8 僕と妃とプレイルーム前編
「はい、あんよはじょうず、あんよはじょうず~――幼児遊戯場?」
「うぁうー? あんよー?」
十一ヶ月を迎え、益々元気いっぱいの妃は、現在つかまり歩きを練習中だ。
そんな妃の手を引いていた僕は、聞き慣れない言葉に首を捻り、話題を振った相手へと視線を向けた。
「宰相、それはなにかな?」
「それはかつて、旧王国時代王都に屋敷を構えていた有力者の老婦人が、お屋敷の大広間で、定期的に開いていたもののようでございますな陛下」
部屋の端で跪いていた宰相はそう言うと、自分をじっと見る妃の視線から逃れるように、目を伏せた。
「……ぴっかー」
「やめなさい妃っ!!」
気にしてるんだから!! 確かに光ってるけど、だからといって頭部を凝視しながら言うのはやめなさい!!
「……と、とにかくですな。幼児遊戯場とは、ヨチヨチ歩きができる程度の赤ん坊達のための、遊び場でございます」
「そ、そうか」
それを完全にではないが流し、宰相は言葉を続けた。ありがとう、そしてごめんよ宰相。
「幼児遊戯場は転んでも大丈夫なよう、柔らかい敷布で覆われており、面倒を見る侍女や遊び相手が控え、そして沢山の遊具があり、幼子達は安全に思い切り遊ぶ事ができたのだそうであります」
想像すると、それはとても楽しそうだ。
「ふぅん……第一線から引いた有力な老婦人の、趣味兼社交だったのかな」
「仰せの通り。子供達を遊ばせている間に待っている母親達は茶会を催し、また母親の供である侍女達も互いに情報交換をするなど、有意義な時間を過ごしたそうであります」
なるほどね。……今は昔の、平和な旧王国時代、か。
「……そしてこの書状は、新たに幼児遊戯場を開いた、とある有力家からの挨拶状にございます」
「つまり、遠回しな招待状って事か」
「御意」
儀礼上、どれほど好意的な申し出でも、目下から目上を呼びつける事はできない。
だから相応の紹介者を通して目下はまず挨拶状を送り、目上の方から『興味がある、行っても良い』と返事を送るのが、帝国の有力者達の常識だ。
「相手は……ふぅん? 聞いた事は無いな。どんな家だ?」
「隣国、パルダンと太い縁故を持つ豪商ですな。一応国籍は帝国民ですが、長く商隊を率いて商売をしていたため、我国をはじめとして、西域諸国にいくつも拠点となる屋敷を構えております」
「なるほど……西域を活動拠点にする豪商か。そりゃあこの国の支配者が替わったと知れば、是非挨拶して縁故を作っておきたいと考えるのは当然だね」
「御意。……そしてこの国の周辺事情を熟知している豪商家と友誼を結ぶのは、陛下にとっても有益な事と存じます」
「それは、確かに。……あえて僕ではなく妃が喜びそうな招待をしてくる辺り、こっちの事情も理解しているみたいだし、感触としては悪く無い」
潤沢な資金を持ち、信用出来る情報提供者となりえる豪商。国にとっても充分に有益だ。
向こうが求めてくる条件の兼ね合いさえ付けば、友誼を結んでおくに越したことはない。
「そうだね……一度くらい焦らしてから、行ってみようか?」
「甘く見られないためには、充分に献上品を受け取った三度目くらいでやっと腰を上げる、くらいがよろしゅうございますが」
「そこまではいいよ。……妃は今、遊びたそうだし?」
「おうおうっ、おうおうおうっ」
暇だったのか、僕につかまりながら歩く練習をしている活発な妃。広い場所で思う存分遊んで良いなら、それは楽しいだろう。
「ただし、子供と遊びに行くのにつまらない歓談はいらない。こちらの身分を明かさないよう、気を付けてもらうとしよう」
「それがよろしゅうございますな。家の主人と身内にのみ、挨拶程度を許しましょう」
「それはまた、随分とお高い客だな」
「国王夫婦ほど『高価』な存在は、この国にはございますまい」
僕達は純金仕様か何かかね、妃?
