9 僕と妃とプレイルーム後編
微真面目成分あり
それから幼児遊戯場の僕達は、妃達の望むまま様々な遊具で遊び、他の子達とも関わった。
「ほーらっ、みんなーっ大回転っすよーっ」
「きゃーいっ」
「あぶぅーいっ」
「うわぁーっ」
先程のケンカを見ていた飛刃は、泣いていたチョイ悪幼児と妃達を抱えると、三人一緒に大きく上下しながら回転した。
最初は驚いていた子供達だったが、やがてすぐに遊戯を楽しみ、飛刃と回りながら三人は揃って歓声をあげた。
「仲直りはねーっ、一緒に遊ぶのが一番っすよ~っ」
「きゃーいっ」
「ひゃーいっ」
「うわわぁっ――たったのしいーっ」
流石だ飛刃。子守り武将の二つ名をやろう。
「おっおいチビ達……ぼくが遊んでやってもいいぞっ」
「あーいっ」
「あーぅいっ」
それからそこのボウズ。友達なら許してやろう。友達ならな。
「へ……じゃなくて令~、遊ぶ程に周囲に子供が増えてくるんっすけど~……オイラいつまでここで、遊んでるんっすか?」
「さーてお嬢様達とボウヤ、今度は僕が、絵巻物でも読んであげようか? がんばれよ~飛刃。この子達が遊び疲れるまで」
「いつになるっすかそれぇー?!」
さぁな。
「……ご一緒してよろしいですか?」
「へ?」
「私、読み聞かせも得意ですの」
おや、先程の美女殿か。……申し出はそりゃ嬉しいけど。
「ぶっ」
「だっ」
あまり妃達は、嬉しくないようだな。ムスッとしてる。
「あー、いいえ。この子達は、僕に読んでもらいたがってるみたいですんで」
「……そうですの」
これってやっぱり、人見知りかなぁ妃?
まぁ、こんな大勢の子供達がいる所に来たのははじめてだし、緊張しちゃうよね。
「おいモヤシっ、これよめっ」
「ぶ?」
「これはなチビっ、おもしろいんだっ。えーゆーのはなしなんだっ」
人見知りどころか図々しい俺様ボウズは、ここにいるけどね。誰がモヤシじゃコラ。
「えぇ~、お嬢様達もこれがいいんですか~?」
「だぶっ」
「おうぶっ」
「はやくよめ、なんじゃくモヤシっ」
……くっくっく。ようしボウズ、君には合戦部分の、敵の肉や臓物が裂け、首が飛び散る光景を、思いっきり現実的に語ってやろうじゃないか。深夜に思い出して、厠に行けなくなるよ~う~に~ね~♪
「……」
あ、さっきの美女と目が合った。どうもどうも。
こうして僕は、妃達に生意気ボウズを加えた三人に絵巻物を読んだり、積み木を積んだり、人形で劇をしたり、ぶらんこしたり、滑り台したりと、色々やって遊んでみた。
「あぅいーっ。あっ、あっ」
「今度はこれかい? ……はぁ、珍しい遊具とお友達が沢山だから、今日は遊ぶ気満々だねぇお嬢様」
王宮にはきれいな人形や鞠、飾り鈴など、大人しい女の子用の遊具が多いけど……妃達が喜ぶなら、今度ここにあるような、活動的な遊具も用意してみようかな。発明家に頼めば、色々作ってくれるかもしれない。
「――勿論、殺傷能力が無いものをね。二人とも、やられたらやり返す姿勢は勇敢だけど、やり過ぎは良くないんだからね?」
「うぼぅっ」
「ななうっ」
……とはいえ、正直やんごとない身分の娘が、あんまりお転婆に遊び過ぎるのも、どうかとは思うんだけどね。
この頃から大人しく躾けるべきか……でもこんなに楽しそうだと、やっぱりなぁ……。
「……令家の旦那様」
「はい?」
そんな事を考えていると、偽名を呼ばれて声がかかった。
振り向くと僕の後ろには、先程見たこの家の召使いが跪いている。
「当家の大旦那様とお屋敷様が、お茶のご用意をして、旦那様をお待ちしております」
「……判りました」
