泣き虫勇者は、幼馴染の世話焼き賢者に溺愛される
「ルシル、助けてえええええ!」
山間の静かな村に、今日もエリーシャの悲鳴が響く。
「またか……」
カラスに突き回されているのか、それとも鳩に追われているのか。
助けに行くかと腰を上げ、扉に手をかけた時。
ドオオン!という爆音が表から聞こえた。
「エリーシャっ!?」
慌てて外に飛び出す。
そしてエリーシャを見て、僕は思わず息を呑んだ。
目に飛び込んできたのは、破壊されたドアのノブを掴み、泣きべそをかきながら振り返ったエリーシャの姿。
「ルシルぅぅぅ……」
ノブを掴むその手の甲には、淡い輝きを放つ勇者の紋章が浮かび上がっていた。
「行きたくない、行きたくないよぉぉぉぉ! どうしたらいいの、ルシルぅ」
「諦めよう、エリーシャ。勇者の紋章が現れちゃったんだから行くしかないよ。それから揺さぶらないでくれるかな、その怪力で」
エリーシャが泣きながら僕を揺さぶってくるのはいつものことだが、勇者パワーでやられるとヤバい。
自分に防御魔法をかけていなかったら死んでいるところだ。
僕はさらに強化魔法をかけて、防御魔法の上から骨を砕いてきそうなエリーシャの手を肩から引き剥がした。
そしてエリーシャの手を掴んだまま、彼女の右手の甲を改めて見る。
……何度確認しても、依然としてそこに輝く勇者の紋章。
「うう、こんなもの要らないのに……。消してよ、ルシルぅ」
「無茶言わないでよ、エリーシャ……。神から授かった力を、人の力でどうこうできると思う?」
「ううう……」
涙にくれるエリーシャに胸が痛む。
よりにもよって、どうしてエリーシャが勇者に選ばれてしまったのだろうか。
誰よりも泣き虫で、誰よりも臆病なエリーシャ。
そんなエリーシャが勇者だなんて、本当に何かの間違いなのではないかと思う。
いや、間違いだと思いたい。
……けれど、どうしても間違いではないというのなら。
「勇者になってしまったからには魔王討伐の旅に出ないとね。僕も……」
一緒に行ってあげるから――。
その言葉を口にする前に、晴れていた空に突如として巨大な魔法陣が出現した。
「あれは……! 転移魔法の魔法陣だ。早速魔王軍にバレたのか!」
「どうしよう、どうしよう、ルシルぅぅぅぅ!」
「戦うしかない! 迎え撃つよ、エリーシャ!」
僕は土魔法で創り出した剣をエリーシャに渡した。
「剣なんて使えないよぉ、どうすればいいの!」
「敵に向かって力いっぱい振り回して! その怪力なら当たればどうにかなるから!」
空に浮かぶ魔法陣を睨みつけたまま、僕はそう叫んだ。
……一体、何が転移されてくるのか……。
頼むから弱い魔物であってくれ。
僕たちはまだレベルが低い。特にエリーシャなんて勇者に覚醒したばかりでレベル1だ。
いくら勇者パワーを手に入れたと言っても、流石にレベル1では……。
そして魔法陣から出現した魔物を見て、僕は戦慄する。
「アークデーモンの群れ!? まさか、いきなりそんな高位魔族が送り込まれてくるなんて……!」
「何それ、強いの?」
腰は引けているものの一応剣を両手で構えたエリーシャが、泣きそうな声でそう尋ねてくる。
「いや……、大丈夫、大したことない! やれるよ!」
まったく大丈夫ではないが、臆病なエリーシャをこれ以上動揺させる訳にはいかない。
血管が切れそうなほどに強く杖を握り締め、僕は決意した。
――賢者の自己犠牲魔法、『究極強化』を使う……。
使えば、魔力も生命力も空になって命が尽きる。
それでも。
エリーシャは、エリーシャだけは、どうしても死なせたくない。
僕の命をあげるから。
どうか。
君だけは生きてくれ。
「……来た」
「嫌ぁぁぁぁ! 怖いぃぃぃぃ!」
魔王討伐の旅に一緒に行ってあげられないのは本当に心苦しいけれど。
頼れる仲間を見つけるんだよ。
僕の代わりに命をかけて守ってくれる、そんな仲間を。
僕は星になって、ずっと、ずっと、君を見守っているから。
「……『究極強化』……!!」
――さようなら、エリーシャ。
全魔力と全生命力が身体から抜け出ていくのを感じる。
そして辺り一面を真っ白に染めながら、輝く光がエリーシャへと降り注いだ。
「眩しくて何も見えないぃぃぃぃ! きゃっ!」
ザンッ!