という事で数日調整後、僕と妃、乳母殿、乳姉妹ちゃん、ついでに護衛の飛刃は、その豪商が開いた幼児遊戯場へと遊びに来た。
「当家にようこそいらっしゃいました!! ――令家の皆様!!」
豪商本人と使用人一同に出迎えられた僕らは、一応おしのびという事で、偽名と普段とちょっと違う恰好で通す。
僕は王宮に仕える文官で妃の付き添い、妃は僕の上司のお嬢さん、乳母殿はその乳母殿、乳姉妹ちゃんは乳姉妹、どうやっても目立つ飛刃は、僕の友人で、暇つぶしにくっついてきた事にする。
「へい、じゃなくて令~、それじゃあオイラが、休日を一緒に過ごす相手もいない寂しい奴みたいじゃないっすかぁ~」
ちなみに僕は、令家の令。本名だが良くある名前なので家名にしても問題無し。
「そういう噂が広まったら、少しはお前に騙される女が減るかな」
「ははは、むしろオイラに近づく好機と思うんじゃないっすか~?」
「……きさ、じゃなくてお嬢様、このクソムカつくアホ野獣の髪なら、ぴっかーはげにしていいよ」
「はぁーぃーっ」
「うぶー」
「ぎゃー?!! やめるっすやめるっすお嬢様!! 乳姉妹ちゃんも背後からやめるっすーっ」
赤ちゃん二人の挟撃によって散っていく憐れな飛刃の髪毛達。冥福を祈る。
そして飛刃はハゲろ。
「ハゲないっす! オイラ父みたいに絶対ハゲないっす!」
はっはっは、親の体質というものは、受け継ぐらしいぞ。
「ではまずは、ごゆるりとお楽しみ下さい。おい、案内をして差し上げろ」
「……どうぞ、こちらに」
そんな目の前の笑劇を流し、みるからに精力的な初老の小太り男は、側にいた召使いに言いつける。
そして豪商の召使いは丁寧に一礼し、僕達を奥の大広間へと連れて行った。
という事で、幼児遊戯場だが――。
「ぶ……ぶぉおおおおっ」
「あばぁああああああっ」
「へぇ……」
「こりゃあ、すごいっすねぇっ」
柔らかそうな絹覆の敷布で包まれた床や壁に包まれた大広間では、一才前後から三才程度に見える子供達が大勢遊んでいた。
毛糸で作ったらしい、柔らかい玉の山。
人型人形に、大きな動物人形。
子供向けの鮮やかな絵が付いた、楽しそうな絵巻物。
色々な形にくり抜かれた積み木の山。
上から吊された、可愛らしいぶらんこ。
更には、上って滑って捕まって遊ぶ、まるで山を模したような、大きな遊具まである。
しかもその周囲には、子守りの侍女や、遊び相手らしい若い従僕達がついている。
「ああ、すごいな」
豪華な屋敷の外観から想像した通り、いや、想像以上の光景が、そこには広がっていた。
まるで子供の楽園だ。大興奮の妃達の気持ちは、良く判る。
「御子達には遊び相手らが付いておりますので、どうぞご心配無く付き添いの方は御休憩下さい。――令家様、何かご用命はございませんか?」
「いいえ。お嬢様を見ていて良いですか?」
「勿論です。保護者用のお席はあちら、使用人達はこちらでございます。――令家様は――」
「あ、席はいいです。お嬢様が泣いたらあやせるよう、あの辺で待機してます」
僕の顔を知ってる人もいるだろう、バレたらのんびりできないしね。おしのびおしのび。
「左様にございますか。では、ごゆるりとお過ごし下さい。――令家様、お嬢様方が御休憩なさる頃、お茶の御支度をさせていただきます」
「判りました。では後ほど」
物静かな召使いは、僕に一礼して去って行った。
「それでは私は、あちらの皆様と、お嬢様達のお着替えとおやつを用意させていただきます」
「よろしく、乳母殿。」
部屋の片隅は使用人らしい女性達で賑わっており、おしゃべりしながら子供達の小さな服のシワを伸ばしたり、隣接している小さな炊事場でおやつを作ったりしている。あれはあれで楽しそうだ。
「じゃあオイラは折角だし、あの辺の席で御婦人達にご挨拶でも~」
「みんなーっ、このお兄さんが遊んでくれるよ~っ」
「うぇええー?!!」
確かにあの席の人妻っぽい巨乳可愛い系美人は、お前の好みだよなぁ飛刃、だがさせん。
「頑丈なお兄さんだよーっ。蹴っても叩いても切っても刺しても壊れないよーっ」
「怖い事言うなっすこのドきちく――うぉっ?!」
「あちょべー」
「あしょべー」
「あそんでー」
「あそべー」
「あー」
「そー」
「べぇー」
流石やんちゃそうな幼児達。恰好の玩具にまっしぐらだ。
「うわわっ。ちょっ、赤ちゃん達っ」
「だっこー」
「あぶー」
「うまー」
「ばぶー」
「たかいたかいー」
「わ、わーかったっすっ。赤ちゃんの山怖いっす!! 数の暴力っす!!」
こうして飛刃は、やんちゃそうな主に男の赤ちゃん達に懐かれ、遊び相手を務める事となった。ふぅ、美人人妻の貞操は守られた。
「うぁいーっ」
「うぶーっ」
