつを少々畏れ、そして羨ましいのだ」

「お、おっしゃる意味が判りません、殿下! 我らは皆、殿下の御為ならば命を捨てる覚悟を!」

「ああ、判っておる判っておる。そなたらの真心を、疑ってなどおらん」


 思わず口を出してきた側近の一人を宥めた第一皇子は、だがやはり、判っていないと苦笑する。


『……文武に人品。儂は子供の頃から、常に下々の理想の姿を装って来た。……理想に忠誠を捧げる者達は、理想が大きく損なわれれば幻滅し、簡単に離れていくだろう。……だが令に忠誠を誓う者達は、そうではない』


 ……幻想を抱いて心酔するほど、昂令(おとうと)の能力は高くないからな。


「……」


 達した結論に、いつも第一皇子は微妙な気分になる。

 心酔し最後まで付き従いたいと思わせる完璧な君主と、放っておけないから仕方なく力を貸してやろうか、と思わせる欠点だらけの君主。

 正直第一皇子には、どちらが民にとって真の君主たりえるのか、答えが出ない。

 だからこそ第一皇子は、自分とは正反対の王として、しっかり務めを果たしている弟が怖い。


『ちなみに我父帝は……全てに高い能力を持ちつつ欠点だらけという、ある意味最強の君主だからな。……儂はあのようにはなれん。……弟のように、弱い姿を晒す事もできん。……結局、紛い物なのだ』


 豪放磊落を装いながら、全てに劣らぬよう必死に努力を重ね、周囲を値踏みし、必要ならば敵を追い落とし生きて来た自分を、第一皇子は完璧などと思った事はない。


「……殿下」

「ん?」

「私は、恐れ多くも殿下の乳兄弟であることを、心から光栄に思っております。……それはこの先何があろうと、決して変わる事はありません」

「……そうか」


 だがそう見せている以上、それに付き合わせている者達がいる以上、第一皇子は身につけた完璧の装いをかなぐり捨てる気はなかった。

 それは第一皇子なりの、心酔させた者達に見せる王道だった。


「殿下ほど優れた皇子殿下はおられません!」

「勿論、元第五皇子殿下など足下にも及びません!」

「殿下! 必ずや我らは貴方様に帝位を!!」

「玉座を!!」

「王道を!!」

「我らが君に!!」


 ――それでも、令よ。儂はお前が恐ろしい。

 そして辺境の地で、日だまりのような赤ん坊と幸せそうに笑っていたお前が――ほんの少しだけ羨ましい。


「……うむ。我が臣らの働き、期待しておるぞ」


 また手紙でも書こうと決め、内心に浮かんだ感傷のような弱音を殺し、鷹揚に第一皇子は頷く。

 その言葉に側近達は礼を返し、未来の皇帝への忠誠を誓った。



 これより十五年後。宋帝の崩御と共に六代目皇位を継承した第一皇子は、版図の拡大よりも国内の発展繁栄に努め、後の世に隆賢の治と呼ばれる善政を敷き、帝国大繁栄時代の礎を築く。

 

 その功績により聖君と讃えられた六代目皇帝だが、西域辺境に位置するトルキア王国の国王(異母弟昂令)とやりとりした文書が数多く残されている。

 親しみを込めた精緻なやりとりをしている文章から、兄弟仲が相当に良かったというのが定説だが、他の私的な文書が殆ど見つからなかったため。


――後年の研究者の間では、

 『この弟以外、親身になってくれる相談相手がいなかったのでは?』

 という、聖君孤独(ボッチ)説が、面白半分で囁かれている。


 それを否定する一文もまた、後の帝国歴史書には存在しない。

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