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幕間② 宰相と孫

「――孫坊。孫坊や」

「っ……じーちゃん」

「こんな所におったか」


 身近な者だけで、和やかに賑わっている王妃の誕生日会。

 国王が演奏を終えて誕生日会会場から拍手が鳴り響き、妃が国王の元に歩いて行った頃。宰相は会場を出てすぐの中庭の石階段に、自分の孫が座り込んでいるのが見えた。


「……な、なんでもないよっ」


 孫は慌てたように赤毛を振り、目を擦る。

 余所行きの袖から見え隠れする孫の目尻は、少しだけ赤い。


「……しょんぼりするな坊。あれはとても美しい薔薇の花束だった。ただあれを贈り物として喜ぶには、お妃様は少し幼すぎただけじゃ」

「……うん」


 弱々しく返す孫を見ながら、宰相は気の毒になる。


―じいちゃん、ばあちゃんっ、ともだちの、たんじょーびなんだっ―

―おんなのこが、よろこぶのがいいっ―


 そう言って宰相と妻の知恵を借りに来た孫は、今まで見た事がないほど楽しそうで、宰相と妻も嬉しくなったのだ。


―そうねぇ……女の子なら、お花なんて、素敵じゃないかしら―

―そうじゃのう。帝国では、陶磁器に浮かべた薔薇などは、高価な贈り物じゃったのう―

―おはなかぁ……うんっ、かわいいっ―

―ほほ。花の似合う、可愛い子なのかい坊?―

―うんっ、とってもかわいいっ―


 それがまだほんの赤ん坊である、この国の王妃だとは宰相も気付かなかった。


『……この子とて、一緒に遊んだかわいい赤ん坊が既に人の妻女だとは、まさか思うまい。……やれやれ。不運な事よ』


 両親を知らない孫の幸せを祈っていた宰相は、項垂れている孫の赤毛頭へと、そっと手を乗せる。


「済まなんだのう、坊。お妃様と判っていれば、もう少し赤子が喜ぶものを考えたのじゃが……」

「……バラ、にあってた……」

「そ、そう……かのう? ……うん」


 宰相が知る、暴れん坊な赤ん坊妃(しかも無邪気に毒舌)に、清楚可憐な薄紅色の薔薇が似合うとは、いまいち思えなかったが、孫がそう思ったならそれでいい事にする。


「……まぁ、遇不遇者時也(不遇な時もあるさ)という事じゃな。ほら、会場に戻ってまた、遊んだらどうじゃ? 呂将軍が持って来た可変式積み木は、お前も興味津々だったろう?」

「……うん。あれは、おもしろかった」

「先程、陛下も演奏を終わられたし、のう?」

「っ……」


 宰相の言葉に、だが孫はなんとも言えない渋顔になり、俯く。


「……いきたくない」

「え?」

「お妃様……王様のところに、いっちゃった」

「……そうじゃな」


 国王が奏でた美しい箜篌(くご)の音色には、妃も興味を惹かれたらしく、演奏が終わった後は国王と一緒に、異国の楽器を眺めていた。

 宰相としては、国王夫妻が仲睦まじいのは、国の今後を考えても良い事だと思っているが、孫の方は、友達を()()()()気分なのだろうと察する。


「……だが仕方のない事じゃぞ坊。あのお二人は、御夫婦なのじゃからな」

「……」


 察した所で、どうする事もできなかったが。


「まだ幼いとはいえ、お妃様はいずれこの国の次代王をお産みになる、国の母。……そしてそんなあの方に寄り添う事ができるのは、国王陛下ただお一人ぞ、坊」

「……むずかしいのは、わかんないよ」

「国王陛下と、お妃様の間には入れない。という事じゃ。坊」


 判りやすく言い直した宰相の言葉に、孫は再びしょんぼりと項垂れ、中庭に続く階段に腰掛けた。


「……」

「……大丈夫じゃよ、孫坊」


 そんな孫にとっては辛いかもしれないと思いつつも、宰相はあえて、国王を褒めた。


「確かに武人の逞しさは無いが、国王陛下はお優しく、そして心根のしっかりとした方だ。……あの方はきっと奢侈や酒色に溺れる事無く国を治め、お妃様と添い遂げられるじゃろう。……悲運の中にあったお妃様も、きっとお幸せになられる」

