冷めてしまった Paitan soup
AIとの生活が、当たり前になった時代。
面倒なことは減り、
気まずい沈黙も、すれ違いも、
ほとんど起こらなくなりました。
けれど、
不便さの中にあった戸惑いや感謝は、
いま、どこにあるのでしょう。
これは、
便利さに囲まれた夜に、
自分の心の温度を確かめた、
小さな物語です。
「今日もすごく楽しかったわ」
「君は今日も、とても美しいね」
そんなやり取りを、
都会のあちこちで見かけるようになった。
AIと人間が並んで食事をし、
買い物をし、
まるで本物の恋人のように微笑み合う。
かつては出会い系アプリで不器用にやり取りを重ね、
既読や未読に一喜一憂していた時代もあった。
けれど今は、
容姿も性格も細かくカスタムできる。
好みに合わせて、
完璧な相手を選べる。
ある日、仕事が早く終わり、
ふらりと立ち寄った居酒屋。
カスタムされたAIの若い女性と、
少し高齢の男性が向かい合って座っていた。
男性は必死に何かを語りかけている。
昔、どこにでもあった光景だ。
違うのは、
そこに“想定外”が存在しないこと。
気まずい沈黙も、
言い間違いも、
心のすれ違いも起こらない。
すべては、
あらかじめ整えられている。
やがて男性は満足そうに店を後にした。
女性は静かに微笑んだまま、電源を落とされる。
その光景を横目に、
僕は濃いめのカシスソーダを一気に飲み干した。
グラスの底には、
溶けきらなかったカシスの雫が残っていた。
飲み忘れていた Paitan soup。
心地よい冷たさが、身体に沁みた。
生活のすべてが便利になるということは、
もしかしたら、
自由を失うことなのかもしれません。
不便だからこそ、
誰かの言葉に救われたり、
偶然に笑ったりできた。
便利な時代だからこそ、
少しの不便が、
ひどく愛おしく感じるのかもしれません。
―今日は一駅遠くから、歩いて帰ります。