大旦那ってのはさっき挨拶した豪商として。……あとはお屋敷様、ね。どうやらこの屋敷を任されている、おそらく豪商の身内とも歓談するらしい。
……あの出迎えにいた誰かだろうな? 数が多すぎて判らなかったけど。……さて。
「――飛刃、乳母殿」
「はいっす~」
「およびでございますか、旦那様?」
「乳母殿、お嬢様達のおやつはできているかい?」
「はい。御支度は整えております」
「うん。じゃあ飛刃、お嬢様達を連れてきてくれ。みんなで、お茶の席に行こう。……もちろん構わないでしょう?」
「……おおせの通りに」
恭しく僕に一礼する召使いには、僅かだが戸惑いがあった。
もしかして、妃達はここに置いて僕一人と会えると思ってたのかな? 悪いけど妃は放っておかないよ。……色々な意味で、心配だからね。
「モヤシっ、チビたちもっ、もうかえるのかっ?!」
「そうだね、今日はこれで終わりだ。機会があったら、またねボウヤ」
一緒に遊んだ赤毛のチョイ悪幼児の頭を僕が撫でると、妃達も抱き上げられた飛刃の腕の中で、幼児へと呼びかける。
「ぼうやーばいー」
「ぼうゃーぼぅやー」
「なっ、おまえらがいうなっ。……またこいよっ」
それは今からのお話次第、かな。
「――うるわしきご尊顔を拝し、恐悦至極に存じ奉ります」
屋敷の富が集約されているような豪華な部屋に通されると、豪商はやや太った身体を折り曲げるようにして、僕の前に平伏した。
「許す、面を上げよ。……良い催しを知らされ、余も嬉しく思うぞ」
「陛下、そして妃殿下にお慶びいただけましたならば、私共といたしましても、望外の幸せに存じます」
「あぃっ」
「おお、妃殿下はお美しい上、なんとお賢くあられるかっ。もう言葉をご理解なされるのでございますかっ」
「いや、まだ判ってない。よってこの子の言葉は、言質にはならんぞ?」
「そのような。めっそうもございません」
妃に向ける、温厚で優しい表情が似合わない性格の男だな、と僕は豪商を見て思う。
白髪交じりで小太りな豪商はもうじき老齢だろうが、物腰や言葉の強さから察するに相当精力的で、押しも強そうだ。
その性格でなおかつ有能だからこそ、これほど成功しているのだろうが……友誼自体は結びたくても、この男が何を要求してくるのか、ちょっと怖いな。
「ささ、どうぞこちらに」
召使いから聞いたのだろう、赤ちゃん用の食卓も用意していた豪商は、僕達を席に誘った後頭を下げ、更に恭しく僕に話しかける。
「そして陛下、お許しいただけるならば、私がこの屋敷を任せている者をご紹介させていただきたいのですが」
「構わんぞ。呼ぶがいい」
豪商との窓口となるかもしれない者だ。話していて損は無い。
「では。――入りなさい」
豪商の呼びかけで、部屋を区切る衝立の裏から、帝国の儀礼にのっとった美しい一礼を取る女性が姿を現す。
「……許す。面を上げよ」
下げられ、ゆったりとした袖で隠された顔はまだ見えない。
だが彼女が身につけた、贅をこらしつつ上品に整えられた衣と装飾品を。
更に頭から手足の先まで、洗練された所作を。
最後に衣から見え隠れする白い手や首筋の瑞々しさを、僕はとても綺麗だと感じた。
相当な美女だろう。豪商の娘か孫か、それとも妻妾か――。
「……拝謁の栄誉を賜りました事、ありがたき幸せにございます」
「――っ」
そっと上げられた顔を、予想通りの美しい東方美女を、僕は知っていた。
――遊戯場にいた彼女だ。
どこか勝利を感じさせる、豪商の声が部屋に響く。
「私の娘にございます、国王陛下。……大層子供好きで、今はこの屋敷の遊戯場を、侍女達と共に任せております」