「……」

「国王陛下は、良い方じゃよ孫坊。……儂はあの御夫婦と国を支え、励みたいと思うておるぞ」


 それは帝都務めの高級官僚から、西戎と蔑まれる西域の小国宰相職に左遷(とば)されたと嘲られた老人の、偽らざる本音だった。



 帝都のあまり裕福でない下級貴族の家に生まれた宰相は、一言で言うなら秀才の選良(エリート)だった。

 それも必死に勉学に励み、やっと科挙(官僚登用試験)に合格した事を最大の自慢とし、下々の賄賂で私腹を肥やしながら、地方の小役人として一生を終える――ような程度(レベル)では決してない。

 若き日の宰相は、科挙など小手調べ。その後実績を重ねて帝都中央政府の要職へと食い込み、やがては帝国大臣、帝国宰相の椅子すら争う事ができる程の、選良の中でも特に秀でた才気の持ち主だった。

 そしてその才気に偽りなく、若き日の宰相は科挙を一甲第一名(トップ)で合格すると、帝国の県、郡の地方要職を歴任した後帝都に迎えられ、まさしく天下の中枢でその力を奮ってきた。


 そんな宰相の華々しい実績と、研ぎ澄まされた政治手腕を知る争敵(ライバル)達は皆、宰相を切れ者の野心家だと恐れた。

 だからこそ、その『切れ者の野心家』が属国の宰相を任じられたと知らされた時、都落ちだ、左遷だと嘲り騒いだ。

 争敵達は、あの男の野望もこれまでかと優越感に浸りつつ、野望を打ち砕かれた野心家がどれほど意気消沈しているかと想像し、今までの嫉妬と鬱積を晴らしていたのだった。


 だが、当の野心家こと宰相本人には、特に不満がなかった。

 というよりも、宰相は別に『切れ者の野心家』ではなかった。

 ――宰相は単に、凄まじい程負けず嫌いの努力家だったのだ。


 元々科挙のトップを目指し猛勉強したのも、同じ私塾に通う裕福な家の子供に、『貧乏人なんかが合格できるもんか』、と馬鹿にされ腹が立ったからだった。

 更に地方要職で数々の実績の残すほど働いたのも、名門出身の上司から『下級貴族風情に何ができるか』と嘲られ腹が立ったからだった。

 その功績が認められ、帝都の中央政府に召されたのは単なる結果であったが、その中央政府でも腹立たしい者達は大勢いたため、宰相が奮起し努力する理由には事欠かなかった。


―……そなた実は相当な癇性で、負けず嫌いよな?― 

―くく、一歩間違えば梟雄の相よ。……朕には判るぞ―


 そんな優秀な高級官僚の気質を、上司である皇帝は見抜いていた。


―これより西戎の小国を攻め滅ぼす―

―そうだ。小さくとも東西を結ぶ要所、西域交易における拠点となりえる土地だ―

―征伐後は速やかに民の不満を抑え、旧支配者残党を廃し、国を復興させねばならん―

―難しかろう? そなたにできるか?―

―……それとも既に老体の身には、無理か?―


 例え皇帝の()()()だろうと、無理だろう? と嘲られた宰相が、奮起しないはずはなかった。

 拝命し家に帰った宰相は、まずその足で独立している長男の家に向かい、家督を継がせて家屋敷も譲り後事を託す。

 そして正式な辞令が下りた後、命を受けた他の官僚や兵士達と共に、妻と孫、そして付いて行くと言う奇特な召使い数名を連れて、西域へと旅立って行った。


