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必勝法  作者: 元太
序章
2/2

最後の試合

 監督が投球練習場にいる俺をベンチに呼び戻したのは、四球によって二人目のランナーが出た時だった。神経質にマウンドと俺とに視線を行き来させながら、「準備は?」とつっけんどんに聞いてきた。

「一回からできてますよ」

 その動作と口調にいささか憤りを感じた俺が投げやりにそう返すと、監督は横目で睨みつけてきた。何かを言いたそうに口を半開きにしたが、結局一言もしゃべらず口を結び、グラウンドに視線を戻した。俺も監督に習いグラウンドに顔を向け、球場の真ん中、マウンドに立つ弟を見る。

 勝っても負けても中学最後になる公式試合は、息をつかせぬ投手戦となった。軟式と比べ飛びやすい硬式球にも拘わらず、両投手は外野にもボールを飛ばさせない力投を繰り広げた。まさに決勝戦にふさわしい好ゲームであった。

 均衡がやぶれたのは七回、最終回の表である。先攻である俺たちのチームがワンナウトののち、ボテボテの内野安打で出た一番打者を盗塁と送りバントで三塁に進め、相手一塁手のエラーでホームに迎え入れた。すると、あわれな相手エースは集中力がぷっつりと途切れてしまったらしく、今までの針の穴を通すようなコントロールがなりを潜めてしまった。そうなるとボール球とストライクがはっきり見極められるため、うちの打者は球威が落ちた甘いストレートを簡単にねらい打つことができた。結局この回相手のエースが引っ込むまで二点を追加することに成功したチームメイトたちは、楽勝ムードで裏の守備についた。しかし振り子が簡単には止まらないことと同様に、一度動き出したゲームはそのまま終わりはしなかった。まるで相手の投手の放心が伝染したかのように、うちの投手である弟の球からキレが消えた。もともと細かいコントロールなどなくその球威で押しきるタイプの投手であるため、キレがなくなればあっさり打たれた。八番打者にまさかの一発を浴びた後、続く九番打者にもツーベースを打たれ、日和った弟は同点のランナーを最悪の形で出して今に至る。

 それでも監督は弟に見切りをつけられずにいた。今日の弟は、この回に入るまでは今大会最高の状態といっても過言ではなかった。もしかしたら次の打者の時に状態が戻るかもしれない、次の一球が唸りをあげるかもしれない。相手監督も陥ってしまったのだろう妄念にとらわれ、即座に変えてしまうことは気が引けるのだ。

 いや、理由はそれだけではない。

 監督がまたもや俺を見た。

 もし監督が俺に一片でも信頼を置いているのなら、即座に変えただろう。だが監督は迷い、弟が立ち直ることに期待した。

 二番打者がバントの構えを見せるだけで弟の腕は縮こまり、ボールは枠を外れた。フォアボール。

 監督の貧乏揺すりが激しくなる。

 監督は何度も何度も値踏みするような視線を俺に向ける。視線を浴びるごとに胸の中に嫌悪が広がるのを感じる。監督が俺を呼び寄せてからの見せた一連の動作は、すべて俺への不信から生じたものだ。それが煩わしくてうっとおしくてたまらなかった。なにより信頼されていない自分が情けなかった。

 三番打者に初球をセンター前へ運ばれ遂に一点差となったとき、監督は投手の交代を告げた。


 マウンドに向かうと、内野手に混じって未だにボールをもって突っ立ている弟がいた。

「なにボーっとしてんだよ。ほれ、早くベンチにお帰り」

 努めて明るく声をかけたが、顔面蒼白になっている弟の耳に入ったか怪しい。俺が尻をひっぱたいたらようやく顔をこっちに向けたが、目の焦点が定まっておらず、半開きになっている口からは声にもなっていない音が漏れていた。

「……あ……、……めん」

「ん、なに?」

「……兄貴、ごめん」

 かろうじていい終えると、弟の瞳からは涙があふれだした。

「でかい図体してなに泣いてんだよ。まだ負けと決まった訳でもないのに」

「でも、兄貴は」

「うぜーうぜー。打たれねーっつの。分かったらはよ帰れ。ほら、審判来てるぞ」

 主審が近づいてきていたので弟からボールをひったくったあと尻を蹴飛ばしベンチに返らせた。大げさにため息を吐いた後、チームメイトの顔を見渡すと、弟と変わらずうつろな表情をしていた。

「お前らなあ」

 呆れながら言うと、捕手がおずおずと口を開いた。

「なあ。お前本当に投げるのか」

「悪いかよ」

「打たれるぜ」

「うるさいよ、打たれないっての。散れ散れ、もう散れ」

 ショートが放った言葉で頭にきた俺は、内野手全員を定位置に追い払った。

「ったく」ボールをこねながら、俺は独りごちた。「少しは信頼しろっての」

 残っていた捕手が、何かを言いそうに口を開けたが、結局何もいわなかった。その態度が監督のそれとうり二つで、俺の内心を言いようもないほど荒立てた。

「お前も早く戻れよ」

「高めは厳禁だぞ。外野フライでも一点だ」

「同点覚悟で投げるから関係ない。変に守りに入ったら本当に負ける」

 捕手は不満を顔に浮かべながらボックスに帰っていった。

 内心のもやもやした感情を晴らすようにピッチング練習を行ったが、何球投げてもそれは取れなかった。頭の中を、監督のねめつけるような視線がよぎり、弟の泣き顔が浮かび、チームメイトの諦観が覆った。結局心に妙なしこりをのこした状態でバッターを迎えることになった。

 俺はバッターボックスに入るバッターを見た。彼は足下の土をならしたあと、俺に視線を飛ばした。相手の四番は猛禽類のような瞳の奥に敵愾心をみなぎらせ、生死をかけた勝負にいどむ兵士さながらの気迫に満ちていた。

 バッターと目が合うと、頭の奥がツンと痺れ、粘つくように残っていた胸のわだかまりが驚くほどあっさり溶けていった。皮肉なことかもしれないが、俺を一番信用しているのは、監督でも弟でもチームメイトでもなく、今対峙しているこのバッターなのだ。

 味方の応援も相手のヤジも遠く離れていき、観客も球場も全部視界から消えた。ここにいるのは打者と自分だけだ。

「ああ、これだよ」頭の中でつぶやく。「これなんだ」

 最終回の裏、一点差でノーアウトフルベース、相手は四番。絵に描いたような大ピンチ。

 重要なのはただこれだけなんだ。監督も弟もチームメイトも関係ない。俺の状況も実力も関係ない。今はただ、痺れるような勝負がしたい。

 自然と口角があがる。汗ばんだ頬を風が撫でた。

「勝ちたいかい?」不倶戴天の敵をみつけたような鋭い目で睨み付けてくる相手バッターに向かい、心の中で語りかける。「俺も勝ちたい」

 審判のコールと同時に、俺は体を前へ滑らした。収縮された体のバネが一気に解放され、百八の縫い目を持つボールに命を吹き込む。

 俺の全身の筋肉、そのパワーの総体と化した白球は、相手を射止めんと直進する。

 前へ、ただ前へ。

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