「……そのようだな」
「はい。……国王陛下におかれましては、今後もこの屋敷の遊戯上に足をお運びいただき、娘に妃殿下のお世話をさせていただけるのならば、私にとってもこれ以上の幸せはございません」
「……なるほど」
……ああ、そういう事。
「それは、願ってもない」
――了承するかどうかは、別の問題だけどね。
「――断っちゃったっすかぁ陛下ぁ~。もったいねぇ~っす~」
「飛刃、僕だってひっじょぉおにっ、もったいないと思っているよぁいたたたぁ?!!」
一応和やかに進んだ会談後。
僕達は屋敷の貴人専用通路を通って、輿と従者達が待つ駐車場へと向かっていた。
「うぶぶっ、ぶぅっ。ちゅけべーっはげーっ」
「あ、あれ~妃? なんでさっきから、僕の顔を叩き続けるの?」
「陛下、赤ちゃんは意外にも、自分をだっこしている親がどこを見ているのかを、鋭く察するものなのですわよ? そして余所見していると、ご機嫌を損ねるのです」
「乳母殿、僕は妃の親じゃないよ……ってぁいたたいたいっ、いたいってば妃~っ」
「あぶっ、あぶっ、ちゅけべーっ」
「はいはい。スケベなのは認めるけどね。暴力はよくないよ、女の子が暴力は……」
小さな平手で僕を叩いてくる妃を、たかいたかいして避ける僕は、薄暗い通路のやや前方端に、女性が一人跪いているのが見えた。――先程の、豪商の娘である美女だ。
「……何か用か?」
「……っ」
帰り道に先回りして待ってたって事は、何か言いたいことがあるんだろうと、話しかけてみる。
あっちから僕に話しかける権利は無いし、僕は別に無視したっていいんだけど、一応、妃のケンカを止めてくれた娘だしね。
「……無礼を承知で、お尋ね……させていただきたく……」
より深々と頭を下げた豪商の娘は、緊張しているのかたどたどしく、僕に話しかけた。
「許す」
僕は豪商の妃を見ている妃をだっこし直して、娘に許可を与える。
顔を上げる許可は出さない。
「……国王陛下。本日……当家のおもてなしに……なにかご不足がございましたでしょうか?」
ご不足、ね。
「特に無いな」
「……っ」
「妃も余も、楽しい一時を過ごした、不足は無い」
「な、ならば何故っ……もうここには、いらっしゃらぬと?」
やっぱり、それが聞きたいわけか。
「妃の遊戯にかこつけて――そなたの元に通うつもりはないからだ」
豪商の娘の肩が、小さく震えた。……その申し出さえなければ、是非またここに、妃を連れて来てやりたかったんだけどね。
「それは……」
「違うとは言わせない。……豪奢な屋敷に、余の理想の美女、妃を退屈させない遊び場。……これらは全て、余と妃を囲い込むためのものだろう」
「……」
「そなたは美しく、そして沢山の幼子に懐かれるほど態度が優しい。ここに通えば妃は必ずそなたを慕うようになる。……そして余もまた、な」
だがそうなった後の事を想像すると、うんざりする。
「……そなたに余の手がつく事、そしてゆくゆくは妃の遊び相手、更には側妃として王宮に上がらせる事が、そなたの父親の狙いだろう。……だが、そのつもりはない」
我ながらなんて冷たい声だ。……別にこの子だって、僕が好きで微笑みかけてきたわけじゃないのに。
「……私では」
「え?」
「私では……いけませぬか、陛下?」
……そんな、泣きそうな声で言うなよ。
「私は……お妃様にお心を砕かれる陛下のお優しいお姿に、心打たれました。……まだお小さいお妃様が、とても幼気でお可愛らしいとも。……私は心から、お二人にお仕えしたいと思ったのです」
……本気って言いたいわけかい?