ピロピロピロピロピロピロリン!
「え?」
レベルアップ音が追い付かないほどの勢いで一気にレベルが上がる。
そして急激なレベルアップに伴うステータスの上昇によって、空になった筈の魔力と生命力がガンガン補充されていった。
信じられない思いで自分がまだ生きている事を確認する。
「一体、何が起きてるんだ……」
眩しさの中で目を凝らすと、エリーシャが地面に倒れ込んでいる姿が見えた。
「うう、転んじゃった……」
半泣きで身体を起こしたエリーシャの下には、綺麗に両断されたアークデーモンの死骸。
……転んだ拍子に、剣がアークデーモンにクリティカルヒットしたのか。
「やだぁっ! 気持ち悪いぃぃぃぃ!」
自分の身体の下にアークデーモンの死骸がある事に気付いたエリーシャが、死骸を遠くに薙ぎ払おうとして剣を振るう。
ザシュッ!
すると、たまたまエリーシャに向けて突っ込んできていたアークデーモンの首にその剣が直撃した。
ピロピロピロピロピロリン!
「なんかいっぱい来る! もう、来ないでよぉぉぉぉ!」
虫でも追い払うかのようにエリーシャが剣を振り回す度、アークデーモンの死骸が量産されていく。
「……ははっ……」
乾いた笑いが漏れてしまう。
運さえも味方に付ける。
これが勇者というものなのか。
「……よし」
怒涛のレベルアップによって魔力は随分と補充されている。ステータスも跳ね上がった。今ならば僕の魔法もアークデーモンに通用するだろう。
「全部片付けるよ、エリーシャ!」
「ルシル! 気持ち悪いのがいっぱい寄って来るの! 助けてぇぇぇぇぇ!」
「そのまま剣を振ってて! 僕がトドメを刺すから!」
「うう、どうしてこっちに寄ってくるの! 気持ち悪いから集まって来ないでよぉ!」
ザシュッ!
ドゴッ!
グシャッ!
「うぇぇぇぇん!」
情けない泣き声とは対象的な、物騒な物音が辺りに響く。
ピロピロピロピロピロピロ……。
そして止まらないレベルアップ音も。
◇
「怖かったよぉ、ルシル。あと気持ち悪かったぁぁぁぁ」
アークデーモンの群れを全滅させると、エリーシャが泣きながら駆け込んできた。
抱きつかれる前に、僕は残る魔力の全てを注ぎ込んで自分に防御魔法をかけた。
『究極強化』の効果が残っているエリーシャに素の状態で抱きつかれたら間違いなく死ぬ。野菜でも切るかのようにアークデーモンを微塵切りにしたその怪力は未だ健在だった。
「ああ、うん。……そうだね。怖かったね」
怖かったとベソをかくエリーシャの顔は、パンを持ったまま歩いて飢えた鳩の群れに襲われた時の顔とまったく同じだった。
エリーシャにとっては鳩の群れもアークデーモンの群れも変わらないのだと思うと気が抜ける。
神がエリーシャを勇者に選んだ理由が、なんだか分かるような気がしてしまった。
「……魔王討伐しに行く?」
「やだぁ! 魔王城にはさっきみたいなのがいっぱいいるんでしょぉ? 飛ぶやつって苦手なんだもん。虫とか鳩とかカラスとか、わざわざ顔を目掛けて飛んでくるの!」
エリーシャがイヤイヤと激しく首を振る度に旋風が巻き起こる。
早く『究極強化』の効果が切れてほしい。使った事など当然ないし使っている人を見た事もないので、どれくらいで効果が切れるのか見当もつかない。
……ところで勇者の自己犠牲魔法って何なんだろうか。
勇者の自己犠牲魔法だけは記録が残っていない。 使ったという伝承はあるのだが、勇者本人でさえ自分が何をしたのか覚えていないらしく、実は勇者の自己犠牲魔法は存在しないのではないかとも言われている。
まあ仮にあったとしても、エリーシャには絶対に使わせないからどうでもいいか。
「魔王を倒さないと、さっきみたいなのがまた襲ってくるよ」
僕がそう言うと、エリーシャの動きがピタリと止まった。
「……魔王がいる限り、ずっとああいうのが寄ってくるの……?」
「うん。魔物は魔王の魔力の残滓から生まれるからね。エリーシャが勇者だという事も魔王にバレちゃったみたいだし」