そんな飛刃を無視し、目を輝かせ妃と乳姉妹ちゃんは真新しい玩具へと突進していく。
「ばうっふかふかぁっ」
「ぬぅーあっ」
さて、怪我せず楽しく遊ぶんだよ妃達。心配しつつも、見守ってるからね。
「うぁい、あぁーいっ」
「うぶっ、るぅうっ」
まだ友達と楽しく遊ぶ程の社会性が養われていない妃と乳姉妹は、それでもなんとなく安心するのか、近くに固まりながら、自分達のしたいことをしていた。
「ぶぅんっ、ぶぅんぶぅーんっ!! うぉう!!」
妃は、大きな兎に良く似た動物人形を、楽しそうに振り回してる。
「あっ、あーぅっ」
そしてその勇姿を、僕に嬉しげに見せる。
……その逞しい妃の姿に、僕は思わず「陛下ー!! 今夜は私の狩った兎鍋ですーっ」という台詞を当ててしまった。
僕どっちかっていうと妃には、兎じゃなくてお花とか木の実とかを取ったりして、女の子らしく遊んで欲しいんだけどな……。
「……むぅっ」
一方の乳姉妹ちゃんは、珍しかったのか色鮮やかな絵と簡単な字が書かれた積み木を握り締め、じっと見比べている。
それはね、上に積み上げたり、書かれた文字や絵を繋げたりして遊ぶ遊具だよ、乳姉妹ちゃん。
「……うっ。うぉあっ、おっ、おっ」
あはは、そういう発想もあるのか。
コンコンコキンと音を立てて、乳姉妹ちゃんは両手に持った積み木をぶつけて、音を出して遊びだした。
ほほぅ、中々の音感じゃないかな。上手い上手い
「きゃはっ、あうっ、あうっ、ゴンゴンゴンっ」
「うぉうっ、うぉうっ、ブンブンブンっ」
ゴンゴンゴンゴンと乳姉妹ちゃん。
ブンブンブンブンと妃。
「……」
……何でだろう。今度は戦太鼓と、武器を振り回して敵陣に突っ込む猛将を想像してしまった。確かここよりもっともっと西側の文献には、女だけの勇猛な戦士の国の事が書いてあったけど、そんな感じで。
……いや、気のせい気のせい。この子達は僕の国の女の子達だ。戦士なんかじゃ無い。
「おいチビたち、なにしてんだよぉっ」
「う?」
そんな妃達に近寄る、チョイ悪っぽい赤毛の幼児。
「ぶしょーごっこかっ、ちびのくせに、なまいきなんだよっ」
と言ってチョイ悪幼児は、妃の頭をいきなり平手で叩き、振り回している兎を取り上げようとしたっ。
あっ、こらやめなさい僕ちゃんっ、いじめカッコワルイ――
「だぁだぁだぁだぁ」ゴンゴンゴンゴンッ
「おうおうおうおう」ベシベシベシベシッ
……えっ。
「いだっ?!! いだだだだだ?!!!」
「だだだだだだだだだだだだだだ」
「ふぇええええっ?!! やっやだぁああやめろよぉおおおおっ」
「ごごごごごごごごごごごごごご」
良い音を立てて、いじめッ子の頭部を動物人形が、ほっぺを積み木が容赦無く襲う。
気が付けば推定三歳前後のいじめっ子は、前後から妃と乳姉妹ちゃんの同時攻撃を受けて、見事泣き出していた。
「あ、あらあらあらっ、大丈夫?」
側にいた若い娘が、男の子を抱き寄せる。
「ふぇえええんっこいつらこわいよぉおおっこわいよぉおおおっ」
「だ、だめよ。男の子をいじめちゃ。仲良く。ね?」
「だぁだぁだぁだぁ」
「おうおうおうおう」
「びぃえぇえええん!! うわぁあああん!! きょーぼーおんなぁあああっ!!!」
尚も遊具を持って、笑顔でにじり寄ってくる妃と乳姉妹ちゃんに、チョイ悪ぶってた幼児は泣き叫ぶ。
そ、そんな事ないよ。妃達は狂暴なんかじゃないよ。可愛い赤ちゃん達だよ。
……でも、謝っとうこう。
「ごめんよ僕。すみません。うちのお嬢様達が……」
「あ、いいえ。大丈夫ですよ。ちょっとしたケンカですし。……それに、今手を出したのは、この子からですし」
僕は慌てて妃と乳姉妹ちゃんを抱えて離れ、そう言って顔を上げた若い娘を見た。
「……」
「お元気で、とても可愛らしいお嬢さん達ですね」
……美人だった。
「……どうかなさいました?」
「え? い、いいえ……いやははは」
年の頃は僕と同じくらいか、それとも少し上か。
黒髪に黒い目、黄味がかった白い肌。典型的帝国民の娘は、切れ長の瞳とうっすら色づいた唇、そして悩ましく肉感的な曲線を描く肢体が色っぽい、素晴らしい東方美女だった。
「え、あ、貴女もここで子供の世話を?」
「ええ。私小さな子が大好きなんです」
はっきり言って、すごい好みだ。すごい好みじゃなくても、男なら眼福モノだろう。
「そうですか。それじゃあ失礼します」
「……はい、それでは失礼しますわ」
……話せたのは、ちょっとした幸運だったな。
「ばぶっ」
「あてっ?!」
――と思ったら、妃の握ってた動物人形が僕の顔面を直撃。不運だ。
「お、お嬢様、人形は鈍器じゃないんですよ?」
「ぶぅぶぅぶぅっ」
……妃ったら、遊具の振り回し癖がついちゃったのかな? 止めさせないとな。