「……けして、お二人の間に割って入ろうなど、ましてやお妃様に成り代わろうなどという、身の程知らずな野心を抱いたわけではございません。……ですがもし……私のこの身がお二人のお役に立てるのならば……これ以上の喜びは無いと、思ったのです」
「……」
「……陛下……お妃様が、名実共に国母となられるまで……陛下をお慰めできるのでしたら……私……私は……」
感極まったように顔を上げた豪商の娘は、涙で濡れた目で、切なげに僕を見つめる。
「……」
……ああ、本当に好みの美女だなぁ。……声も顔も肢体も香りも全て、男の本能に訴えかけるようにして惹き寄せ僕を誘う。この美しい女が欲しい、この女を側に置きたい、この女に溺れてみたいという、正直で俗物的な欲望が湧き上がって来る。
――来る、からこそ。
「――断る」
「――っ?」
僕が自分に見惚れていると確信していただろう豪商の娘は、濡れた目を見開いた。
実際見惚れていた僕はそれでも表情を引き締め、はっきり娘に返す。
「そなたは想像力が足りないようだな」
「え……」
「幼い頃から懐いていた、美しく優しい年上の女性。普通の少女なら憧れさえ抱くだろうそんな対象が、自分の夫と関係していたと知れば、妃がどれほど傷付くと思う?」
あまり気にしなかったのだろう。豪商の娘は狼狽える。
「そ……それは……ですがお妃様は……今は……まだ……」
「妃の事情などどうでもいい。――余が大事なのは、妃がどう思うかだ」
「……陛下」
縋るように言うな。濡れた目で誘うな。例え君の計算だろうと、自分好みの美女に誘われてあっさり喜んでしまうくらい、本当の僕は俗人なんだよ。
……だけどさ。
「……余は、妃を傷つけたくない。今までも、これからも大切にしたい」
――妃と結婚した時そう思った事は、忘れたくないんだ。
「……」
一瞬、美女の表情がきつく歪んだ。
それが計画が失敗した悔しさからなのか、それとも別の感情なのかは判らないし、探るつもりもない。僕と彼女は、今日これっきりなんだから。
「……陛下。……陛下はとても……お優しくていらっしゃるのね」
あの残虐な皇帝の息子の癖に。
そんな内心が聞こえてきそうな皮肉めいた言葉にも、苦笑するくらい余裕を持って、僕は答える。
「違うな」
「……え?」
「大切に、優しくしてやる事しかできないだけだ。……どれほど憐れと思っても、余は妃に、親も失ったかつての祖国も、返してやる事はできないのだからな」
ああ、判ってるさ。僕の優しさが欺瞞だって事くらい。
「……話は終わりだな。……行こう、我妃」
「だうーっ」
だがそれが悪いか?
矛盾まみれ血塗れ怨恨まみれの手でこの子を抱え、優しくしてやって悪いか?
「今日は楽しかったかい?」
「あういっ」
「そうか。……じゃあまた、楽しめる別の場所を探そうね」
「うぁーいっ」
……悪いなら悪いでいいさ。それが僕、隆武帝国宋帝の第五皇子昂令という存在だ。
「……あの子、泣いてたっすよ~陛下」
「悪いか、飛刃?」
僕が乗る輿の横を馬で併走する飛刃は、皮肉げに笑って返す。
「ええ、美女を泣かすなんて極悪男っす。でもそんな極悪陛下が、お妃様を幸せにしてるっす」
「……ふん。相変わらず、ふざけた奴だ」
「だいっ、だいだーいっ」
「あーもうっ。僕の前髪を引っ張らないのっ。それはそれとして、君のお転婆だけは絶対に直してやるっ。絶対だからね妃っ」
「ひゃーっ」
「やれやれ……ははは」
王族専用の豪華な輿に揺られ、楽しそうに窓の外に手を出そうとする妃を押しとどめながら僕は笑う。
「はげー」
「はげてなーい」
妃、君との穏やかな時間が、いつまで続くか判らない。
……でもこんな一時があった事だけは、僕はたぶん忘れられないと思うよ。