「しつこい害虫は元から絶たないとどんどん湧いてくる……」
エリーシャがブツブツと独り言を言いながら考え込んでいる。
……魔王を害虫扱いか。
臆病なんだか逞しいんだか分からない。
だけど、まあ。
「一緒に行こう、エリーシャ。魔王討伐の旅に」
「……うん。飛んでくるやつはルシルが燃やしてね」
「できるだけ頑張るけど。エリーシャはとりあえず剣を振り回す時に目を瞑るのを止めようか」
「えええ〜、無理だよぉ。だって気持ち悪いんだもん!」
「刃物を扱う時に目を閉じたら危ないよ」
「ううっ。……じゃあ剣じゃなくて棍棒作って」
「そこまで目を開けたくないんだ……」
まあエリーシャは目を閉じたままでいいのかもしれない。
適当に武器を振り回していれば、謎の勇者補正で攻撃が敵にヒットするみたいだから。
「じゃあ次からは棍棒にしようか」
「うん。トゲトゲが付いてるやつがいい。サボテンみたいで可愛いから」
「……いいけど」
トゲ付き棍棒を可愛いと言うセンス。
エリーシャの事は大好きだけど、その辺はちょっと相容れないなと思いながら僕は頷いた。
◇
「ルシル、なんかネバネバするよぉぉぉ」
クイーンスパイダーをトゲ付き棍棒で滅多打ちにしながら、エリーシャが悲鳴を上げる。
「頑張って! 戦闘終了したら体に絡み付いた蜘蛛の糸を焼き落としてあげるから!」
「今やってよぉ! ベタベタしてて気持ち悪いんだもん!」
「戦闘中にそんな繊細な魔法制御はできないよ。子蜘蛛はそっちに行かせないように僕が抑えておくから、エリーシャはクイーンを叩き潰して!」
「ええ〜っ、子蜘蛛までいるの!?」
相変わらず目を閉じて戦闘しているエリーシャは、クイーンが産み落とした子蜘蛛がいる事にすら気付いていなかったらしい。
それできちんと全弾命中するのだから、勇者補正とは恐ろしいものだ。
「ほら、もうちょっとだよ、エリーシャ!」
「本当〜? クイーンが死んだら教えてね?」
「多分、レベルアップの音で分かるよ」
クイーンスパイダーはレベル的には格上だ。倒せば一つくらいはレベルが上がる事だろう。
ピロン!
「よし、クイーンを倒した! 次は子蜘蛛の掃除だよ。そっちに行かせるから棍棒で薙ぎ払って!」
「ええ〜、嫌だぁ、気持ち悪い!」
「目を瞑ってるんだから大丈夫だよ!」
「だってベタベタするのを吐いてくるんだもん!」
「クイーンの糸をベタベタ程度にしか感じないなら、子蜘蛛の糸なんかいくら吐き掛けられても何も感じないよ!」
子蜘蛛を殲滅したエリーシャは、グズグズと泣きながら僕に駆け寄ってきた。
「うえぇぇぇん! 早くこれ、なんとかしてよ、ルシルぅぅ」
「エリーシャ、ストップ!」
静止の声にピタリとエリーシャが止まる。
「クイーンの糸なんか体に引っ付けたまま抱きつかれたら動けなくなっちゃうよ。僕は勇者とは違うんだからね。ほら、そのままじっとしてて」
エリーシャの体や服に炎が移らないように注意しながら、丁寧に糸を焼いていく。
「早くしてよ、ルシルぅ!」
「ちょっと待ってよ。結構大変なんだって」
もういっそエリーシャごと焼いてしまった方が早いかもしれない。僕の炎に包まれたところでエリーシャは火傷一つ負わないだろう。
「……」
本当にそうしようかなと思ったところで首を横に振る。
いやいや、駄目だ、駄目だ。
エリーシャは無傷でも服は焼け落ちてしまう。
いくら幼馴染でも、生まれたままの姿を見る訳にはいかない。
僕たちは付き合っている訳ではないのだから。
今は、まだ。
◇
魔物退治の報酬として手に入れた船で海を渡っていた時、彼方から女性の歌声が聞こえたような気がした。
「何か聞こえない? ルシル」
「……まずい、これはセイレーンだ……!」
その美しい歌声と容姿で男性を魅了し、水中に引き摺り込む海のモンスター。
女性であるエリーシャに魅了は効かない筈だが、僕には効いてしまう……!