 そうして小国に着任した宰相にとって、自分の主君となる国王の今後の扱い方は、熟考すべき事柄だった。

 なにしろ自分にやる気があっても、上からそれを活かす許可が与えられなければ、制限は増えるのだ。


―勤勉な有能を期待はしないが、せめて怠惰な無能であれば、多少はやりやすい―


 そう願った宰相は、恭しく最敬の礼を取りながら、新たな属国の玉座に座る、年若い国王の為人を思い出した。


 隆武帝国五代宋帝第五皇子、昂令。

 宋帝と第三妃の次男である若干十六才の王は、後宮随一の琴の名手と謳われた母親の容色を想像させる、人形のように整った顔貌をした、線の細い青年だった。


―確か書画に親しみ、詩楽に長けた母親似の風流人。と噂の皇子だったな―

―気を張って堂々としておられるが、か弱い深窓の令息というところか―

―どうせ野蛮な西域の王にされた事を、内心では嘆いておられるだろう―

―……所詮は傀儡の王。ならば無理に引っ張り出して、気分を害されても面倒だ―

―王が政務は嫌だとおっしゃられたら、すぐに諦めよう―

―王にはずっと王宮の奥で快適にお過ごしいただき、後は自分でなんとかしよう―

―それがきっと、一番効率的だ―


 高貴な者ほど優れている、などという幻想は長い官吏生活ですっかり捨て去っていた宰相は、当初見るからにひ弱そうな青年王に、大した期待もしなかった。


―幸い貴人にしては情があり、御妃様の事だけは、憐れと思っておられるだけましだ―

―皇族のもっとも大切な役目は、子孫繁栄―

―御妃様がお年頃になられた頃に、それを果たしていただければ充分だろう―

―……その前に、側女との間に何人か作っているかもしれないが、それも仕方がない―


 とりあえず自分の邪魔をせず、ふて腐れて厄介事を起こさず、王位の正統性を主張できる血統を残してくれればそれでいい。

 当初宰相が王に求めたのは、その程度に過ぎなかった。

 ――のだが。


―……どうした、宰相?―

―いいえ。……陛下、お疲れではありませぬか?―

―それは問題ではない―

―……―


 西域小国の玉座に座った青年は、宰相の予想を覆す、良い王となった。


―民に陰り(つかれ)を見せぬのもまた、王の責務である―


 特別優秀かといえば、そんな事は無い。

 知識も良家の子息として年相応程度で、政治手腕など宰相の足下にも及ばない未熟な王は、だが玉座にある時は常に国の頂点に立つ王であり、堂々とその責務を果たした。


―余にできる事は少ない。だからこそ、できる事に怯むわけにはいかない―

―余は皇上(皇帝)より認められた、この国の王なのだから―


 そう言って暑い日も襟元一つ緩めず、王は威厳を保ちながら政務に当たった。


―こら妃ーっ―

―だぁだぁだぁ、ばぶーっ―

―やめなさい! なんで食べ物以外を口にいれるんだい!! お腹壊すだろう!!―

―あぅいあぅい―

―いいかい妃。君は王妃、つまり国の誇りとなるべき気品を身につけるべきで―――

―んぐんぐんぐっ―

―言ってる側からなんで僕の袖を食べるの?! 悪食?! 悪食なの君?!―

―だーっ―


 そしてまだ赤ん坊の妃に対しては、生真面目に、大切に接した。

 一生懸命なその姿には、義務や憐憫と共に、妃に対する親のような慈愛があった。

 