「うっ……!」
「やだ、ルシル! しっかりしてぇ!」
「エリーシャ……」
……エリーシャ……?
誰の名前だろう……。
――おいで。おいで。こっちへおいで。歌声のする方へ――
綺麗な声で誰かが呼んでる……。行かないと……。
――さあ、おいで。私の愛しい貴方。口付けをしてあげるから――
口付けを……。
……口付けを、している……?
今この瞬間、自分がまさに誰かと口付けをしている事に気付いて意識が急浮上する。
「むぐっ!?」
「ルシル、気が付いたの!? うぇぇぇん、 良かったぁ!」
涙声でそう言って抱きついてきたエリーシャの体を抱き返しながら、混乱する頭を必死に整理する。
「エリーシャ、今、僕に何かした?」
「……してないもん」
「嘘付いてるよね。エリーシャの嘘はすぐに分かるんだよ。で、何したの?」
何をされたのか本当は分かっている。
それでもどうしてもエリーシャの口から言わせたかった。
「ううう……」
「エリーシャ……。僕の耳元で言って。ちゃんと聞かせて」
内緒話をするように、エリーシャが背伸びをして僕の耳に口を寄せる。
エリーシャの微かな吐息が耳のすぐ近くで聞こえて、心臓が破裂しそうなほどにドキドキした。
――おいで。おいで。
うるさい、少し黙ってろ。
今すごくいいところなんだ。
「……あのね、私、ルシルにキスしちゃった……」
「!!」
ドクン、と。
心臓が大きく跳ねる。
「……勝手にごめんね……? でもルシルがセイレーンとキスするのは絶対嫌だったから、それなら私がすれば引き留められるかと思って……」
くっ!
可愛すぎて死ねる。
――おいで。おいで。
「うるさいっ! 邪魔をするなっ!」
僕は騒音の元凶に向かって全力で雷魔法を落とした。
――ぎゃあああああああ。
ピロン!
「セイレーンの魅了にかかってたから記憶が曖昧なんだ。だからもう一回しよう!」
「えっ、もう一回!?」
「僕にとってはファーストキスだ。魅了なんかかけられていない状態でちゃんとキスしたい」
エリーシャが上目遣いで僕を見上げる。
「……うん」
そうして僕は、今度こそ誰にも邪魔されずにエリーシャと唇を重ねた。
賢者の特性である抜群の記憶力に、エリーシャの唇の温もりと柔らかさをしっかりと刻み付けながら。
◇
「右だよ、エリーシャ!」
「まだ敵がいるのぉ」
バシバシバシバシ!
「次は上!」
「上は嫌ぁぁぁぁ! 飛んでくる系が一番嫌なのぉぉぉぉ! 羽音が聞こえるぅぅぅぅぅ!」
ドカン、バシン、バキッ!
「よし、全部片付いたよ」
魔王城内は流石に敵が多い。
次から次へと敵が襲いかかってくる。
「もう嫌だぁぁぁぁ。返り血が気持ち悪いよぉ」
「はいはい。洗ってあげるから」
エリーシャを丸ごと水魔法で揉み洗いしてから、風魔法でしっかりと乾かす。火魔法での温度調節も忘れない。
「はい、綺麗になったよ」
「ぐすん。ありがとう、ルシル」
魔物の返り血でメンタルにダメージを受けたらしいエリーシャを抱き寄せ頭を撫でる。するとエリーシャは甘えるように僕の胸に顔を擦り寄せてきた。
その仕草があまりにも可愛くて僕の心臓にクリティカルヒットする。
よし、今日の戦闘はここまでにしよう。
こんなにいい雰囲気なのに魔物にぶち壊しにされてたまるか。
結界を張って一息ついていると、エリーシャが遠慮がちに僕の服を掴んだ。
「あのね、ルシル。もうすぐ魔王の間に着くでしょう?」
「うん、明後日くらいには着くんじゃないかな」
「そうしたらこの旅も終わっちゃうから、その前にちゃんと伝えておきたくて……」
そう言いながら、エリーシャが僕を見上げる。
「ここまで一緒に来てくれてありがとう。いつも側にいてくれてありがとう。ルシルが居てくれて本当に良かった……」
「エリーシャ……」
エリーシャを一人にしたくなくて、側にいたくて、僕は自分で望んで旅に出た。
それを、エリーシャがそんな風に言ってくれるのなら。
十年以上、秘めてきた想いを。
今、ここで。
打ち明けてもいいだろうか――。
「……好きだよ、エリーシャ。子供の頃からずっと君が好きだった」
エリーシャの瞳を見つめ、ずっと言えなかった言葉を伝える。
するとエリーシャはいつものように眉を下げながら。
それでも、確かに微笑んだ。
「……私も、ずっとずっと、ルシルのことが好きだったの……」
エリーシャの目に涙が浮かぶ。
エリーシャの涙を見たのは、これで七百十三回目。
水溜りで滑って転んだ時も。
鳩の糞が頭に落ちてきた時も。
勇者の紋章が現れた時も。
いつだって僕はエリーシャの側にいた。
けれどそれは、僕が見た初めての嬉し涙で。
「結婚しよう、エリーシャ」
「……うん」
僕らは自然と、その言葉を口にしていた。
◇
「よくぞここまで辿り着いたな、勇者よ。我が闇の軍団を退けた事だけは褒めてやろう! しかしお前の冒険もここまでだ。我が深淵の闇の力をその身に受けてみるがよい! 耐えられるものなら……」
「やだぁぁぁぁ、知らない人と話すの怖い! 初めて会ったのにそんなに話し掛けてこないでよぉぉぉぉ!」
バシバシバキバキ、ゴキャッ!
「ぐっ! 流石ここまで辿り着いただけの事はある。だが我が力はこんな物では」
「まだ話し掛けてくるの!? この人、気持ち悪いよぉ、ルシルぅ! 知らない人と喋っちゃいけませんってお母さんが言ってたのにぃぃぃぃ」
「それは人じゃなくて魔王だよ、エリーシャ!」
「この魔王、気持ち悪いぃぃぃぃ!」
グシャ、メキャ、ドゴン!
「ぐふっ! おのれ、勇者め……! よかろう、我が真の姿を見せてやる! 我を本気にさせた事を後悔するが良……」
「うぇぇぇん、まだ話し掛けてくるぅぅぅぅ。この魔王しつこい! もう嫌だぁぁぁぁ!」
半泣きになりながらエリーシャが魔王に棍棒を叩きつける。
しかし本当によく喋る魔王だな。
「頑張って、エリーシャ! あとちょっとだよ!」
魔王は既に満身創痍。
このまま殴らせておけばエリーシャの勝利は揺るがない。
――そう思って油断していたのがいけなかったのだろうか。
グラリ……と魔王の体が大きく後ろ向きに倒れ、倒したのだと思った次の瞬間。
「……『無限怨呪』……!!」
魔王の体から禍々しい瘴気が吹き出し、魔王の目の前にいたエリーシャに直撃した。
「きゃあああ!」
「エリーシャっ!!」
完全に力が抜けたエリーシャの細い体が、受け身すら取らずに倒れて床に打ち付けられる。
敵の攻撃を受けて倒れるエリーシャの姿を見るのは初めてだった。
心臓がバクバクと音を立てる。嫌な予感が止まらない。
ここまであまりにも順調に来てしまったものだから油断していた。エリーシャは絶対に傷つかないのだと思い込んでいた。
そんな訳がないのにっ……!
「エリーシャ! エリーシャっ!!」
慌ててエリーシャに駆け寄る僕を見て、魔王が高笑いを上げた。
「ハハハハ! 我が命と引き換えにした呪いだ! 回復魔法や解呪魔法などで解くことはできんぞ! 勇者も道連れにしてやる! ハハハハハハ!」
「!!」
魔王の自己犠牲魔法か……!