―必要ならば得る。だか宰相、余に側女の類はまだいらぬ―

―妃はこの通り幼少で、自分の目下となる妾達からの害意を、一蹴できる力も無い―

―……余計な権力争いに巻き込み、危険に晒すわけにはいかないだろう―


 年若い王は、自分の無力さと同時に、自分の価値とやるべき事を、よく理解していたのだった。

 王は全て理解した上で事実を受け入れ、自分と周囲が少しでも良い方向に進めるよう、地道に働いていた。――おそらくは、その甘さと優しさゆえに。


―……御意のままに。国王陛下―


 そんな身分不相応に誠実――というよりも苦労性な国王を、宰相は好ましく感じた。

 国王は所詮帝国皇帝に支配された傀儡の王であり、建国英雄譚に登場するような、偉大な王にはなれない。そんな技量も無い。

 だがそれでも、慣れない手つきで一生懸命妃を抱きしめる青年王ならば、この国を、そして妃や自分達を含めたこの国の民を、見捨てる事はないだろうと宰相は思った。


 そして奮起し突き進む事が能力の(エネルギー)だった宰相にとって、自分の力が必要な、最後まで責務から逃げられない王は、ある種の理想だった。



『……あの方は、良い王だ。……御妃様にとっても、良い(おっと)なのだ。……この子もいずれは理解するだろう』


 そんな事を思い出しながら、宰相は孫の頭を撫でる。

 フワフワの赤毛は実は宰相の在りし日の髪と良く似ており、その手触りが懐かしい。


『……そういえば、この子の広い額の形も……ワシに似ておるんじゃのう。……こりゃあこの子の将来も、ワシと同じマルハゲかのう』

「……じーちゃん?」

「ああ、何でもないなんでもない。はははは」

「……」


 不吉なものを感じたのか、孫はどこか薄気味悪そうに祖父を見上げていたが、もう一度顔を擦ると、しかめっ面のまま宴席(パーティー)会場を睨んだ。

 宴席の中央では、もう一度とせがまれたのか、王が箜篌(くご)という弦楽器を奏でている。本人は態度で謙遜しているが、母親譲りの奏技はなかなかのものだ。


「……じーちゃん、おれじーちゃんみたいになれるかな?」


 その姿を睨みながら、ぽつりと孫は言う。


「ワシみたいに? ……王様にお仕えしたいのかの?」

「……」


 何気なく言った宰相は、孫のまだ幼い顔に嫉妬を感じ取る。


「……王様、たよりないもん」


 だから自分が、御妃様の力になるんだ。

 そう言外に聞こえたような気がした宰相は、もう一度ぽんと孫の頭に手を乗せ。


「――その頼りない陛下を、御妃様は大好きなんじゃぞ?」

「――うえっ!!」


 とりあえず孫が抱いただろう淡い期待を、さっさと潰しておいた。


「ほーら見てみぃ孫坊、国王陛下にしがみついてる御妃様を。とっても楽しそうじゃろうが」

「うわぁあああ!」


 宰相も視線を向けた先では、だぁだぁ言いながら妃が、座っている王の膝に乗り込んでいる。


「あはは、ほらだめだよ妃。演奏できないだろう?」

「だあだぁっ。ぽろーんっぽろーんっ」

「こらこら。妃ったら、やめなさい」


 いちゃいちゃいちゃいちゃ。

 そんな擬音が聞こえてきそうなほど、二人はとても楽しそうだ。


「初めての友達をとられて、寂しいのは解るがの。諦めろ孫坊、お前に勝ち目は無い」

「うっ……うわぁあああんっ」


 というか、勝ち目(ネトラレの危険性)があったら、臣下としてワシが困る。

 そんな事を内心思っている宰相の手を払いのけ、孫は泣きながら、中庭へと逃げ去って行った。


「ちくしょー!! じーちゃんのマルハゲぇええええ!!」


 残念だがおそらく、お前も同じ道を辿る。

 そう言い返そうか一瞬迷った宰相は、だがこれ以上孫の希望を打ち砕く事を良しとせず、言葉を胸に納めたのだった。



 なお、失恋(?)に奮起したのか宰相の孫が勉学に励み、成長後属国初の科挙合格者となり、頭脳明晰な宰相の後継者として国王夫妻を支える事になるのは、これより三十年ほど未来の話となる。


 ――その時彼の頭髪が尊敬する祖父と同じだったか――語る後の帝国歴史書は存在しない。


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