存在を完全に失念していた。
魔力を有するジョブならば、必ず一つ持っているというのに!
悔恨に奥歯を噛み締めながら、僕はエリーシャの体を抱き起こした。
「エリーシャ! エリーシャ!」
その体は冷たくて、エリーシャの生命力がどんどん呪いに蝕まれていっているのが分かる。
回復魔法も解呪魔法も効かないのならば。
エリーシャを救える可能性がある魔法は一つだけ。
――賢者の自己犠牲魔法『究極強化』。
エリーシャを極限まで強化して、勇者の持つ生命力が呪いに打ち勝つことに賭けるしかない。
「エリーシャ……」
僕のレベルは既にカンストしている。前回のような奇跡は起こらない。
……結婚しようと約束したのに、守れなくてごめん。
でも旅の最後まで一緒にいる事ができて良かった。魔王は灰となって消えた。これでもう君が戦う必要はない。
村に帰って幸せに……、どうか幸せになってくれ。
ウエディングドレスを着た君の隣に立つ人間が僕でない事は、少し悔しいけれど。
いや、成仏できないかもしれないくらいに悔しいけれど。
でも君を失ってしまっては、僕は生きていくことなんてできないから。
だから、どうか。
君だけは――。
「……生きてくれ、エリーシャ……」
血の気を失ったエリーシャの唇に、人生最後のキスをする。
そして僕は叫んだ。
「……『究極強化』……!!」
――愛してる、エリーシャ。
僕の、全てをかけて――。
眩しい光の中で、エリーシャの泣き声が聞こえる。
「嫌あっ! お願い、死なないで! 死なないでよお、ルシルっ!!」
……ああ、エリーシャは呪いに打ち勝つ事ができたのか……。
良かった……、本当に良かった……。
涙を拭ってあげたいけれど、僕の命はもう尽きる。
……さようなら…………エリーシャ…………。
そして意識が完全に途切れる寸前。
いつものエリーシャの情けない声とはまるで違う、強く鋭い声が世界に響いた。
「……『時間逆行』……!!」
◇
「よくぞここまで辿り着いたな、勇者よ。我が闇の軍団を退けた事だけは褒めてやろう! しかしお前の冒険もここまでだ。我が深淵の闇の力をその身に受けてみるがよい! 耐えられるものなら……」
「やだぁぁぁぁ、知らない人と話すの怖い! 初めて会ったのにそんなに話し掛けてこないでよぉぉぉぉ!」
……えっ!?
命が尽きる寸前、エリーシャの声が聞こえた。
そして気付けば、死んだ筈の魔王と普段通りのエリーシャの姿が目の前にあった。
さらに聞き覚えのありすぎる今の台詞。
まさか。
まさか。
時間が巻き戻ったのか。
『時間逆行』というエリーシャの言葉が最後に聞こえた。
……あれが勇者の自己犠牲魔法なのか。
魔法を使えないエリーシャが、それでも勇者の自己犠牲魔法だけは持っていたのか。
自分の命を燃やし尽くして、僕のためにそれを使ってくれたのか……!
状況を把握したと同時に必死に考える。
エリーシャがくれたやり直しのチャンス。
どうすればいい。どうすれば結末を変えられる。
既に戦闘は開始されてしまっている。エリーシャに注意を促す事はできない。
下手に『無限怨呪』の事を口にすれば、魔王があれを使うタイミングが変わってしまう。
あの魔法は発動してから瘴気が届くまでにほんの僅かに時間があった。そしてその軌道は直線的。
エリーシャの身体能力ならば発動を見てからでも避けられるかもしれないが、エリーシャは目を開けての戦闘ができない。
僕が。
あれが発動する瞬間に、僕がエリーシャに指示を出す。
……そう、いつものように。
意識を集中し、戦闘を見つめる。
大丈夫、エリーシャと魔王の戦闘の一挙手一投足、僕は全て覚えている。
魔王があれを発動する瞬間は完璧に把握している。
問題は叫ぶタイミングだけ。
魔王の行動に影響を与えず、エリーシャならば避けられるタイミング。
集中しろ。集中しろ。集中しろ。
――そして、遂にその時がきた。
グラリ……と魔王の体が大きく後ろ向きに倒れた、その瞬間。
「右に跳べ、エリーシャあああああ!!」
「……『無限怨呪』……!!」
僕と魔王の声が重なる。
「!!」
魔王の体から禍々しい瘴気が吹き出すのとエリーシャが地を蹴るのは、同時だったように僕の目には見えた。
瘴気は。エリーシャの体には……。
――届かなかった――――!
「エリーシャ!!」
転がるようにしてエリーシャに駆け寄る。
「エリーシャ、エリーシャ……っ!」
エリーシャの細い体をしっかりと抱き締めて、その体温を確認した。
……温かい。
ぞっとする程に冷たかったあの時とは違う……!
「ルシル……。今の、何だったの……」
呆気にとられたようにそう呟くエリーシャをひしと抱き締めていると、魔王が僕に怨念の視線を向けてきた。
「おのれ……! おのれぇぇぇぇ! お前さえいなければ勇者を道連れにする事ができたものを……! 勇者のオマケの虫ケラの分際で、何故あれを察知する力を持っていた……!」
体が崩れ、灰になりつつある魔王をじっと見下ろす。
「僕の力じゃないよ……。未来を掴み取ったのはエリーシャだ」
怖がりなエリーシャが、自分の全てを投げうって僕の命を救ってくれた。
だから僕たちは、今、こうして立っている。
――勇者エリーシャが、その勇気で、未来を掴み取った――。
魔王が完全に灰となって消えた後。
僕は、エリーシャを強く強く抱き締めた。
――君が、君の全てを、あの時僕にくれた。
君は覚えていないだろうけれど、僕は決して忘れない。
あの時の君の覚悟も。想いも。涙も。叫びも。愛も。命も。
そしてこれまで見てきた君の全てと、これから見ていく君の全てを、僕は全部全部覚えておく。
とんでもない量になるだろうけれど大丈夫。記憶力には自信があるから。
だから僕の記憶の全てを、君との思い出で埋め尽くしながら生きていきたい。
「泣いてるの、ルシル……」
エリーシャがそう言って、戸惑ったように僕の頬へと手を触れた。
「……え?」
頬を撫でるエリーシャの手が濡れて、自分が泣いていたという事にようやく気付く。
「大丈夫……?」
気遣わしげな声でそう言いながら、エリーシャが僕の涙を拭ってくれる。
その優しい手に自分の手を重ね、僕は少し頷いた。
「大丈夫だよ、エリーシャ……。これは嬉し涙だから」
僕にとって、人生で初めての。
「嬉しいの、ルシル」
「うん」
君への想いで、胸がいっぱいで。
「愛してる、エリーシャ……」
するとエリーシャは。
「うん……。私も愛してる、ルシル」
そう言って、幸せそうに微笑んだ。
◇
「無理だよぉ! どうしてこんなに人がいっぱいいるのぉぉぉ!」
「凱旋パレードを断ったからこっちに集まって来ちゃったかぁ。まあ魔王を討伐した勇者と賢者の結婚式だからね。人が詰めかけてくるのは仕方ないよ」
エリーシャは極度の人見知なので僕らが魔王を討伐した事は隠しておくつもりだったのに、魔王城に派遣されていた国軍の調査隊にうっかり見られてしまった。
……僕たちが魔王の間で、口付けを交わしているところを。
「うう、知らない人がいっぱいいる……。怖いよぉ……」
「じゃあエリーシャは目を瞑ってていいよ。僕が手を引いてあげるから」
「ありがとう、ルシル! 大好きぃ!」
結婚式の間、エリーシャは結局一度も目を開けなかった。
エリーシャに『心眼の勇者』という二つ名が付いてしまったけれど、エリーシャは本当に何も見ないまま適当に棍棒を振り回していただけだという事は僕しか知らない。
「ええ〜、『心眼の勇者』なんて嫌だぁ。どうせならもっと可愛いのが良かったのに……。 『トゲトゲ棍棒の勇者』とか」
「それが可愛いんだ……」
相変わらず凄いセンスをしているなと思うけれど、そんなところも可愛いと思ってしまう僕も似たようなものなのかもしれない。




